六 馬 鹿 会

 

「六馬鹿会」ってなんなの?    “貴い馬鹿”を目指して     六馬鹿チャット   「馬鹿論」再考

 

「六馬鹿会」ってなんなの?

バカとアホ―

 

高校時代までずっと小田原で育った私には、全国から人が集まった大学、特に1年生の8月に入寮した駒場寮は、それぞれの地方に特有の異文化との初めての遭遇の場になりました。「バカだなあ、お前」と関東出身者が言ったのに対して、関西出身者が「バカとはなんだ、アホ―」と怒って切り返すのを見たのも、そんなカルチャ―ショック続きの日々の思い出の一つです。関東の「馬鹿」には、裏に「いいヤツだな」のニュアンスを含む場合があるのですが関西人にはこれが通じずカチンとくるようです。逆に、「阿呆」が関東人にはカチンときて、「アホーとはなんだ」と怒って切り返すことになってしまいます。

 

愛すべき馬鹿

 

関東人の「バカだなあ、お前」には、「そんな割の悪いことに一生懸命になって、本当にいいヤツなんだなあお前って」といったニュアンスが含まれているように思えます。ですから「馬鹿」には、蔑みの言葉ではなくて、小利巧な者には感じることのできない「馬鹿馬鹿しいまでの」ひたむきさに対する賛辞なんではないかなと思われる面があります。そして“割の悪いこと”となるとスポーツがその骨頂です。例えば、バスケットボールでは底の抜けた籠にボールを入れるという「馬鹿」なことを競い合っています。野球だって、テニスだって、サッカーだって、やっていることは“割の悪いこと”ばかり…でしょう?

 

一芸に長けたる者は…

 

我らが「六馬鹿会」の発祥もテニスの集い「道志倶楽部」(もと38テニス青年団)にあります。ひたすら、先っぽに網のついた棒を振ってボールを叩くという“割の悪いこと”に打ち込む四人の“青年”がおりました。人はこれを当初「四天王」などと称しておりましたが、その尋常ならざる“ひたむきさ”は堂々たる「馬鹿」の域に達しているものと自認して「四馬鹿会」の発足となったわけです。一芸に長けたる者は百芸に通ずると申しますが、一馬鹿は百馬鹿に通ずで、小林公直兄(コーチョク)、牧野正弘兄(ブキラ)、渡辺孝彦兄(ナベ彦)と私の四名は、テニスに限らず幅広い話題をめぐって、それぞれの「馬鹿」ぶりをぶつけ合ってきました。

 

6本から15本にタイゾー

 

「四馬鹿会」は、後に吉武紳吾兄(シンゴ)が加わって「五馬鹿会」となり、更に“馬鹿見習”であった浅香泰三兄(タイゾー)の見習が解けて現在の「六馬鹿会」になりました。特にただ一人理工(利巧?)系のタイゾー兄が“馬鹿の貴さ”を悟って仲間入りしたことは特筆すべきことだと思います。N角形の頂点間の線分数はN(N−1)/2本ですから、四角形が六角形になると、コミュニケーション・チャネル数は6から15本に“大増”します。「六馬鹿会」になったことによって更に一層話題の幅が広がり、時にはつかみ合いの喧嘩が始まらんばかりの激論が交わされるようになりました。このホームページに「六馬鹿チャット」を随時ご紹介してゆくことにしましょう。

 

“貴い馬鹿”を目指して

 

馬鹿になれ

 

私に「馬鹿になれ」と忠言してくれたのは、駒場で同じクラスの奥山晃希兄でした。日比谷高校をはじめとする都内名門高校出身者の秀才達の中で田舎出身の私が背伸びしているのを見るに見かねて、「小利巧に振舞うな」と諌めてくれたのでしょう。奥山兄は、ずっと後に大蔵省事務次官への返り咲き人事でマスコミを賑わせた田波耕治兄とともに都内名門高校の出身ですが、ともに田舎者の私には親しみやすい存在でした。後に日債銀社長になって非業の死を遂げた本間忠世兄も含めて「利巧な」能吏タイプの目立つクラスでしたが、奥山・田波両兄には「利巧さ」とはちょっと別味の「実」が感じられたからではないかと思います。

 

利巧に2種あり

 

どうも、合理性を指標とする「利巧⇔馬鹿」軸とは別に、自主的な思考・行動力で測られる「虚⇔実」軸があり、人は「利巧・実」、「利巧・虚」、「馬鹿・実」と「馬鹿・虚」の四象限に分けられるのではないかというような気がします。つまり、ペーパーテストのよくできる“秀才”は、合理的に知識を記憶して合理的にそれを検索できる「利巧」には違いありませんが、必ずしも創造力があり問題解決力のある「実」ではなく、場合によっては「利巧・虚」のカテゴリーに落ちるのではないでしょうか。ところが、自らの「利巧さ」を、自分も周囲も、「利巧・実」と勘違いするがゆえの悲劇が世に後を絶たないのが残念に思えます。

 

馬鹿にも2種あり

 

同じように、「馬鹿」にも「馬鹿・実」と「馬鹿・虚」があると思います。「馬鹿・虚」は、自主的な思考力や行動力を欠く愚行を繰り返すのですから、これは「馬鹿」と蔑まれても仕方ない存在なのでしょう。しかし、一方の「馬鹿・実」は、“割の悪いこと”に対しても誠心誠意とり組もうという側面がありますから、どうも我らが「六馬鹿会」の目指している“貴い馬鹿”はこの辺なんじゃないかと思えるのです。駒場のクラスで能吏タイプにはない“人間らしさ”を漂わせていた香西力、吉成正夫の両兄が奥山兄とともに、クラスが一緒でもないのに、いつの間にか我らが2馬鹿のコーチョク、ブキラ両兄と知り合って連歌を巻きあう間柄になっているのも不思議なことです。類は友を呼び馬鹿は馬鹿を呼ぶ(?)。

 

「馬鹿になる」のは難しい

 

私の育ての親である皆藤康の口癖も、「東大卒は小利巧でケチな者が多くて困る。もっと馬鹿にならなくては」というものでした。在職中に出会った東大出身者の何人かから得た印象なのでしょうが正鵠を得ている面があると思います。そして自らも叔母のキミとともに、実子を育てるのさえ大変な物資不足の戦中戦後に、血縁関係のない私たち兄妹を育てるという“割の悪いこと”に献身し「馬鹿・実」ぶりを発揮しております。とりわけ幼くして両親を失い、面倒見を厭って親族が離散してしまった中でのことですから、なかなかできることではありません。こうなると“気高い馬鹿”とでも言わざるを得ず、私にはとても真似することが難しい遠い目標になってしまいます。

 

“人間らしさ”を大切にしたい

 

怜悧に合理性を追求して「利巧」に振舞えば間違いがありませんが、「実」を求めて自分で考えて行動することは、いわば創意・創造の世界ですから、どうしても試行錯誤、場合によっては、失敗が伴います。言ってみれば、「実」の真髄はリスクを恐れず自ら火中の栗を拾って問題に立ち向かうところにありますから、ひたむきな“人間らしさ”はここにあるような気がします。ですから、ドジで間抜けな面をさらけだしながらも心のおもむくままに生きる“人間らしさ”を保つには「利巧」の枠内にとどまっていては難しいように思えるのです。今にして思えば、奥山兄の「馬鹿になれ」が聞かされていたなら随分と救われた秀才タイプがいたのではないかと思います。

 

                                                   (2001/8)

 

六馬鹿チャット

   さはこの湯   三和ふれあい館  日本のブリスベーンより  天心の湯

 

さはこの湯 ・・・ 神田川シリーズ第1弾

 

家の改修工事のために浴室が取り壊されてしまいました。そこで、昨日はいわき市内の湯本温泉にある「さはこの湯」に夫婦揃って行ってきました。お互いに洗面器を一つずつ抱えた姿ですので、久方ぶり「神田川」の世界でした。

いわき市は日本一面積が広いのですが、これは五つの市が合併したためで、旧の湯本市もその一つです。ですから、「いわき市内」とは言え、我が家から車で湯本温泉「さはこの湯」まで、山道の近道を通っても30分間近くかかりました。

入湯料がなんと一人150円也。銭湯より安くてしかも「ほんまもん」の温泉です。温かみに心身の疲れを癒して満ち足りた一時を過ごすことができました。風呂から上がってラーメン屋によって「清貧とはこういうものなんだな」といった実感に浸りました。

その昔、銭湯通いは日本人のごく当たり前の姿でした。ラーメンなんか寧ろご馳走の部類でした(でしょう?)。我々の若かりし頃の日本人には清貧の生活ができていたのですね。それが何時の間にか物質的に豊かな生活になじんできてしまった。

今や日本経済も落ちるところまで落ちてきたのですから、日本人も物質的生活水準を元のところに戻したらいいんじゃないかなんて、ふと思いましたよ。精神的な豊かささえ保持できれば清貧の生活がでるわけですから。

小泉サンも、構造改革の確たる方程式を持っている訳ではなく、「構造改革が景気回復につながる」訳もないわけですから本当は「国民の皆さん、清貧の生活をしてくださいよ」と言いたいんでしょうが、そんなこと言ったら一遍で支持率がさがっちゃうし。

以前は「どうせ猿芝居さ」と思って決して見ようとしなかった国会中継放送を見るようになりました。本質は猿芝居に変りありませんが小泉サンや鈴木サンの名優ぶりが見事です。外務省以外の官庁に顔を利かせている名優が他にもいるのになあ。

真紀子サンの演技はヘタクソだなと思っていたらやっぱり降ろされてしまいました。他の大臣だって、無知やドジはあるに決まってるんだけど、改革に動かずソツなくしているから波風立たず目立たずに済んでいる。馬鹿だなあ真紀子は。改革なんて間に受けて。

しかし、馬鹿な真紀子サンのお陰で、少なくとも名優達の舞台裏が見えるようになって猿芝居観劇が楽しくなりました。やはり、真紀子サンは猿でなくて馬鹿に徹してくれなくちゃ。「六馬鹿会」心得でもお贈りしましょうか。演(猿)ずるよりやはり野に置け馬と鹿。

大方の動きから察しますと、今後は政官癒着の巨悪に立ち向かう「政変」劇も上演が期待薄ですし、観客動員力が無い「清貧劇」もないでしょう。ヘ(政変)でもヒ(清貧)でもなく、フ(腑)にも落ちない猿芝居を見せられる羽目になるのでしょうね。嗚呼、馬鹿恋し。

いやはや「さはこの湯」から、いつの間にか芝居の話になってしまいました。「さはこ」は三函と書いて湯本市街の一地区の地名だそうですが、なんとなく芝居がかった優雅な名前でしょう?改修なった我が家にお越しの節には清貧体験に是非どうぞ。

草  々

2002/2/3
     今日も仕事に乗り切れない平周五郎こと 佐々木 洋 拝 

 

Re: さはこの湯

愈々、改修工事が始まりましたか。まずは、おめでとうございます。春、花の頃か新緑の頃のバーチャル民宿ササキとさはこの湯のいわき分科会が楽しみです。

久し振りで、心地良い響きの清貧の言葉に出会いました。あしは折に触れ、負け惜しみ的発想かどうか分かりませんが、老後は清貧で行くとかみさんには言っているところです。現に、昨年暮れに息子が結婚して独立してからは、疑心暗鬼でいた女房殿も「食費をはじめ、こんなに経費が掛からないとは思わなかった」と言っています。よく、一旦体験した生活水準は元には下げられないと言われていますが、少なくとも食生活に関しては、あしは戦後の食糧不足だった時代に苦痛なく戻れるのです。子供の頃何もないときに母が作ってくれた料理(?)「ネモクーハモクー」(根も食う葉も食うが語源で、茹でた大根葉に大根おろしを加えその上に鰹節をふりかけ醤油をかけて食べる)生活に容易に戻れるのです。既に、先ず食生活から実践に入っている訳です。【序ながら、ある句会で大根が兼題の際『大根の「根も食う葉も食う」母の味』を出して、誰も分からないだろうと思っていたところ、何点か投票が入っていて吃驚したものです。】

もう時間の問題に迫ったフリーの生活では、何も芸もなくアイディアもなく「清貧で心豊かな生活をするにはどうしたら良いか」と悶々として日を過ごしている状況ですが、年を取ると友との交流は特に欠かせないようですので、今から改めてよろしくお願いを申し上げておきます。

2002/2/5 小林公直

 

三和ふれあい館 ・・・ 神田川シリーズ第2弾

 

昨日は、「さはこの湯」で調子に乗って、日本語教育でも清貧の話をしてしまいました。「お金がなくても心が豊かなのが清貧なんじゃよ」と力説したのですが、この心の豊かさの説明が難しい。ひとしきり説明を終えたところで学習者の一人が、「あ、じゃ、私も清貧です」ときた。「お前なあ、若者のくせしてが分ってるんかい。単なるだけじゃないのかね」と口に出かかったのですが、「そうですか。じゃあ私達は清貧同士だね」と、教えたての同士を使ってその場を凌ぎました。しかし、日本語レッスンの際に見せる韓国留学生達の表情はみんな澄んだ目をしていますので、もしかするとほんまもんの清貧かもしれません。

昨日はまた、「さはこの湯」で調子に乗って、「三和ふれあい館」まで入浴に行ってきました。三和は同じいわき市内で、新潟に伸びる国道49号線沿いにあるのですが、日本一広大な市だけあって片道30分の時間がかかります。紅葉シーズンにドライブした時には燃えるようなシーンを見せてくれていた木々達も今は木の葉を落として静かな佇まいを見せています。こんなモノトーンの世界にも美しさを感じられるようになったのはやはり年の功なのでしょうか。木々の名前は定かではありませんが、何の変哲もない道を走っていても心豊かになれ清貧の気分に浸ることができます。

ところで、「三和ふれあい館」の湯。こちらは温泉ではありませんがとても綺麗な浴室で、澄明なお湯が湧き出てきます。それでいて入湯料は100円/人ぽっきり。月曜日の朝10時から風呂に来るような馬鹿は我々夫婦しかおりゃしません。ともに、一人で浴槽を独占してのうのうとして朝風呂を楽しんできました。館内には市役所の三和支所や公民館もあるのですが、なかなか見事な建物で、畑地の中に目立っています。多分これも、竹下サンの一億円ばら撒き政策の産物なんでしょうが、清貧のためには大助かりです。

「ネモクーハモクー」は久し振りに聞きました。『大根の根も食う葉も食う母の味』の句もほのかに心豊かが伝わってきて、俳句にしておくのがもったいないように思えます。まさに清貧ですねえ。フリーの生活をご心配のようですが、「ネモクーハモクー」の原点に戻られたらいいんじゃないでしょうか。心豊かにするためには左脳の指令から右脳を解き放って心をバリアフリにすることが大切なんじゃないかと思い始めております。自由が丘住まいのフリーの生活のちょっぴり先輩の心境がご参考になれば幸いです。

草  々

     2002/2/5
     「友との交流」のためのご自宅メール局開設を叫びつつ
                 平周五郎こと 佐々木 洋 拝

日本のブリスベーンより ・・・ 神田川シリーズ第3弾

 

長女の愛子が「いわきはブリスベーンに似ている」と言っていたのを思い出しました。昨日、国道6号線を北上していわき市と隣接する双葉郡の楢葉に向かって車を走らせている時のことです。そう言えば、福島県を地図から切り取ってみるとオーストラリア大陸に似ています。そして、いわき界隈はちょうどブリスベーンあたり・・・。

いわきの市街もなんとなく都会的でなんとなく田舎っぽくて、これもブリスベーンにそっくりです。愛子は留学時代に「ブリスベーンには文化が乏しくて刺激が少ない」などと申しておりました。あれは、生意気で言っていたのではなくて、「清貧」の境に至らぬ未熟さが言わせていたセリフであったということが今になるとよく分ります。

さて、我々清貧カップルの向かう先は楢葉天神岬温泉「しおかぜ荘」。いわき市内の我が家からは40分以上のドライブになりますが、何せここはブリスベーン。車の流れがスムーズなので、多少の遠隔地にでも気軽に脚を伸ばすことができます。そして今日も我が家の風呂工事中につき神田川シリーズ第3弾です。

いわき市の境を出ると、久の浜、広野といった優しい語呂の地名が続きます。目的地の「ならは(楢葉)」もいい響きでしょう?心優しい人の住むところは地名だって優しいのです。日本のブリスベーン、清貧の里。やがて車は木戸川を渡ります。この川には鮭が遡上してくるということです。「さすがは東北」という思いもしてきました。

「しおかぜ荘」は3セクの経営で、日帰り入湯料は500円/人ぽっきり。湯質は滑やかで肌にやさしく美肌効果があるそうです。露天風呂も設えられていて、姿よく真っ直ぐに伸びた松の木立の向こうにマリンブルーの太平洋が広がっています。地球はやはり丸いのだ。いいなあマリンブルーいわき。水平線に思いをはせて清貧じゃ清貧じゃ。

神田川シリーズ第3弾の合間には、いわき市内「ホテル平南」泊まりの一日もありました。しかしこれもツインの部屋がとれず、夫婦別姓ならぬ夫婦別室でしたので神田川みたいなものです。これがバストイレ、タオル、浴衣付きで一泊3,500円也(ツインなら6,000円)。清貧生活志願者は是非日本のブリスベーンへ、といいたくなるところです。

日頃何気なく気楽に使っているトイレや風呂ですが、無くなってみて初めてその有り難さが分ります。しかし、この不自由さがあるからこそ、様々な清貧体験を味わうこともできるのです。昔カナダ旅行の際に吉武シンゴ兄が贈ってくださった"Enjoy Troubles."をここでも実践できている
ようです。貧すれば貪するではなくて貧すれば清するの形で。

「日本国民の皆様、都会を捨てて田舎に帰りましょう。貧なれど清にて心豊かに暮らしましょうよ」と小泉サンに成り代わって叫びたいような心境
です。もっとも「国民の支持率が下がろうとも」なんて、名演技を止めてアブナイことを平気で口走りだした小泉サンのことですから「国民」なんかどうでもいいのか。余計なこと言わず一人清貧を貪って(?)いることにします。

 々

2002/2/10
いわき市は不自由が丘の住人 平周五郎こと 佐々木 洋 拝

 

天心の湯 ・・・ 神田川シリーズ第4弾

 

今朝久し振りにジョウビタキのジョウ君に会いました。きっと、ブキラ兄からの「ジョウビタキは家の庭と裏で3回ぐらい見かけました」という返歌メールが伝わっちゃったのでしょうね。「ああ、そうか僕の仲間は東京にもいるんだ。僕は珍しい鳥でもなんでもなかったのか」と自分のブランド価値の無さを思い知らされてプライドをなくしてしまったかのように、メール受信以来ぷっつりと私の前から姿を消してしまっていたので心配していたところでした。「僕は鳥の名前などはどうでもいいと言っているじゃないか。そのままの姿で僕の眼を楽しませてくれればいいんだから」と心で呼びかけますと、ようやく近づいてきてくれました。なにやら嬉しくなって雀と遊ぶ小林一茶みたいな気分になってきました。

木の名前も私にはどうでもいいのですが、地下の根から直接78本の細い幹に枝分かれしていて、それぞれの幹がたおやかに左右前後に枝を広げている立ち木があって、それがジョウ君お気に入りの遊び場所のようです。吾亦紅のような花実を付けていますので、それが好物なのかもしれません。相変わらず愛らしい仕草を眺めていると、今日はもう一羽の小鳥がひらりとやってきました。ひたむきに木の幹をつついている動作は、どう見てもコゲラのものですが、コゲラにしては色が黒いようにも思えます。でも鳥の名前などはどうでもいいのです。ブランドが問題なのではなく、名も知らぬ木の下で名も知らぬ小鳥の姿を愛でて、こうして清貧の一時をもてることが似非一茶には大切なのです。

さて、風呂を求めて浮浪する清貧夫婦の神田川シリーズ。湯本さはこの湯、三和ふれあい館、楢葉天神岬に次ぐ第4弾で、今日は日本のブリスベンを南下して北茨城は五浦温泉「天心の湯」です。「お一人様800円です」に「えっ、うそー」。これがほんとの嘘八白です。しかし、聞いていた一人400円は平日のこと。気がつけば今日は建国記念の日で祝日料金なのでした。誰が2月11日を建国の日に決めたんだ!どうせまた、文部官僚が族議員の先生と結託して決めたんだろうーが。しかも、ここは岡倉天心ゆかりの地ときた。だから、ブランド物は清貧に合わないっていうんだよ!・・・どうも清貧になってから怒りっぽくなったようで我ながら困ったものです。ま、いいか、折角40分間もドライブして来たんだから嘘八白に目をつぶって入っちゃえ。天神の湯についで天心の湯、このようにきちんと韻を踏むのが正統派清貧のあり方なのだ・・・とまた変な理屈をつけて。

天神に濁りあり天心に濁りなし・・・これは嘘八白ではなくてほんとの話でした。楢葉天神岬の温泉が濁り気味でぬめり感があったのに対して、ここ天心の湯はまさに天真爛漫、清く澄んでおり、さらっとした肌触りです。・・・と、思いきやありましたよ、その名も白泥湯。さすが岡倉天心、清も濁も併せ呑む。しかし、喜んだのは束の間のことでした。泥を使った美容術の効果を応用するために、近くの海岸で取れる蛙目土とやらを加工して温泉に溶かし込んだのだと看板に能書きが書いてありました。なーんだ、これも天然の温泉じゃなくて嘘八白なのか。土の名前なんか私にゃどうでもいいって言ってるのに。こうなりゃ清も濁もあるものか。嘘八白ついでに清貧をかなぐり捨てて、濁りの中に身を投じます。何だこんなコソ
泥、じゃなくてウソ泥、泥美顔術なんて嘘っぱちだと身をもって証明してくれん。しかし、勢い込んで飛び込んだ私に白泥湯はなんとも優しい肌触りでした。窮屈な清貧の暮らしに比べて、この濁った世界のなんと居心地の良いことか。高級官僚や代議士志望者が後を絶たない理由が良く分るような気がします。

天心の湯には畳敷きの大広間があって、ここで入浴で疲れた体を横たえることもできます。そんなわけで、あちらこちらにマグロやトドの類がごろりごろり。いわき市内では一人前2,500円が相場のアンコウ鍋がここでは1,600円で食べられる。しかも北茨城といえばアンコウの本場。大いに心は動いたのですが、横たわっているマグロやトドの隣では・・・と思案して、美味そうなアンコウに唾を飲んで退散しました。これがほんとのあんこ椿といったお粗末付き。清貧になりきれぬ似非一茶の悲しさです。心豊かなれば場所を選ばずに済むものを。しかし、ここ天心の湯は、ほんの近くに天心堂や五浦美術館もあり、ここを訪れれば心豊かになることができます(きっと)。アンコウ鍋だって、似非清貧もの(?)がきっとある筈です。見つからなければ、今日私たちがしたように、小名浜に回って雲丹どっさりのウニ・ピラフを食しても良しです。ともかく、改修オープン間近の「バーチャル民宿ササキ」への皆様のご来臨に備えて、また一つお誘いポイントができました。風呂を求めての浮浪の旅も終わりが近くなってまいりました。
      
草  々

        2002/2/12  風呂に苦労の素浪人・平周五郎こと 佐々木 洋 拝

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