S H O C

 

大トドに中トド、小トド

  

SHOCの“SH”は、Sea Horse の略で、早い話が「トド」である。そして、大トドこと坂口寿一さんが組織した(Organized)したヘタッピ・テニス・クラブ(Club)だからSHOCなのだ。「トド」は紛れもなく坂口さんの体型を模した表現である。その坂口さんを囲む会なのだから、僕は単純に「トドの会」にすれば良かったんじゃないかと思って提案したのだがキャッカされてしまった。しかし、メンバーは「決して体型がトドではない」派が90%以上を占めているのだから、SHOCみたいな訳のわからない名前に決まって良かったとも思っている。体型的な「トドの会」メンバーを選定するとしたら、大トド坂口、小トド寺林さんと、もう一人中トドの僕との、三人に限定されてしまう。実際、非トド族の間にあって、この大中小トドの存在感は大きい。と言っても、これは合宿の時だけなのだが、SHOCでは「トド体型はイビキが凄い」という俗説がごく素直に信じられていて、自動的に大中小トリオは別室に“隔離”されてしまうのである。事実、トリオが夜間に放つ音量はすさまじいももでので、「早く寝た者勝ち」の世界となる。寺林さんなどは、このために耳栓を持参しているほどだ。しかし、この小トドさん自身のイビキ・ストロークは急激な“成長”ぶりで、僕は安眠とともに夜の「中」の地位が脅かされるほどになっている。

 

大トドvs中トド

 

大トドの坂口さんと中トドの僕が似ているのは体型だけではない。色々な点で似ていて、そしてそれぞれの点で、やはり「中」は「大」に対して引けを取ってしまう。先ず、坂口さんの出身高校は押しも押されもせぬ滋賀県の名門・膳所高校だが、僕の方は神奈川県の自称“名門”小田原高校出身である。お子さんもお嬢さん三人で娘二人の僕と似ているが数で負けている。しかも、坂口家では親思いのお嬢さんがSHOCイベントに参加してくれるのだが我が家では振り向いてもくれない。数だけではなくて親孝行の度合いという質の面でも敵わない。坂口さんは、東芝から嘉悦女子短大に転じており、僕に同校での情報通信関連講座担当の道を開いて下さったのだが、ここでも大学院を出ている坂口さんは教授になっているのに僕は非常勤講師にしかなれない。僕も交際範囲は広い方だと思っているが、坂口さんの年賀状出状枚数は僕の約500枚を上回っている。そんな訳で、坂口さんの幅広い人脈を通じてできあがってきたSHOCは社内外の老若男女が入り混じっていて和気藹々としたサークルになっている。僕は、東芝ビルの同階同ゾーン(34Aゾーン)で一緒になってから、親しくテニスに誘ったり誘われたりするうちに現在のSHOCメンバーになったのだが、唯一坂口さんに勝っている年齢を武器にして時折先輩風を吹かせながら、老若男女メンバーとの交流を楽しんでいる。

 

「老」vs「若」

 

老若男女の中でも特に「若」とのお付き合いが楽しい。一つのボールを打ち合い汗を流し合う間柄には、上司も部下も先輩も後輩もないからだ。そして、コート上での平等はアフターテニスの呑み会にも引き継がれる。僕や坂口さんが発するオヤジ・ギャグは若者たちからヒンシュクを買うが、この顰蹙が陰にこもらないところがいい。すかさずブーイングが起こる。会話にも老若の間の隔てがない。例えば、「大学教授はヒマなはずだ」と決めこんでいる前田さん(M)と、坂口さん(S)の会話はこんな風になる。

      M「坂口さん、毎日どうやって時間をつぶしてるんですか?」

      S[何言ってんだ。結構忙しいんだぞ。]

      M「ウッソー。だって毎日早く家に帰っているんでしょ。」

      S「そんなことはない。昨日だって夜10時まで学校にいたんだから。」

      M「昨日だけたまたま…だったんでしょ。」

汗っかきの坂口さん、コート上と同じく新鋭前田選手の鋭い突っ込みを受けて防戦一方、ハンカチを持つ手が休まるヒマがない。こんなやり取りや若者間での自由闊達な会話を聞いていると新しい気づきや同感を覚えることが多い。そして、決して若者達が、訳のわからない“新人類”では決してないことが分る。少なくとも僕の方からは、TheyではなくてWeの意識をもつことができる。

 

「男」&「女」

 

「坂口さんは女性が大好き」と決めこんでいる輩がいて(ちなみにこれは前田さんではない)、坂口さんの女子短大教授への転身を「鰹節の中に猫を放つようなものだ」と評していた。実は、坂口さんは「女性に“も”優しい」だけなのだが、女性ばかりの学びの園で暮らしているのだから、ヤッカミの目で見られても仕方がない。その上、「女性に“も”優しい」坂口さんは女性にもてるのだから、「ヤッカむな」と言う方が無理である。実際に坂口ファンの女性は多く、東芝で営業を担当していて接待の機会が多かったせいで、その筋にまで広がっている。銀座のパブ「蘭蘭」のママ孔佳佳さんや、元銀座のクラブのママ・久田必子さんがSHOCメンバーとともにコート上に現れるのも珍しいことではない。安荘理美子さんも、そうした「女性に“も”優しい」坂口さんに誘われて現在のSHOCの仲間入りした一人である。僕の安荘さんとの出会いはSHOC那須合宿の際に中山さんの車に乗せて頂いた時のことであった。「理美子」のお名前とともに「安荘」も珍しい姓だが、こちらには昔お目にかかった記憶があった。果たして、尋ねて見るとお父さんも東芝にお勤めだったとのことである。お名前の通り、理美を兼備されている上に挙措動作、心根が、今の世に得難い大和撫子そのものなので、僕は一遍で安荘さんのファンになってしまった。また、安荘さんが自製してSHOC忘年会に持参して下さったケーキは、終電を間違えて結局文無しのため桜木町駅界隈を徘徊して夜を過ごさざるを得なくなった僕を飢えから救ってくださったのだから、僕にとっては命の恩人でもあるのだ。なお、安荘さんの妹分の前野さんは名前を佳恵と言う。私の女房殿の佳恵子が珍しい名前だと思っていたのだが、SHOCのお陰で二人目の「カエちゃん」にめぐり合うことができた。但し、中山さんなどは「カエ」と呼び捨てにしているのだが、僕にはもう片方の手前もあって、恐ろしくて呼び捨てにはできない。

 

心こもった壮行会

 

「SHOC創始者の大トド・坂口さんと違って僕はただのメンバーなのだから」と固辞していたのだが、僕の定年退職当日に鶴見で壮行会を催してくださった。三重に転勤した瀬田さんの後を継いで幹事をしている谷口さんが声を掛けて下さり、雨の土曜日なのにもかかわらず、安荘さん、中山さん、寺林さんの他、青木さんまで遠くから参加して下さった。メンバー間に仕事上の関係の全くないSHOCのようなグループで開いてくださる壮行会は本当に心に響く。その上に素敵なテニスウェアまでプレゼントして頂いた。これを着て、「還暦後若返ったテニス」を皆の前で示さなくてはと思う。事前には固辞していながら、感謝感激の壮行会の一時であった。なお、青木さんは、僕と坂口さん、仙台にいる上林さんとともに、どちらかと言うと老若男女のうちの「若女」でない方の一員なのだが、きちんとしたレッスンを積み重ねて頓にテニスの腕前を挙げられてきている。4年制の嘉悦大学新設のため多忙でコートからも呑み会の席からも脚を遠ざけがちになっている大トド教授殿に代わってSHOCの影の仕掛人となることが期待される。SHOCにも定年がなさそうなので、今後参加して青木さんとともに「若男女」のお手本役を務めたいと願っている。

 

                                     (2001/3)

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