経営環境の変化と情報システム化投資

 

「変化の時代」の語は余りに多用されてきたために、殆んど刺激を感じさせることのない常套語と化してしまった感がある。変化は常時起こり得るものであるから、表層的に現象を観察していただけでは、それが単なる量的な変化なのか、根源にある構造の変革から派生する質的な変化なのか、事態の把握を誤る惧れがある。現下の不況も、単なる景気循環に於ける変化事象として促えられ景気底打ち論が繰り返えされているが、果して日本経済は旧状に復することができるのであろうか。過去経験してきた不況局面と対比すれば、日本企業が未曾有の経営環境の中に置かれていることが理解できる。情報システム化投資のあり方に関する論議に際しても、現在の経営環境をどう理解するかによって異なった結論が導き出されることになり、誤った結論は致命的な結果を招来する惧れがある。

 

1.経済環境の変化

 

(1)米国産業の蘇生

 

冷戦構造の終結という政治面での構造変革は、世界経済の構造にも変革をもたらすものと見られる。日本企業が現在直面している不況は冷戦終結後初めてのものであり、在来の不況と本質的に異なっているのはこの点である。冷戦構造の終結は、当初、防衛産業の衰退をもたらし、その多大な波及効果も含めて、特に米国の経済活動にとってはマイナスに作用している。しかし、米国が“世界の警察官"としての高い防衛コストの負担から開放されることは、これまでその低い防衛費負担の中で成長を謳歌してきた日本産業と同様な環境を与えられることになり、これにより米国産業も蘇生の道を辿る契機を与えられている。また、この間、米国産業は日本企業に学んで製造技術水準を高めると共に、大規模なリストラクチャリングやリエンジニアリングといった企業の自助努力により競争力を高めている。ヒスパニック系移民を中心とする外国労働物の大量流入も労働コスト低下の大きな要因となり得る。国内空洞化現象に悩み、日本企業を初めとする外国資本の揉蹟するままとなっていたアメリカ国内市場の米国企業による自給率は今後大幅に向上する可能性を秘めている。世界経済の需要の中心であったアメリカが需要のみならず供給のセンターとなり、世界経済の盟主として復帰しようとしている。

 

(2)閉塞状態にある日本企業

 

一方、日本の産業は対米国市場への輸出拡大を軸として不況を脱出するというパターンを繰返してきた。輸出企業の生産拡大は日本国内の経済活動に波及効果をもたらし、非輸出企業にとっても業績回復、拡大の契機となってぃたのである。しかし、日本企業の製造面における生産性の優位が米国企業の追随により消滅しつつある現在、アメリカ市場は日本の産業に回生の機会をもたらす場ではなくなり、不況脱出のパターンを失った日本企業は閉塞状態に喘いでいる。自給経済ブロックであるECを形成しつつある欧州とともに世界経済の日米欧三極構造の一角を担っていた日本産業の地位が崩壊しつつあるのである。急激な円高の進行に対処するためもあって、日本企業は低労働カコストを求め、競って海外に製造拠点を設けている。この傾向が続いて、幸いにして輸出企業がコスト競争力を回復し生産を拡大し得たとしても日本国内の経済活動にもたらす波及効果は乏しいものとなる。かつてアメリカの問題であった国内産業の空洞化は今、日本の問題となりつつある。

 

(3)求められる能動的な企業行動

 

日本企業はまた、従来“聖域投資"とされていたR&D投資、省力化投資、情報システム化投資にまで削減の手を加え、経営コストを圧縮し収益不振の時代を乗り越えようと懸命な経営努力を行っている。日本が経済大国にのし上がる過程で企業の資源投資の規模が拡大したことから当座を凌ぐのには充分な削減の余地がある。しかし、現下の不況は世界経済の構造の変革に起因するものであるから、経費削減などによって身を屈め時を待ってもその時が来ない。現在の荒天は忍んでいれば通り過ぎる一過性の嵐ではないことを知る必要がある。経済環境の変化に対応して新たな発展の道を切り拓くべく、日本の企業に対しては自己変革のための能動的な企業行動が今求められている。

 

2.企業のサバイバル条件の変化

 

(1)自己変革に基づく経営革新

 

経済環境は変化しても変化しない市場原則がある。顧客満足度が企業収入を決定し、その実現コストが企業利益を決める。単なる経費圧縮経営では顧客満足度は向上しない。一方、研究開発、マーケティング活動等を強化して顧客満足度を高めようとしても、現状の方法では遂行する限り経営コストの増加は避けられない。今までの経済環境のもとでは、顧客満足度向上策か経営コスト削減策か、何れかを採れば企業は存続を許されてきた。しかし、経済環境が変化し存立基盤を喪失した現在、日本企業には顧客満足度向上と経営コスト削減という二律背反事項を同時に実現することがサバイバル条件になってきた。二律背反事項の同時実現は現状路線の延長線上には有り得ない。成功している企業ほど難しいことであるが、まず自己変革して新たな道を目指して経営改革を実践する必要がある。

 

(2)経営革新の武器・情報技術

 

経営環境は悪化したものの、一方では、変革を遂げた情報技術をいつでも利用できる経営環境でもある。大幅なコストダウンと大幅な性能向上の二律背反事項を同時に実現した情報技術を戦略的に活用すれば、企業は収益拡大と経営コスト削減を同時に実現し経営改革を実践することができる。企業の内外に分散しているデータをパソコンを主役とするコンピュータ・ネットワークにより収集し、分析・加工を加えれば、顧客満足度向上や経営コスト削減に役立つ情報をタイムリーに入手・活用することができる。つまり、低コスト化した情報技術の活用によって、企業としての情報リテラシーを質的に改善することによって経営改革への道は拓ける。

 

(3)情報リテラシーが鍵

 

かつて製造現場で新型生産設備が導入された時に、ブルーカラーが保有していたスキルが陳腐化し熟練の価値が消失したのと同様な現象が今オフィス環境に起ころうとしている。高度成長期を通じて蓄積してきた日本企業のホワイトカラーのスキル、熟練は、経営環境が変化した現在自己否定を迫られつつある。情報技術を駆使した企業としての情報リテラシーの向上は、経営管理者、従業員個々人の情報リテラシーなくしては実現できない。幸いなことに、遅ればせながら、かつてのパソコン少年が各企業の中堅社員となりつつあり、コンピュータ・リテラシー向上の先導役となることが期待される。熟練ホワイトカラーの持つビジネス・リテラシーをコンピュータ・リテラシーと結びつけることがホワイトカラーの生産性を向上させる道であり、これを促進するためには業務の運営のあり方、更には、組織のあり方にも抜本的な見直しが必要である。現実にシステム投資を巡って“新潮流"が姿を現し勢いを増そうとしている。新潮流"の本質は「情報技術の活用と情報リテラシーの改革による経営革新」を本流とする日本企業のサバイバルのための活路であるということを理解せねばならない。経営戦略の武器としての情報技術の導入は、もはや一部の情報先進企業"の優越化の為の手段ではなく、全ての日本企業に対応を迫る生残りの為の手段なのである。

 

“聖域投資"の一環として膨張を続けてきた情報化投資が経営圧迫要因とはなっているのは事実であり、これにメスを加えることは当然の行為である。しかし、重要なのはメスのいれ方である。第一に、「経営戦略の武器としてのIT (=情報技術)」である以上、情報システム化投資はトップマネジメントによる意思決定マターであり、情報システム化投資を事業投資の一環として位置づける必要がある。情報システム部門による意思決定に委ねてきたためにブラックボックスと化してしまった情報システム化投資を、トップが公正な意思決定を下せるように平明化したうえで経費節減のメスを入れる必要がある。第二には、意思決定を下すにあたっての評価尺度である。従来は「効率化」効果一辺倒でシステム化が評価されてきた弊がある。経営「革新」のための情報システム化投資が志向さるべき現在、既存のシステムを評価するに当っても、経営革新効果のあるシステムに関しては経費一律削減の対象とすべきではない。削減の対象とすれば、角を矯めて牛を殺す結果となりかねない。

 

最後に、しかし、最も重要なことは、システム点検を経費圧縮のみにとどめないことである。経営革新のための、つまり、“新潮流"に対応するための新規投資をむしろ積極的に実践することである。価格対性能比が飛躍的に改善した情報技術世界である。企業存続のための中長期視点をもたぬ経費削減一辺倒の近視眼的な意思決定は致命的な結果を招来する恐れがあることを銘記する必要がある。

 

                        (1995/3三井業際研究所発行の「情報関連投資検討委員会調査研究報告書」に寄稿)

 

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