IT革命に関する考察

 

「戦略」の大安売り

 

経営戦略、マーケティング戦略等といった形で使われている「戦略」は字面からも分かるように本来は戦争用語です。戦略は、全戦線を見渡して戦力配分のあり方を決定するものですから総合的で高次元な意思決定であり、その正否が各部隊ひいては全軍の“命運”を決するものとなります。しかし、「戦略」の言葉も時とともに本来の重さを失って使われているようです。個別戦線における作戦レベルの言葉である「戦術」はまだしも、ちょっとした「工夫」などと同じ意味で使われているケースも多いように思えます。「戦略」に当たる英語の”strategy”という言葉も”communication strategies”などといった用法で、会話をスムーズに進めるための「工夫」または「アイデア」といった意味の表現に使われているのですから、洋の東西を問わず戦争用語はその一種のカッコ良さが受けて広く用いられ、挙句の果てに大安売りされてゆく傾向があるように思われます。言葉は生き物ですから、時の流れとともに語義が変わってゆくこと自体はごく普通にあることです。ここで問題なのは言葉云々ではなくて、言葉が大安売りされてゆく裏で、「戦略」の本質が見失われ、本来必要な “命運”に関わるほどの重要性のある総合的で高次元な意思決定がなされていないのではないかということなのです。「キミのプレゼンテーションには戦略がないね」などと部下の若者に注釈している上司を見ていると、「おいおい戦略を立てなければならないのはキミの方じゃないのかね」と言いたくなります。そして「戦略」の言葉を多発する人に限って本来の戦略策定を怠っている人が多いように見えるといったら僻目になるのでしょうか。

 

「情報」ももとは戦争にあり

 

「情報」という言葉は「敵情報告」を中読みしたものだという説があります。この言葉が日本の文献に初めて登場したのが、坂井陸軍少佐、次いで森鴎外による文書の中であり、その文書の内容がいずれも戦争論であったという事実を考えあわせますとこの説は正鵠を得ているように思えます。いわば「情報」は、敵の実態を知りこれに対する有効な戦略ないし戦術を策定するための手段ですから、これまた軍の“命運”に関わるほどの重要性をもつ言葉だったのです。かくて、「敵の情勢を報告する」から発した「情報」が昭和1桁代後半に軍部でごく普通に使われ始め、時を経て「利用する人間にとって役に立つ知識」の意味を帯び、さらに「コンピュータ関連」というニュアンスを濃くして今日に至ったものと考えられます。更に最近の「IT(Information Technology)」のI(情報)にはコンピュータ以上に重要度を増しつつある「ネットワーク」や「通信」の概念まで含まれているようです。経営は言ってみれば競合企業の勝ち負けの世界ですので、もともと戦争用語が好んで取り入れられる余地が大きいのでしょう。しかし、「情報」の言葉もカッコ良さのあまり大安売りされてきていて、どう見てもそのままでは「利用する人間にとって役に立つ」ことのなさそうな「データ」や「知識」にまで「情報」の美名が用いられて“情報氾濫”と言われる事態に立ち至ってしまっているように思えます。本当に意思決定に役立つものが「情報」であるのなら“氾濫”など考えられないことですよね。むしろ、時には言葉のもとの意味にたち帰って「情報」の不足を心配し、その入手・活用の促進に意を用いる必要があるような気がします。

 

「革命」って何なのだ

 

「IT革命」は日本人による造語だそうですが、ここでの「革命」にも言葉の解釈に於ける大安売り現象がみられます。「無血革命」などと敢えて形容詞が冠されることがあることからも分かるように、本来は流血が伴う社会的歴史的な変革なのです。そこでは覇権をかけた角逐の結果、勝者と敗者の“命運”が決して敗者は致命的な痛手を被ります。そしてそのような本来の意味での「革命」がITをめぐって現実に起こったのだと私は捉えています。つまり、TQCを武器とした日本の世界経済に於ける覇権の“命運”は尽きて圧倒的なITレベルを誇る米国に覇権が移った。敗者となった日本は國際経済の舞台から大きく後退し慢性的な閉塞状態に陥っているという見方です。ですから、「革命」によって社会的歴史的に新しい段階に移行したにもかかわらず、「IT革命」の言葉が軽く使われているだけで旧態依然とした政策しかとられていないのが現状なのではないかと憂慮しているのです。「IT革命を利用して」などという表現が用いられることも珍しくありませんが、この場合は「革命」ではなくて「革新」の言葉を使うべきでしょう。勿論、技術「革新」も「革命」に欠かせぬ要因であり、「IT革命」においてもIT革新とこれによって可能になった経営技術革新が原動力となっています。しかし、あくまでも革新はあくまでも革新であり、必ずしも社会的歴史的な変革につながるものではありません。要は、折角「IT革命」という的確な造語を行った日本人が「革命」の本質を見失って適切な時代対応を怠っているのが問題なのです。別掲の「経営環境の変化と情報システム化投資」は1995/3三井業際研究所発行の「情報関連投資検討委員会調査研究報告書」に寄稿した小論ですが、「IT革命」の言葉がマスコミに登場した2000年より5年以上も前に「IT革命」の実態を正しく捉えていたと思います。バブル経済崩壊後遺症論が喧しかった当時に「バブル」の一語も用いていないのは、バブル経済崩壊を不況の原因ではなくて「IT革命」の結果であり、敗者である日本が被った痛手として見ていたからなのです。

 

明治に学ぶ

 

明治維新は、封建主義から資本主義への移行、つまり土地所有者から資本所有者への覇権の移行の転機ですから一種の革命であったと言っても良いと思います。当時の明治政府が宣言したご存知の「五箇条の御誓文」は、同じく革命期に当たる現在改めて読み返してみますと、なお新鮮さを保ち多くの示唆に富んでいるように思えます。

一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸を行ウヘシ

一、官武一途庶民ニ至ル迄各其ノ志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサシシメンコトヲ要ス

一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道に基クヘシ

一、知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇紀ヲ振起スヘシ

特に「知識ヲ世界ニ求メ」は、Japan as No.1 の優越感におぼれ「今や海外に学ぶものなし」とおごりたかぶってしまった現代の日本人に対する原点回帰の必要性を説いているように思えます。また、「旧来ノ陋習」は、我が愛読書「日本 その姿と心」による英訳”evil practices of the past”の方が理解しやすい方も多いと思いますが、IT技術活用により企業内のBPR(Business Process Reengineering)を大幅に敢行した米国企業に対して精々“リストラ”どまりの「旧来ノ陋習」にとどまっている日本企業には耳の痛いところでしょう。“リストラ”も本来の「事業構築」の意味から外れて実態は態の良い「人員削減」に堕しているのですから、収益拡大と経営コスト削減を同時に実現する経営技術革新のBPRと違って「革命」に対応できるものではありません。明治政府がもっていたように思える「革命」の意識を今こそもつべき時だと思います。

 

                                              (2001・6・17)

 

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