道 志 倶 楽 部 の ペ ー ジ

2006年活動記録


A.大同傷痍大会レポート(2006/4/22)

コート上の衝撃

土曜日(422)の大会開催とのことで、前日(421)夜の日本語教室のスケジュールを他日に振り替えざるをえず、日程調整に時間が掛かりましたが、遅れ馳せながら何とかエントリーできる目処が付きました。ところが、今度は突如コート上でトラブルに見舞われてしまいました。久方ぶりの大会参戦で日頃鍛えた腕前のほどを見せ付けんものと勇んでゲームに臨んでいた水曜日(4・19)の午後のこと。サービス・リターンをしようとしてテイクバックした右手が前に出てこないのです。従って、打とうとする姿勢をしているのに、眼前をボールがむざむざと通り過ぎていくという信じられない事態となりました。空振りでも見逃しでもなくて、振りたいバットが振れずに三振したようなものです。腕から肩にかけて肉体的な痛みを感じたのは、精神的ショックを受けた後でのことでした。そのまま、始まったばかりのゲームをリタイアした私の脳裏には「再起不能」の文字がちらついていました。

傷痍軍人参戦を決意

困った時の神頼みで駆け込んだ蛭田整体師は、私の痛む上腕に手を当てるや否や、“ラケット振れん症”の原因を筋肉挫傷と診断し、その上で「多分こんなフォームで打とうとしたからでしょう」と言って、“見てきたような”形態模写までして見せてくれました。「手当」という言葉は、この“手を当てる”から来ているのだそうですが、手を当てただけで、筋肉挫傷の原因となった無理なフォームまで「見当」てしまうのですから大した物です。そして、「大丈夫ですよ。またテニスができるようになりますよ」との有り難いお言葉。実際に、指示された通りに、伸び切ってしまった上腕部の筋肉を復元するための運動をしてみると、重く痛んでいた右腕が嘘のように軽くなりました。そこで、かねて誘ってくれていた吉武シンゴ兄に、「二宮在郷軍人会」に傷痍軍人として参加する旨連絡し、6:35a.m.JR二宮駅前でピックアップしてもらうという運びになりました。久し振りに会ったシンゴ兄いわく、「みんな傷痍軍人みたいなものだから大同小異さ」。そこで勝手に命名したのが今回の「大同傷痍大会」なのです。

ハナよりダンゴ

「二宮在郷軍人会」のうちの河本さんはお住まいの緑が丘地区の自治会会長にまつり上げられてしまって、その集会があるとのことで急遽出馬を取り消し。 JR二宮駅前を発ったシンゴ車は、義弟の浅野タクミの守宅に寄って、今度は浅野さんのタクミな運転で横浜都筑区を目指し定刻5分前に会場の東芝エレベーター研修場内のテニスコート・サイドに一番乗りで着きました。正確無比な人間カーナビの河本さんがいない割には順調な道行きでした。自治会長・河本さんを見習って「二宮在郷軍人会」も自治能力を身につけてきたのでしょうか。さて、野中師範代や久方ぶり再会の岡本さんも続々到着して三々五々に練習開始。こちとら、なにぶんラケットを握るのは、“ラケット振れん症”でリタイアした水曜日以来のことですから、おずおずとミニテニスから始めたのですが恐れていた痛みの再発がまるでありません。つくづくと「テニスができる喜び」を感じました。そして、すぐさま第1戦。シンゴ兄と組んだ「二宮在郷傷痍軍人会」ペアはハナからダンゴ負けを喫してしまいました。

     佐々木・吉武 0―4 野中・岡本

「見ていても楽しいテニス」随所に展開

そうこうするうちに、秋丸、吉備、上月、斉藤という面々も到着したので、コート2面を使って6ゲーム先取の熱戦が同時進行で始まりました。成績は以下の通りです。

     秋丸・吉備 3―6 斉藤・浅野     佐々木・岡本 2―6 野中・上月

秋丸兄は「負けたけど内容が良かった」と言っていましたが、これは決して負け惜しみではなく、実際に「見ていても楽しいテニス」が随所で展開されていました。久しぶりに大会に参加しましたが、オニならぬオレのいぬ間に道志倶楽部のテニスのレベルは確実に向上しているようです。特に、何時の間にか“軍事力”を強化したのでしょうか、上月兄のストロークの正確さが格段に高まっているのが“脅威”でした。以前なら、2―3回ラリーを続けているうちに勝手にミスをしてくれていたのに、“想定外”の長い打ち合いが続きます。不整脈の気味があるという上月兄ですが、意外なゲーム展開によってコート上で不整脈にさせられていたのはこちらの方でした。お陰で連敗を喫してしまいましたが、勝ち負けは関係なし。「テニスができる喜び」を満喫できているのですから…おっと、こちらは負け惜しみでしたね。

「出ると負け」と“イナバウアー”

川口兄も加わって総勢10人が勢揃い。こうなると、コート2面で2ゲーム同時進行で2名の“予備兵”ができる勘定になります。以前なら、我勝ちに出場権を争っていたものですが、「オレも傷痍軍人だから」とか何とか称して“予備兵”枠を争うメンバーが相次ぐのですから、さすが「大同傷痍大会」は違います。「傷病兵やら看護兵やらばかりで、まるで野戦病院みたいじゃないか」という冗談も出る中で、“欠場希望者同士でジャンケンをして、これに負けた者は出場しなければならない”という「大同傷痍大会」ならではの珍ルールが出来上がって始まった第2ラウンドの結果は以下のようになりました。「出ると負け」ではなくて「負けと出る」ということになったので、ジャンケンに勝った「出ると負け」の私は、「見ていても楽しいテニス」を存分に観賞することができた訳です。中でも、目を楽しませてくれたのが、秋丸兄の“イナバウアー・ショット”(シンゴ兄命名)でした。上体を上に向けて反らせてのバックハンド・ストロークがその名の由来でしたが、中には、私と甲乙ならぬ丙丁を競う「出ると負け」ぶりを嘆じて天を仰いで身を反らす“イナバウアー”もかなり混じっていたようです。

    野中・浅野 6―4 吉備・川口     斉藤・吉武 6―1 上月・秋丸

必殺のクロスに苦労の「出ると負け」

続く第3ラウンド、ジャンケンで欠場権を「勝ち」取ったのは野中師範代と斉藤兄でした。結果的には、この二人が「出ると勝ち」の無敗コンビになったのですが、これと対照的で気の毒だったのは、対戦相手に恵まれなかった佐々木・秋丸「出ると負け」コンビでした。何しろ、浅野さんと言えば、名前からして俊足じゃなくて俊介さん。高校時代に100メートルを10秒台で走ったというスピード・ランナーです。そして、そのパートナーの岡本さんも滅法脚が速くてコートカバレージが驚くほど広いのです。ですから、オープンコートに勝負球を放ってポイントを奪った積りになっていても油断は禁物。しかも、ボールに追いつくだけではなくて、不利な態勢から必殺の“クロス”が返って来るのですから「出ると負け」ペアは“苦労す”るだけでなす術がありません。もう一方のコートでは、シンゴ兄と組んだ川口兄が「どうなっちゃてるんだ!」という失礼な賛嘆(?)の声を浴びるほどのファイン・ショットを連発して奮戦しましたが、勝負のキビを知りツキも上々の吉備・上月ペアに後一歩及ばず惜敗してしまいました。

    吉武・川口 5―6 吉備・上月     佐々木・秋丸 2―6 浅野・岡本

上達もたらす“情けは人の為ならず”

さて、引き続いての第4ラウンドでは、野中師範代と浅野タクミの間での「出ると勝ち」同士の対決がありました。勝負は最終ゲームまで縺れ込みましたが、最後は、既に1勝を上げている吉備さんと「出ると負け」の私と、パートナーの差が出て私が妙な形で浅野さんの“全勝ストッパー”役を演じてしまいました。もう一方のコートでは、川口兄が隠れ「出ると勝ち」の斉藤兄に引っ張られる形で「出ると負け」を脱しました。長期間にわたって精彩を欠いてきた斉藤兄が往年の輝きを取り戻したのは、テニスクラブの初心者達に対して始めた球出しを続けていることに大きな原因があるようです。“情けは人の為ならず”で、他人のために球出しのサービスをしているうちに、自分のラケットの面づくりやボール・コントロールの確度が高まってきたのでしょう。情けない成績を他人(パートナー)のせいにしがちな自分自身に対しては“情けなさは人の為ならず”と言って聞かせてあげなければなりません。

    佐々木・浅野 5―6 野中・吉備    斉藤・川口 6―4 岡本・秋丸

上達促す“情けは人の為ならず”

残り時間が僅かになったところで、再び4ゲーム先取に戻してファイナル・ラウンドを行い以下のような結果となりました。前ラウンドで斉藤兄と組んで「精神集中」を会得した川口兄が、物凄い集中ぶりで挑んでくるので、危うく私は浅野さんに次いで野中師範代の“全勝ストッパー”役を演じてしまうところでしたが、辛うじて野中師範代の「出ると勝ち」を守とともに、最後に来てようやく自分自身も「出ると負け」から脱出することができました。“情けは人の為ならず”の斉藤兄ももう片方のコートで全勝をキープ。斉藤兄と組んだ浅野さんは、義兄のシンゴ兄を破るという“情け”容赦のないことをしでかしてしまいましたが、これは「情けをかけることは人のためにならない」という“情けは人の為ならず”の現代っ子版解釈によるものであり、人(シンゴ義兄)の発憤と一層の上達を促すためのものだったに違いありません。

    佐々木・野中 4―3 川口・岡本     斉藤・浅野 4―1 上月・吉武

全敗者が“全配”者(?)

恒例の「反省会」は仲町台駅近傍の中華料理店「龍鵬」。反省会だけ参加をする“かもしれない”という牧野ブキラ幹事からのメールをめぐって一同来否の論議を交わす中、秋丸兄が「今日は全敗だったから料理の手配はオレが仕切る」という良く分からない理屈で料理奉行ぶりを発揮しはじめます。全敗は“全配”即ち全支配、即ち全て仕切ってしまうということなんだろか?いずれにしても、トップダウン単独決裁型のブキラ大統領とは違って、“民意”を諮りながら手際良く料理が発注されました。そして、ビールが運び込まれ、いざ乾杯という矢先にブキラ御大が登場、一同より期せずして拍手が起こりました。開口一番「料理は“どこまで”注文した?」という甚だ答えにくいブッキラボーなご下問がありましたが、いち早く事情を察して常任料理奉行の座を本日限定で秋丸兄に禅譲してくれましたので、流血の惨事になることなく済んで何よりでした。

寂しい“始祖鳥”の不在

ブキラ兄は、アキレス腱を切って傷痍軍人となってから久しいのですが、まだコート復帰は難しいのだそうです。しかし、心身の鍛錬に怠りはない様子で、誰かさんも「若返ったんじゃないのかな」と陰で言っていました。こんな褒め言葉、陰口で言わなくてもいいのに。アシの方は不自由なのですが、アタマの方は傷痍軍人になっていなくて、傷痍どころか小異もなくおアシの計算をして、見事な勘定奉行振りを見せてくれました。しかし、同じ自称他称の傷痍軍人で道志倶楽部の始祖鳥的存在である小林コーチョク兄や渡辺ナベ彦兄はどうしちゃったのでありましょうか。浅香タイゾー兄も“オレのいぬ間に”きちんと“蝿叩きショット”を実践しているんだろうか。みんな、それぞれ「大同傷痍」なのだし、せめてブキラ兄の範に習って「反省会」だけでも参加すれば良いものを。

珍しや反省交じりの「反省会」

特に今回などは、ちょっぴりと「反省会」らしくもなったんですよ。シンゴ兄に促される形で立ち上がった野中師範代から一人一人の技術(and/or 精神)に対して的確なご託宣が下されます。これによって、道志倶楽部の「見ていても楽しいテニス」がまた一段とレベルアップしたのは確実。この機を逸してしまった始祖鳥たちは化石となって遺物扱いされてしまうことになるのか。もっとも、野中師範代による講評に対しても茶々ボレーの類が飛び交っていたのが道志倶楽部らしいところでした。「秋丸兄のバックボレーはマトモになってきた」という師範代講評に対しては「マトモになって秋丸兄らしくなくなった」という秋丸兄非真人間(ヒマ人間)仮説。「岡本さんは、必殺のクロスを2―3発決めていた」に対しては「2―3発どころじゃないよ」という“被弾”を受けた面々からのブーイングまじりの反論が続きます。

いつしか心は桃源郷

ドライバー諸兄がノン・アルコールのビールで喉の渇き癒す間に、ノン・ドライバーたちは紹興酒のやり取りに「ごショウコウを」などという「大同傷痍」にしては聊かアブナイ冗句も混じって、いつしか心が桃源郷。吉備さんが、席から遠ざかってJT出身者として喫煙の義務を着実に果たしておられたのと、大幅な上達ぶりを野中師範代から評価された上月兄がノン・アルコール・ビールなのに酔って上気したような表情をしていたのだけは朧げに覚えています。そうそう、次回の例会は6月第1土曜日だってことも。ブキラ兄はじめタイゾー兄も含めた始祖鳥一味のコート復帰記念日になるといいですね。それでは、日本語寺子屋教室にドイツ人も増えましたので、中毒起こさぬよう中独両用にて、再見、そして、Aufwiedersehn.

以  上


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