三井MIT会OB会

 

近藤さんを囲む会

 

MITと三井の間には、往年の三井グループひいては日本産業界のリーダーであった団琢磨男爵がMITを卒業して以来の古くて深いつながりがある。このため、三井業際研究所にはMIT会があり、三井グループ各社に対するMITの窓口となっている。私が三井業際研究所に出向してMIT会担当事務局を務めた時の主査が、当時日本製鋼所の常務をされていた近藤芳夫さんであった。MIT/三井関係の強化のために大変熱心に活動された上に、気さくなお人柄で各社からの委員の信望も厚かった。歴代の主査の中で最も長く務められた近藤さんが日本製鋼所専務の立場から勇退されるとともにMIT会主査の座を退かれた際に各社委員が集って開いた「近藤さんを囲む会」が三井MIT会OB会の実態である。

 

MITミッション

 

MIT会の活動には、MITの先生をお招きしての講演会の開催、MITの研究関連動向情報の紹介、MIT教授の三井グループ企業訪問斡旋など多岐にわたるが、三井グループ各社から希望者を募ってボストンに派遣するMITミッションに参加することによってMIT会メンバー間の絆が最も強くなる。私の事務局在任中は’94’96 MITミッションが実現したが、海外で起居をともにした経験は忘れがたいものになっている。私のMIT側のカウンターパートは、産学協同推進組織であるMIT-ILP(Industrial Liaison Program)のアカルドさんであるが、この人の現地での熱心で精力的なアレンジによってミッションの成果は高まり私たちの間の絆は一層強いものになる。

 

小沢征爾に師事?

 

しかし、’94 MITミッションの時は笑ってしまった。いつもはMIT教授陣の講義が終わると我々に対して「質問はないか」と問いかけて納得ゆくまで時間を掛けてくださるのに、その日ばかりはそわそわと講義の終わるのを待っている様子であった。それは、MITとボストン交響楽団を兼ねている弁護士のお世話でリハーサルの切符を入手しミッション・メンバーを連れて行く計画がある上に、アカルドさん自身が小沢征爾の大ファンであるからであることが分かった。お陰で、だぼだぼの服装で指揮する小沢征爾や、ジーパン・セーター姿で演奏するプレーヤーの珍しい姿を見、リハーサル終了後は小沢征爾の部屋に招かれて談笑の一時を持つことができた。但し、このことだけをもって「小沢征爾に師事したことがある」と口走る私の方言癖は我ながら頂けないと思っている。

 

 

MIT少し

 

’96 MITミッションは、我々の方も大仕掛けであったが、動員されたMIT教授陣の数は同校の民間企業対応史上最高のものであった。マリオット・ホテルで開いた懇親パーティーにも数多くの教授陣が参加され三井グループ各社からのミッション・メンバーとテーブルをともにして歓談・情報交換の一時を持った。お陰で、懇親パーティー会場のあちこちには、三井系デパート・三越で調達して持参したノベルティーの包装紙がゆきわたる結果となった。すると突然、「MIT少し」という素っ頓狂な声が聞こえた。どうやら、日本語が少しわかる先生がおられて、Mitsukoshi をMITとsukoshiに分かち読みされたらしい。なるほど、偶然ながら、Mitsukoshi は、”This is something little for MIT.” に相応していてMIT土産に最適かもしれない。なお、この手の’96 MITミッションこぼれ話集は「MIT/USA見て歩き」として、「三友新聞」に12回にわたって掲載された。

 

テニス分科会・バードウォッチング分科会健在

 

ところで「近藤さんを囲む会」は、魚釣分科会、テニス分科会、バードウォッチング分科会も交えて、1999/10/3旗揚げして多士済々が箱根に集まったが、その後は幹事である私の怠慢により再現していない。幸い、長い間MIT会主査付を担当された小崎彰さんの後任者である日本製鋼所の吉野勇一さんが「テニス奉行」として場作りして下さっているお陰でテニス分科会だけは何とか継続している。テニス分科会と合わせて、自らもMITご卒業でMIT会副主査を務められていた新堀聡さんの後任である釜澤克彦さんのご指導でバードウォッチングを楽しむ機会にも恵まれている。釜澤さんはまた、国際ビジネス経験豊富な上に趣味が広く、特にアフターテニスで披露される横文字ジョークはいつも大受けでメンバーのアルコール消費を加速する。両分科会長はじめメンバー各位のお人柄や活躍ぶりを逐次お伝えしてゆきたい。

 

(2001・9)

 

 

テニス分科会の記録

 

「上の空」日記その1

 

・朝8時、小田急・新百合が丘駅を降り立ちますと、バードウォッチングの師・三井物産貿易経済研の釜澤さんと、私と同じ門下生の東芝・原子力 事業部の佐藤さんが今や遅しと待ちかまえておりました。釜澤さんも佐藤さんも、三井業際研出向の際にそのMIT会でご一緒だった仲間です。

 

・早速、釜澤さんの車で寺家ふるさと村に向かいます。「冬鳥が帰ってしまった直後なので、今はあまり鳥が見られない」との説明で一瞬出鼻をくじかれかけましたが、折からの晴天、春爛漫ですから、かりに探鳥が駄目でも満開の桜で充分お釣りが来そうです。たちどころに気を取り直して。

 

・案の定、道中至る所に、花、花、花。寺家ふるさと村の桜も田園風景を彩り、春を演出しています。いざ、鳥を求めて小高い林の小道を歩けば、萌えいずる若芽に若葉。この淡い緑と点在する桜の色のハーモニーは何とも瑞々しく、とても写真では再現できません。「目と肌で触れて」みなくては。

 

・本物の探鳥の方でも望外の喜びがありました。アカガシラサギが居たのです。西日本ではたまに見掛けられる鳥だそうですが、神奈川県で見られたのは史上2度目だということです。発見後好事家達が田圃に餌となるドジョウを放ったりしたのが功を奏して未だ当地に止まっているのだそうな。

 

・実は釜澤さん自身がアカガシラサギの発見者だったのだそうです。探鳥仲間が「釜澤サギ」と名付けたらどうかと言ってくれたのですが、「サギ」 は如何にも人聞きが悪いので固辞したとのことです。しかし、名前とは裏腹の茶と白の斑模様の上羽根をした可愛らしい姿が見えたのは感激でした。

 

・確かに、鳥の数は減っていましたが、待っていると頭上にシジュウカラやコゲラの姿もぼちぼちと見えるようになりました。厳しい冬を越して一段と成長したのでしょうか、それぞれ昨年の11月に見たときより大分大きく見えました。しかし、私の贔屓のコゲラの愛らしい姿と仕草は変わっていません。

 

・シジュウカラの囀りの中に、「ヒョウ」といった甲高い鳴き声が間歇的に聞こえました。釜澤さんの目が光ります。アオゲラの声だそうです。声のする方に歩を進め、ついに釜澤さんが望遠鏡に捕らえました。小枝にとまったその姿は、えも言われぬ優雅さで、思わず息を飲み見入りました。

 

・頭部の薄紅と羽根の淡い黄緑が見事に調和しているのです。持参した鳥類図鑑と慌てて照合してみたのですが、写真が真を写していないのが明白でした。やはり、瑞々しい色合いと優雅な気配は、「目と肌で触れて」みなければ感得できないもののようです。探鳥家がカメラを多用しない筈です。

 

・コジュケイの大きな鳴き声を聞くことができました。これはブッシュの中からで、いつまでも経っても声はすれども姿が見えず。やむなく、花見客で混雑してくるのを避けて、寺家ふるさと村を発ち、府中テニスコートに向かうことにしました。その道中がまた、花、花、花。春爛漫。

 

・府中コートは開設して 40年と聞きましたので、コートサイドの桜の樹齢も 40年なんでしょう。女性も「37-8(サンジューシッパチ ) 40でこぼこ」 の熟女が最高と言われますが、桜もまさに「40でこぼこ」つまり樹齢 40年前後が最高なんだなと実感できます。

 

・コートの周囲をあでやかな熟女桜に取り巻かれてテニスをするのも乙なものです。散り初めの花びらの舞うのを見て、人生の無常を感じたりして、 コート上の西行法師を演ずることもできます。桜の花蜜を好むと言われるシジュウカラも来ていて、その囀り声で音響効果も満点です。

 

・隣のコートではY常務といわれる方がご令嬢とラリーを交わしておられました。このご令嬢というのが、「茹で卵の皮を剥いたような」の表現が ぴったりの色白美女なんです。さながらコート上の博多人形に隣りのコートのにわか西行法師は心乱してまたぞろサクラ錯乱状態です。

 

・文字通り「上の空の」美鳥ウォッチングに始まり、桜に美女ウォッチングで、テニスは「上の空」で終わってしまいました。修行の足りなかったところは、今週末蓼科山中に籠もり身も心も清めて精進して参ります。5/28道志倶楽部大会を開催しますので諸賢もお備えおき下さいますように。

 

草  々

 

(2000/4/9 六馬鹿チャット)    

 

「上の空」日記その2

 

 

・昨日は、文字通り、「上の空」の連続で楽しく時を過ごすことができました。これも偏に、タイミングの良いアレンジをして下さったテニス奉行殿と、色々お骨折り頂いた釜澤・山口”地主ペア”のお陰す。本当に有り難うございました。時ならぬ「滅私奉公」を強いられてしまった形のテニス奉行殿に、昨日のイベントをせめて「バーチャル体験」して頂けるよう以下に一部始終をご報告します。

 

・釜澤師のご指導のもと、佐藤兄弟弟子とともに、バードウォッチングで「上の空」を楽しんだ後、早めに府中に赴きますと、コートサイドで「上の空」に耽られている方がおられます。よもやと思ったのですが、それが近藤さんでした。春爛漫の好天に映える満開の桜を見上げ日本の春を満喫されていたに違いありません。府中コートは開設して 40年と伺いましたので、桜の樹齢も 40年なんでしょう。女性も「37-8(サンジューシッパチ ) 40でこぼこ」の熟女が最高と言われますが、桜もまさに「40でこぼこ」つまり樹齢 40年前後が最高なんだなと実感できます。これが樹齢 50年ともなると「うば桜」になってしまう?

 

・コートの周囲をあでやかな熟女桜に取り巻かれていれば、誰しも「上の空」になり、きちんとボールをヒットすることなどできなくなるものです。にもかかわらず、我が "School Boy"斎藤さんは、テニス・スクール通いを続けて一段と正確さを増したストロークとボレーで、見事コート上にサクラを咲かせておりました。私の探鳥兄弟弟子である佐藤さんも、きっとどこかで秘密練習を積まれていたに違いありません。別人かと思われるほどの ”改革度”です。お仕事(Management Innovation)をコート上に持ち込まれたのでしょう。いずれにしても、東芝勢、約1名を除いて、大変な上達ぶりです。「上の空」は結局その約1名だけの話でした。

 

・相変わらずステディなテニスを見せてくれたのが”地主”山口さんでした。また、テニス部長の立場から、色々悪知恵(?)を働かせて頂き、メンバーのため便宜をはかって下さいました。しかし、清く正しい民間企業ですから「花見でテニス」のテニス「部長」なんですが、これが高級官僚の世界でしたら「雪見にマージャン」のテニス「本部長」となってしまいますから恐ろしいことです。恐ろしいと言えば、釜澤さんのストレート攻撃。フォアハンドが何度も炸裂し、相手をサクラン状態に陥れておりました。負傷者ゼロで終わったのはなんとも幸運、次回からはフルフェースのヘルメット必携です。

 

・遠藤・近藤の”遠近コンビ”も健在です。”レフティ”遠藤さんの華麗なショットには、さすがに着々とポイント機会を「建設」される風情が感じられます。近藤さんは、ネットをまたぎ越さんばかりの前方猛ダッシュも迫力ものでしたが、圧巻は積極果敢な回転レシーブでした。ヘタッピなパートナー(不肖私です)の不始末により相手の強打の餌食となったボールを、隣のコート近くまで追われ転倒しながら地上落下直前で見事キャッチ。なんと、その返球が相手コートのネット際にポトリと落ちてノータッチ・エースとなりました。まさに神業。一瞬、コート上もコート・サイドも声を失っておりました。しかし、回転レシーブの際に脚を痛められて、以後リタイアされてしまったのが残念なことでした。悪いのはパートナーの私です。あの時だけは、決して「上の空」ではなかったのですが。

 

・しかしこれで、日鋼勢はお二人とも脚の負傷に免疫ができたはずですから、次回は、テニス奉行殿が「バーチャル体験」からリアリティの世界に躍り出られ、近藤さん、山口さんとのY2Kトリオの猛威が、コートを席巻されるものと、おののきながら期待しております。極端に「上の空」環境に弱い私めも、改心して臨みますので、今回に懲りられることなく機会をご設定下さるようお願い致します。

 

草  々

 

 

(2000/4/9 MIT会OB会テニス分科会メンバー宛)

 

 

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