インターネット・ビジネス論

第13課 ケース・スタディー  Part3

3−A サントリー

1.インターネットのみで強力ブランド作り

インターネット「ワン・トゥ・ワン」の全面展開

インターネット・マーケティングにおいて、最も有効な手法が「ワン・トゥ・ワン」であることは、これまでにご紹介した事例でも明らかだと思います。インターネットの出現によってPersonal Computer からPersonal CommunicatorになったPC(パソコン)が最も威力を発揮する局面だからです。そして、パソコンによって形成されたインターネット「ワン・トゥ・ワン」の世界に携帯電話やPDA(個人情報端末)が入りこむのに伴って、「モーバイル・インターネット・ワン・トゥ・ワン」の世界が広がってきました。そんな中で、パーソナル・コミュニケーションによって可能になったインターネット上の「ワン・トゥ・ワン」は、もともと対面販売を行なっていた資生堂やカネボウなどの化粧品業界では採り入れられやすい素地があったのですが、今や、そういう素地のない業界までインターネット「ワン・トゥ・ワン」が採り入れられ、しかもその成功事例が、インターネット・ショッピングから、商品企画、販売促進、顧客関係維持・強化などマーケティング活動全般に及んできました。


インターネット・プロモーションの潜在能力

パーソナル・コミュニケーションは、テレビ・新聞・雑誌などによるマスコミュニケーションに対して「知らせるコミュニケーション」機能の面では歩を譲りますが、「納得してもらうコミュニケーション」の手段としてはマスコミが遠く及ばない潜在能力を秘めています。この点の認識をきちんとしておかないと販売促進(セールスプロモーション)のメディアを選択する際に間違ってしまうことになります。当初はインターネット・マーケティングを「リアルの世界をバーチャルの世界で補完するもの」としてとらえる見方が主流でした。そして、こうした考え方に基づいた数多くのインターネット広告が「雑誌広告型」の形で展開されたのですが、ことごとく失敗に終わっています。インターネットが販売促進にもつ潜在能力を見誤ったからです。今回ケース・スタディで取り上げるサントリーの「無頼派」は、「ワン・トゥ・ワン」の素地が乏しい酒類業界で、商品企画から販売促進、顧客関係維持・強化にいたる一連のマーケティング活動においてインターネット・プロモーションの潜在能力を顕在化した好例と言えるものです。


インターネットのみで強力ブランドづくり

サントリーは1998年10月に「無頼派」とネーミングしたウィスキーを発売しました。この新製品の売れ行きは順調で、発売後2週目以降は、コンビニエンスストアの週間販売ランキングでは常に10位以内にノミネートされるようになりました。時には、テレビや雑誌などで大々的に宣伝されている「オールド」や「角瓶」などの同社主力製品を上回るランクに位置することさえありましたので、酒類業界に大きな反響を呼びました。しかし、これだけのヒット銘柄になりながら、当時は「無頼派」の一般消費者間での知名度は低く、おそらく「知る人ぞ知る」状態であったものと考えられます。実は、この商品は、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞ではまったく宣伝を打たず、インターネットだけで告知・広告を行ったからです。成熟産業で、商品の差別化も難しくシェア争いが激しい中で、マス広告は一切使わずインターネットというメディアのみを徹底活用して、新しい人気ブランドを作り上げ、年間5万ケース販売の強力商品に押し上げてしまったのですから、「無頼派」でサントリーが実現したインターネット・マーケティングが注目の的となったのも当然の成り行きでした。

2.「無頼派」の立ち上げの原動力

「無頼派」の商品コンセプト

サントリー「無頼派」の商品コンセプトは、「若い世代をターゲットに“ちょっとおもしろみを出した”商品」でした。そこで、在来のウィスキーのものとは全く異なったマーケティング手法がとられ、告知・広告も在来の「正統派」とはまったく違うアプローチが行なわれたのです。バーボン系の味の商品特性で、価格も1,000円、パッケージもドラム缶をイメージした銀色をしていて、在来のウィスキーとはまったく違います。ですから、「正統派」に逆らうかのような「無頼派」のネーミングがうまくマッチした商品仕立てになっていたのです。そして更に、「無頼派」にマッチしたウェブ上でのストーリテラー張りの告知が奏効してヒット商品が生まれたと言えましょう。ちなみに、「無頼」とは、辞書に「定職がなく無法なことをすること・さま・者」とあります。ちょうど「粗野(無作法)な人間」という意味を持つ単語”Yahoo”をネーミングに充てたのと同じセンスのように思えます。


エンタテインメント性に富むサントリー・ホームページ

サントリーと言えば資生堂や松下電器と並んで宣伝が巧みな企業として知られています。そして、従来のマス広告展開の過程で蓄積したノウハウがホームページ作成にも活かされていて、「日経マーケット」による「企業ホームページ評価」では1位のソニーに次ぎ、2位にランクされています(因みにアサヒビールは3位)。もともと、このように「エンタテインメント性およびマーケティングへの活用、商品情報、デザインが素晴らしい」という高い評価を得ていたサントリーのホームページに、“エンタテインメント性”に富んだ「無頼派」のコンテンツはうってつけであるうえに、容易に“マーケティングへの活用”に結びついていったものと考えられます。


「無頼派」立ち上げの原動力

「無頼派」の発売を前に関係者が合意したことは、「通常の新製品のような金のかかるキャンペーンはできない」ということであり、ここからインターネット・プロモーション展開の企画がスタートしました。「無頼派」のような商品の場合は、インサイド・シェアー、つまり店頭に置かせてもらえるかどうか、それもどこにどの程度置かせてもらえるかによって売れ行きと商品寿命が決まってきます。ですから、マス・メディアを用いた一般消費者対象の巨額なプロモーションは「無頼派」には無用でもあったのです。事実、「無頼派」をインターネットで告知するということが決め手になり、セブン・イレブンが店頭に置くことになり、これが「無頼派」躍進の大きな原動力になりました。「銘柄決定権者が直接の顧客」の定義に従えば、セブン・イレブンなどのコンビニこそがまさに「無頼派」の直接顧客であり、直接顧客との折衝を重点的に推進する過程で、直接顧客の間接顧客(一般消費者)への販売を促進するウェブ・プロモーションをサントリーが準備していたことが「無頼派」の立ち上げをスムーズなものにしたと言えます。

3.バイラル・マーケティングを駆使

サントリーは、ウェブを使ったキャンペーンに「無頼日記」や「無頼派道場」など人気を集めるコンテンツを用いて、月間15万ページビューを達成しました。このプロセスでは、バイラル・マーケティング(バイラルViralはウイルスVirusの形容詞)が駆使されています。内容は、ファイルに気のきいたものや興味をそそられるものなどが用意されていて、それを転送先の友人などが開くと、サントリーの「無頼派」のページに飛ぶという仕組みになっているものです。ですから、「無頼派」のホームページから友人に懸賞付き絵葉書メールを送ると、受け手と送り手の双方にプレゼントがあたる仕掛けになっています。「B-Mail」と呼ばれる画像入りのメールは、「大変おもしろくてセンスが良いから送りたくなる」と評されていますから、「ワン・トゥ・ワン」の片一方のワン(「無頼派」ユーザー)の自主参加の形で輪が広がっていって、ワン(サントリー)との間のインターネット「ワン・トゥ・ワン」の関係が、それこそウイルスのように広がっていったわけです。

バイラル・マーケティングとは

インターネット・ビジネス市場でも、知名度を高めるためのブランディング活動が重要であり、一般的には巨額な広告宣伝費や販売促進費の投入が必要になります。しかし、資本力のないベンチャー企業などには、巨額なプロモーション投資をすることができません。そこで、多額の費用をかけなくても、アイディア次第で驚くほど多くの顧客を獲得する画期的な方法として注目を浴びているのが、「バイラル・マ―ケティング」(Viral Marketing;ウイルス的マーケティング)と呼ばれるマーケティング手法なのです。これはインターネットを媒介とした“口コミ”によって、あたかもウイルスが次々と感染するように利用者を爆発的に増やし、新しいサービスやソフトウェアの利用を一気に広めることからその名が付けられています。通常“口コミ”は自然発生的に生じてくるものですが、ここでは意図的に“口コミ”を起こさせる仕組みが施されているわけです。この手法で本格的な成功をおさめたのは日本では、巨額投資なしでブランディングに成功したサントリーの「無頼派」キャンペーンがはじめてだろうと言われています。

4.多くのファンを集めた会員ページ

さらに「無頼派」には会員用のホームページが設けられました。入会するのにはパスワードが必要で、これは商品を購入しないと入手できません。「無頼派」にはリーフレットが付いているのですが、このリーフレットにパスワードが入っているからです。購入者だけがインターネット上でパスワードを入力すると、クローズドなゲームに参加できるなどの特典があります。この「無頼派ホームページ」には10万人/月のアクセスがあると言われましたが、これは単品ブランドのホームページヘのアクセスとしては最高のアクセス件数だと考えられます。サントリーといえば、何といっても「角ビン」が定番で、これは年間300万ケースも販売するので量的な面では全く比較になりません。しかし「無頼派」のヒットは、「インターネット分野にも強いサントリー」という企業評価を与えることになり、サントリーに新境地を開かせる結果ともなりました。

「無頼派」ホームページの構成

インターネット・キャンペーンでブランディングに成功した「無頼派」のホームページは以下のようなページ構成になっていました。
<誰でもアクセスできるGUESTペ一ジ>
● 無頼派日記
● 一億総無頼派計画「B-MAlL大作戦」
● 無頼派のススメ
● 無頼度チェック
<パスワードを知っている人だけアクセスできるVIPページ>
● 無頼派共和国
● 全日本無頼杯大会
● GamB!STREET
● 無頼派居住地区
ホームページに対する利用者の感想

「無頼派」の購入者は20〜30代が6割ですが、「無頼派ホームページ」閲覧者は20〜30代が8割を占めています。こうしたホームページ利用者からは次のような感想が寄せられています。
● 「とてもおもしろい、新しい、広告方法だと思って感心しました」
● 「無頼派のホームページは遊び心がいっぱいで、すごく凝っている」
● 「無頼派は庶民のウィスキーだ。だからいい」
● 「消費者に媚びないつくりは逆に潔い」
ホームページに対する自己評価

一方、サントリーでは「無頼派ホームページ」について次のように自己評価しています。
「商品の宣伝」でなく無頼派の商品の世界観を表現するものとして、「遊び心」もりだくさんで制作したことが成功した要因
継続的にまめに更新をし続けている。継続は力なり!?
単なる情報発信でなく、消費者参加型のつくりが好評
ネットの世界では「おもしろい」ことが重要。とんがった方向性が大亊

5.「ハードボイルドの世界」の演出

サントリーの商品には億以上のキャンペーン費用をかける大型商品と、全然、宣伝しない業務用商品と、もうひとつ中間的な商品があります。中間的な商品というのは、サントリーのマーケッターが、「この商品はぜひ世に問いたい」という、こだわりを持つものであり、「無頼派」はこれにあたります。ホームページ上でも直接的な商品紹介はせず、すべてのページが「無頼派共和国」や「無頼派道場」など、「ハードボイルド」な人生などを語り合うというこだわりぬいた内容になっています。ハードボイルド・タッチな生き方をストーリーとしてコンテンツに取り入れることによって「ハードボイルドの世界」をウェブ上に現出させることによって、「無頼派」ホームページに自称「無頼派」のユーザーがたむろするように仕組み、ブランディングに成功したのです。マス広告を一切使わず、もっぱらインターネット・プロモーションに徹した手法は、いわば「広告会社の中抜き」とも言えるやり方ですが、これが実現できたのもマス広告を広告会社に任せきりにすることなく、自らの広告ノウハウを着実に蓄積してきたからこそでありましょう。

6.インターネット・マーケティングへの示唆

「心情的共感=パーミッション」による購入意欲昂揚

実際に「秘密のパスワード」を手に入れる場合にも、個人情報しか求めておらず、発行されるIDとパスワードにも、「暗号」といった表現が使われ、「秘密のアジト」のような雰囲気が醸し出されています。無頼派倶楽部の内部には、「居住地区」と「豪遊地区」に「開放地区」が設けられており、閉鎖性を着飾ったコミュニティサイトとなっています。そして、訪れたホームページで、興味に駆られて遊んでいるうちに、「ワン・トゥ・ワン」の世界に引きずり込まれていって、「潜在顧客」は「見込み顧客」に、「見込み顧客」は「新規顧客」に、そして「新規顧客」は「常連」へとなってゆく仕組みになっているのです。「心情的共感=パーミッション」を得て購入意欲を高めてゆく心憎いばかりの演出がなされています。仮に「無頼派」に通常のマス・プロモーションも展開していたとしたら、「無頼派」のイメージが台無しになり、「ワン・トゥ・ワン」の世界で「貴方だけに」と耳打ちされてきた熱情は冷え固まり、せっかく築いたパーミッションも水泡に帰したことでしょう。

インターネットならではのマーケティング

インターネットは顧客と直接リンクされるために販売促進に効果を発揮しています。インターネット・マーケティングだけで、一つのヒットブランドをつくり上げてしまったサントリーの「無頼派」はこの最たるものです。インターネットの販売促進メリットはマス広告ではまったくできない優良見込み客のみを囲い込んでのプロモーションができるところにあります。逆にいえば「無頼派」に見るように、そのためのブランドコンセプトづくりこそが企業にとって重要になります。「無頼派」は主に20代、30代の男女に愛飲されているのですが、まず「無頼派」を購入しないとホームページ上の「無頼派共和国」というサイトに入ってゆくことができません。インターネットで作られる商品コンセプトにマッチした独特な「世界」を、そのまま商品に付随した価値としてプロモーションに利用しているのですから、まさにインターネットならではのマーケティングということができます。

インターネット・マーケティングへの示唆

「無頼派」と同じ時期に発売されたウィスキーの「響」は大型商品として位置づけられ、有名タレントを起用したマス広告が展開されていた商品です。ところが、限られた広告費でインターネットのみで広告を行なった中間商品の「無頼派」のPOSデータ上の販売実績が「響」を上回ったというのです。インターネット・マーケティングによる「ワン・トゥ・ワン」の関係の構築と“口コミ”によるこの拡大が如何に有効かを知ることができます。商品コンセプトがユーザーに受け入れられ、商品力がありさえすれば、仕掛け次第で“口コミ”が発生してブランドが定着する可能性があるということを証明した例が「無頼派」なのです。CM制作やTV放映などのための巨額な予算がない企業や商品担当部門でも、インターネットと頭を使って仕掛けを作ればヒット商品を生むことができる時代になったのです。この「無頼派」の成功は、企業のマーケッターにインターネット・マーケティングとは何であるか多くのものを示唆しているようです。

7.サントリーのインターネット・ビジネス観

サントリーでは、インターネットは「メディアとチャネルのシームレスな連結が可能な新たなマーケティング」のツールと成り得るものであり、インターネット・ビジネスを下表のように三つのフェーズで捉えています。「無頼派」のプロモーションは、サントリーにとって初めてのフェイズ2の市場実験であったわけでもあり、「インタラクティブメディア」としての特性を活かすために、「コンテンツの充実」のもとに「コミュニケーション機能の拡充」を行い、「コミュニティ形成」と「顧客囲い込み(ワン・トゥ・ワン)」を目指し、これに成功したものと考えることができます。
フェイズ1
フェイズ2 フェイズ3
広報・広告メディア インタラクティブメディア eビジネス
情報発信 消費者調査/コミュニティ形成
顧客囲い込み(ワン・トゥ・ワン)
購入・販売・サービス供与
コンテンツの充実 コミュニケーション機能の拡充 ビジネスの展開
あらゆる分野でのIT化とネットワークの統合

他社に先駆けてインターネット利用環境の整備に取り組んできたサントリーでは、同時にWebインテグレーションを進め、マーケティングばかりでなく、研究開発、生産、物流から営業、スタッフ業務までのさまざまな企業活動をシームレスに統合するため、情報システムを核とした業務ネットワークを構築しています。更に、本格的なブロードバンド時代の到来に備えて、サントリーでは現在、複数の企業システムをシームレスに統合するEAI(Enterprise Application Integration)技術を用いて、B to C(企業/消費者間)をダイレクトにつなぐCRM(Customer Relationship Management)システムや、インターネットなどを通じて寄せられた年間約12万件(2000年)の消費者の声をデータベース化して商品開発や改善などに反映させるインターネット・マーケティング・システムも取り込んだ下図のような次世代情報ネットワークシステム(e-Suntory Group)の構築をめざして、社内標準の策定作業を急ピッチに進めています。

3−B アサヒビール

1.大逆転の切り札・辛口「スーパードライ」

アサヒビールといえば、何と言ってもまず思い浮かぶ商品は日本初の辛口・生ビール「スーパードライ」でしょう。「ビールと言えばキリン」で、流通ルートで圧倒的なシェアを占めていたため、客が銘柄を指定する前に自然にキリンが供される状態がずっと続いていました。ですから、テレビCMでも「いつの間にかキリンです」と豪語していたほどです。そんなキリンビールの独占寡占市場で、この辛口ビール「スーパードライ」の大ヒットにより、アサヒビールが国内ビールシェア1位に躍進したのですから、ビール市場の流れを大きく変えた「スーパードライ」がアサヒビールの代名詞のように思われても当然だと思います。

2.“鮮度”のアピール

「スーパードライ」は、業界でも先頭を切ってビールの“鮮度”をアピールした商品でもあります。アサヒビールでは、かつてビールの社内(工場内)在庫が約20日分だったのを、今では5日以内にまで短縮することに成功しています。これは「フレッシュマネジメント(FM)活動」と同社が名付けた取り組みの成果です。「最高の品質でお客様の心にお応えする」という経営理念に基づき、「おいしさ=鮮度」という原点に挑戦するため、平成4年から生産・物流・営業を中心に全部門にまたがる全社活動として展開した「フレッシュマネジメント活動」の成果のうえに、“辛口・生”という商品特性が加わって初めて「スーパードライ」の大ヒットが実現したと考える必要があります。

ビールはデリケートな商品

ビールの味が落ちる要素にはいくつかありますが、最大の要因は瓶や缶の内部に残留する酸素による酸化です。そのため、製造工程では極力酸素に触れないように工夫し、瓶や缶に詰める際にも極力酸素を除去するようにしてはいるのですが、酸素を完全に取り除くことはできません。そして、酸化は時間とともに進行していくので、古いビールは味が落ちることになるわけです。酸素のほかにも、瓶ビールを直射日光にさらせば10分程度で味が劣化しますし、振ったり揺すったりするのも良くありません。ビールは極めてデリケートな商品なのです。そこで、こうした劣化の影響を最小限にし、最終消費者の元に製造直後のおいしい状態に近いものを届けるには、とにかく製造後時間をおかずに販売するのが最良ということになります。


工場在庫日数が鮮度の函数

消費者が鮮度に敏感になってきている傾向を察知して、アサヒビール社内では市場に出回るビールの鮮度について調査を行ないました。スタッフが販売店などにある商品の製造日を確認し、全店頭在庫中、製造後20日以内の新しい商品が占める割合を計測したものです。調査の結果、「工場在庫日数が1日短縮されると、市場で2旬(20日)以内に消費される量が15%増加する」ということが分かりました。これによって、製造後2旬以内の商品の比率が60〜65%という現状から、工場在庫日数をさらに1日短縮できれば、この比率を75〜80%に向上できるという見通しを得ることができたのです。


大きい1日の差

ビールの販売ではメーカー直販は特殊な例で直販比率はほぼゼロに等しい状態です。アサヒビールの場合も、特約店と呼ばれる問屋に向けて出荷し、さらに特約店から小売店舗に配送されるという形態が中心です。このような流通経路での鮮度維持は、メーカー単独では思うようにいかない面がありますが、鮮度を“売り”にするアサヒビールにとって工場在庫日数1日の差は大きな差になるのです。


工場在庫圧縮への取り組みの歴史

工場在庫圧縮への取り組みは、スーパードライ発売以前の、アサヒビールが“売れないビール会社”だった頃に始まりました。「市場や店頭でのがあったのです。そこでよりおいしいビールをお届けする」という目標を明確に掲げ、1986年頃に、まずは“3カ月以上経過したビールは回収して処分する”という方針を立てて実施しました。これが発展したものが現在のFM(フレッシュマネジメント)システムなのです。


FM活動の全社運動としての展開

“市場のビールを新しくしよう”という試みとして、3カ月以上経過したビールの回収を開始した当時は、工場内(社内)在庫は約20日分ありました。しかし、スーパードライのヒットとともに増産体制に入り、順調に売れ行きが推移したこともあって社内在庫は10日分ほどに減少しました。このような、売れ行きが好調なために社内在庫が自動的に圧縮されるという良い循環状況は91年頃まで続きました。しかし、91〜93年頃に売れ行きが中だるみ的に落ちた時期があり、この時には多数の配送センターに在庫が滞留する状態になってしまいました。このとき、初めて“鮮度”という言葉が打ち出され、社内在庫を10日から5日に短縮しようという目標を明確に掲げてFM活動が全社運動として推進されることになったのです。


工場在庫日数5日の達成

当時の段階では、工場在庫日数10日を5日に短縮するのはほとんど不可能なことと思えましたが、以下のような具体的な方策を打って2000年には“5日”という目標をクリアし、さらに次のステップとして“4日以内”という目標に取り組むことになったのです。
・ 配送センターの統廃合
・ 工場直送比率の向上
・ 品質保証システムの導入による検品時間の短縮
・ 製造工程の見直し

3.物流体制の再編

“鮮度”を支えるためにまず行ったのが物流体制の再編でした。同社では配送センターの統廃合をいち早く進め、工場直送比率を大幅に引き上げています。かつては全国に40以上あった配送センターも現在は22カ所に半減させており、しかも、このすべてがビールを扱っているわけではなく、ビールを扱う配送センターとしては、都内、大阪をはじめとする数カ所に集約されています。

工場直送比率が大幅アップ

物流拠点を整理・縮小することによって、2001年にはビールの工場から特約店へ直送される比率が84%にまでアップし、これに伴って運搬費単価が大幅に削減されました。配送センターとしての機能も担うことになった工場は、北海道(札幌)、福島(郡山)、茨城(守谷)、神奈川(南足柄)、名古屋、吹田、西宮、四国(西条)、博多の9カ所ですが、基本的にはこの工場が地域の出荷拠点ともなっており、足りない分を配送センターで補うという体制を取ることで迅速な出荷体制を実現しています。


4.SCMシステム構築へ

生産部門では、需要予測精度の向上と、「在庫管理システム」の構築による適正在庫の実現と安定化を図り、さらに「自動ピッキングシステム」「自動ラックシステム」「工場内トータル物流システム」の導入により工場出荷能力を増強し、フレッシュマネジメントのさらなる推進を図っています。生産現場には「太鼓判システム」と呼ばれる品質保証システムがあり、生産過程の工程毎に品質保証を確実に行なっていく体制になっています。このシステムの導入によって、かつては完成後の品質チェックに3日かかっていたのが、翌日に出荷可能になりました。こうした動きが、本店における資材メーカーとの間の資材EDI、Web競争入札のインターネット調達システムや、受注部門におけるWeb受注、CRP(在庫自動補充システム)などと組み合わされたSCMシステム構築につながったのです。

余剰在庫を出さないための需給予測

アサヒビールの場合、CRP(連続自動補充プログラム)など、コンピュータによる需給状況の自動予測といったシステムはごく一部の運用にとどまっていて、むしろ伝統的な「営業マンが肌で感じた需要予測」が中心になっています。過去には自動予測システムの試験運用などを行なって検証したこともありましたが、ビールの消費を左右する天気予報と同じ程度の効果にしかならず、営業マンの予測の方が遙かに高精度だという結論に達したからです。人間の予測の方が優れているという理由はハッキリとは分っていませんが、「今日は一杯やろうか!?」と言うような気持ちは機械には“載せにくい”のではないかと当事者は見ています。


短時間での出荷日調整

ビールの生産には、おおよそ1カ月かかりますから、基本的には、ある日の出荷量は、おおよそ1カ月前に決まっていることになります。ただし、最終的に瓶や缶に詰める前の段階では多少の出荷日調整は可能なので、実際的には、営業マンの予測を受けて1週間前にほぼ出荷量が確定することになります。なお、最終的な微調整は直前まで可能なのですが、瓶や缶その他の部材の調達の都合がありますので、約3日前には出荷量が確定します。こうした短時間での調整を可能にしている背景には、全社員があらゆるデータを共有できる高度なITインフラがあるのです。


5.SCMの仕組みと導入効果

SCMの仕組み

アサヒビールが推進しているサプライチェーン・マネジメント(SCM)は、右図のような、資材の調達から生産、物流、販売まで含めた計画立案を支援する「一貫システム」に依存しています。このSCMの導人によって、従来は約10日かかった特約店(卸)への納人期間(受注から納品まで)を約3日にまで、約1週間も短縮するという実績をあげたのです。

システムで照会できる情報は、資材の発注状況や売り上げ、生産計画のほか、スーパーやコンビニなど数千件の店舗から集めたPOSデータ、卸の在庫、営業部員などが集めた小売店の鮮度情報などが主なものです。これらの情報を見ながら各部門が集まり、3ヵ月先の需要予測を立案しながら、各工場の生産計画を毎週、見直していくという流れで、情報の収集・管理・現場へのフィードバックが成り立っているのです。

具体的な活用メリット

このSCMシステムには以下のような具体的な活用メリットがあります。
物流部門では、需要予測と生産計画を見て、ある商品を別の工場に転送するといった物流計画に反映させることができる。
資材部門では、需要予測や生産計画に基づいて調達計画を立案し、エクストラネットで資材メーカーに伝える。資材メーカーからは毎月、エクストラネット経由で前月の資材の在庫状況を送信されるため、資材部門はその状況も考慮しながら調達計画に反映できる。
在庫自動補充システムを利用することによって、小売店から卸に送られる発注情報や特売情報を取得して需要予測の精度を向上させ、生産量や卸への物流計画に反映させることができる。

6.ナレッジマネジメントの展開

技術部門、営業部門それぞれに知識共有システム

アサヒビールには、メインフレームベースの受注システムや製販一貫システム、経理システムといった基幹系のほかに、1人1台のPCとモバイル/高速ネットワークを中心とした社内イントラネットが構築されています。ここには、営業部門には情報共有の仕組みとして「営業情報玉手箱」と呼ばれるナレッジマネジメント・システムが用意されています。技術部門にも「技術部門知恵袋」があり、業務改善事例、設備設計書、技術辞典やノウハウなどが共有されています。


「営業情報玉手箱」「技術部門知恵袋」

「営業情報玉手箱」と呼ばれるナレッジマネジメント・システムが用意され、顧客管理、営業活動履歴、提案書や各種のノウハウやデータなどが集積され、全社員がアクセスして情報を共有することができます。全営業担当者には携帯パソコンが配備され、営業活動の訪問先の飲食店などからでも市場の情報を「営業情報玉手箱」に向けて発信することができますし、「営業情報玉手箱」から情報を検索してお客様に対して迅速にサービスを提供することもできるわけです。
同様に、技術部門にも「技術部門知恵袋」があり、業務改善事例、設備設計書、技術辞典やノウハウなどが共有されています。この情報共有の仕組みによって、営業マンが販売の現場で得た活きた情報が全社で共有され、円滑なコミュニケーションを可能にすることで迅速な意思決定が可能になっているのです。


より高度な知恵(ナレッジ)への昇華

「営業情報玉手箱」は、営業部門のポータルサイトになっていて、営業活動に関連した情報・知識、業務システムなどをイントラネットのメニューとして一元化し営業部門全体で共有・共用していくものです。市場やお客様の動きに関する生の情報に加え、企画書や提案書、日々の活動での成功事例などまでもが刻々と蓄積されているので、営業担当者は、これらの情報を共有・共用しながら高感度で効率のよい営業活動を展開することができます。ですから、例えば、過去の成功事例・失敗事例をもとに作成・登録された提案企画書や活動計画書などの雛形を使って新たな提案や活動を行なった結果、そこで得られた新たな知恵や経験が付加価値となって更に高度な知恵(ナレッジ)へと昇華していくわけです。これを繰り返すことによって営業活動更には経営の質が螺旋状に高まっていって、顧客満足度の向上と経営コストの削減の同時実現が可能になるのです。

「現場の意見の尊重こそ重要だ」

アサヒビールは、日経BP社による「IT経営アワード」“BtoE ナレッジマネジメント編”の対象になっていますが、ここでは「いきなり全社一斉で欲張るのではなく、まずは即効性の高い営業部門で実施し、そこでの成功実績を足がかりに全社展開を図ったことを成功要因の大きなポイント」と評価されています。多くの人と話す機会がある営業担当者は、他の部署に較べて新しい情報に接する機会が多く、 社員が活発に情報交換をしやすい部署だからここに最初に導入されたのです。そして、例えばある部署からの「缶ビール6本ケースの取っ手部分を持つと痛い」という情報をもとにケースに改良を加えるなど、現場からの情報がデザイン・設計に反映するような全社的な展開の成功実績を作ることによって、社員がナレッジマネジメントによる自分達の業務改善への効果を理解しながら、自然に情報発信するような風土に導き、社内にナレッジマネジメントを受け入れさせる原動力にしたのです。

トップダウンで一方的に「情報を出せ」と言っても場は盛り上がるものではありません。「現場の意見の尊重こそ重要だ」とする姿勢があるからこそ、営業担当者が酒屋や飲料店などの現場で得た知識、あるいは様々な“気づき”情報を、ネットワーク上の「情報カード」に書き込んでイントラネットを通じて流し全員が活用できているのです。

7.アサヒビールの経営/情報技術(IT)

アサヒビールの情報システムの概要



「ホワイトカラーの生産性向上」を実現

こうしたITシステムによる支援があればこそ、営業マンが肌で感じた予測需要に基づいて、生産から配送までが足並みをそろえて短期間で対応できる体制ができているわけです。実際、社内では電子メールでのやり取りに加え、ちょっとした立ち話のような感じで部署間調整が行なわれる光景がごく普通に見られるそうです。必要なデータがきちんと共有されていることで、多くの企業で課題とされている「ホワイトカラーの生産性向上」が見事に実現されていると言えましょう。SCMというと、すべてをコンピュータに委ねた全自動システムが思い浮かぶが、アサヒビールの場合は高度な情報共有を実現することで、社員の意思決定プロセスを支援するという形で大きな効果を挙げています。道具としてITをとことん使いこなすことによって、結果として高い効果を上げているのです。正統的ではありますが、簡単には実現できない高いレベルのIT運用例と言えるでしょう。


経営トップが率先してITインフラを活用

電話や手紙、電子メールやWebフォームなどで寄せられる消費者の声を全社員が共有するための「Aネット」「Qネット」といったシステムもあります。こうした場で消費者から問題が指摘された場合は迅速な対応が取られます。うっかり見落としていたりすると、トップから「あの問題はどうなった」と訊ねられたりして困ることになるので、目を通さないわけにはいかないわけです。経営トップが率先してITインフラを活用することによって、全社的なITの利用が促進されているのです。

日本経営品質賞を受賞

アサヒビールが日本経営品質賞を受賞したのは、「消費者の嗜好の多様化や規制緩和に伴う流通構造の変化、輸入ビールや発泡酒の参入など競争が激化するビール業界のなかで、顧客ニーズを的確に把握し、それにいち早く応える経営の仕組み創りが歓迎され、顧客・市場からの強い支持を得て、飛躍的に業績を伸ばしていること」が表彰理由となっています。同賞は「顧客満足度」や、これを実現するための「プロセス・マネジメント」、「情報の共有化と活用」、およびその結果としての「事業活動の成果」など様々な観点から評価されます。

「顧客満足度」と「事業活動の成果」

アサヒビールが目標として掲げたよりおいしいビールをお届けする」ことは、とりもなおさず「顧客満足度」を向上させることであるとともに、経営的には回転率向上による経営コスト削減の結果として「事業活動の成果」を改善することだったのです。そして、その過程で業務プロセスは改革され、情報の共有化と活用により経営品質が向上したのですからBPR(リエンジニアリング)の一事例として捉えることもできます。

更なる挑戦

ビールの工場在庫日数を約5日(平均4.7日)にまで短縮したアサヒビールは、更に、工場在庫日数を4日以内、つまり3日台に短縮するという目標を掲げて挑戦しています。これは、需給調整を行なう余地がほとんどないという厳しい目標なのです。つまり、工場在庫は毎日の終わりにカウントするので、その日に製造した分が1日とカウントされます。そして配送に1日かかるので、実際の配送処理までに1日余分に工場に留め置かれただけでも、先ほどの工場在庫で3日台の実現はできなくなるのです。ですから、工場在庫で3日台を実現するためには、製造終了から配送までの全オペレーションを実質1日台で終了し、かつ製造した全量がきれいに出荷されていかないと実現できないという、ハイレベルな目標なのです。

更に高度なシステムの構築目指す

2006年をピークに就労人口が減少に転ずると予測されており、これに伴って飲酒人口が減少し販売競争が激化することが見通されています。流通形態も変化して、電子商取引の普及に伴うシステム接続の要請も増加するものと見られています。このような予測される変化に対して遅れずにシステムを対応させていく一方、さらに低コストで効率的なオペレーションを実現していく必要があるわけです。アサヒビールでは下図のような全体像の実現を目指して更なるシステムの高度化を推進しています。

<こぼれ話>

成功の陰にリーダーシップあり

ビールの味が落ちる最大の原因は、瓶や缶の内部に残留している酸素による酸化であって、酸化が時間とともに進行してゆくので古いビールは味が落ちるのだそうです。スーパードライのヒット以前の“売れないビール会社”だった頃のアサヒビールは、「売れないから店頭に古い商品が滞っていき、味が落ちてしまうからますます売れなくなる」という悪循環に陥っていました。また、悪いことに工場内在庫を約20日分持っていましたので、それだけ製造直後の“鮮度”の高いビールを市場に送り出し損ねていたのです。そこで、「配送センターの統廃合」「工場直送比率の向上」、「品質保証システムの導入による検品時間の短縮」、「製造工程の見直し」などのビジネスプロセス改善策を行うとともに、SCMシステムを導入して工場内在庫を5日以内にまで短縮するのに成功したのだそうです。この間に業界に先駆けて“辛口”を売り物にして発売したスーパードライがヒットして、アサヒビールは寡占状態にあったキリンを抜いて国内ビールシェア第1位に躍進したのですが、その陰にはこのような“鮮度”をも売り物をすることができるような経営努力があったわけです。何事も現状を変えようとすると抵抗があります。アサヒビールでも、工場内在庫を圧縮する過程では、社内でも「牛乳屋じゃないんだから」という反発の声があったそうです。しかし、“鮮度”向上による顧客満足度向上のために抵抗を押し切ってビジネスプロセスを改善し併せて経営コスト改善を果たしたところにアサヒビール経営陣のリーダーシップの強さをうかがい知ることができます。
アサヒスーパードライのような「辛口・生ビール」は、発売すれば、バラエティ商品ではなく主力商品として従来のラガービールと競合関係に立つことが十分予測されていました。従って、ラガービールで圧倒的なシェアを得ていたキリンには、例え技術的には開発が可能であっても辛口・生ビールを発売できないという事情がありました。自社製品のシェアを自社製品が食うという共食い現象が起こることが必至だったからです。まさに、「改革は先進者からは生まれない」であり、アサヒビールはこの逆を地で行った形ですが、これも言うべくして断行するのはきわめて難しかったことと思われます。シェア2位とは言え、現行商品によってそれなりの売上高を安定的に確保して築いてきた経営基盤を損ねる恐れがあるからです。この点は何も失うことがないセイコー・シチズンの寡占市場にデジタル時計で新規参入しマーケット構造の大変革に成功したカシオなどとは事情が違います。アサヒビールが敢えてリスクを冒して成功を収めた陰にも、1997年度に受賞した日本経営品質賞の表彰理由にある通り、「品質を最優先する」「お客様の心に応える」という基本理念と行動規範をかかげ、「変化の兆しは現場にあり」として現場志向の率先垂範に踏み切った経営幹部の英断と実行力があったものと考えられます。


(Ver.1 2003/ 3/28)
(Ver.2 2004/ 7/14)
(Ver.3 2006/ 7/16
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