道 志 倶 楽 部 の ペ ー ジ

交信ラリー


病コウモウ
ブキラ、コーチョクめ等の熱は一向に冷めようとせず、病コウモウであります。寄るとさわると「サービスがどうしたこうした」といった話題ばかり。悪いことに秋丸某までがこれに加わったため、早くも秋の合宿がどうのこうのということになり、早々に10月の行事予定成立となった次第です(案内状添付別紙)。
ブキラ氏のpiles手術も軽微で済み、また、今年の梅雨は週末の雨天が少ないこともあって、ほとんど支障なく熱球を打ち交わしております。お蔭様でフラストレーションもなく、気のせいかブキラ氏の言動もいつになくマイルドに見えます。

昨日(7/2)は、ずれ込みの会社創立記念日。午後から会社の若手連中と浜松町カイワイのコートにうって出て一汗流しました。小生の“裏切り”により、ブキラ、コーチョクはメンバーが揃わず、空しく帰宅(ブキラ)、残業(コーチョク)と、それぞれ満たされぬ思いをした由です。

10月のイベントについては、ご出張のタイミングがピッタリで…等という万に一つの可能性にかけてのご案内です。それより「38テニス青年団不滅なり」をお知らせするのが本旨です。“留守宅“はしっかり守っております。ご安心ください。
 1990/7/3 シンゴ兄/加・トロント&ナベ彦兄/米・ホワイトプレイン宛FAXレター)

男の甲斐性

はたまた東京から雑音をお届けします。ご多忙中だからこそ、忙中の閑を見出し、雑音で心なごまして頂けたらと念じております。

東京は、桜も散り新緑のシーズンです。昨日はまた久方ぶり好天の週末で、新緑もひときわ映え、絶好のテニス日和でした。模様を添付別紙の通りご報告します。
メッセージ有難うございました。Between games の格好の酒のサカナになりました。いわく「Mr. 幡谷のゴルフの飛距離が伸びたのは事実だが、俺とは一勝一敗だ。」また、「Mr. 吉武のテニスは確かに上達している。特に脚が速くなっているのにビックリ」だの、「ほうー、Mr. 川口がトロントに出かけたのか」等々、あることないこと…。
好天、好プレイの連続で、何時の間にか意気軒高になり、遂に「これからは、つとめて有給休暇をとってテニスをしよう。多忙な中で有給休暇をとるのが男の甲斐性である」という“上用賀宣言”まで締結(?)されるまでに至ってしまいました。
皆様も来日される折には、「男の甲斐性」を発揮して、ラケットを持参し平日にテニスを楽しんでください。“同好者ネットワーク”の誰かが「男の甲斐性」でお応えするはずです。

忙しい時ほど心身のリフレッシュを…これは冗談ではなくて祈りです。呉々もご自愛の程を。 

(1991/4/22 海外駐在メンバー宛*のFAXレター)
吉武シンゴ兄(カナダ・トロント)
幡谷兄(アメリカ・アーバイン)

川口兄(アメリカ・サンフランシスコ)
浮貝純一兄(アメリカ・ニュージャージー)

 

継続は力なり

親愛なる大兄(体型)

前  略

四天王(四馬鹿?)として参加する事は当然かつ責務であるため回答不要かも知りませんが、暑中見舞いの挨拶代わりに回答します。

813()の特別企画、1021日〜22日の定例合宿ともに喜んで出席させていただきます。今回もまた、佐々木大兄大幹事に全てお世話になることでしょうが何卒宜しくお願いします。本同期テニス同好会は貴大兄のお陰で長年継続してきましたが、これからもメンバーの一人が死ぬまで継続してください。これからは脂ぎったところも消え、栄枯盛衰に一喜一憂することもなく、わび・さびの心境での淡々とした、ややもすればブキラ型付き合いに変わっていくでしょう。そんな中で本会繁栄のKFSは継続です。継続する本同好会はやがて益々老齢化していく我々の大きな生き甲斐になることでしょう。これからも宜しくお願いします。

草   々
 1/4×四馬鹿拝 

1995/7/21 ナベ彦兄からのFAXレター) 


あれやこれや

ナベ彦兄作の「天空に白山燈す月蕭条」に素朴に感動していたのに案の定ゴチャゴチャとあり、俳句の装いを整えた(らしい)途端に感動が薄れてしまったのが残念です。単なる五七五で良かったのに。これと前後しての正木兄からの「木曽駒のせせらぎに消ゆ蝉の声」はまさに一服の清涼剤でした。こちらは装いも整っているようですからなにとぞ原形のまま清涼感をおとどめ頂きたいものと願っております。

正木兄は、赤城にてテニスばかりでなく、ゴルフ、料理分科会でも師範代ぶりを示して下さいましたが、「句界」でも堂々の師範代ですね。「俳句界」となるとどうなのかはあずかり知りませんが。同メールの「寒気を催す位の好天」の表現も、「俳句界」ではとても受け入れられないのでしょうが、とても感覚が鮮やかに伝わってきて素敵です。今後とも、「俳句界」に入り込まれ過ぎませんように是非。

当方、諸賢が自然との触れ合いを楽しまれている間、ばたばたと新米日本語教師をやっています。幕張のOVTA研修で本来は土曜日半日の担当なのですが、今週末は富山行きですので昨日担当してきました。午前中3時間は、スペイン、モザンビーク各2、チリ、ペルー各1の陽気なラテン語族計6名が相手です。こちらは7/22(土)以来2回目で気心も知れあっていますので、一緒に楽しく時を過ごせました。

午前の3時間は、ソロモン諸島3、モルディブ、南アフリカ各2の、打って変って静かな計7名の担当です。生徒からの反応も乏しく「明るく勉強」だけが取り柄の新米には、なんとも気の重い出足でした。南アフリカからの二人はともにケープタウンの出身でともにヘビー級の大男。これに前の席で見つめられるのですからさすがにビビリます。川口兄も南アご滞在中はビビリ続けておられたのでありましょうか。ソロモン諸島の一人は黒人の女性でタコ・リサという名前です。女性に「タコさん」は気の毒なので「リサさん」と呼びました。こちらの下手なギャグに受けてくれたせいか、とても仕草が可愛く見えました。しかし、色々な席で幹事役を重ねたせいでしょうか、私の「場もちの良さ」は自分でも呆れるくらいです。次第に笑顔が増え、平仮名練習のためのゲームは哄笑も交じり、最後を締め括ることができました。

思えば、私には、モザンビーク、ソロモン諸島、モルディブ等の人々との出会いは、こういう機会をおいて他にありません。自然との触れ合いができない分だけ結構未知の世界との触れ合いを楽しんでいます。

さて、明日は早朝に辻堂を発って、富山県黒部泊まりです。ほんの小旅行ですが、精一杯自然と触れ合い、更に富山のキトキトを堪能して諸賢の羨望を誘えるような体験記をご披露できればと願っています。
ノンちゃんのご尽力で道志倶楽部バラ2大会開催の目鼻が立ちました。ノンちゃんの最終ご出勤日(7/27)にご挨拶できないのが残念ですが、当メールをもって、ご挨拶と代えさせて頂きます。
長い間のお勤めお疲れ様でした。早速IT教育のお仕事に就かれる由ですが、新たな人生が一層緊張と喜びに満ちたものとなりますようお祈りしております。そして、その中で是非、引き続き「馬鹿」リーダーとしてご交誼下さるようお願い致します。 

A Happy Commencement to You!

2000/7/26  佐々木

RE:あれやこれや(キトキト体験)

まずは、OVTA研修の上首尾スタートおめでとうございます。普段訪れることのない国の人々との触れ合いは、お高い外交官や金の掛かるODAにも勝るとも劣らない国際協力・親善です。彼らが国に帰れば、間違いなく夫々の中枢を担う名士になるでしょう。

良いことずくめの中にも友人のご不幸などあり、悲喜こもごもの慌ただしい一週間だったと察します。これからまた、お義母さん孝行ですね。やはり、兄のような人は三菱にはいないでしょう。黒部紀行キトキト体験記、感動の五・七・五が楽しみです。

ところで、何かにつけ兄に幹事役をお願いして忸怩たる思いでおり、ときには諸賢にも警鐘を鳴らしてきましたが、これが兄の日本語教師能力の涵養に寄与していると聞いて目から鱗の思いです。これからは、心置きなく兄〜ィの日本語教師としての益々のレベルアップに貢献できる訳ですから。

土用丑の日も間近、諸兄には暑さに負けず良い週末を。  
 では

2000/7/28  小林 公直


西方見聞録(その3)

皆さんへ、

ご無沙汰していますがご健勝のことと思います。当地はやっと零下の世界を脱してプラス3−4度Cに入りこの5ヶ月を生き延びたことを実感しています。
さて最近の正木師範代の情報によると5月27日(日)に道志にてラージボール遊びの会が開催されるとのことなので私めは急遽健康管理旅行と称して一時帰国することにいたしました。期間は5・19−6・19ですが皆さんにジンギスカン・サーブを披露させて頂きたいと思いますが、実は長年道志クラブのお世話をして下さった佐々木大明神に直接お礼を述べ退職後も末永くご指導を賜りたいと考えています。

佐々木様

3月末のご挨拶状ありがとうございました。3月29日にお送りした私めのMailとほとんど同時で相打ちとなったようです。ぜひお目にかかりたいと思っています。
再び最近の見聞を纏めてみましたのでお送りいたします。ご笑覧下されば幸甚です。

2001/4/22  吉武


悩んでます

ご無沙汰してしまいました。お元気ですか。
辻堂の家の屋根・壁工事の日程の関係で当初の1日遅れて4/21都落ちして来ました。さすがに太平洋よりとは言え東北地方で、着いた早々にひどい冷え込みに見舞われました。隣の家ではストーブを炊いています。備えのない当方は毛布に包まれて震えながら机に向い、それでも「TT研究所」受注第1号の翻訳を昨日無事納期通りに納入することができました。ばたばたしていましたがメール環境もようやく整いました。
ところで、エイプリル・フール大会の際に仮決定された5月27日に上京するのが、極めて難しくなってまいりました。何しろ此処いわき市から東京に出るのに片道7,500円程度かかりますので、月収25万円也の失業者には大きな負担になります。そこで、月1度の藤沢市辻堂への“帰省”の機会を最大限有効に使えるよう、前後に諸予定を組んで取り敢えず9月までのマスタースケジュールを作成したのですが、5月は5/25/14にハローワークに出頭する予定があり、5月27日は何ともマスタースケジュールに組み込めないのです。はるばるモンゴルからシンゴ兄が参戦されるので何とかと思ったのですが、情けないことに無い袖が振れない状況なので大いに悩んでおります。

そこで、以下のような案を考えたのですが、諸賢は如何お考えでしょうか。折り返し、ご意見・ご都合などをお伝え頂ければ幸いです。

A案 5月27日は小生抜きで開催して頂く。この場合、シンゴ兄には 6月のハローワーク出頭“帰省”日前後に個人的にお目にかかりたいと思います。
B案 6月9日(土)ないし10日(日)に秋丸兄にコートをとって頂いて、5月27日に代えて大会を開いてシンゴ兄にもご参加頂く。
C案 A案とB案を平行させて実施する。
    

以上甚だ身勝手な提案ですが、失業者救済の大乗的立場よりご検討頂ければ幸いです

草   々

2001/4/24 佐々木 洋 拝


Re:悩んでます

久方ぶりに兄のメール懐かしく拝見、お元気そうで何よりです。無事、大明神いわき遷宮を完了され、また「TT研究所」の初仕事も完遂された由にて、まずはおめでとうございます。
詳しいことは追々お伺いすることとしまして、ご提案の件、あしの都合(希望)はB案です(何れでも可)。A案の日程では出られそうもありません。秋丸兄には、いろいろご面倒かけることになるかとお察ししますが、6月以降の方が都合が良いのです。

ところで、何処のハローワークですか。港HWなら近くですが。5月2日も出ています。

まずは、取り急ぎご回答まで。

2001/4/24  小林公直


Re:悩んでます

C案に賛成します。せっかく秋丸兄が取った27日を無駄にするのはもったいない。既に二人が参加できないとは残念ですが、雨が多い時期でもあるのでプレイできる機会を増やしておいたほうがいいのでは。27日の参加者が不足する場合は、昇降機の皆さんにでも声をかけましょう。もっとも、秋丸兄が6月9、10日をとるためには27日は辞退しなければということなら話は別ですが。そのときは6月を優先してください。
明日の夕方、フェリーで鹿児島に向かいます。鹿児島からのメールは土曜日夜からになると思います。

大明神殿

いわきへの転居完了まずはおめでとう。いまは寒くとももうすぐいわきの良さが感じられる季節になるでしょう。それにしても、ひらがなの地名はよくありませんね。視認性がよくない。滋賀県にはマキノ町というのがありますが、これも視認性はひらがなよりはいいが、やはり変です。

2001/4/25  牧野 正弘 Makino Masahiro


ようやく落ち着きました

4月に入ってからも、色々と慌しい日が続きましたが、ようやく4/21 になって、いわき市に移転してきました。想像以上に寒くてストーブをたいている有様ですが、ISDNも導入し何とかパソコン・Eメール環境も整って、「TT研究所」の”翻訳事業”も、ヨチヨチ歩きながら動き出し始めました。

いわき市の図書館施設の貧弱さには訪問してみて失望していたのですが、つてがあって本日から地元にある明星大学の図書館が利用できるようになりました。”翻訳事業”の一つの拠点となりますし、キャンパスライフの片鱗に触れる好機となりそうです。”日本語教育事業”のきっかけもつかめるかも。

今日からはまた、ライフタウンにあるテニスクラブのメンバーとして”TT活動”の一環を始められるようになりました。入会金が1万円で、月会費が6千円と安いのが雇用保険受給者にとっては魅力です。「翻訳料1枚なんぼ」の”TT換算”をしても何とか賄って行けそうです。思いっきり”田舎のテニス”を身に付けたいと願っています。

田舎ならではの食べ物にも恵まれています。自生のツクシとフキ。山で取ったばかりの物をいただいたタラノメにワラビ。イナゴの佃煮も売りに来ますし、昨日は市場でミミタコを買って茹でて食べました。イイダコに似ているのですが、頭の部分に耳がついているのです。何より「ああ、俺は今”耳にタコ”を食らっているんだ」という思いが愉快です。 
いよいよ、連休に入りますが諸賢のご計画は如何でしょうか。先日 5/2 上京の予定お伝えしましたところ、コーチョク兄からはご出勤の由早々にご連絡頂きましたが、夕刻にでも一杯お付き合いいただくことができるでしょうか。タイゾー兄はお休みかな。ナベ彦兄には3回も送別会をやって頂いて恐縮しているのですが、ご都合よろしければ。
秋丸兄には、勝手に 6/10 のコート確保のご検討をお願いしておりますが如何でしょうか。コーチョク兄、ナベ彦兄とも 5/27 は不都合のようですので、6/10 に改めて遠来のシンゴ兄とコート上であいまみえる事ができればベストなのですが。なお、5/27 の方は、参加できない私がするのは不適切ですので、ブキラ兄が幹事役として招集状を発信してくださるようお願いします。
 草  々

2001/4/27   佐々木 洋 拝


連休は如何でしたか

私なぞは勿来関からまた更なる北の地に都落ちして隠遁しており、ひたすら“永久連休”ですので世間の大型連休とやらにはとんと疎いのですが、空蝉の世に身を置かれている諸賢に於かれましては如何お過ごしでしたでしょうか。なにやら薩摩の空からは、時折これも隠遁風と思しき便りが舞い込んでまいりますが。

こちら「新福島人」になってから半月が経ちました。適応力の高さのせいと申しますか諦めの速さの故と申しましょうか、早くも「住めば都」になりつつあります。ブキラ薩摩守殿は「いわき」の平仮名表記の視認性が悪いとやらの大統領声明を発表されておらましたが、一住人としては、やはり「常磐」であってはならず「いわき」なのだという思いを強くするに至っております。

昨日は遊びにきていた次女と二人で小ドライブをしたのですが、ここでは町を少し出ただけで新緑の森と山並みの眺望を楽しむことができます。阿武隈山系の山々はなだらかで、新緑の色彩にも優しさが感じられるのです。巍々とした「常磐」はどこにもなくて、私達を迎え入れてくれたのは、穏やかでたおやかな「いわき」でした。何度か道を間違えて、住人に尋ねたのですが、人々もそれぞれに優しい「いわき」でした。視認性の悪さには目をつぶって頂いて平仮名表記の裏にある優しさのほどをおくみ取りいただけたらと思います。

初めて「緑色の桜」も見ました。有名な三春の滝桜で、花には半月あまり遅かったのですが、樹齢千年という見事な樹容でした。コーチョク兄ご推挙の高遠の桜が日本一の桜であることは認めますが、緑の衣を着て、しかもソロを演じて観客を唸らせられる三春の滝桜は、桜の域を超えた日本一の超桜と言っていいかもしれません。また、三春の滝桜は一点豪華主義の尊さを示唆するものであり、私のビンボー生活に啓示を与えてくれました。因みに、私の今年の豪華一点は7/10から3週間にわたるカナダ・アメリカ西部ドライブ旅行で、この豪華一点を支えにビンボー生活を忍ぶ積りでおります。 
従って、ビンボーゆえ藤沢市辻堂への“帰省”も月1回に限定せざるを得ず、秋丸兄がエイプリル・フール大会の際の仮の予定に基づいてコートを予約してくださった5/27にも大会出場できないのです。六馬鹿在日メンバーの中で唯一人予定通り5/27大会挙行の意図を表明されたブキラ大兄に幹事役をお願いした所以ですが、その後招集状が発令された形跡がないので心配しております。はるばるとモンゴルから一時帰国されるシンゴ兄の大切な一日の過ごし方を決めることにもなりますので、宜しく幹事役をお取り進め下さい。
 草  々

2001/5/6   いわき市の不自由ヶ丘より 佐々木 洋 拝


Re:西方見聞録(その3)

吉武シンゴ兄

4/21の福島県いわき市へのバタバタしていたのに加えて、新しいPCに慣れていませんでしたので、「西方見聞録(その3)」は、添付写真に気づいただけで、こんなに長文の「見聞録」が添付していたのには本日初めて気がつきました。
相変わらずの力作で、「その3」にふさわしいものだと感じ、その中でも随所に「国際人・吉武」の面目躍如としたところを感じました。何時の間にか、いつもの表現であった「愚妻」から「愚」の字が抜けているのにも気がつきました。古き悪しき日本の伝統的な表現が欧米文化の接点部分では却って好もしい表現なのかなと思って私も真似して「愚妻」を使っていたのですが、またぞろ真似してこれから「愚」の字を取り除かねばなりません。モンゴル文化との遭遇が「愚」の愚を悟らせてくれたのでしょうか。それとも「グー」の音も出ないくらいに奥方の権威が高まったのか。愚考に走り小人閑居して不善をなしております。
いち早く、健康管理旅行での一時帰国のご予定をお知らせ頂いたのですが、別便にてお知らせしましたように、5月27日(日)は私だけでなくコーチョク・ナベ彦両兄とも都合悪くて参加することができません。もともと5月27日(日)は、私の予定が決まっていない4月1日(日)の段階で「ダメモトで」仮に決めていた日程でしたので、正式決定ではなかったのですがブキラ兄から正木兄経由で正式日程として伝わってしまったようです。現在、5月27日(日)は仮決定通り取り進めるべくブキラ兄に幹事役を果たすべく要請する半面で、6月10日(日)に正式日程を設定しようとしております。一時帰国の中の貴重な限られた日々ですので有効に使って頂きたくアレンジしたいと思っております。ご希望・ご注文等をお寄せいただければ幸いです。

                                                       草  々

2001/5/7  佐々木 洋 拝


ブキラ兄の時間軸は世間離れ?

吉田タツロー兄/牧野ブキラ兄

タッチャンからの610日テニス会エントリー、「大隅半島」の“ついでながら”拝受しました。久方ぶりにコート上でお目にかかるのを楽しみにしております。

まさに悠々自適のブキラ兄の時間軸は世間離れしているのでしょう。貧乏生活で動き回っている中で最速の610日テニス会のアレンジをしたつもりが“ようやく”と評されて驚いております。一方で、より早い 5/27 の案内は、こちらの方が“ようやく”と感ずるくらいにゆったりとされてましたね。

吉武シンゴ兄の来日スケジュールに絡むことですので 5/27 の件にも気を揉んでいたのですが、結局は 6/10 に既にエントリー済のコーチョク兄、タイゾー兄、エントリー確実なナベ彦兄も交えて六馬鹿が一堂に会することができるようになり、最善の結果になったと喜んでおります。

タッチャンはまたシンゴ兄と“吉吉コンビ”復活ですね。コート上で、反省会で、大いに主役を張って610日テニス会を大いに盛り上げて下さることと期待しております。

草  々

2001/5/17 佐々木 洋 拝


Re:ブキラ兄の時間軸は世間離れ?

5月10日と16日の間には、いわき/辻堂間の行き来と、辻堂滞在中の慌しいスケジュール、さらに翻訳業務の納期という諸事情が重なっておりました。しかしなおかつ、6/10開催に対して、5/16連絡が too late だとは思っていません。私の時間の都合とメール施設の availability leadtime の双方から考えて、私にとって可能な限りの最速最善でした。

むしろ、「5/27のほうは6/10がとれたと分かった時点でどういうことになったか不明で、やっと5/14日に秋丸兄から5/27も使えると確認がきた」ことこそ too lateだと思っておりました。私からお送りしたメール(参考のため添付ファイルで再送します。2通とも最後尾に関連の記述があります)に対して反応していてほしかったところです。

特に、「道志倶楽部の主要メンバーがこれないことは分かっている」云々は問題ではなくて添付ファイルにもありますように「モンゴルから一時帰国されるシンゴ兄の大切な一日の過ごし方を決めることにもなりますので」 5/27の方は気になっていたのです。吉武兄の5/27不参加は、5/13辻堂滞在中に平塚クラブの連中に聞いてはじめて知りました。

こちらからの「メールが激減」したというのは気がつきませんでした。月1回のいわき/辻堂間の行き来の期間は過密スケジュール消化に追われ、また、メール施設の使用時間・条件も限定されます。翻訳業務の締切日には、とてもナーバスになってメール送信どころではなくなってしまいますが、翻訳受注件数も少ないので「メール激減」の理由になっていません。

特に、私のホームページに対する反応が思いの他に多くて色々な感想・意見が寄せられましたのでメールでの対応が忙しく、カミサンも呆れるくらいでした。早朝起床の習慣も以前のままですので「メール激減」の理由は無く、むしろ遠隔地からの問いかけをお待ちしている状況ですので、どうぞお見限りなく。お問いかけには可能な限りの最速でお応えします。

草   々

2001/5/17 佐々木 洋 拝


”不善”にご注意を

お元気ですか。こちら「小人閑居して不善をなす」の典型のようで申し訳ないのですが、マイホームページに「道志倶楽部」のあることないことを載せてしまいました。基本的には、2月の沼津分科会の際に予告した内容とあまり違いませんので問題はないかと思いますが、何分大層な閑居ですので大層な不善がなされる恐れがあります。
今後とも、逐次掲載してまいりますので、戦々恐々としてマイホームページhttp://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/に目を凝らし、不適切な表現等ありましたら、モザイク処理なり抹消なりすぐに訂正処理をいたしますので、あまり人目に立たぬうちにお知らせください。

         2001/6/25    いわき市より  佐々木 洋 拝


西方見聞録(その5
皆様へ、

ご無沙汰していますがご健勝のことと思います。
皆様の交信は楽しく拝見させて頂いています。大明神のアメリカ冒険やブキラ師のベトナム行きほか皆さんのご活躍に拍手を惜しみません。
さてあわただしい夏の見聞を纏めましたので写真2枚と共に添付しますのでご笑覧下されば幸甚です。
私の任期は11月でしたがモンゴル政府より要請がありました2002・5まではこのまま二人で続けることにして今ゆっくりと準備をしています。
皆さんのご健勝を遥かなる大草原よりお祈りいたします。

October 22, 2001 吉武


Re:西方見聞録(その5)

血わき肉おどる「西方見聞録(その5)」をお送り頂き有難うございました。

今こちらは午前2時半。もう床につかねばと思いながら、一気に読み通してしまいました。物凄く充実した暮らしをされている様子が臨場感をもって伝わってきました。

こんなに素晴らしい還暦後の生活をした日本人、否、人間は他にいないのではないでしょうか。読み手を楽しくさせるサービス精神旺盛な筆致もお持ち合わせですので、いずれ「西方見聞録」を集大成されて出版されるよう、老爺心ながら強くお薦めします。

希有壮大な「西方見聞録」にくらべるとみみっち過ぎる話で恐縮ですが、今年も11/3-4と恒例の道志倶楽部道志合宿を行ないます。せめて気分だけでも希有壮大に日本の里の秋を満喫するとともに、道志合宿の伝統の灯を絶やすことなく貴兄の明年以降のご参加をお待ちすることにします。

写真を拝見して、すっかりモンゴル人と見分けがつかなくなってしまった貴兄に対して、大和撫子の風情を保たれている奥方の姿に一安堵いたしました。寒さが一層厳しくなると思いますが、一層モンゴル人らしく一層日本人らしく、充実した日々を過ごされますよう祈念しております。

一層のご自愛を。奥方様にも宜しくお伝えください。

                                             草  々

                                  2001・10・23

       いわき市永住を考えつつある平周五郎こと 佐々木 洋 拝


いわき市の白水阿弥陀堂

佐々木大明神殿

20日の産経夕刊に白水阿弥陀堂が半面の写真入りで紹介されていました。池越し の写真でお堂の全面左右に緑の楠と黄葉した大きなイチョウが並んでいます。 藤原清衡の娘の建立で、全国に残る数少ない平安末期の阿弥陀堂とのこと。国東半島の富貴寺の阿弥陀堂と 近い年代かもしれません。いずれぜひ行って見たいものです。
                                                               では

2001/11/21  牧野 正弘 Masahiro Makino

Re:いわき市の白水阿弥陀堂

いわき市の構成母体である「平」市は「平泉」市との因縁浅からず、「白水」も「泉」を分かち書きしたものと聞きます。私は故事来歴の詳しい話は知りませんので、結婚当初に阿弥陀堂を訪れた際には余り変哲を感じませんでした。地元の人の話によると、蓮の花が咲く頃が一番綺麗だそうです。紅葉のシーズンも阿弥陀堂に限らず、どこもここも綺麗ですので、いわきご来訪にお薦めです。「いずれぜひ行って見たい」などと仰せられず、来年は阿弥陀堂ツアー付き道志倶楽部いわき分科会に是非どうぞ。 

草  々

2001/1/22 佐々木 洋 拝

西方見聞録(その6)

皆様へ、

遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。

年末には慌しくあたかも元寇のごとく襲撃しましたが神国の守りは固く再び草原の彼方に押し戻されました。次回は台風シーズンですと弘安の役になってしまうのでじっくり戦備を整え右足を添え木で固定しても走れるようになる時期を見定めています。

1月23日に長男のところに男の第二子が誕生しました。馬年ですので、大きくなってモンゴル来て馬に跨って地元の人と交流して、祖父のやったことを偲んでくれたらと勝手に思っています。

さて、最近の見聞を纏めましたので写真とともに送らせて頂きます。ご笑覧くだされば幸甚です。

2002/1/26 吉武

Re:西方見聞録(その6)

先ずは二人目のお孫さんのお誕生おめでとうございます。きっと、202X年になったら、シンゴ爺さんと同様にモンゴルで馬に跨って地元の人と交流しておられることでしょう。その日のためにも、「次回は最終回にしたい」などと仰せられずに「西方見聞録」を書き綴り続けられるようお薦めします。そしてそれを私どもにお送りくださることは決して“足出がましい”「フットフォールト」どころではなくて私どもの待望の的ですので、是非ともお続けください。

今回の「西方見聞録」も大いに楽しませて頂きましたし、大いに嬉しい思いもさせて頂きました。まだ訪れたことのない土地の風物について臨場感をもって読むことができた上に、出会った人々の心の声を伝えてくださったのが嬉しいことでした。シンゴ兄が心眼とともに“心耳”を備えておられるからこそ心の声を聞くことができるのでしょう。

見かけによらず(失礼?)感受性の鋭いのにも驚かされました。特に「カチューシャ」の歌に寄せるロシア人の思いや戦争博物館で出会ったモンゴル少年の視線は、例え同じ現地で同じ状況にいたとしても、感受性の鈍い(無い?)私でしたら、きっと見落としていたことでしょう。

モンゴル工業大学でのシンゴ講師、奥方の日本語・英語教育。ご夫妻お揃いで講師として若い人々の接点をもたれているのも羨ましい限りです。サービス精神旺盛なお二人のことですから、きっと学生達も大喜びのことでしょう。「教えることは学ぶこと」でもありましょうし。

「多くのモンゴルの人々に受け入れてもらったと言う実感が我々夫婦の安心感に繋がっています」と言われているのもシンゴ兄ご夫妻の“心耳”と感受性とサービス精神の賜物なのではないかと思っております。逆に、受け入れられ過ぎて、任期の再延長、再々延長をせがまれて日本に帰ってこられなくなるのではないかと心配しているほどです。

こちら、先週から韓国人に対する日本語教育を始め、2月中旬からは中国人グループの日本語教育も担当します。シンゴ兄の万分の一規模にも過ぎませんが、少しでも“心耳”と感受性とサービス精神を見習って、「民間外交」に貢献するとともにこの機会を大いに楽しもうと思っております。

まだまだ、私めが精一杯感受性を働かせても思いもつかないほどの極寒の中に居られることと思います。一層ご自愛の上公私と講師に(モンゴル語では駄洒落にもならないコウシ混同で恐縮ですが)ご活躍されますようお祈り致しております。

                      草  々

2002/1/27

   明後日の大腸ポリープ除去手術に備えて小休止中の

             平周五郎こと 佐々木 洋 拝

テニス肘

ここ約1か月程度、右腕に腱鞘炎があり、手首からひじの外側の筋がひきます。ひじの外側に重さを感じます。先日のテニスでは、最初ボールを打つ度にひじに響いていたのですが、治ると思っていたのが、全く変化なし。10日のテニスは見合わせの可能性が高くなってきました。速く治したいし、運動はしたいし、これは全身の運動不足に関連があるようです。

2002/3/5  川口  正

Re:テニス肘

川口兄

私は「テニス肘になるのはフォームが悪い為である」という仮説をもっております。ですから、「フォームが悪い私がテニス肘を患った。フォームが良い川口兄がテニス肘になるわけがない」と思っております。「先日のテニスでは、最初ボールを打つ度にひじに響いていた」は、まさにテニス以前であり、むしろ貴兄も仰っていた通りの“PCカタル”が真因と考えられます。

私も似たような経験がありますが、痛みを堪えてのテニスが“PCカタル”には有効だったようです。まずは、“PCカタル”をマッサージなどにより緩和され、「10日のテニス」で完治されますよう祈ってやみません。

”臨床実験”に立ち合えないのは残念な限りですが。

   20002/3/5    必殺のクロス復活を祈りつつ

                平周五郎こと 佐々木 洋 拝

テニス再開

2ヶ月ぶりに再開し、4セットしました。無理はしないようにはしていますが、まっ たく問題なく、第一セットから絶好調でした。あとはミスも出て普通でしたが。
では
注: 1/19に足首捻挫。3週間後からプレイ。その後時々プレイ中にガクッとすることがあり、また階段を降りるときなど違和感があったので、東芝病院スポーツ整形の先生はプレイしても構わないといっていたのですが、3/24にハードコー トでガクッとしたのを最後に、慎重を期して完全にプレイや登山を控えていたのです。違和感がなくなり、かつ、数日前に病院でも確認をしたので、再開した次第。

 ご参考まで

2002/5/23 牧野 正弘 Masahiro Makino

テニス再開おめでとうございます

こちら逆に腰痛が勃発しラケットに封印せざるを得なくなってしまいました。テニス週5回が通院週5回、また、アルコールは構わないというので痛飲週5回でもあります。腰痛をおして、夜な夜な中国人の若者と接してもおりますので日本語教育も週5回。いわき市平の素浪人、辛うじて平周五郎の面目を保っております。面目といえば、これも腰痛をおして、昨日「手打ち蕎麦」の稽古に参加しました。麺作りの成果は、必ずやラケットの面作りの上達につながるものと、腰疼かせながら無理やり信じ込んでおります。 

2002/5/24    平周五郎こと  佐々木 洋 拝


テニス再開のこと

両者それぞれ怪我とか腰(洋?)痛で大変でしたね。
小生もいまも週2回(火・金)銀座のビルB4Fの社員フィットネスクラブで簡単な運動をしてますが、この所は、以前監査役現役のころのようなメニューでは翌日に若干疲労が残る感じなので3/5メニュ-位にレベルダウンさせている有様で、体力の減衰を実感している次第!
激しい運動に付いては、お互い体力と相談が必要になってきたのかもね。
ではまた
2002/5/24     吉田達郎

Re:テニス再開 

プロジェクトの最終閉めのためペルーに来ています。
わずか2週間ほどの旅ですのが衣類少々とテニス道具は持参。
地元の方々と早朝テニスやナイターテニスをエンジョイしています。何処に言ってもテニスは国際語でテニスを通じて皆とすぐ打ち解けて友達になれるのはすばらしいことだと感じます。
牧野さんもまだ一寸侘び寂び植木の世界に没入するには若すぎます。いつまでもテニスを続けてください。
                                        2002/5/24       ペルーにて、折田

吉武紳吾氏近況情報

佐々木幹事殿
道志会の皆様

梅雨の最中とはいえ、昨日今日と真夏の陽射しです。お元気のことと思います。
さて、あるいは既にご存じの方々もおられることと拝察しますが、昨日の神奈川新聞に吉武紳吾氏「二宮市長選に出馬」という記事が出ました。
市長選はきたる11月です。モンゴルでのシニアボランテイアで一層逞しさを増した吉武氏は、いよいよ本格的なコミュニテイ活動を開始する覚悟を決めたものでしょうか。
彼の豪快、誠実、緻密な行政で、本当の市民自治体が誕生することを祈る次第です。

     熱さ厳しきおり、熱いニュースをお知らせします。
                                       2002年7月12日   山本直樹

ご連絡

佐々木大幹事長の関係者への宛先を利用させて頂き、道志倶楽部関係者に連絡させて頂きます。
私こと、9月末日をもって東芝・エネルギーソリューション事業推進部でのお手伝いを終り、再度”自由の身”になる予定です。
今後の連絡は自宅の方に切り替えて頂ければ幸いです。なおこの春より下記に越して来て居ります。
   〒:112―0011、東京都文京区千石1―6―24―804.
今後とも宜しくお願い致します。

                                 September 26, 2002 浅香 泰三(Taizo Asaka)

Re: ご連絡

長年にわたるお勤め、お疲れ様でした・・・と、ひとまずは過去形でご挨拶をお送りしておきます。
どうせ、じっとしている事のできないタイゾーさんのことですから、いずれまたイーグルのように“きな臭い”世界に舞い戻って来られるものと思っております。(多分、いや、きっと)つかの間の”自由の身”を謳歌して下さい。

道志倶楽部いわき分科会につきましては、イベントF2(観光)からイベントF1(ゴルフ)への転向要請をお受入れ頂き有難うございました。このような各位のご協力により”Weの意識”をもって幹事役に当たらせて頂けるのを幸せに感じております。同時に「いわきでのゴルフ」という空前絶後となる可能性のある機会を選ばれたのはGood Choice だと思います。練習しておらず、用具もない地元民にはかなえられない塩屋崎ゴルフを満喫され分科会のフィナーレを飾って頂けるものと思います。
                                                       草  々

                                         2002・9・27 佐々木 洋 拝
忘年“楡の会

渡辺 孝彦 様; 小林 公直 様

またまた公直さんは三島の君にこだわっているようですね。
もういいのではないですか。先方はどう思っているのか知りませんが。
もっとも昨年の忘年会に当方は出ていないので、よくわかりませんが。では

                            2002/11/12  牧野 正弘 Makino Masahiro

ブキラ兄

昨年の楡の会忘年会はなかなか良い会でしたよ。
先日三島の君(タッチ)に今年の忘年会に誘ったところ前向きの回答を得ました。
彼女が最終的に出席するかどうかは日程と場所次第でしょう。
                                                         以 上  
                                            2002/11/12  渡辺孝彦


渡辺 孝彦 様  佐々木 洋 様  小林 公直 様

公直さんが三島の彼女やら「いわき」のお姉さんたちを集めてほしいというと実現してしまうところが面白い。いつも冗談で言っているのだろうと思ってみているのですが、受け取るほうは本気にしてそうしてしまうと、私は見ているのですが、そうではなくて公直さんは最初から本気なのですかねえ。では
                             2002/11/13 牧野 正弘 Makino Masahiro

牧野 正弘 様 渡辺 孝彦 様 佐々木 洋 様

人生は、須らく感動です。いいもの、美しいものに出会うことは人生に膨らみを持たせてくれます。木であれ、花であれ、芸術であれ、食べ物もそう、etc.人間はその極致でしょう。まあ 言い訳はそのくらいにして、佐々木幹事長や渡邉分科会幹事長のご尽力には、大変感謝している次第です。

さて、“三島の君”のことですが、タカヒコ兄から何十年来「トーボー会」 「タッチ」と聞かされて漸く実現した出会いですから、一期一会に終らせずに育んでいきたいと、あしは思うのです。一昨年、大変お世話になった訳だし、昨年も楡の会にお出でいただいて「今度は ゴルフ会も計画しましょう」と約束も出来たのです。正木兄もゴルフ分科会の師範としてスタンバイしてくれていたに、残念なことに肝心のタカヒコ兄が足を患い実現できなくて今日に至っている経緯があります。

ここで心配なのは、タカヒコ兄には以前申し上げたかと思いますが、「どうも、道志会はお酒に任せて言いっぱなし空約束ばっかりで実が無い、トーボー会とは大違いだは・・」と思われてはいないかと言うことです。従い、今回もお招きする(声をかける)のが筋かと思考します。

尤も、理屈は理屈として、タッチ殿にお出でいただければ楽しいのが本音でして、やはり「沼津の殿」と「三島の姫」がいない楡の会は点睛を欠くというもので、“楡の会”自体が成り立たないのではないでしょうか?勿論、ご本人のご意向が最優先にて、無理を強いることはできませんが。ただ、渡邉兄の別便にて「前向きの回答を得た」由 伺い、ホッとしています。タカヒコ兄、日程と場所を良しなに、何分よろしくお願いします。

これを書きながら、もう今年も終わりかと思うと、愕然とします。

                                           2002/11/13 小林公直


元祖四馬鹿会メンバー諸賢

コーチョク兄の「人生は須らく感動です」には感動しました。「馬鹿」の真髄を言いえて妙だからです。アンチテーゼの「利巧」をコーチョク流に表現するなら「人生は須らく勘定です」となることでしょう。「馬鹿」は梵語の音写「慕何」の転と伝えられておりますが、私は勝手に「勘定を忘れて“何”かを“慕”うことである」と定義しています。ひたすら「慕う」ことこそ「感動」の原点であり、対象は「何」であっても良いのです。

テニスの「道」を“慕い”これを「志」す仲間達。それぞれ只管に“慕う””何か”をもつ「六」人のお「馬鹿」さん達。いずれも、お互いを結びつける絆は、「感動の共有」だったんじゃないでしょうか。感動の共有なしの勘定の世界には「We意識」が根ざすはずがありません。私は、今回の「道志倶楽部いわき分科会」で、メンバー各位が勘定抜きで勿来関を越えてきてくださった「馬鹿ぶり」に心から感動を覚えたばかりです。

翻って、今様牧水、麗タッチ、いわきアマゾネス軍団との関係を鑑みますと、これは何も「 コーチョク兄が参加を願望するから実現できた」というものではないと思っております。それぞれが愛すべき「馬鹿」であり、我々との「感動の共有」を楽しみ、これにより我々の感動の輪が広がるからこそ参加と参加招請を歓迎しあえているのだと思います。そして、感動の輪は無限。つまり、Limitが無い「L無」なのであります。

ブキラ兄は「 またまた公直さんは三島の君にこだわっているようですね。もういいのではないですか」とありましたが、私にとっても「L無」は「もういい」ではなくて「まだこれから」だと思っております。コーチョク兄も、「三島
の君」だけでなく「沼津の殿と三島の姫」と申されているではありませんか。「馬鹿同士(道志)感動を共有しあいたい」という「ご本人のご意向」が変らない限り「楡の会は永遠です」。ナベ彦兄、良しなに是非。from me too.

                                                       草  々

                  2002/11/14  似非棟方志功になりきれていない
                                       平周五郎こと  佐々木 洋 拝


諸兄

四馬鹿(牧野、佐々木、小林各兄)とメールのやりとりをするうちにいつのまにか本年の忘年(楡の)会の日時、場所の設定を小生が担当する羽目になってしまいました。今や無職のため「多忙故・・・」言い訳もきかず、四馬鹿会の決議を受け入れることにしました。佐々木幹事長の手足として使い走りをやりますのでご協力願います。
取急ぎ日程と場所他を以下に提案するので遠来の林、佐々木両兄はじめ諸兄の都合及び意見をお聞かせください。

1.日程

  小生三島の君ことタッチの都合は既に把握しており、僭越ながら小生の都合も考慮し、
  開催日として次の日を提案します。
     12/9(月)、11(水)、12(木)、17(火)、18(水)、19(木)、20(金)、24(火)、
     12/25(水)、26(木)、27(金)
   開宴時刻:18時または18時半

2.場所

   昨年同様、築地市場外の鮨屋、横浜中華街の中国飯店または浜松町の中国料理屋「天空」

3.会費   7-8千円

4.メンバー
  沼津分科会、昨年末の楡の会出席者、本年のいわき分科会参加者

                                                     以上
 
                                           
2002/11/14 渡辺孝彦

再び元祖四馬鹿会メンバー諸賢へ

昨日の寺子屋日本語教育で、「そこをなんとか」/「そうこなくちゃ」のやりとりの意味を尋ねられたばかりです。「そこをなんとか」と念じていたところナベ彦兄が「楡の会」のフィクサーとして名乗りを挙げてくれましたので、早速「そうこなくちゃ」をお送りしたいと思います。「楡の会」は永遠です。ナベ彦幹事も永遠です。

分科会活動により「道志」の“輪”をテニスの外にまで“拡”大し、これを「楡の会」としてネットワーク化する。従って、「楡の会」幹事は道志倶楽部の「輪拡委員長」ということになります。林兄は早くも大乗気を示されていますし横田さんの存在にも恵まれ“横田めぐみの会”ともなり嬉しい限りです。

日程についてご提案頂き有難うございました。寺子屋日本語教育の予定もありますので、代替案の中から12/9(月)、20(金)、26(木)、27(金)のいずれかに決めて頂ければ幸いです。できれば、その前後の土曜日か日曜日
に「打ち納め」を企画したいと思いますので決定し次第ご連絡ください。

なお、今回の「いわき分科会」と相前後して「奇遇会“勿来ようこそプロジェクト”」を実施しました。道志倶楽部は体験できなかった「洞窟探検」の模様も含めて写真入りで紹介しておりますので、以下のURLの「横さんのホームページ/奇遇会」をクリックしてみてください。別のページ「いざ鎌倉」には我が愛弟子のハワイ娘スーザンの顔写真も載っていますよ。
   http://www.marv.mediatti.net/~yokosan/kigukai-gyoji-fukushima.htm

                                                                                                                   草  々

                          2002/11/15
                          平周五郎またの名を似非棟方志功こと 佐々木 洋 拝

「楡の会」02忘年会のご案内


早くも師走を迎えようとしておりますが、相変わらずお元気ですか。
道志倶楽部は今年も訳の分からないイベントを繰り返して参りましたが、更に訳の分からない「楡の会」の忘年会を開催して「02訳の分からないイベント・シリーズ」の掉尾を飾りたいと思います。

知らぬ人ぞ知らぬ「楡の会」とは、昨年の「沼津・三島分科会」に端を発た歴代の道志倶楽部分科会の参加者が自動的に組み込まれ、ここから抜けることができないというアヤシイ秘密結社であり、いくらインターネットを検索してもその存在が突き止められることはありません。

小泉クンが「感動した!」の一言にとどまったのに対して、我が小林コーチョク兄は「人生は須らく感動です」の名言を発しております。テニスの「道」を「志」し「感動の共有」を目指してきた道志倶楽部も、分科会活動を通じて、テニスを越えた「感動の輪」を広げて参りました。

M(Mishima)とN(Numazu)でLが無い、つまりL無、つまりエルム、つまり楡といった誠に馬鹿馬鹿しい命名過程を踏んだ「楡の会」は、今様牧水、麗タッチーの参加を得て以来、感動の輪をテニスに限ることなく、つまり、Limitの無い「L無」に昇華させたのでありま・・・しょうか。

さて、くだらない冗談はともかく、ナベ彦「楡の会」執行委員長アレンジによる02忘年会の詳細を下記の通りご案内いたします。御用とお急ぎのある向きも、参加し損ねて臍を噛まれることのなきよう、才覚を発揮され日程をやりくりして是非とも参加されますようお勧めいたします。

                  記

1.日時: 12月26日 午後6時半開宴
2.場所: 築地市場外「寿司清」新館3階個室
     ・中央区築地4-13-5  TEL 03-3544-1919
3.会費: 8千円〜10千円/人
     ・食事(5千円)+酒代+サービス代+税金
     ・献立:お通し、刺身盛り合わせ、焼き魚または煮魚、 握り五つ六つ、味噌汁
     ・個室使用時間は通常2時間だが2時間半までは延長可
4.「楡の会」メンバー:
   沼津三島分科会、高円寺分科会、いわき分科会参加者
     ・不幸にして麗タッチーのプロフィールをご存知でない向きは
            下記URLのマイホームページ「道志倶楽部」のうちの
      「沼津三島分科会」“イベントF”をご参照ください。 
        http://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/Iwakidayori.htm
5.エントリー:11月30日(土)まで
     ・参加人員により会場再選定の必要が生ずる場合があります
      ので早めですが「納期厳守」方よろしくお願いします。
                                                                                                              草  々

                        2002/11/24  いわきより 
                               依然として平周五郎こと 佐々木 洋 拝

自給自足生活

諸兄

佐々木兄、牧野兄の真似事で先日ヨットでの釣果を持ち帰り自ら慣れぬ包丁さばきで料理し、全て自分で平らげるという、自給自足生活を体験しました。釣果は友人Iさんが鯖一匹、Tさんが鯖4匹、鯵2匹、鯖鯵の釣果がなかった小生は辛うじてべら2匹。体長25-30cmの鯖を5匹、20cmの鯵を2匹、10cmのベらを2匹持ち帰り早速料理しました。

先ず鯵を三枚に下ろし皮を剥いで刺身にし、べらを醤油、砂糖、みりんで煮魚にし、鯖は頭を切り落とし臓物を除去し一匹を三等分したもの3匹分は塩・胡椒し焼き物に、2匹分は味噌煮に しました。結果、鯵の刺身は最高の味。ベらの煮付けはうろこがあり身が小さく食べにくい。鯖の塩焼きはしょっぱすぎるので大根をおろし味を薄めてそれでもなおからいのを我慢して食べました。また鯖の味噌煮はどう間違ったか、鯖の味噌汁になったものの全部平らげました。

11/18からワイフが数日里帰りしていたため、小生自ら料理し、料理したものを全部1人で何とか食べきりました。鯵の刺身以外は料理の仕方がまずく、まずいもののオンパレードでしたが我慢して食べきりなかなか出来ない、質素で貧しい自給自足生活を体験しました。

以上
渡辺孝彦
追記
1. 後日佐々木兄に教わった事だが鯖は適当な大きさに切り、冷凍して、翌日解凍して刺身で食べると美味いとのこと。
2. 別電で報告したかも知れぬが我家の門前のどうだんつつじの紅葉がえもいわれぬ美しさである。昨日も1人で見惚れていると隣家のTさん夫妻が実に美しいと誉めてくれた。門前のつつじは左右2木あるが何故か南側の方が飛びぬけて美しい。北側のそれは壁で風がさえぎられるが南側のそれは北風をもろに受けるためであるとTさんは教えてくれた。デジカメが故障していて諸兄にお見せできぬのが残念である。

Re: 自給自足生活

ナベ彦兄

ナベ彦シェフ殿の奮闘振りが目に浮かぶようです。但し、私の持論は、「男子厨房に入るべし、されどシェフになることなかれ」で「包丁一本俎板一枚」だけでキッチンならぬ厨房に立っていただきたかったところです。船上から鮮状のまま海原から我が腹へ。

私がフランス料理を好まないのは、これが「八代亜紀」だからです。素材が新鮮さを失うと、どうしても厚化粧でカバーせざるを得なくなります。中でも、獲れたての魚は、なるべく手を加えないで食すのが一番と思っています。魚もナマで食べなければ成仏できません。

従って、「鯵の刺身」はベストの選択でしたが、塩焼きが「しょっぱすぎ」たり「味噌汁」になってしまったりしたのは成仏できなかった鯖の怨念によるものに違いありません。今度は、自給自足の“鯖イバル”根性を強めて是非しめ鯖、更には刺身に挑戦してみてください。

ベラも、外見はどぎつい衣装で「八代亜紀」みたいですが、大きな鱗もろとも一皮向けば白身で良い刺身になります。同じベラ科のブダイも同様で洗いにすると珍味です。但し、今回は10cmのミニ・ベラだったようですから刺身にはとても無理だったのでしょうね。

しかし、こんな場合にも「煮てしまってご免ね」と懇ろに弔う気持ちが必要であり、「身が小さく 食べにくい」などとベラベラ喋っていては成仏しきれぬベラが気の毒です。ナマでこそ素材が生きるのです。自給自足清貧生活の少しばかり先輩よりナマイキながら。
草  々
2002/11/27  いわきより
今年は鯵不漁で自給自足できぬ平周五郎こと 佐々木 洋 拝

Re: 自給自足生活

タカヒコ兄には、暫く音沙汰も聞こえて来ないので、“楡”を控えたこの肝心な時期に又アキレス腱など痛めているのではないかと心配 していたに、“鬼の居ない間”の魚釣りなぞで遊んでいたのですか。

これで、ヒロ兄〜ィ、薩摩の兄ッサァに加え タカヒコの兄さ までが厨房に入ってしまえば、落ち零れたあしなど“涙(ナだ)滂々”の心境です。やれ ウナバラだ ヤシロのアキサバだの、やれ アラカブだ アオリイカだの、ベラベラ メールが飛び交っても あしには“ブダイにかんざし”でござんす。

ただ救われるのは、魚の骨も取れない(“メヒコの蟹”から類推して)御大がおわすことです。こう見えても信州育ちのあしなど、幼少の頃は海魚が貴重品にて、魚の食べ方だけは猫にも負けないのです。魚調理が出来ない言い訳には、全然なりませんが。

口だけは何でも言える訳で、鯖の味噌煮は 下手をすると生臭さが残ってしまうので、生姜か何か入れたり 時間のかけ方とかetc.が調理のコツでしょう。察するに“鯖味噌汁”は、恐らくそんな代物だったのだはないですか? 悔し紛れ(?)に、一言。
【PS】 デジカメは早く買い換えて、写真を送って貰えればありがたいねえ。
満点星と言えば、千本山は見事でしょうね。
小林公直

徒然なるままに

ナベ彦兄が釣った魚にナベは要らない。煮物は要らず生がいい。松井の去ったYGに一塁手は要らない。ペタは要らずノリがいい。ところが、忠告を素直に受け入れてくれるナベ彦兄に対して、傍若無人なナベツネの何たることか。あろうことか、中村ノリの髪型まで取り上げて「金髪モヒカンをするような教養の低い人物はYG戦士にあらず」ときた。あれほど「髪の話はしないようにしようね」と我等もアバウト38憲章でうたっているのに。ナベ彦兄だって、いかにナベ同門とは言え、ナベツネに髪のことをとやかく言われたくはないでしょうに。ナベツネこそカミもホト毛もなくて教養が疑われる人物であると思い、このままではYGの将来が危ないと常々思っていた矢先の髪型発言でしたのでムシャクシャしておりました。一体何様なんですかね、あのナベツネ。エラソーに横綱審議会委員長までやっちゃって。

そんな折に飛び込んできたのが美空ひばり「乱れ髪」の銀メダル獲得の方でした。髪に怒り髪に喜びの変な一日です。ナベ彦兄いわくの「いわき観光ガイドとして幾多のいわき訪問客を塩屋岬に有無を言わせず連行し宣伝した」甲斐がありました。もっとも、“有無を言わせず連行”となると“ラチ”になりますが、私めが三馬鹿諸賢を塩屋岬にラチした際にはご三方とも美空ひばりの歌碑の方にはあまりご執心ではなかったではありませんか。この期に及んでコーチョク兄が「乱れ髪はアシのカラオケ・レパートリー」
などとのたまうのはフラチ千万ではござらぬか。歌碑の前に立つと流れてくる美空ひばりの「乱れ髪」を塩屋岬の海を見ながら聞いてこそ「涙滂々」となるものを。

金髪モヒカンにせよ乱れ髪にせよ、カミをカミとも思わぬナベツネには無縁なのでしょう。挙句の果てに、力の衰えが著しい三塁手・江藤の後釜にと期待していた中村紀洋に剣突を食らわせて、一塁手として清原とぶつかるペタジーニの方をとってしまった。話によると、どちらか一方を右翼に回すそうですが、そうするとヨシノブはどーなっちゃうんでしょうねえ。大体において、YGが自前でとってきた外人選手に碌なのがいないというのも気に入りません。台湾経由のガルベス、HT経由のメイ、そして今度はYS経由のセカンド・ハンド。やはり今度はナベツネを塩屋岬にラチして「乱れ髪」を聞かせ「涙滂々」と反省させるしかありませんな。ナベ彦兄もナベ一門の穢れに改心するよう得々と聞かせてやってくださいよ。

コーチョク兄はまた、どさくさ紛れに石原裕次郎にまで話を及ばせこれに対しても「アシのカラオケ・レパートリーのマジョリティーを占めている」と一方的に“領土権”を主張しております。しかし、ここは実績で証明して頂かなければラチがあきません。長ラケ購入長フラチ問題以来、不言実行ならぬ有言不実行でなるコーチョク兄ではありますが、ここは是非とも酒脳会談の場で立証しなければなりますまい。「楡の会」の流れでカラオケに“有無を言わせず連行”してラチをあかせるという寸法では如何でしょうか。裕次郎との間の、カミの量とアシの長さの格差には目をつぶって、「聴いてあげる」ことにしませんか。あわせて、美空ひばりとの乱れ髪格差にも目をつぶって、塩屋岬の余韻を味わいながら・・・年を越せるかどうか??アフター「楡の会」をどうしましょうか、ナベ彦執行委員長殿。

                                                       草  々

                         2002/11/28 徒然なるままに
                         実はそれほど徒然でもない平周五郎こと 佐々木 洋 拝

俳人孝彦の誕生

山は澄みいわき七浜波高し  孝彦

この句、先般のセニョリータ句会で二人の会員が特選、あと二人が並選にしました。初めての投句で特選二つをとったのは00/4のセニョリータ句会発足以来初めてのことです。
特選の二人は今回の投句総数89句の中から一位にし、並選の二人は8位以内に入れたということです。主宰は並選にもしませんでしたが、これは「水澄む」は季語だが「山澄む」は季語として認めないというものです。
ところが孝彦兄はちゃんと山本健吉の「季寄せ」で確認したというので、『山本健吉・最新俳句歳時記』を見てみたら「秋の山」の傍題で「山澄む」は確かにあります。
なお特選にした一人は句歴の長い三重県のメール投句者、もう一人はセニョリータ句会発足と同時に俳句を始めた人です。

俳人孝彦の誕生 おめでとう!!
         
           2002/12/5 牧野 正弘 Makino Masahiro
諸兄
 
別電で牧野兄が偶々宝くじを当てたに過ぎない小生を俳人孝彦誕生と仰々しく報じましたが、これは言われた当人が穴があったら入りたいと赤面する全くの誤報であり当人が力ずくで撤回するので無かったこととして忘れてください。
大体ヨチヨチ歩きをはじめたばかりの小生を俳人孝彦誕生といわれても「ああ俺もついに廃人(俳人)にされたか」とmotivateされるどころか落胆するだけです。
自由人になりこれからリュックサックでも担ぎ野山をサックサック歩き自然に接し、サック(作句)に励む積りですが、句会に参加するには盗句では投句にならず、俳句の基本を勉強し、自分なりの句風を工夫し、さらには感性を磨き自分なりの俳句を
完成していきたいなと密かに願っている次第です。しかしながら壁にぶち当たり、句作に窮すれば愚策を弄し、愚作の連発となり、力尽き果て俳人たりえずして廃人とならぬよう、一意専心する所存です。
どうぞよろしくご指導ご鞭撻願います。
 
                                         2002/12/7 渡辺孝彦
いいですねえ、「リュックサック/サックサック/作句」、「盗句/投句」、「句風/工夫」、「感性/完成」、「句作/愚策/愚作」、「俳人/廃人」の駄洒落6連発。“韻をふむ”は詩の基本でしょうから、
“駄洒落ができない者には良い詩ができない”という仮説と、その対偶命題の“良い詩ができる者は駄洒落ができる”が成立しそうです。
韻だけではなく駄洒落の背景にある遊び心がまた詩や句の原点であり、遊び心なくして詩句発句しても“むな詩句”なるだけとも思います。
どうぞ、俳句の基本を“勉強することなく”、駄洒落により潤いのある感性を磨き、慣性と乾性の陥穽に陥らず閑静に完成の歓声を挙げ、我々にも喚声を挙げ続けさせてくださいまうように。
 
                                                                    草  々
 
               裏命題「駄洒落ができれば良い詩ができる」不成立を立証しつつ
                       2002/12/7  いわきの閑清貧人 平周五郎こと 佐々木 洋 拝

週末ともなれば、色々楽しいメールが交わされているのですね。
早く自宅局を開設しなければという思いと、ブルーマンデーの朝メールを開いてレッドな一時を過ごす楽しみも捨てきれません。
折角、“俳人孝彦”の誕生をお祝いしたに、素晴らしい素顔を変えてまで髭男(卑下マン)になることはないと思いますよ。宝くじに当たろうが何しようが、アウトプットが全てです。ホームランが打てる
打者は華があります。こればかりは努力でなく素質です。あしなぞ、精々ポテンかエラーで出塁するくらいのものですよ。
 
野山にトーボーを決め込んで “サック”に励むのはいいとして、もう歳なんだからひっくり返って“クッサイ”俳句にならないように気をつけて欲しいと思います。ヒロ兄〜ィも心配しているように、タカヒコ兄らしさを無くすような俳人にならないように願いたいものです。
 
勿論、基本をしっかり身に付け“孝彦句風”の完成に精進されるという心構えにケチをつける気は毛頭ありません。ただ、その完成を待っていたら待ちくたびれしまうから、どんどんバットは振って下さいよ。“Never swing never hit(homerun).” ですから。
 
ところで、日本語は難しいねえ。一寸挙げただけでも、こんなに同音異義の言葉があるとは知らなんだ。いわきの“官製”日本語教師(難しい試験で資格を取ったものだから;挑発気味に?)の教え子達に同情!!
 
昨日は、差し詰め “いわき七浜雪時雨”の景でしたかね。こちら、日差しが戻り 初雪も溶けて。
 
 2002/12/10 小林公直

未だに平日サラリーマン現役を続けているだけでも充分オロカなのに週末ネットマン現役を怠っているのはオロカの塗り重ねで、とても看過できるものではありません。一日も早く更生してオロカから馬鹿の道に戻って下さるよう、しつこくも自宅局開設要請を繰り返します。
 
しかし、「早く自宅局を開設しなければ」の一節でかつての「早く長ラケに変えなければ」を思い出しました。コーチョク兄の一存では長ラケ化が実現できなかったことからしますと、もしかすると、小林家には全てを決する金正日のような存在がおられるのかもしれません。
 
とあらば害無当局間折衝は無駄で、小泉クンが再び平壤に乗り込んで金正日と直接交渉しなければ拉致問題はラチがあかないのではないかと・・・えーと、何の話でしたっけ。そうそう、自宅局の話でした。では、シュプレヒ・コール、「コーチョク兄は自宅局開設を“懇願”せよー」
 
どうも「俳人」は「廃人」のようで「人」らしさが「廃」されてしまうような気がしてなりません。ナベ彦兄の場合は「俳諧」の「諧」の方をとって「諧人」と呼ぶことにしませんか、常に「快人」時として「怪人」。人間味溢れる“孝彦句風”を通してください。基本カタルで“灰燼”に帰さぬことを。
  
こちら “いわき七浜雪時雨”どころじゃありませんでしたよ。積雪三千丈、新雪に足を踏み入れると、深さは踝より遥か上に達していました。しかしその雪も融け、今日は眩いばかりの陽射しで小春日和。とても似非棟方はしておられません。これからコート上の似非妻達と・・・。
 
                                                                草  々
 
 
                          2002/12/12 オロカの道から馬鹿道一筋をめざす
                         未完成“官製”日本語教師・平周五郎こと 佐々木 洋 拝 

塩屋岬2位に台頭

諸兄
 
昨晩はNHK3Chの「樹木ウオッチング」(最終回)を見ず、NHK1Chの「永遠の女王・美空ひばり」の後編を見てしまいました。いやあー良かったですね。感動しました。美空ひばりの歌唱は単に歌を歌うだけでなく詞を物語り、自らの胸中を披瀝しており、それが聞くものに感動を与えるのでしょう。
 
ベストソングは「川の流れのように」に続いて「乱れ髪」が見事2位になりました。貴兄がいわき観光ガイドとして幾多のいわき訪問客を塩屋岬に有無を言わせず連行し宣伝したことも2位台頭に大いに貢献した事でしょう。誠におめでとうございます。
 
美空ひばりにしろビートルズにしろエルビスプレスリーにしろ現役で活躍中は見向きもしなかったのに没後改めて聞いてみると感動を覚えるいい歌ばかりです。矢張りこういうエンターテイナーは不世出の歌手なんでしょうね。
 
                                                           以  上
                                                           2002/11/27  渡辺孝彦

Re: 塩屋岬2位に台頭

実は、あしも昨晩8時一寸過ぎから ひばりを観ていたが、9時前には終ってしまい「乱れ髪」だとか順位云々は無かったねえ。
 
確か「乱れ髪」はひばりの絶唱歌だと理解していますが、出た時から直ぐに あしは良い歌だと嬉しく思っていたところ、間もなくひばりが世を去ってしまい人の世の儚さを嘆いたものです。勿論、この歌はカラオケのあしのレパートリーに入っているのです。だから、この歌が2位になったと聞いても当然の如く受け止めるのです。大概、あしが 良い歌だなあ と思った歌はヒットしてますね。
 
ところで、1位になったと言う「川の流れのように」は演歌の作曲家でなく、確か クラシック音楽家が何かの成り行きで1曲だけ手がけた歌だと記憶しています。
 
タカヒコ兄が「没後に感動を覚えた歌」の歌手を挙げていますが、兄の先輩の裕次郎もそれに準ずるかも知れないね。あしは、彼の生存中(特に、若い頃)は余り好きでは無かったが、歌だけは評価していたのです。今、聞いても中々のもので、デュエット曲を始めあしのカラオケ・レパートリーのマジョリティーを占めているのです。いつか俳優としてだが、彼の後釜コンテストをやって候補者が決まったようですが、やはり 彼の代わりは出来なく無理でしょう。
 
塩屋崎も、遂この間のような気がしますが、もう「遠くなりにけり」なのでしょうか。
 
                                                             2002/11/27  小林公直
公直兄
流石兄は多忙にも拘わらず良い番組は見てますね。小生が前編(8:00-8:45)があるとは知らなかったように貴兄は後編(9:15-10:00)を見逃したのですね。
 
確かに没後感動を覚えた他の歌手に石原裕次郎がいますね。それと米国ではワイフに教わり知った歌手でEngelbert Humperdinckがいます。
 
先のいわき分科会では夜のいわき探索は実現せず終いであったが、将来道志倶楽部XY分科会でカラオケ大会でも実現できればなあー・・・・と思っていたところ 流石佐々木幹事長会員の読心術に優れ、逸早く「楡の会忘年会」の2次会として中央区の夜の探訪:道志倶楽部楡の会分科会有志によるカラオケ大会の開催を許可されました。
 
そこで幹事選出ですが、現役を半年前退き、しかも7年前から職住まとめて横浜の田舎人になった小生には中央区は全く分からず2次会幹事不向きゆえ裕次郎のヒットソングをメドレーしようと張り切っている公直兄にお願いしようと思います。諸兄ご賛同願います。
 
                                                             以  上
 
                                                        2002/11/29  渡辺孝彦
Re: 塩屋岬2位に台頭ー楡の会2次会について

折角のタカヒコ兄のご提案なれど、「楡の会」は生い立ちの性格上“語らいを楽しみ、酒は静かに飲むべかりけり”の精神が信条であリますれば、それ以外の所作は邪道ではないかと思考する次第です。尤も、客分筋のお方が所望されるなら、再考せざるを得ませんが。
従いまして、楡の会の「流れ2次会」は、やはり昨年と同様に、タカヒコ兄に諸般の事情を勘案して然るべき場所を設定願うのが筋かと思うのです。
 
確かに、いわきカラオケ大会が多少“勘違い”があったカドにて実現できなかったのは心残りではありましたが、別の機会に設定し直したら如何でしょう。その際は、汗をかくことは吝かでありません。
 
どうも、日頃無口なタカヒコ兄が楽しいメールをくれるものだから、遂調子に乗ってあらぬことを口走ってしもうたようで、身から出た錆びを託って身の縮む思いに苛んでいます。
 
以上ご理解の程を、伏して。
 
                                                          2002/11/29  小林公直
コーチョク兄
「美空ひばりも裕次郎もアシのレパートリー」なぞと“高歌放吟”しておきながら、いざご指名となると「別の機会に」と小泉流を決め込んでしまうには困ったものです。拉致問題を先送りにして埒をあかせなくしてしまった小泉クンの不埒な所業を我が小林クンが繰り返そうとするのは黙過することができません。林は泉の「居ず見ず」と違って「速し」なのですから自覚を持ってもらわねば。
 
しかも、最後っ屁宜しく「身から出た錆び」なぞと金正日みたいな口先だけの反省を残して、週末のメール交換から勝手に身をひいてしまう我が侭さ加減には、いつものことながら呆れております。幹事委託の話があったら「来た!挑戦」とばかり、飛びついてほしかったところです。あまつさえ、「語らいを楽しみ、酒は静かに飲むべかりけり」なぞと勝手に「楡の会憲章」を制定されてしまったのではナベ彦執行委員長殿のご不興も如何ばかりかと。
 
結果的に、美空ひばりが「へばり」だったり、裕次郎が石「腹」だったりが露見してしまったとしても良いではありませんか。今様牧水読経流vs似非牧水度胸流の歌ならぬ唄対決もまた一興ではござらぬか。きっと、かの麗タッチ―もかの鈴の声で・・・。きっと「客分筋のお方が所望される」と思いますので、コーチョク兄は幹事委託の話を是非とも「再考」してください。週末メールの欠席裁判の裁決として、以上申し渡します。これにて一件落着・・・?
 
                                                                       草  々
                                        2002/11/30  平周五郎こと 佐々木 洋 拝

この週末京都で大学のクラス会があり、少々遅れ馳せの紅葉見物やら、旧交を暖めて良い気分で帰って来たのです。今日は、昼間は小春日和気味のいい日だったが、夕方には知らぬ間に俄か雨が降ったようで落ち葉が湿っています。
 
ヒロ兄〜ィのお叱りに触れたようですが、タカヒコ執行委員長殿をおいて「楡の会憲章」を制定しようなんぞ、身分不相応なことは毛ほどもございませんが、何せ小せえ「速し」なもんで。 此処は、ひとつ
 ♪♪んな春日和のーたたかい日は〜  も少しあなたの弟でいさせて ださいー〜♪♪
でお願いしたいものです。
 
と申すのも、あしの乏しい経験から察して、歌いを好きでない人にはカラオケは苦痛以外の何物でもないと思うのです。とりわけ、客分筋の沼津のお貸し元は 先ず話に夢中でカラオケを聞く耳はお持ちでないでしょうし、三島のお姉御様は 懸案となっている棒振り以外に興味をお示しにならないのではないでしょうか。
 
もとより、流れがその方向に向かうのであれば受けて立たざるを得ないと覚悟はしていますが、欠席裁判の判決を不服として上告いたしたいと願うものであります。「どうか、おでゃー官様の格別のお慈悲をもって、今しばらくお白州のお裁きを延ばして、お取調べ直しをお願げえ申すものでごぜえます。」
 
先ずは、本件 タカヒコ執行委員長の “お客分筋に腹蔵のない”ところの尋問調査結果を待つことにしましょう。
 
こうやっている内に、直ぐに「楡の会」がやって来て 1年があっと言う間に過ぎてしまうのですね。
 
                                                              2002/12/2  小林公直

小林兄、佐々木兄
 
三島のお姉御様は 懸案となっている棒振り以外にも政治論議好き、カラオケ好き[あまりはっきり覚えていないがかって登望会(トーボー会でなくトボー会と読む)の2次会で一緒にカラオケへ行ったが聞き惚れるほど上手かった。)]の非常にフランクなレディーです。とは言うものの楡の会メンバーとして横田夫人を2次会に誘う勇気はありません。
 
2次会幹事をお願いした小林兄に巧みにかわされたことでもあり、2次会は事前に設定せず、そのときの流れと雰囲気で有志が声をかけあい然るべき道場に流れ込むことにしては如何ですか?
 
                                                                       以 上

                                                             2002/12/4 渡辺孝彦

ISDNからADSLへの切り替えがトラぶったため、この2―3日間通信障害児になっておりました。すっかり「メール中毒」になってしまっているのでしょうか、この音信不通期間の長かったこと。やはり、長期の通信障害や週末音信不通に耐えられるナベ彦兄やコーチョク兄の「メール消毒」の方が健全なのでありましょうか。
 
この通信障害期間に、コーチョク兄はまだオージョー際の悪いことを言っていたんですねえ。まあ、ここはナベ彦執行委員裁決に従って「そのときの流れと雰囲気で」ということで矛を収めておきましょう。しかし、後髪が引かれますね。「聞き惚れるほど上手かった」のコメント。そうでしょうとも、あの鈴の声ですもの。
 
コーチョク兄は「楡の会憲章」を捏造したばかりか登望会を「トーボー会」呼ばわりするという不埒まで働いていたのですね。ナベ彦兄のコート上の“逃げ足”の速さを見て「逃亡者」をイメージしたためでしょうか。「飛ぼうかい」の洒落であることくらい分からなければまともな“俳諧”老人になれませんよ。そうだったよね、ナベ彦兄。
 
こちら一昨日は♪♪んな春日和のーたたかい日♪♪でしたが、昨日は朝から小雨が降っておりました。「まさか今日は」と思いながらクラブに電話したところ、なんと「何してらっしゃるんですか、一人足りないから早く」の出動命令でした。さすがお馬鹿ちゃんです。お陰で周五郎ペースを崩すことなく済みました。
 
今度の日曜日には教え子総勢15名が我が家に押しかけてきて忘年会です。そして来週からは、年賀状のための木版画制作の苦行が始まり、再び似非棟方志功になります。版画カタルによる腰痛は要注意ですが、何とかテンタン大会(12/23)と楡の会(12/26)には元気な尾羽うち枯らした姿(?)をお見せできると思います。
 
楡の会(12/26)は期限(11/30)が過ぎましたが、以下のメンバー(敬称略)からエントリーがありました。
   タッチ・ナベ彦トボー会コンビ、林牧水、平周五郎
   秋丸、野中、正木、川口  (河本・上月KKコンビは欠です)
森の石松ではありませんが、「他に誰か忘れちゃいませんか」?
 
テンタン大会(12/23)もエントリー期限(12/8)が近づいておりますが、現在のところ以下のような状況です。
   秋丸、正木、野中、吉武、浅野、上月、河本
   ナベ彦、平周五郎   (タイゾー、進藤両兄からは欠連絡あり)
こちらも失念ないし失礼されている向きがあるようです。
 
                                              まずはADSL第1報をお届けします     草  々
 
                                                   2002/12/5 今日も球打ち修行と寺子屋通いの
                                                           平周五郎こと 佐々木 洋 拝
公直様
 
先日三嶋の君ことタッチに会い、楡の会忘年会の前座を勤めました。と言っても、抜け駆けをやったわけではなく、12/7夜、登望会(トボーカイと読む)の忘年会が初台の「蘭蘭酒家」で行われあり、タッチに一年ぶりに再会したものです。佐々木幹事から預かった昨年の忘年会の写真を渡し、楡の会に言及したとき、タッチが自ら12/26に備え、写真のメンバー一人一人の名前記憶テストをやり始めました。
 
完璧に覚えていたのは小林公直、佐々木ヒロ(幹事長ではない)牧野ブキラの三兄でした。正木さんは助け舟を出したので65点、上月、河本の両兄は残念ながら紳士過ぎて印象が薄かったようで0点でした。如才ない彼女は写真にある小生についてもコメントを忘れず、「孝彦は写真では結構若いのね」と仰り、小生喜びべきか、悲しむべきかしばし判断に迷いました。
 
タッチは佐々木幹事長の「いわき分科会」レポートを非常に面白く愉快であったと言ってました。幹事長の長編を一気に読破するとは、浅香兄や幾人かの不真面目なメンバーにつめの垢でも煎じて飲ませてやるべきでしょうね。 
前述の「ヒロさん」はタッチが早速レポートより引用したものです。
 
                                                                          以 上

                                                          2002/12/11 渡辺孝彦
楡の会忘年会(エントリー)

ナベ彦執行委員長殿
 
タッチに対する水面下交渉有難うございました。「いわき分科会」レポートを送っていただいた上に名前記憶テストまでやって頂き恐縮です。「ヒロさん」は、いわきニュータウンテニス倶楽部でも広まってしまいました。「周五郎」なら名前負けしてくれる向きもあるのですが「ヒロさん」ではどうも・・・。今日もクラブの年忘れリーグ戦があったのですが、4チーム中3位に終わり「疲労惨」になって帰ってきたところです。
 
楡の会エントリーについて「他に誰か忘れちゃいませんか?」のウォーニングを発したところ、「誰か」のうちの一人が追っかけエントリーしてきましたので、以下の通り小計9名のエントリーとなりました(敬称略)。
   タッチ・ナベ彦トボー会コンビ、ブキラ、林牧水、平周五郎
   秋丸、野中、正木、川口  (河本・上月KKコンビは欠です)
「誰か」のうちのもう一人は我が侭でなる人ですから、このインターネットの時代に“以心電信”などと言い張るに違いありません。従って、合計は10名ということになります。お手数ですが、会場に対する人数確認など宜しくお願いします。
 
                                                            草  々
 
                                          2002/12/11 平周五郎こと 佐々木 洋 拝

仰るとおり文字通り“以心電信”でありまして、楡の会のエントリーについては、確か可也前に 『・・いわき分科会の余韻が聞こえてこなくて寂しいねえ・・』の趣旨のことも書いて、結びに「エントリーに代えて」を付け加えて返信メールを出したから、登録されているとばかり思っていたのです。
残念なことに、エントリーが主目的だったこともあり CCを出さなかったように記憶しているので、証人がいないのです。ともあれ、早く“似非棟方志功”から脱皮して、“ヒロさん節”をたくさん聞きたいものです。
言い訳方々身の潔白の陳述まで。
 
                                                      2002/12/11 小林公直

コーチョク兄へおそれながら
 
糾弾を受けて、某も”行間を読む”ことはオロカ、”行を読む”こともできない“間抜け”になってしまったわいと慨嘆しながら着信リストから「いわき分科会の余韻」で検索し、以下の「証人がいない」受信メールを探し出しましたので、全文原文のまま証拠として提示します。
件名「Re: About38 2002/10例会議事メモ」
         2002年11月26日 18:42小林公直発 佐々木洋宛
 
   標記議事録拝受、何時もながら楽しく読ませて貰いました。
   ヒロ兄〜ィの記憶力の凄さに、改めて脱帽です。

   ABOUT38会のグレーリストに載ってしまったようですが、
   辛うじて破門の汚名を着せられずにホッとした次第です。

   察するに、似非棟方志功への没入状態に未だ切りがつかない
   ようで、最近 金魚ならぬ兎の糞 状態のメールが届くだけ
   にて、楽しかったいわき分科会の余韻がトンと入ってこない
   のも寂しいねえ。もう 楡の会の世界になったし、年末の挨拶
   が飛び出す時期になってしまったし、世の中速いねえ。

   陣中見舞いに代えて。
                               小林公直
「エントリーに代えて」の文言がどこにありましょうや、おのおの方。これをもって、我が侭でなる「誰か」さんの“偽証”を逆に糾弾するものであります。もっとも、行間に「エントリーに代えて」を読めなかった某のオロカさは否定すべくもありませんので「身の潔白」を晴らせぬ点では良い勝負といったところでしょうか。幸い、まだ“間抜け”にはなっていないことも立証されたことですので、オロカな某に対しましては、極力、特にこちらから要請した場合には、”行を読む”で事足りるようなご連絡を賜りたく、お代官さま各位。
 
さて、早朝からこのような駄文を弄しているところからお察しいただけるかと思いますが、某未だに似非棟方志功の世界に入れておりません。図案をどうそう構想の模索状態で産みの苦しみの状態が続いております。そうそうに「陣中見舞い」を頂きましたが、実は「陣痛見舞い」が欲しかったところなのです。このままでは楡の会にまで陣痛をお持込ということになってしまいますので、「今日こそは」と今日も呟きつつ、またしてもコートと寺子屋の周五郎の世界に足を運ぶことになりそうです。こちらさすが日照時間日本一のせいか、コート上に積雪の跡形もありません。「雪に閉ざされて似非棟方志功の世界に浸る」の目論見がすっかり外れてしまいました。
 
                                                                   草  々
 
                                      2002/12/12  平周五郎こと 佐々木 洋 拝

ナベ彦執行委員長殿

会場確認有難うございました。
 
タイゾー兄は欧州クリスマス事情視察で「テンタン大会欠場」の由ですから、楡の会の方は「行間を読むべし」ということなのでしょう。いわき分科会で、棒を振られたYIコンビには今回は棒に振られたということでしょう。分科会やら「テンタン」やら「楡」やら、我々の手の込んだ馬鹿さ加減に呆れているのかもしれませんね。
 
従って、「ドタキャン含みの10名」で決まりでしょう。念の為、会場地図等お送り頂けると有り難いのですが。それとも、以前ご提案のあった、「都内某所集合」を改めてご通知頂くか。いずれにしても“地理滅裂”な某及び某兄等(ボケラに非ず、念の為)のため、更にお力添え下さるようお願いします。
 
                                                                   草  々
 
                                      2002/12/17  平周五郎こと 佐々木 洋 拝

PS

メール不通のコーチョク兄が当メールを開かれるのは何時の
ことになるのでありましょうか。今回メールを断たれたのは自宅局リアップを促すカミの啓示であったということにケづいてくれればモウ・ケものなのですが。ナベ彦試算によると人生の35%に当たる週末をネットなし、つまり不網つまり不毛のまま過ごされているコーチョク兄の“優柔夫不断”を惜しみつつ。

自宅局開設の遅れは別便で述べたとおりでして、不毛の週末をいつまでも続けよう言うケ(気)は毛頭ありません。頭に毛がない訳ではないけれど、それにしても薄くなりましたねえ。京都でのクラス会の写真を見ても、最近カメラの精度がいいものだから、気配は薄々感じていたものの“そのまま”に写っていて愕然としたばかりですよ。
 
そこで、東芝さんに商品企画提案をしたいと思うのです。カメラはあらまで鮮明に写し精度がよけりゃいいと言うものではないでしょう。競合厳しいデジカメ商戦において差別化するために、“夜目遠目モード”機能付きの機種を出せばいいと思うのですが?
 
さて、真面目な話、ヒロ幹事長が暗にご提案の「都内某所集合」について、24日(火)に忘年昼食会は如何でしょうか。クリスマスの日でもあれば、“清富認可”日本語教師のクラスも休講であろうし、“官製”ヒロ先生も「テンタン大会」でご上京の折りでもあるので、好都合ではないかと思うのです。
 
それから、この場をお借りして恐縮ですが、件の「テンタン大会」には日程調整が侭ならず、欠席の仕儀と相成りました。しんご兄の復帰大会でもあるし誠に残念で申し訳なくも思いますが、せめてもの慰めは、“1面コート大会”の混雑緩和にご協力できることです。しんご兄には、くれぐれもよろしくお伝えください。別途の機会に埋め合わせはしたいと思っていますので。それだけに、勝手な“我侭理論”ですが、有志昼食会は如何でしょう。
 
最後になりましたが、タカヒコ執行委員長には献立のことやら大変お世話をかけます。握りは六つでも七つでも結構、あしには“白魚のような手”と”握り”ができれば、ほかに何にも要らない。
 
若し、未だこのメールが送信できないのであれば、上(おでャー官様)の啓示にて、「反省が足りない」と言うことかも知れません。
 
                                                        2002/12/17 小林公直

「もし私が鳥であったら」というようなありもしないことを想定して物をいうのを反実仮想と申します。「もし私が“清富”だったなら」、金に糸目をつけず毎日でも上京することでありましょう。しかし、紛れもなき清貧の平周五郎、交通費効率を最大限高めて振舞わなければならないのです。
 
にもかかわらず、忘年昼食会だけのために上京せよとは阿漕じゃござんせんか“清富”お代官様。楡の会の12/26 の他12/25にも三井各社の人との忘年会がありますので、この両日のいずれかにして頂ければ有り難いのですが。いっそ、12/26 の昼に「楡の会リハーサル」を兼ねてやりませんか。
 
テンタン大会不参加の理由に、“1面コート大会の混雑緩和”を持ち出すのはまさに“我侭理論”そのものであります。道志倶楽部大会の本命が恒例の「反省会」にあるということをもしやお忘れでは?年は忘れても「道志倶楽部憲章」をお忘れなきように。挙句の果てに「“白魚のような手”と”握り”」とは!・・・私も我が侭になりたい。
 
                                                           草  々
 
                                      2002・12・17 平周五郎こと 佐々木 洋 拝

新年のご挨拶

楡の会メンバー各位

明けましておめでとうございます。

先年末よりメールの孤島・辻堂の茅屋で過ごしておりましたので、すっかり往年のタカ彦兄もかくやの通信障害児になっておりました。本日、陸の孤島・いわきの茅屋に戻り、この間たまりにたまったメールを一つ一つ開封しながら、特にその中に転送された麗タッチの麗メールを発見して、喜びを一入にしているところです。

「02楡の会忘年会」では、MN和装コンビを囲んで楽しい一時を過ごさせて頂き有難うございました。本来楡の会に不可欠であったシンゴ兄が今後不可欠になったのも愉快なことでした。タカ彦永久執行長の取り仕切りのもと、忘年会のみならず、感動を共有しあえる「高貴な馬鹿」の輪が拡大してゆきますよう心より願っております。
  *因みに楡の花言葉は「高貴」です。蛇足ながら。

ところで、不肖・平周五郎には「楽しすぎると人事不正に陥る」という年来のヘキがあります。忘年会当日も、捗らぬ木版画年賀状作成の苦行からの開放感も手伝って、人事不省茫然自失天地無用の状態に陥ってしまいました。しかし、翌朝になって我に帰って、すぐさま似非棟方志功の世界に戻り、何とか「納期」に間に合わせました。

本年もよろしくお願いします。

                                                            草  々

                                       2003/1/3    平周五郎こと 佐々木 洋 拝

新年のご挨拶
道志倶楽部関係者及び無関係者各位

明けましておめでとうございます。本年も馬鹿馬鹿しく感動共有の「道」を「志」して行きたいと思っております
ので、宜しくお付き合い下さるようお願い致します。
さて、早速ですが、昨年末の道志倶楽部テンタン大会の顛末記をお送りいたします。メールの孤島となってしまった辻堂で、木版画年賀状作成のため似非棟方志功の世界でシンギンしながら新年を迎えておりましたので、忘年の彼方の出来事の遅れ馳せのご報告になってしまいましたが、お気軽に飛ばし読みでもしていただければ幸いです。

                        2003/1/4  道志倶楽部しゃしゃり出幹事仕事始めの
                                          平周五郎こと 佐々木 洋 拝

タッチからのGreeting Card

ナベ彦兄&コーチョク兄、ブキラ兄
 
実は私めも、文末に貼付したような禮グリーティングカードをいただいていたのですが、ジジのくせしてネコババを決め込んでおりました。白状いたしますとともに今後は(同様な僥倖が訪れた暁には)包み隠さず四馬鹿で喜びを分かち合うことと致しますので、今回の件は平にご容赦ください、お代官様。
 
コーチョク兄におかれましては、「僻みばしった良い男」を決め込まれることなく、禮カード中に「楽しいニューイヤーズメールをありがとうございました」なる文言があるのにご留意ください。年末年始に不網の暮らしをしているとニューイヤーズメールを出すこともできません。来年は禮カードがきっと貴宅にも送られることになるでしょう。Hi, hi, hi, hi.....。あれっ、鬼が笑っている。
 
ブキラ兄はまた、「実は私にもきましたが開けないで削除しました」とは!ネコババじゃなくてネココバ(猫に小判)。不経済学士、世が世ならば不敬罪ですぞ。恐らく、ブキラ兄には、こちらからニューイヤーズメールを出してもいないのに禮カードが送られてきたんでしょうね。ああ、羨ましい妬ましい勿体ない。今度は私めが「僻みばしった嫌なジジイ」になってしまっています。
 
なお、似非棟方作品の年賀状を麗タッチ宅にもお届けしたいと願っていたのですが、それこそ不敬罪でナベ彦永久執行委員長殿に粛清執行されてしまいますので差し控えました。駄作ながら一枚しっかりリザーブしてありますので、後日楡の会で撮った写真を麗タッチにお渡しいただく時にでも、ナベ彦兄よりダサクサまぎれに一緒にご執行、もとい、ご手交くださるようお願いします。
                                                                                                                                                  草  々
 
                                       2003/1/24  さて今日はどんな献立に
                                         ヤモメ暮らしの平周五郎こと 佐々木 洋 拝

独り、蚊帳の外とはねえ。
タカヒコ兄の“言い付け”を頑なに守っていた、あしが馬鹿だった。
これからは、タッチ殿が仰る<高貴な馬鹿>クラブの発起人の一人としての“ほこり”(埃じゃないよ)だけを生甲斐にしなくては?
 『寒スズメせめてこちらへ傘ん中』 (1月23日、霙降る大寒の景)
 
実は昨晩ね、夕食を美味しく食べて終盤の頃 生焼きの魚のハラワタがいけなかったのか、急に吐き気をもよおし胃の中の物全部を出してしまったのです。今でも、喉筋が痛むほど強烈でしたね。サルモネラ菌かインフルエンザ菌でなければいいが と思ったに、ひょっとして人様に届いた“禮カード”に中てられたのでしょうかねえ?
 
そこは、日頃鍛えている右脳派の強み “駄洒落効果”をひねり出して、禮カードの行間に 戦場で流行りの暗視装置まで駆使して“微かな曙光”を見出しているのであります。外交辞令とは言え、タッチ殿に 憎からず思って頂いている“楡の会”、<高貴な馬鹿>の中に、どの位 あしの持ち場があるのだろうかと。
 
ヤマメ暮らしだかカモメ暮らしだか分からない ヒロ鬼〜ィ(Hi,hi,hi,hi,hi)も、“鬼の居ない間の羽伸ばし”は もう直ぐ終るので、“マイカー”さんに叱られないよう 後片付けなどきちんと。 
 
あまり、「苦みばしった(どうでも)いい男」にならない内に。
今夕は、東芝[国際関]時代上司だった宮尾さんの 奥様のお通夜に出かけるので、これから 早めの“不網の週末”に入ります。
 
それでは、諸兄には良い週末を。
 
                                                     2003/1/24  小林公直

二日後のコーチョク兄へ
 
「“言い付け”を頑なに守る」云々ではなくて、「年末年始に不網の暮らしをしているとニューイヤーズメールを出すこともできませんよ」、つまり、「自宅メール局開設が必須条件ですよ」と、陰に陽に、それとなくかれとなく、言い続けているのにちっとも分かってくれない。本当に「あしは馬鹿」ですねえ。『寒スズメせめてこちらへ傘ん中』 なんて素晴らしい今様小林一茶(兼似非牧水)ぶりまで発揮しちゃって。「麻スズメ」しかできない御仁かとおもっていたのに。本当に「あしは高貴な馬鹿」です。
 
「生焼きの魚のハラワタ」ではえらい目に合いましたね。おいたわし過ぎて駄洒落も出てきません。「生きの良い生」は結構ですが「生生き」は良くありません。あれっ、出てきちゃった。それにしても、「人様に届いた“禮カード”に中てられた」はヒガミばしり過ぎで、それこそ「中てこすり」というものです。あれっ、また出ちゃった。私の駄洒落も「サルモネラ菌」による病気みたいなもんです。こんな退屈な駄洒落の連発じゃ猿も寝らあ。
 
「テレシコワ」の名前を覚えていますか。そう、人工衛星に乗って「私はカモメ」と叫んだソ連女性。私めは今、コート妻たちのおだてに乗って「私はヤモメ」と叫んで、ヤマメのように静けくカモメのように自由に暮らしております。「小鳥遊」を「タカナシ」の伝で行けば「こそり遊」は「カカナシ」とでも読むのでしょうか。しかし、ご説の通り、「後片付け」はもうホントに大変。あれっ、鷺宮の方から変な声が聞こえる・・・「ザマーミロHi,hi,hi,hi,hi」。
 
さて、29日はせっかく田舎から<高貴な馬鹿>が上京するのに経団連会館だそうで残念なこってす。経団連会館なんていつだってあるだろうにブツブツ。ましてや、「言い出しっぺ」だったくせに、ブツクサブツクサ。「サルモネラ菌」だの「インフルエンザ菌」だのと言って、得意の仮病でも使ってくれりゃいいのに、グチグチ。一人寂しく泣きながら昼飯を食った後、神保町で日本語の教科書でも物色してもまだ夕刻のMIKSまでに時間があったら、「中てこすり」に神谷町くんだりに押しかけることにしましょうか。まあ、適当にあしらってやってください。どうせいいのさ僕なんか。あれっ、「ヒガミばしり」が移っちゃいましたよ。恐ろしや、誰かさんの“インフルエンス菌”。
 
                                                        草  々
 
                                 2003/1/25   平周五郎こと 佐々木 洋 拝

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