旅行・ハイキング

 

大いなる箱根

 

西湘バイパスを小田原へ向けてドライブすると行く手に箱根連山の姿が見えてきます。左手に大観山、右手に明神ヶ岳でこれが外輪山。中央部に見えるのが神山、駒ケ岳、双子山でこれが内輪山に当たります。そして、なだらかな大観山と明神ヶ岳の稜線を左右から延長してみると、最高峰の神山の頂上より遥か上空のポイントで交わります。つまり、この複式火山は、その昔、富士山など問題のならないくらいとてつもなくでかい山だった、それが大噴火によって現存の内輪山の上空部が吹き飛んだのでしょう。左右に大きく広がる箱根連山を目の当たりにしながら、そのありし日の姿を思い浮かべると「大いなる箱根」の実感が湧いてきます。

 

放浪癖のルーツ

 

私は箱根の麓ともいうべき小田原で生まれ育ちました。それで「箱根は我が庭」みたいな意識がどこかにあったせいでしょうか、特に中学・高校時代は箱根を歩き回っていたような気がします。先に述べた山々の他に、十国峠、金時山、乙女峠、等々…。また、たまには箱根につながる真鶴半島まで脚を伸ばして先端の三つ石で遊んだこともありました。当時は、舗装道路も整っていなかった時代でしたから、埃まみれになって車道を歩いて登山口にたどり着くという有様でしたから、「ハイキング」の素敵な語感とは程遠いものですが、思えばこれが私の放浪癖のルーツだったのかもしれません。

 

乗物酔癖でした

 

しかし、大学に入るまで小田原の「井の中の蛙」で過ごした佐々木少年はひどい乗物酔癖の持ち主でもありました。箱根登山鉄道で小田原から強羅に行くだけでグロッキー状態です。横浜国大で行なわれた大学入試模擬試験の際にも東海道線の小田原・横浜間で酔ってしまい、最初の課目は答案を作って真っ先に提出してトイレに駆け込むという体たらくでした。従って大学受験当日は、前日に上京して酷い乗物酔を癒してから試験会場に臨んだものです。船釣りを楽しみ、海外旅行にも気軽に出かけられるようになった現在からみると信じられません。年を経て嵩じてきた酒酔の方で乗物酔の方まで吸収してしまったせいでしょうか。

 

自然志向の旅への目覚め

 

大学2年生の夏以降に私の放浪癖は一気に拡大してゆきました。弓術部で一緒だった古賀徹彦、窪川功両兄と北海道貧乏旅行に出かけたのがその直接のきっかけとなりました。当時学生運動のメッカであった駒場寮に起居していて安保闘争に熱心に参加した結果大きな挫折感を味わった私には乗物酔など気にしていられないほどの「現実から逃避したい」という強い思いがありました。しかし、カニ族のはしりとして北海道を歩き回るうちに私の“旅”に対する考え方は積極的な方向に変わってきました。特に、大雪山山系の景観の壮大さを目の当たりにした時には、「未知との遭遇」に涙の出そうな感動を覚えました。私の旅行先が文化志向ではなくて自然志向なのは大雪山登山体験に根があるようです。その後何回か海外旅行も経験しましたが、ヨーロッパの文化探訪よりオーストラリア、カナダ、アメリカでもグアム、ハワイ、ロッキーに関心が向いてしまいます。旅先で供される料理の類も、手の込んだ懐石料理よりむしろ獲れたての魚の刺身といった自然素材

 

ハイキングから渓流釣も

 

ハイキングの方も箱根を卒業して放浪先が関東一円に広がってゆきました。中でも、大学3年生の水芭蕉のシーズンに出かけた尾瀬は定番コースとなり、以来社会人になってからまで10年間も毎年尾瀬探訪を続けることになりました。季節によって装いを変える尾瀬には様々な魅力がありますが、当時はハイカー姿がほとんど見られなかった秋の尾瀬には特に強く心をひかれました。人影のない尾瀬ヶ原の木道地を一人辿りながら「人を恋せば山恋し山を恋せば人恋し」をしみじみと実感したものです。尾瀬はまたイワナの宝庫と言われ私の渓流釣の原点ともなりました(現在は自然環境保護の観点から全面禁漁となっていますが)。いつの間にかどこに行くにしてもリュックサックに釣竿をしのばせるようになりました。八方尾根に行った時もそうだったのですが、後で聞けば、あそこは水無沢で有名なところだそうです。恐らく八方尾根で釣り糸をたらしたのは人類で私一人しかいないのではないかと思います。

 

時間は借りられない

 

学生時代は家庭教師などのアルバイトをして学資を稼いでいたのですから生活は決して楽ではありませんでした。しかし、「金は借りられるが時間は借りることができない」という思い込みをもって、借金をしてでも旅にハイキングに出かけておりました。よく大学卒と高校卒の学歴格差問題が論議されますが、私は、このように自分で時間の使い方を自由に選ぶことのできる4年間をもてるかどうかが大きな違いなのではないかと思っています。大学時代は、受講課目の選択も含めて、自分で時間の使い方を考えなければなりません。このことが物の考え方、ひいては人生観を磨くための重要な訓練の機会になりえるものと思います。自分がそうだったからかもしれませんが、ハイキングや旅に限らず、自分で選んだ何かに打ち込む時間を持って大学生活を過ごしてきた若者には好もしさを感じます。

 

Enjoy Troubles!

 

これは、夫婦でカナダを旅行した時に、東芝同期の吉武紳吾兄(「道志倶楽部」「六馬鹿会」メンバー)の当時トロント宅に数日泊めて頂いた後バンフに向けて出立する際に吉武兄が贈ってくれた言葉です。考えみれば、旅行にしろハイキングにしろ「脱日常」の行為です。慣れ親しんだ日常生活をしていればトラブルは少ない。だから、旅先でトラブルに出会うのはごく当たり前のことなのだ。トラブルさえも「未知との遭遇」と捉えて楽しめないようでは本当の旅人とはいえないのじゃないか。吉武兄は、この言葉に託して旅人心得を私に伝えてくれたようです。「可愛い子には旅をさせよ」という言葉も、不慣れな環境でトラブルを克服することによって子供は育つということを教えているのじゃないでしょうか。いずれにしても旅やハイキングには、日常からの脱却という冒険の要素が含まれているようです。

 

(2001・9)

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