奇 遇 会 の ペ ー ジ

奇遇会のご紹介
イベント・レポート
    心に錦目に錦・・・「勿来ようこそ」プロジェクト




奇 遇 会 の ご 紹 介


奇遇ですねえ

 三井業際研究所出向から東芝に戻って、業際研関係でお知り合いになった三井倉庫の長竹理昂さんにお電話していると、隣席の峠舘勝さんが声をかけてきた。「佐々木さん、三井倉庫にお知り合いが居られるんですか。私も以前倉庫さん担当のSE(System Engineer)でしたから。そう、若狭さんなどに随分お世話になったなあ。」そこで、すぐさま長竹さんに再度お電話して尋ねたところ、「若狭さんなら私の隣の席にいますよ」とのこと。「それは奇遇ですねえ」となって、早速浜松町の割烹「美乃」で4人の呑み会を開く運びとなった。これが「奇遇会」のそもそもである。私は三井倉庫の若狭忠良さん、峠舘さんは長竹さんと、それぞれ初対面という淡い関係の集いが始まった。

拡大奇遇会
 四人での最初の呑み会の席で、「そう言えば、うちの部長の娘さんも東芝だったなあ」と長竹さんがポツリ。早速、お二人からフルネーム“内田美奈”をお聞きして、翌日アドレスを検索してメールを打った。「もしかして、お父さんは三井倉庫の情報システム部長?」こんなときEメールは重宝である。電話では気恥ずかしくてうら若い女性に対して仲々こうはいかない。そして、間もなくまだ会ったこともない美奈チャンから返信があった。「そうです。」続いて「佐々木さんは同じ事業部内の“中山あすか”をご存知でしょうか?私の入社以来の親友なんです。」知らないでか、あすかチャンは私が東芝入社以来親しくしている長谷川洋さんの部の庶務担当だから、あすかチャンには何回もコーヒーを淹れてもらっていたのだ。早速、再び「美乃」で呑み会。今度は内田父娘と長谷川/中山コンビを加えての「拡大奇遇会」とあいなった。

芋づる式の奇遇関係
 一方、三井倉庫の情報システム部にも東芝と接点のある人達の名前が次々と分かるとともに、セールスまたはSEとして三井倉庫のお世話になった東芝の面々も自薦他線で続々と名乗りをあげてきた。それこそ芋づる式の奇遇関係。だから、別の芋づるとの間では勿論、同じ芋づる上でも元と先ではお互いに見識が無く、奇遇会の場が初対面という“奇遇”関係も珍しいことではなかった。しかし、考えてみれば、「人の出会いはみな奇遇」なのかもしれない。「人との出会いを大切にして交流を楽しもう」という思いが奇遇会に脈々として流れていて淡い関係を長続きさせているのだろう。現にこのホームページも、奇遇会で初めてお知り合いになった三井倉庫ご出身の横川久美雄さんにご指導頂きながら制作している。PCメーカ社員の私が倉庫屋の横川さんにご指導頂くというヘンテコな“奇遇”関係を享受させて頂いているわけである。

多彩なイベント
 「奇遇関係を喜び合いながら、更に多くの人、もの、こと、ところとの奇遇を楽しんで行きたい」…このようなメンバー共通の願いをかなえるため、呑み会だけでなく、次のようなイベントを企画実行してきた。「奇遇会ならでは」というのは、どれもこれも欲張りな企画だということだろう。時間をフルに使うので、大抵の場合は早朝起床となり盛り沢山なイベントとなる。しかしお陰で「一度行きたい/経験したいのだがなかなか」といったことができて、それぞれ私と同様な満足感を感じているはずである。



<奇遇会の主要イベント>
◇伊東倉庫総合大学(1997/5)…三井倉庫の伊東「瓶山荘」に一泊しての総合イベント
◇道志川(1997/4)…マス釣しながらバーベキュー。夜は囲炉裏を囲んで翌潮は山中湖でワカサギと遊ぶ
◇箱根(1998/4)…東芝の保養所「喜東荘」に一泊しての明神岳ハイク・小田原城址の花見
◇尾瀬山行(1998/10)…紅葉と草紅葉を求めて尾瀬が原から尾瀬沼を周遊
◇栃木プロジェクト(1999/05/ )…陶芸、温泉、さつき、そば、・・・栃木の全てを満喫
◇いざ鎌倉・紅葉狩り(1999/11/20)…紅葉には時期尚早な古都の散策もまた楽し
おじさんたちの軽井沢(2000/05/13〜14)…白根まで足を伸ばし、帰途は小諸・佐久を楽しむ
尾瀬の山旅(2000/09/23〜24)…時あたかもシドニーオリンピック開催時。彼岸に悲願達成

◇日赤美術鑑賞会(2001/03/06)
◇紅葉の日光・写真集(2001/10/13〜14)
◇「勿来ようこそ」プロジェクト(2002/20/26〜27)


奇遇会メンバー(敬称略)

 <東芝グループ>
 
足立豊和、足立(旧姓・内田)美奈、大木英次、片岡雄一郎、義次、黒瀬勇、小林征司、佐々木洋、峠舘勝、土橋正人、土橋史、中山あすか、長谷川洋、船越元孝、藤井惣八
 <三井倉庫グループ>
 内田昭、竹原敬卓、長竹理昂、横川久美雄、若狭忠良

 各メンバーの活躍振りは上記のイベントをクリックして「横さんのホームページ」を開いて「奇遇会のページ」をお読みいただければお分りいただけると思います。なお、木版画制作とメンバーがクロスオーバーするようになってきましたので「版ぎ会」のページにも一部のメンバーの活躍振りが載っています。
 この他、奇遇会々員、大木英次さんの「Aチャンのホームページ」、片岡雄一郎さんの「雄さんのプライベート・ルーム」も開設されています。




☆☆☆ イベント・レポート ☆☆☆

心 に 錦 目 に 錦
奇遇会「勿来ようこそ」プロジェクト

「早計」を悔やむ
 忘れもしない昨年11/7早朝のドライブが今回の「プロジェクト」の発端でした。後続車に何度も何度も道を譲って、夏井川沿いの道をゆっくりとドライブしていますと、カーブの都度次々と趣の違った紅葉のシーンが展開し、僕達夫婦はWaa、Wooの歓声のあげ続けでした。そして、その「感激」を奇遇会の皆さんに共有して頂きたい一心で奇遇会幹事に立候補して奇遇会の“いわき誘致”を提案したのでした。それで、今年が猛暑だったことを計算に入れて昨年の「感激の日」より早い10/26-27にこの「プロジェクト」を開催する企画をして…。しかし、今日の集合場所に決めた「あぶくま洞」へ向う夏井川沿いの道は伝え聞いていた通り紅葉が時期尚早で精々“一分咲き”。たまに“三分咲き”のスポットもあることはあるのですが“紅葉満開”だった去年の面影はまるでありません(因みに、紅葉の場合は“紅葉度”をどのように表現したらいいのでしょうか?)。これでは、目の肥えた奇遇会の皆さんにご満足いただける訳がありません。こんなのも「早計」のうちに入るのでしょうか。早過ぎる日程を設定してしまったのを悔いながら、磐越東線と交差しあいながら山間を走るくねくね道でシビックのペダルを踏んでおりました。

「清貧」の境への誘い
 ここは箱根や日光のようなブランド性のある土地柄ではありません。だからこそ、ありきたりの標準パッケージ調の「旅行」ではなくて、みんなのアイデアを寄せ集めた「プロジェクト」を企画して、経済的にして精神的な満足度の高い奇遇会本来のイベントを展開することができるのではないか。じっくりと「日本の山里の秋」を堪能することができるだけではなくて、更に海辺に出れば、いわきのマリンブルーと新鮮な魚介類を楽しんで頂くこともできます。滅多に機会のない「勿来」関越えをして来て頂く奇遇会の皆さんを現地幹事として「ようこそ」とお迎えしたい…これがこの「プロジェクト」の名前の由来だったのです。この地に移り住んできてから1年半余り浸ってきた「清貧」の境を皆さんにも体験して「感激」して欲しいという願いをこめた「プロジェクト」でもありました。しかし、この時期尚早な紅葉では、いくら大声で「清貧」の唄“♪♪♪ぼろは着てても心は錦♪♪♪”を歌ったとしても目に紅葉の錦が見えないのですから淋しすぎます。そこで、今が見頃という裏磐梯方面に方向転換するという代替案も準備していたのですが、こちらの方もあいにく同地の天気予報が「濃霧注意」ですのでにっちもさっちもというところです。さて、現地幹事としてこの危機をどうやって乗り切るか。あれこれ考えながら進んでいるうちに滝根町に入り「あぶくま洞」に集合時刻1時間前の9時に到着しました。

ようやく「ようこそ」
 「あぶくま洞」受付周辺で可能な限りの情報収集を済ませてから、「あぶくま洞」大駐車場入口のところで一行3台を待ち受けて「ようこそ」をすることにしました。そこからは、目の下に曲がりくねった道を見下ろすことができますので、“鄙には稀な”長竹ベンツ車なら遠くから識別できると考えたからです。しかし、一行は予定の10時を過ぎてもなかなか視界に現れません。やむなく、10時15分になってからシビックに戻り、そこに残しておいたPHSで連絡をしようとしたところ「ここはPHSのサービスエリア外」で通信不能。昨年の日光イベントでも同じような経験をして懲りておりながらなおPHSを持ち続ける“物持ちの良さ”には我ながら呆れてしまいます。そうこうしているうちに「下り坂」という天気予報を裏付けるように雲量が増し風も強くなってきましたので、車内に留まって「ようこそ」の時を待つことしました。そして、ようやく、大駐車場入口ゲートを入ってくる3台が目に入ったのは時計の針が10時30分を回ろうかという頃でした。そこで、シビックを飛び出していって、ようやく「ようこそ」。これで、内田ドン、長竹幹事長以下、横川、竹原、船越、長谷川、大木、峠舘、藤井、黒瀬の諸氏それに僕の奇遇会イレブンの勢揃いです。

「福島県全域制覇」へ
 そこで、予め見定めていた一段高いところにある観光案内板の前に立って、現在地の位置関係の確認と旅程代替案の説明を始めました。すかさず大木さんから「旅行案内のおじさんみたい」の野次が飛びます。まあ、いいか“おじいさん”って言ってなかったから。僕の提案した代替案とは「あぶくま洞」観光以降を以下のように行動するというものでした。

・行動範囲を、浜通りから中通り、会津地区に広げて「福島県全域制覇」を目指す。
取り敢えず、ご夫人がご出身の中通り・郡山に向かい長谷川さんの顔を立てる。
磐梯熱海の老舗「いしむしろ」で昼食を摂りながら次のいずれかの行程を選択する。
 A.「濃霧注意」の天気予報が外れていそうなら見頃の紅葉狩りに裏磐梯へ
 B.濃霧がひどい場合には、猪苗代湖周辺及び会津若松市観光へ

 勿論、当初の目論見が「心に錦目に錦」ですから上記Aの実現は願ってやまないのですが、いかんせん天気予報の通りに雲行きが怪しくなる一方です。そこで、上記Bとなった場合にメンバー各位が落胆しないように、「猪苗代湖は日本で4番目に大きい湖なんだから」とか「白虎隊ゆかりの鶴ヶ城観光もいいんじゃないの」といった“予防注射”に余念もなく、先ずは「あぶくま洞」観光に一同を誘います。

大自然の造形美を堪能
 「あぶくま洞」があるのは、福島県は田村郡滝根町ですから、いわき市のOBラインからはちょい外ですが、「浜通り」の中とは言っても良さそうな位置にあります。僕自身ここを訪れるのは確か3回目に当たりますが、都度新鮮な印象を与えてくれます。やはり、天井から様々な形をして垂れ下がる氷柱のような鍾乳石や、床下からタケノコのように堆積して上に伸びる石筍などの織りなす神秘的な大自然の造形美を創りあげたといわれる、およそ8,000万年という歳月は伊達ではありません。全長600メートルの洞内には、数々の“彫像”や“ホール”があり、それぞれに「妖怪の塔」、「白磁の滝」、「白銀の滝」、「滝根御殿」、「竜宮殿」、「月の世界」といったように名付けられています。この大自然のアート・ギャラリーの中の入り組んだ道を、時に頭をかがめ、時にすり抜け、時に梯子を昇りして一同は進むわけですが、清澄にして静謐な一時を過ごすことによって、それぞれのもつ邪まな心(?)は清められたことでしょう。「これは大理石みたいですねえ」と感動している竹原さんを尻目に、峠舘さんが先頭を切って進みます。いつもなら歩くのが苦手でしんがりをついてくる峠舘さんなのに一体どうしたことでしょう。もしかして、暗所恐怖症で、暗いところを一刻も早く脱出したかったのかもしれません。

今回も「麺食い」でした
 「いしむしろ」は、僕が仙台在勤中に郡山出張となると決まって訪れ、昼食に野趣豊かな蕎麦を摂って何度も「感動」を覚えていた老舗です。時が移った今でもあの「感動」は味わうことができ、奇遇会の皆さんにも「感動」との奇遇を体験してもらえるはずです。ただ、店の所在地がその後どうなったのか定かではなく、先導する自信がありません。しかし、幸いなことに僕のシビック以外の長竹車、船越車、黒瀬車はいずれもカーナビを装備していますので、僕はお店の電話番号を告げるだけで充分でした。可哀想に長竹ベンツから3階級降下してシビックに移されてきた長谷川さんに旅の道連れをしていただいて、長竹車に次いで、「あぶくま洞」駐車場を出て、磐越自動車道を磐梯熱海ICへ向けて走ります。それにしても、「どうして、奇遇会となると蕎麦になっちゃうんだろう」などと竹原さんがこぼして(?)いましたが、本当にどうしてなんでしょうねえ。長竹幹事長以下、横川、竹原、峠舘さん等soberな(酒を飲まない)メンバーが多いことは確かですが、唯一メールを使っていない内田ドンは文字通り(?)ノーメール族ですし、他にも船越・長谷川のFFコンビをはじめ呑める族も大勢いますから、「蕎麦=sober」の法則は成り立つはずもありません。やはり、みんな面食いだから麺食いなんだろうか。

ノー・モア濃霧
 「いしむしろ」は、その磐梯熱海ICを降りてから直ぐの国道49号線沿いにありました。磐越西線「磐梯熱海」駅のすぐ近くですから、場所自体は30年前と変っていないようです。お店の造作は当時より随分大きくなっているような感じですが、丁度お昼時ということもあってようやく駐車できるほどの繁盛振りです。そんな訳で、僕達は7人と4人の席に分かれて座らされる羽目になったのですが、偶然にも4人席は「運転手席」ということになってしまいました。やおら、11名の「お客様席」には、誰が発注したものやら、ビール瓶が2本また3本と運び込まれてゆきます。長谷川さんがこれ見よがしに傾けているグラスの琥珀色が妬ましい。お店の方でも「運転手席」を差別待遇したかのように、蕎麦のサービスも「お客様席」が先でこちらが後回しです。横川さんがすすっておられる挙げたてテンプラの天ざるの美味しそうなこと。しかし、君子後楽で僕達君子四人が遅れ馳せに運ばれてきた舞茸蕎麦を賞味しているうちに、心が晴れるとともに空まで心持ち晴れてきました。どうやら「濃霧」もたいしたことがなさそうです。「ノー・モア濃霧」を唱えながら行けるところまで行ってみよう。そこで、同じ「運転手席」の長竹幹事長と相談の上、裏磐梯観光挙行が決定しました。

グリーンラインに赤と黄と
 長竹さんからは婉曲的に「佐々木さんは運転がおとなしいですね」と言われましたが、実際には運転がヘタクソでノロイだけの話だけなのです。しかし、自動車に対して「速く場所を移動するための機械」ではなくて「動きながら景色を楽しむための機械」というコンセプトをもっていることも確かです。そこで、ここは三人の高速ドライバーには我慢していただき、僕が先導して奇遇会メンバー一同に裏磐梯路の景色を動きながら楽しんで頂くことにしました。先ずは、かねて「いわきニュータウンテニス倶楽部」の薗部オーナーに薦められていた道順に従って母成グリーンラインに道をとります。「紅葉狩りなのにグリーンとはこはいかに」と世の不条理を憂いながら(?)車を進めて参りますと、昼のビールで顔を“紅葉”させた助手席の長谷川さんの発する歓声の頻度が次第に高まってきました。「Waa、左側の木立が!」「Woo、右側の山並みが!」と、紅葉の高揚ぶりを愛でる声です。しかしこれが都度都度「佐々木さんは見なくていいからね」という脇見運転禁止のメッセージ付きですから癪に障ること夥しい限りです。それでも「人に喜んでもらうことこそ清貧の境の極み」などとよく訳の分からないことを自分に言い聞かせながら、最大の安全脇見運転が可能で、かつ後続の高速ドライバーが許容できる限界にまでスピードに落として、段々と赤みや黄みが増してゆく窓外の景色を密かに楽しんでおりました。そして…、あろうことか、レークラインに入る頃には青空が大きく広がってきたのです。

心に錦目に錦
レークラインは秋元湖の北岸から小野川湖畔を通り、五色沼、松原湖につながる曲がりくねった山道で、ここに来ると更に紅葉度が高まり、カーブを曲がる度に助手席からWaa、Wooが聞こえてきます。さて、こうなると先導車の責任が重くなります。シャッター・チャンスと思われるところでは車を止めなくてはならない。しかし、駐車スペースがふさがっていたら停車することもできない。何回か駐車の機会を逸してしまったので、ここぞと意を決して車を止めたところ、すぐさま後続車からクラクションとともに「こんな曲がり道で止めちゃ駄目ですよ」のイェローカードです。一体どこで駐車したら褒められるのだろうか。紅葉のビューポイントとして有名な中津川渓谷も駐車スペースが満杯なので精一杯徐行して車窓の光景を楽しむしかありません。今度は止まるべきところで止まらなかったとして叱られるのではないだろうか。本当に先導車の運転にはおずおずとしてしまいます。しかし、中津川渓谷を過ぎた矢先に4台の駐車ができるところがありました。直ぐに一同、車を降りて道路端のビューポイントに急ぎます。眼下にエメラルド・グリーンの秋元湖が見下ろせ、そこへ落ちて行く山の斜面の赤と黄の装いが実に見事です。これに常緑樹の緑が加わるのですからまさに錦のもようです。とそこへ、折り良く陽光が照ってきました。秋の陽に照る山紅葉!清貧の心は錦で目に錦。ようやく「プロジェクト」の第一目標が達成されたのです。秋元湖湖畔や、桧原湖、秋元湖、小野川湖が見おろせる三湖パラダイスも絶景で僕たちの感動に花を添えてくれました

一転して海浜へ
 天気予報では明日(10/27)の天気は「大荒れ」と言っていましたので、スパ・リゾート・ハワイアンズに行くくらいしかないかなと諦めていたのですが、この分では明日も天気は良さそうです。しかし、秋の日はつるべ落としで、磐越自動車道に猪苗代ICで乗って、いわき中央ICに戻る途中であたりは真っ暗になってしまいました。後続車のヘッドライトを確認していたのですが、差塩PAにさしかかるあたりでフラッシュ・サインを送るなり後続の3台の姿が消えてしまいました。後で聞けば、互いにケータイで連絡を取り合って差塩PAに立ち寄りトイレ休憩を取ったのだそうです。またしてもPHS孤児になり長谷川・佐々木の洋洋コンビだけになってしまったわけですが、みんなカーナビ装置付きですからいっそ気が楽です。先導役御免とばかりに単騎いわき中央ICを過ぎて常盤自動車道を下り、四倉ICで降りて久之浜に道をとり「高木屋旅館」に先着しました。ここも僕が「いわきニュータウンテニス倶楽部」でご一緒させていただいている高木さんが経営する宿ですが、漁師宿として1894年に創業された老舗です。しかし、僕は族議員や高級官僚ではないので利権にとらわれずに「新鮮な魚介類をふんだんかつ安価に」を尺度として公正に宿選びをしていますから、奇遇会メンバーを失望することはないはずです。さて、間もなく後続車も到着したので、三々五々入浴していよいよ清貧プロジェクトの第二目標「海の幸堪能」アワーの開始です。

奇遇会のキコウシ達
 この久之浜の漁港が福島県で水揚げ量No.1の漁港なんだそうです。ですから、予め高木さんに次のようなお願いをしておきました。
・遠洋漁業物はNo thank you. 地魚のオン・パレードにしてほしい
・旬のアンコウ鍋とサンマの刺身は必須アイテムにしてほしい
・いわき特産のメヒカリの唐揚げもお忘れなく
 特にサンマの刺身は、当地では安価かつ手軽に調達できますので、奇遇会メンバーに清貧の食生活の感動を共有して頂くために欠かすことができません。メヒカリは昨年の「日光イベント」に次ぐ「目光イベント」とシャレてみたかったのですが、どうみても主役を張るには無理がありますので、食卓上のバイ・プレイヤーの位置づけにしました。さて、リクエスト通りに料理が運び込まれてくるのに連れて酒席が盛りあがってきました。そんな矢先に藤井惣八“暫定会員”がみんなの前に進み出て、何やら持参のテープをセットしました。聞こえてきたのは中国風のミュージックと中国語の号令調のセリフです。そこで、いつの間にか浴衣から黒のタイツに着替えていた藤井さんがやおら体を動かし始めました。紛れもない「気功」でした。藤井さんは“入会資格審査”もなしにいつの間にか奇遇会に参加してきていたのですが、思わぬところで「気功」との奇遇を体験させてくれた「気」配りの「功」績は大であり、“晴れて”正式入会が認められました。同時に奇遇会の「気功子」の称号を勝ち得たのですが、途中で藤井さんの動作のまねをした峠舘さんには「奇行子」、誰かさんには「貴公子」の称号を奉ることと致しましょう。

今は山中今は浜
 僕は「気功子」と「奇行子」と同室で、二人のいずれ劣らぬ“雷鳴”に完璧にしてやられ眠れぬ一夜を…と思ったのですが、朝が明けてぼやいてみせると、すぐさま「なになに佐々木さんの報復イビキも相当に威力がありましたよ」と逆襲されてしまいました。窓からは海がすぐそこに見え、静かな潮騒が快い朝の目覚めを誘ってくれています。やがて、水平線上に金色の太陽が現れ、空と海を茜色に染める日の出の一時。すぐさま宿のサンダルを履いて堤防の上に立ちました。ここから少し南の波立海岸までは「いわき七浜」の一つとされており、美しい砂浜が続いています。日本一面積が広いいわき市だけあって、ここはまだ市内ですが、もう少し北に行くと広野町になります。物知りの黒瀬さんが、童謡の「汽車」の「♪♪♪今は山中今は浜今は鉄橋渡るぞと♪♪♪」の歌詞はこのあたりを走る常磐線の車窓風景を歌ったものだと教えてくれました。そう言えば、「♪♪♪思う間もなくトンネルの闇を通って“広野”原♪♪♪」と、きちんと「広野」が歌いこまれているではありませんか。昔の人の律儀さはたいしたものです。僕達のプロジェクトも「昨日山中今日は浜」で、今日は「浜通り」ならではの浜シリーズです。「大荒れ」としていた天気予報は「大晴れ」の間違いだったのでしょうか。いや、これもきっと“晴れて”正式入会が認められた藤井「気功子」のご利益なんでしょう。天「気」に対する「功」もたいしたものです。

これぞマリーン・ブルーいわき
 波立海岸から四倉海岸、新舞子の浜と、「いわき七浜」の海浜の風景を楽しみながら小名浜へ向けて南下して薄磯にくると、もうそこが塩屋崎灯台のすぐ下になります。美空ひばりの歌碑と遺影碑があって、1.5メートル以内に近づくと「乱れ髪」の歌声が流れ出てきます。
 「やはり美空ひばりは上手だなあ。僕よりちょっとばかり」と長谷川さん。灯台への道は九十九折状の石段で、ここは高速ドライバー兼スウィマー兼ウォーカーの船越さんの出番です。年長組の内田ドンや横川さんは涼しい顔で悠々と石段を登られているのに、こちら相当に息を切らせてゼーゼーのハーハーです。この調子だと…と思ってみれば案の定、峠舘さんが美空ひばりの歌碑のあたりで手を振っているのが小さく見えるではありませんか。灯台を見上げただけで、登るのをギブアップしていたのでした。しかし努力するものは報われます。ゼーゼーハーハーの努力が実って、眼下右手に豊間の港から小名浜に続く海岸線、左手には薄磯から久之浜に続く砂浜に幾重にもなって押し寄せる白い波頭を望むことができます。そして、遠く広く広がる地平線。やはり地球は丸かった!秋の海は、遠景から近景に至るまで、幾層にも微妙に色調を変えて僕たちの眼に迫ります。これぞマリーン・ブルーいわきです。僕自身“添乗員”として来客を案内して歌碑のところまできたことは何回もあるのですが、灯台の真下まで登ってきたのは今回が初めてです。こんな素敵なビューポイントがあったとは。こういうのも「灯台下暗し」というのでしょうか。「奇遇関係を喜び合いながら、更に多くの人、もの、こと、ところとの奇遇を楽しんで行きたい」という奇遇会精神なしには体験することができなかったマリーン・ブルーとの奇遇でした。

何とかと煙は・・・
 昔から「何とかと煙はやたらと高いところに昇りたがる」と申しますが、僕たちも「ついでにその何とかになってしまえ」とばかり更に高所を目指します。それで、着いたのが三崎公園マリンタワー。海岸から近い標高80メートルの丘の上に建てられた60メートルのタワーですから勿論眺望絶佳。南西の方向にはみんなが越えてきてくれた勿来関のあたりから北茨城まで見渡され、眼下に見える小名浜港はその規模の大きさを実感させてくれます。北西に目を転ずると、このあたりでは高さがNo.1と2の水石山と湯の岳のなだらかな山容が遠望でき、すぐ近くには小名浜の市街が見えます。長竹さんから「佐々木さんのうちはどの辺なの?」とのご質問がありましたが、すいません、この添乗員不勉強なものですから「私が住んでいる自由ヶ丘は多分あの森の向こうあたりで多分…モゴモゴムニャムニャ」。無理やり、長竹さんの目を東方に転じさせ、話題を変えて「こっちが今通ってきた海岸線」、そして更に南に広がる太平洋の水平線の彼方を指差して「もっと晴れていればハワイまで見える」の眉唾ガイドぶり。しかしこれが「ところで、スパ・リゾート・ハワイアンズはどこ?」という質問のセカンド・サ−ビスを呼んでしまって、またしても添乗員立ち往生。「あれが湯の岳で、その麓が湯本だから…モゴモゴムニャムニャ」。

罪滅ぼしのお土産調達
 小名浜港に近接して「いわき・ら・ら・ミュウ」があります。この耳慣れない名前はカモメの鳴き声から由来したものだそうですが、大きな商業施設になっており、海産物土産目的の観光客の来訪が多く観光バスも繁く出入りしています。そこで、僕たちもお土産の調達に向います。数件の魚屋さんと十軒ほどのレストランから成り立っている、いわば「海産物モール」ですが、豊富な海産物が陳列されていて見て回るだけでも楽しく、ところどころに試食できるところもありますので飽きることがありません。長竹さんは、手では持って帰れそうもないほどの大きさの発泡スチロール箱に一杯の新鮮なアジを600円也で買われてゆきましたが、一体何尾入っていたことでしょうか。僕はもともと案内役で、自分は買うつもりがなかったのですが、清貧食卓用にマゴチとヒラメ2尾をそれぞれ500円也で仕入れる仕儀と相成りました。プロジェクト終了後真っ先に寄せられた船越さんからのメールには「お土産の海産物、好評でした」とありましたが、みなさん、それぞれどんな掘り出し物との奇遇があったでしょうか。それぞれのご家族に対する罪滅ぼしの(?)お土産として歓迎され、「マリンブルーいわき」のお土産話とともに奇遇会精神の家庭内浸透に役立ってくれたものと思います。さて、僕たちの「プロジェクト」も終了の時が近づいてきました。先ずは、魚市場で身についた生臭さを払い落とすために白水阿弥陀堂に向います。

清貧の極致
 白水阿弥陀堂は平安末期(1160年)に建立されたお堂で、これが建物としては福島県唯一の国宝です。国宝というブランドはなくても随所で心を錦にさせてくれるノーブラ福島はまさに清貧の卿と言っていいのではないかと思います。この阿弥陀堂にしても、いかにもブランドといった華美なところがなく静かな落ち着いた佇まいで清貧の卿にマッチした風情をしています。しかし、奇遇会の寺社奉行・内田ドンや稀少な文化派・横川さん以外のブランド嗜好の有象無象(?)の評価や如何に?多少気のもめる白水阿弥陀堂案内でしたが、みなさん思いの他気に入ってくれて、有志だけということにしていた堂内阿弥陀像参拝にまで全員いそいそと参加ということになりました。ことによると、今まで何回もここに足を運びながら一度もお堂に入ったことのなかった僕よりも有象無象のみなさんの方がずっと信心深いのかもしれません。それとも、それだけ仏の前で罪滅ぼししなければならないことが多いということなんだろうか。何はともあれ、みんなに釣られて初めて入ったお堂の仏像、天井、壁がことごとくハゲ上がっているのに驚きました。かつては極彩色であったであろうと思える痕跡はあるのですが塗料がすっかりとハゲて木の素肌を現しているのです。ケバケバしさがないだけ却って、優しさと清らかさが伝わってくるように感じられ、これぞ清貧の極致という思いがしました。ここでもまた、奇遇会精神のお陰でハゲの効能との奇遇に巡り合うことができました。

締め括りは温泉体験

 「プロジェクト」の仕上げは、平安の古き日本の世界から一転して、スパ・リゾート・ハワイアンズでの“国際”体験です。以前の「常磐ハワイアンセンター」から名前は変わったのですが、“ハワイ”は変らず、ハワイのフラダンスを中心としたポリネシアン・ダンスショーが今も呼び物になっています。そこで、僕たちも館内にあるバイキング・レストランでそそくさと昼食を済ませ、開演の1時半間際にようやく空席を見つけて思い思いに陣取りました。ステージ上に次々と登場してくる踊り子たちはみな純国産のようですが、それぞれに美形でスタイルが良く、清潔なお色気を漂わせています。ハワイはヒワイにあらず。よほど訓練が行き届いているのでしょうか、衣装から垣間見られるお臍や腰の周りの贅肉がすっきりとそぎ落とされていて肌に漲りがあります。ショーが終って大浴場でしげしげ眺めた我が腹部とのなんたる違いよう!贅沢にしろ贅肉にしろ清貧の敵に違いありません。我が清貧修行の至らなさを改めて思い知らされてしまいました。ところで、その大浴場での会話。藤井さんの「ここは温泉?」の質問に対して物知り黒瀬さん「勿論」。更なる藤井さんからの「どんな効能があるの?」に対して、あろうことか「ハゲ」のお託宣です。なんでも、黒瀬家の家訓の中に「質問者が喜びそうな回答をすべし」というのがあるんだとかないんだとか。しかし、直前に訪れた白水阿弥陀堂でハゲの効能を知ったばかりなのに…。いずれにしても、この温泉体験によってプロジェクトはすべて終了です。

真の「プロジェクト」へ
 内田ドンのご発案により、スパ・リゾート・ハワイアンズ駐車場にて「プロジェクト解散式」を行なった後、おもいおもい帰途に就きました。「参議院議員補選の投票時間内に帰らなければ」と、良き公民振りをアピールしていた船越さん、清き一票を投ずることができたでしょうか。黒瀬さんからも後日のメールで「 今回は、大木さんが風邪ひきで元気がなかったことと、峠館さんの食べ過ぎが心配であった」とありましたが、お二人の帰途は如何だったでしょうか。峠館さんからは、その後、「ただ運転する人はかわいそうな気がしましたね。一緒に楽しめたのか、大変お疲れになったのでは?こちらは好きな時に眠っちゃたりして申し訳ない気がしました。今度は車を使わない旅行(山登りはなし)をしませんか?」という同情と気遣いと反省(と自己防衛)の入り混じったメールを頂きましたが、大木さんにとって今回の「プロジェクト」は如何だったでしょうか。お答えが京都弁の「おおきに」でしたら現地幹事として救われます。それにしても、黒瀬さんメールの表題「旅行を無事に終えて」を初めとして、上記の峠館さんメールや長谷川さんメール中の「本当に楽しい旅行でした」にも、依然として“旅行”の文字が残っていることに対して拘り屋の僕としては少々残念な思いがしています。奇遇会イベントは、「奇遇関係を喜び合いながら、更に多くの人、もの、こと、ところとの奇遇を楽しんで行きたい」という奇遇会精神に則って全員が企画に参加する「イベント」でなければならないと思い続けているからです。その点で、現地幹事として力と努力が不足していたと反省しています。今後、奇遇会らしい真のプロジェクトでもっともっと楽しみあえるようになりますように、反省とともに念願しております。

後日談その1
 プロジェクトの翌日(10/28)の夕刻、僕の高校時代の友人が我が家にやってきました。裏磐梯で紅葉狩りをしてから来ることになっていましたから、本来は裏磐梯の紅葉を見ていない僕が友人を羨ましがるはずでした。ところが、前日に降って積もった初雪のためにレークライン等が交通止めになったため、友人は予定していた裏磐梯観光ができなかったのだそうです。一方、奇遇会の方は予め予定になかった裏磐梯観光を行程に取り込んだために、結果的には立場が逆転して、友人が私を羨ましがるということになりました。たった1日違っただけで天国と地獄だったわけです。本当に今回のプロジェクトはラッキーでした。

後日談その2
 紅葉狩りができなかった憐れな友人を慰めてやろうと、翌々日(10/29)奇遇会のみなさんが楽しまれたのと同じ「マリ−ンブルーいわき」探訪のドライブに連れ出しました。今回は久之浜から更に北上して広野を通り越して楢葉の天神岬まで足を伸ばしたのですが、ドライブしているうちに、以前来た時に「鮭が遡上する川」という表示を見たのをふと思い出しました。酒にも鮭にも目がない僕のことです、是非その川を見てみようと思い立ちました。少なくとも鮭の孵化場ぐらいあるだろうと思って。すぐに川の名前が「木戸川」だということが分かりました。早速、川沿いに下ってドライブしていますと、土手の上から何かを見守っている人の群が目に入りました。すぐに駐車して駆け寄ると、胸まであるウェーダーを着た漁師が川に立ちこんで生簀の中から大きな鮭を水揚げしているところでした。しかし、よく見るとこれは尋常の生簀ではありません。川幅一杯に遡上をせき止める柵が設えてあり、これをめがけて入れ替わり立ち代わりダッシュを繰り返している鮭の姿が見えました。生簀ではなくて簗だったのです。更に目を転ずると、簗の下流の浅瀬に鮭の背びれがところ狭しと並んでいるのが見えます。川べりに脚を運ぶと、すぐ目の前にダッシュの順番を待つかのように上流を向いて大きな鮭が群泳しているのが見えました。いわき市から少し離れただけで、こんなに大量の鮭を身近に見られるなんて夢かと思いました。まだまだ「知られざるいわき」は他にも色々ありそうです。またの勿来関越えを心よりお待ちしております。

以  上

(2001/3 Rev.1)
(2003/1 Rev.2)



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