道 志 倶 楽 部 の ペ ー ジ

2005年活動記録


A.ジンギスカン迎撃大会(2005/1/8)

元寇ラケット侍の来襲

“福”島県(「東北の湘南」いわき)と“神”奈川県(「本家・湘南」辻堂)の間を行き来する「福神漬けライフ」を始めてから4年が経とうとしております。福神漬けはあくまでも添え物であり、どこに行っても主役を張ることはできませんが、逆にそれだけどこでも気ままに振舞うことができますので結構満足しております。ところで、某平周五郎の迷著「馬鹿論再考」によりますと、IQ(知能指数)EQ(情緒指数)ともに低いのは「非常識」が罷り通る「バカ」の範疇であり、戦争の大義を“捏造”したブッシュ(Bush)、これに追随した小泉(Koizumi)、ブレヤー(Blair)、それに遺骨まで“捏造”した北朝鮮の金(Kim)を加えたBKカルテットを“バカの枢軸”と呼びます。総理大臣が「バカ」なら、1億2千万の日本国民も上にならえとばかりに総バカ化へ向けてまっしぐら。昨年のトラックやニワトリの品質問題、日本プロ野球やNHKのドタバタに端的に現れた「顧客無視」も、相次ぐ幼児虐待・殺害事件の発生も、大方の日本人が自分はIQ(知能指数)が高いと思い込んでいてEQが低い(他人を思いやる気持ちを持つことができない)のに気づいていないところに問題があるのではないでしょうか。将軍とサンバという恐ろしく低IQ低EQな取り合わせで“捏造”された「マツケンサンバ」に浮かれている日本国民も「バカ」そのものですが、侍とギターを取り合わせて“捏造”された貧相な「ギター侍」なるものもかなり見事な低IQ低EQぶりとお見受けしました。そんな、総バカ化の日本を“斬り”に、ジンギスカン・ショットを引っさげた「ラケット侍」がモンゴルから来襲するという。すわっ、平成の元寇の役!

「二宮在郷軍人会」見参

そんな似非モンゴリアン吉武シンゴ兄の日本世直しの動きに呼応したのが「二宮在郷軍人会」の河本さんと浅野さんでした。そして“福神漬けバカ”の某も、添え物としてこれに便乗することとして、1月8日早朝、JR東海道線・辻堂駅を発ちました。さて、二宮駅に着いてみると、待ち受けていたのはご本尊のシンゴ兄。黒の毛皮製のモンゴル帽をかぶって佇む姿は“似非”どころか、すっかりモンゴル人になりきっています。久方ぶりの再会を喜び合うのもそこそこに、かねてのシンゴ兄の手筈どおり、まずは河本邸に参上。そこで3人揃ったところで浅野邸へ逆討ち入りし、かくて添え物を加えた二宮在郷軍人会カルテットで吉良邸ならぬ道志倶楽部「シンゴ兄を囲むテニス大会」会場の横浜(東芝エレベーター研修所)に乗り込むことと相成りました。シンゴ兄の義弟でもある浅野さんの名「俊介」は体を表すで、大学時代は陸上短距離界で鳴らした俊足の持ち主です。そして、そのスピード感が買われて二宮在郷軍人会常任ドライバー役。ですから、別のSGテニスクラブで見せる名宴会部長ぶりは、残念ながら、道志倶楽部「反省会」ではいつでもご封印ということになってしまっています。一方の、河本さんは、知る人ぞ知る人間カーナビ。これが本当の“伝道者”というのでしょうか、河本さんの言う通りハンドルを切っていれば清く正しく、決して道を外すことがありません。それでもって、シンゴ兄と私は、車なのに、大船に乗ったような気持で、モンゴル談義ということに。

朝っぱらからウンチク論議

S(佐々木)「日本の大相撲界は外人力士に席捲されちゃっていて、日本力士の凋落ぶりに歯がゆい気持がしているよ。特にモンゴル勢がすごくて白鵬なんかが朝青龍に次ぐ横綱になっちゃうんじゃないかなあ。」 Y(吉武兄)「そうだね、私が面倒見ている光龍も後一歩で十両だしね。」S「ところで、モンゴルの民家のトイレはどうなってんの?」Y(吉武兄)「一般の民家はパオ(ゲル)っていって、中にはトイレなんかないよ。みんな外の草原で用を足しちゃうんだよ」S「座ってするの立ってするの?」Y「立ったり座ったり・・・」S「えっ、大きい方も?」Y「いや、もちろん“ビッグベン”は、昔の日本人と同じように座ってしてるさ。S「やっぱりねえ。昔の日本人は毎日ウンチする度に座ったり立ったりして自然に鍛えていたから足腰が強かったんだ。今は、もうすっかり楽な洋式トイレに慣れちゃってますもんねえ、河本さん?」K(河本さん)「そう、和式トイレしかないところでは一苦労しますよ、ほんとに。」S「でも、和式って言うけれど、もともとTurkish Styleというくらいだからトルコや東欧あたりでも同じようなウンチング・スタイルなんじゃないかなあ。だから、グルジアやブルガリヤ、ロシア出身の力士も強いんだよ、きっと。」Y「そう言えば、日本の相撲に似た競技があるのはモンゴル相撲だけだものね。“トイレ仮説”は当たっているかもしれないよ。」・・・いやはや、朝っぱらから、とんだウンチク論議でしたが、あながち「バカ」の世界の「非常識」とも言い切れない、でしょ?高IQ低EQの「利巧」の世界で幅を利かせる陳腐な「常識」とも違う、このような「不常識」は低IQ高EQの「馬鹿」でなければ馬鹿馬鹿しくて思い付かないものです。この度は、たまたま「不常識」が「ご不浄式」になってしまいましたが。

ヘンテコWKコンビ健闘

俊足ドライブと的確カーナビのお陰で、会場到着は定刻8時より大分早くて一番乗り。しかし、シンゴ兄の客寄せパンダ効果はすごいもので、いつもにない早い出足で瞬く間に2面のコートを溢れる盛況になりました。ゲーム開始の段になって、野中師範代の準備した箸クジを引くと私の番号はなんと9番。ダブルス2ゲーム計8名の枠内に入れず、やむなく第1ラウンドの出番はなくなってしまいましたが、以下のような対戦をじっくりと観戦させてもらいました。

         浅野・斉藤 6−3 牧野・吉武    川口・正木 6−4 上月・渡辺

客寄せパンダ殿の緒戦は、ジンギスカン・ショットが不発で、浅野・斉藤組の手厳しい一時帰国“歓迎”を受けてしまいましたが、斉藤兄が昨年の酷い腰痛からすっかり立ち直り、往年の華麗な動きが蘇ってきたのは嬉しい限りでした。しかし、何と言っても、脚光を浴びたのが、もう一面での上月・渡辺コンビでした。イニシャルがKなのにW大卒の上月兄とイニシャルがWなのにK大卒の渡辺ナベ彦兄とのヘンテコな早慶コンビですが、プレイぶりは far from Hentekoでシュアさを増したナベ彦兄とシャープさが加わった上月兄のプレイには、さすがの正木師範代もポイントを奪われて天を仰ぐこと数回。挙げ句の果てに、「パートナーのお陰で」と、お互いを称え合うという“気持の悪いほど”の変りようです。さすがに、EQ(情緒指数)を高め、他人を思いやる気持ちが持てる「高貴な馬鹿」を目指そうと、昨年末の「楡の会」で誓い合っただけのことがあります。

名門と“迷門”と

さて、遅参の秋丸・勝両兄を加えての第2ラウンドの成績は以下の通りとなりました。

       佐々木・野中 6−4 秋丸・河本   牧野・正木 6−4 勝・舟橋 

対戦中「いいぞ、カラス天狗ペア」の掛け声が聞こえましたので、改めて気を付けてみると、野中師範代も小生も、上下とも真っ黒なテニスウェアを着ていました。実は小生の方は、前日、勝兄から所属している神宮外苑テニスクラブに招待されたのですが、名門クラブゆえの服装規定の厳しさで白装束を上下ともに纏っていましたので、本日はその反動で黒尽くめになっていたのです。手入れが行き届いているクレイのコートも素晴らしく快適な一時を過ごすことができたのですが、慣れない名門クラブでは、どうしてもプレイがテニスウェアと同様に“よそ行き”になってしまいます。そこで、勝兄と組んで、いずれもミックス・ペアを相手に3連敗という仕儀になってしまいました。そこへいくと、ここ“迷門”横浜コートでは服装もプレイも自由自在。野中師範代の活躍のお陰で、白装束で喫した黒星を早々に黒装束での白星に換えることができました。しかし、一方の勝兄は、別コートで舟橋兄と組んで、正木師範代・牧野ブキラ常任幹事ペアに敗退。やはり、名門クラブのクレイ育ちは、“迷門”のハードコート似合わないのか、それとも昨日の小生による“足引き”の後遺症が“長々しく”残っているのでしょうか。(いつもは)負けるが勝ちと(名前は)勝が負けという、小生と勝兄とが白と黒を分けたそれぞれの緒戦でした。

ジンギスカン・ショット炸裂

さて、モンゴル渡来のシンゴ兄に初白星を献じたのは上月・佐々木ペアでした。さすがは“シンゴ兄を囲むテニス大会”の趣旨を弁えたEQ(情緒指数)の高さ…じゃ、なくて、本当は神風が吹かず“元寇”にしてやられてしまったのです。「これぞ、ジンギスカン・ショットだ、ヒャッヒャッヒャ」とモンゴルの草原で鳴らした大声がコート上に轟きます。しかし、“地主”の立場を十分意識してシンゴ兄の初白星獲得を、身を投じてアシストした秋丸兄のEQの高さこそ称えられるべきなのかもしれません。

        秋丸・吉武  6−4 上月・佐々木  斉藤・渡辺  6−5 浅野・川口

もう一方のコートでは、S大(早大)卒でイニシャルもSで筋の通った(?)斉藤兄にパートナーを替えたナベ彦兄が、新早慶コンビで、激戦の末、浅野・川口組を撃破しました。俊足・浅野タクミの守のアシストを受けながら川口兄は連勝ならず。勤務先の翻訳会社の社長で、近くにお住まいの田中さん(東芝OB)が現地“参観”に来られていたので、柄にもなくプレイが“よそ行き”になっていたためかも。それにしても、田中さんの差し入れの有り難かったこと。ちゃっかりと「燗ばん娘」を1本確保して、寒中の燗つき缶入りの“三カン”日本酒を堪能させて頂きました。

道志倶楽部のカーン達

コートサイドでは、シンゴ兄が被ってきたモンゴル帽を、みんなでとっかえひっかえしながら被って似非モンゴリアンぶりを競っています。「これを被れるのは“カーン”という位の人だけ。“カーン”というのは“王”という意味で漢字では“汗”と書くんだよ」という、真正モンゴリアンに限りなく近くなっているシンゴ兄の説明にチンプン“カーン”となっている道志倶楽部“王”侯諸兄。しかし、こんなに詳らかにコートサイドの状況が分かっているということは、それだけゲームに集中できていない証拠です。案の定、ブキラ・周五郎の新旧幹事コンビ、それなりに汗を流して“汗”漢字コンビになろうという野望が、河本・野中“カーン”コンビによって絶たれてしまいました。平周五郎迷著「馬鹿論再考」では、低EQのカタカナ「バカ」より漢字「馬鹿」が勝つごとになっているのですが。「ジンギスカン」は「仁義好かん」?

       河本・野中 6−5 佐々木・牧野   勝・正木  6−2 舟橋・渡辺

ナベ彦兄は、性懲りもなく(?)、またしても早大卒の舟橋兄と別の早慶コンビを組んで臨みましたが、相手が「勝」と正木師範代ではどうしようもありません。今回は、上月、斉藤、舟橋、ナベ彦の早慶諸兄が揃いも揃って、EQ面も含めて進境の著しいところを見せてくれましたが、道志倶楽部の早慶制覇はなお早計のようです。

自信の生む津波

自信を得て「勝」組に転じたシンゴ兄の勢いは、とどまるところを知らず、遂には津波となって川口・舟橋ペアに襲いかかります。「川」と「舟」では、津波の前に一溜まりもある訳がありません。勝・シンゴ兄組のダンゴ勝ちとなりました。自信も地震も津浪のもと。自信過剰も地震過剰も恐ろしいものです。もう一つのコートでは、八王子市在の秋丸兄と日野市在の斉藤兄との「都の西北」コンビが、これまた早慶コンビの浅野・上月に圧勝。そして、次いでの最終ラウンドでは、勝・渡辺の東慶コンビが佐々木・舟橋組を一蹴しているのですから、総計(早慶)的にも統計(東慶)的にも、果たしてどの組合せが「汗」の地位を得られるのか、さっぱり訳の分からないヘンテコな結果となりました。

      勝・吉武 6−0 川口・舟橋     秋丸・斉藤 6−3 浅野・上月

      勝・渡辺 6−3 佐々木・舟橋   牧野・河本 6−5 野中・吉武

厳寒のモンゴルの地から飛来して、連日2―3℃の日本が「暑い暑い」とこぼしていた似非ジンギスカン殿は、最後はお疲れで力尽きて、野中師範代と組んで牧野・河本「仁義好かん」コンビに惜敗してしまいました。しかし、この手に「汗」握る最終戦は掉尾を飾るに相応しい熱戦でした。

「馬鹿」の鏡

戦い終り「汗」拭い、一同は恒例の反省会、本日の会場「龍鵬」に場を移します。と、そこにお座しましたるのは小林コーチョク兄その人でありました。体調不良につきテニス参加は回避しましたが、「友あり遠方より来る」の報に矢も楯もたまらず反省会場に先着していたのです。素晴らしいですねえ、この馬鹿馬鹿しいまでのひたむきさ。これぞ、道志倶楽部魂。ただ、集まってテニスをするだけするのではなく、テニスは手段であって、テニスを通じてお互いの「友好を深める」ところに道志倶楽部の真骨頂はあったはずです。 ある時は「小林(Kobayashi)の名はBもKも含んでいる。“バカの枢軸・BKカルテット”に限りなく近い」と悪し様にほざき、かの時は「奈良の幼女連れ去り・殺害を働いた“他人を思いやる気持ち”のかけらも持ち合わせていない超低EQバカも同姓の小林。小林薫容疑者と同じイニシャルKKを持つコーチョク兄もバカの世界の住人なのか」と仮初めにも思ってしまった自分が恥ずかしい限り。専ら効率を志向する高IQ低EQの「利巧」には考えられない“テニス抜きのテニス大会”への参加を実行してみせるなんていうのは何よりの高EQの証で、“高貴な馬鹿”めざす道志倶楽部の鏡です。馬鹿の鏡殿の飛び入り参加のお陰で反省会はいつにもまして盛り上がりました。シンゴ兄も、「囲む会」にしては気の毒な末席を与えられたにもかかわらず、モンゴル大草原仕込みの大音声で最新のモンゴル事情を語りつつ道志倶楽部のモンゴル誘致を呼びかけていました。話によると、モンゴルのベスト・シーズンは8月だそうです。日本の暑い夏で汗をかいてばかりいないで、今度は「友あり遠方に行かん」で、大草原TGF(Tennis/Golf/Fishing)の「汗」を競い合うことにしませんか。「この指たかれ」方式で、より馬鹿馬鹿しく、よりひたむきな道志倶楽部モンゴル分科会を開いて、更に一層EQ(情緒指数)を高め合うことにしましょうよ。

以  上


B.新ティアナ大会参戦記(2005/1/30)


言語道断道路公団

JR二宮駅着7:00で河本さんの真新しい愛車ティアナTeanaにピックアップして頂き横浜市都筑区の会場に向かいます。「ティアナ」とはネイティブアメリカンの言葉で「夜明け」を意味するのだそうです。カルロス・ゴーンによる“改革”で新しい「夜明け」を迎えた日産に相応しい命名ではありませんか。乗り心地も快適そのもので、豊かな“顧客満足度”を感じながら東名自動車道に入ります。「夜明け」の東名の道路走行も快適そのもので、 束の間ながら“顧客満足”・・・いよいよ小泉さんによる“カイカク”も実を結んで日本にも「夜明け」が訪れたのか。しかし、青葉ICの料金ゲートに示された「1,200円也」の表示を見て、この“顧客満足度”は一気に吹き飛んでしまいました。しかも、この僅かな走行距離にもかかわらず法外な高料金を取り立てる道路公団職員の態度には“接客”の姿勢のかけらもありません。思えば、国鉄がJRに変わったからと言って、運賃が安くなったわけでもなく“接客”態度が改善されたわけでもありません。これと全く同じように、道路公団が民営化されたって“顧客満足度”が高まるはずもありません。自動車にティアナあり、道路行政にティアナなし。言語道断な道路公団のお陰で1月末(1/30)「夜明け」はすっかりTearful Teanaの気分になってしまいました

逆光仮面現る

しかし、高額高速料金を支払っただけのことがあって、河本ティアナが会場一番乗り。次いで、いつものように、トヨタ車でもないのにトヨタ流のJIT(Just In Time)で野中師範代も到着。いつの間にか、牧野ブキラ常任幹事を乗せた川口車も来ていてヤアヤアの挨拶アワーを過ごしている矢先に、研修センターの正門を入って颯爽と歩いてくる人影が見えました。ラケットを担いで歩く見慣れぬ人物の姿は、逆光を背にしているため顔が分からず、一同は一体誰ならんと訝っておりました。しかし、近づいてくると、その“逆光仮面”は真っ赤なジャンパーに身を包んだ正木師範代その人であることが分かりました。見慣れないのもそのはずで、いつもは真っ赤なベンツで来場するからで、かすかなアイデンティティとして身にまとってきたジャンパーの真っ赤な色も逆光のために見分けられなかったのでした。 “逆光仮面”正木師範代、乗るなら飲むなで、どうやら今日はアフターテニスの「反省会」でのノミュニケーションの方に気合を入れる算段のようです。

心眼で問われる技術の真贋

さて、野中師範代の紹介で参加された地元・市ヶ尾TCの尾崎さんも加わって、7人でひとしきり練習をしたところで、野中師範代の準備した箸オミクジ(の番号)で組み合わせを決めてゲームの開始です。Aコートで、正木(1)河本(2)対野中(3)佐々木(4)のオープニング・ゲームを行っている間に、川口(5)、尾崎(6)、牧野(7)の3兄はBコートで練習継続という運びになりました。そして、緒戦の結果は次の通り。

    正木・河本 6−3 野中・佐々木

師範代対決にもかかわらず大差がついたのは“逆光”によるところが大だったからです。サービスに対するリターンが逆光の中に消え、手元に来て急に見えるので対応が遅れてしまうのです。しかし、同じ“逆光”の逆境でサーバーを務めながら、さすが“逆光仮面”の正木師範代が2ゲームともキープしたのに対して、某平こと佐々木周五郎は“逆光”に目がくらんで、サービスゲームを二つとも落としてしまったのです。「あんなに、眩しいのにサービスキープしちゃうところを見ると、正木さん、ちゃんとボールを見ていないんじゃないの?」と毒づく私め。しかし、“逆光仮面”は、いとも軽く「心眼で見ているんですよ、佐々木さん」ですと。まさか、心眼の有無で技術の真贋が問われようとは思ってもおりませんでした。

清よく濁を制す

そうこうするうちに、“重役出勤”常習の秋丸兄もBコートの練習組に加わって、箸オミクジのナンバー・エイトが割り当てられました。そこで、今度は川口兄の発案によって、奇数組対決と偶数組対決が組まれ以下のような結果となりました。

   正木・野中 6−1 川口・牧野  河本・佐々木 6−3 尾崎・秋丸

言い出しっぺの川口兄は、師範代ペアとの対戦を強いられることとなりましたが、なんとか零封を免れました。佐々木(サ“サキ”)組と新顔の尾崎(オ“ザキ”)さん組とサキザキ清濁対決は、清よく濁を制する結果となりましたが、「濁」とは言ってもお名前だけでプレイスタイルは清く正しいものであったということを蛇足ながらお伝えしておきます。また、同じ車で乗り合わせてきた呉越同舟(または同床異夢?)コンビ同士の川口・牧野組と河本・佐々木組が明暗を分け、かたやTearful こなたTeanaの結果となったことも第2ラウンドの特筆点となりました。

なかなか貰えぬ吉備団子

ここへまた、見慣れないプレーヤーがごく自然に入り込んできて、ブキラ兄を相手に練習を始めました。隣にいる野中師範代にこっそりと尋ねてみると、あれがかねてメールでの交信はしていた吉備さんだという。吉備さんは道志倶楽部大会にもう何回か参加されているらしく、野中師範代には「えっ、吉備さんに初対面だったの!」と驚かれてしまいました。ああ、そうか。いつの間にか、吉備さんを知らない自分の方がモグリになっていたんだ。そんなモグリを自覚して、再度みんなで引き合った箸オミクジでも出場選手枠外でモグリのナンバー・ナインを引き当て、以下のゲームをじっくりと観戦させてもらいました。

         秋丸・川口 3−6 河本・吉備    尾崎・正木 6−5 野中・牧野

Aコートでは、秋丸兄の“親方”然とした掛け声に徒弟然と呼応して動き回るうちに、川口兄がラケットを振り抜けるようになり、ストロークとサービスが安定してきたのですが、俄か親方・徒弟コンビでは歴戦の河本・吉備コンビに歯が立ちません。吉備さんの攻守は厳しく、“吉備団子”をせしめるには至りませんでした。この間、Bコートでは正木(マ“サキ”)尾崎(オ“ザキ”)の清濁コンビが接戦を制して、テニスにおいても「清濁併せ呑む」ことの大切さを示してみせてくれました。

“河川”コンビ痛恨の逆転負け

熱戦を展開していると、テニスの出で立ちをした若者たちが駐車場に降り立っている姿が目に付きました。気になって秋丸“親方”が尋ねてみると10時から予約しているとのことで、どうやらダブルブッキングがあったようです。そこで、“人道支援”の立場からBコートの“主権を委譲”して、Aコート1面で4ゲーム先取制で進行することとなりました。以下がその戦績です。

       佐々木・牧野 3−4 秋丸・野中   河本・川口 3−4 正木・吉備

    秋丸・佐々木 4−3 野中・尾崎

河本・川口の“河川”コンビが3−2とリードしていながら逆転を喫し、正木師範代と吉備さんに初黒星を献上できなかったのが痛恨の極みでした。“河川”だけに、いったん流れが変わってしまうとカセンがカテン(勝てん)になってしまうのでしょうか。逆に、全白星は正木・吉備組で“寡占”という結果になってしまいました。一方、秋丸“親方”は、4ゲーム先取になってから突然持ち前の切れの良さと勝負強さを取り戻して連勝し、短期決戦に強いところを見せてくれました。あおりを食って、野中・尾崎の市ヶ尾TCコンビは最終戦を落としてしまいましたが、尾崎さんの道志倶楽部における今後は「オザキ」真っ暗どころか、明るいティアナTeanaです。引き続いての「龍鵬」での「反省会」にも進んで参加され、大いに存在感を示してくれました。

ミッドフィルダー牢名主

いつものように何も反省をすることのない「反省会」で小生が占めた座は、いつもと違って、まんまん中の席でした。常々幹事役として末席に座りなれた身には、何だかこそばゆい思いがしますが、こうして先着早い者勝ちで壁に背もたれのできる席にふんぞり返るのも気分の良いものです。しかも、左隣が正木師範代で右隣が野中師範代の両手に花(?)状態なので、すっかり満悦しておりましたところ、末席サイドから「まるで牢名主みたい」と評されてしまいました。 しかし、この牢名主、中央の座というのも人知れぬ苦労があるものだとやがて思い知らされることになります。9名が二つのテーブルを囲んで、それぞれに料理が運ばれてくるものですから、今度は両手に皿で、中央の牢名主としてはどちらの皿に箸を伸ばしてよいのか迷います。“偏食”がないように、右顧左眄しながらバランスを見払わなければなりません。また、折角酒食をともにしながら話題をみんなで共有できないのは残念なことですから、右側の話題を左側に左側の談話を右側に「つなぐ」のも中央に座する人間の役割です。サッカーでも中盤で動くプレイヤーの動き方が重要で難しいと言われますが、初めて中央に座してみてミッドフィルダーの役割の難しさを実感できたような気がしました。

新たなティアナの訪れ

そんなこんなで会話のラリーが盛り上がり、右奥の末席から秋丸“親方”から「紹興酒が飲みたい」という“物言い”がつくと、左側末席の河本さんからのウンチクがこれに続きます。何だか、「紹興」というのは中国の土地の名前で、「無錫」に近いところだそうで、その「無錫」はもと錫が採れたので「有錫」と呼ばれていたのだとか。すると、すかさず正木師範代、「ああ、そうか、錫が採れなくなったところから“ムシャクシャする”という言葉ができたんだ」との拡大「解錫」。更に、この日は秋丸“親方”からの“物言い”が多くて、どんな文脈からだったか、突如「昔のような趣のあるストリップが見たい」という発言があると、これがまた左側に伝わって「別世界」論議がかまびすしいことになります。しかし、秋丸“親方”の発言は放言や妄言ばかりではなく、次いでの「法師や四万などといった鄙びた温泉に浸かりながらテニスがしたい」という願望表現は、正木師範代アレンジのテニス・ゴルフ合宿計画の中で前向きに検討されることになりそうです。この他に、懸案のモンゴル分科会も具体的に計画されることになりそうです。尾崎さんや吉備さんなどのニューネームも加わって新鮮な雰囲気が漂い始めた道志倶楽部に新しいティアナTeanaの訪れを感得することができました。

以  上

C.違和感大会参戦記(2005/7/18)

阿吽の呼吸

長女が滞在中お世話になったオーストラリア人夫妻が7/15-16 「東北の湘南」いわきのVMS(バーチャル民宿ササキ)に投宿していて、7/17は「本家・湘南」の辻堂宅に移るので、大柄な豪州人夫妻に小柄な辻堂宅が占拠されてしまって私は宿無し。小田原に墓参に行った後、どこかのカプセルホテルででも気楽に一泊しようと、友人Fに所在場所を聞いたところ「何を馬鹿なことを言っているのだ!」と一喝され、即座に友人Y宅に投宿する手配が整えられてしまいました。そして、Y宅にはFの他、MNも急遽駆けつけてくれ、時ならぬ「迷門・小田高」クインテット同窓会が開かれることと相成りました。嬉しかったですね。この阿吽の呼吸。こういうのをWe意識というんではないでしょうか。そして、その翌日に当たる大会当日、“二宮在郷軍人会”が同様の阿吽の呼吸で、「We意識」を発露することと相成りました。

“違和感賞賛”仮説

いつもと違って、小田原からJR東海道線で二宮について待つこと暫し。モンゴルから一時帰国中の吉武シンゴ兄の愛車が現れて先ずはデュオで久方ぶりの再会を祝しあいます。そして、かねて決めた手筈通り、河本邸によってトリオになって、更に、浅野邸討ち入りによって流れるが如く“二宮在郷軍人会”カルテットが形成されました。事前に牧野ブキラ幹事から「暑いので全員集合は9時としましょう」というメール連絡がありましたがカルテット一同阿吽の呼吸でこれを“却下”、強いWe意識の元に、当初予定の8時開始へ向けて横浜コートを目指します。「暑いから“早く”するなら何の変哲もないのだが“遅く”すると言うのだから可笑しい。牧野ブキラ兄は人を笑わすのが上手な人だ」と車内でシンゴ兄。「そう言えば“暑いから9時という表現は少し違和感がある”とどなたかもメールされていましたな」と続ける河本さん。シンゴ兄と私はそのメールを読んでいなかったのですが、“却下”と言わず遠慮勝ちに“違和感”という言葉を使っているところから、「それは秋丸兄に違いない」とシンゴ兄。更に「ブキラ兄はまさに“ミスター違和感”だね。ユニークなところがあるから人を惹きつけているんじゃないか」という私の“違和感賞賛”仮説へとつながりました。

緒戦はフビライカーン・ショット不発

“ミスター違和感”からの連絡が“違和感なく”受け容れられたのか、朝8時のコート上には二宮在郷軍人会“却下”カルテット以外の人影は見られませんでした。しかし、四人揃えばダブルス成立。一時は前記のオーストラリア人夫妻の来訪の予定で私の参加が絶望的だったのですが、予定変更により二宮在郷軍人会の“We”に加わることができて本当に良かったと思っています。いずれにしても、阿吽の呼吸で練習を始め、次いで、すぐさま、阿吽の呼吸ゲームを開始しました。ゲームの途中で秋丸兄がやってきたので確認してみたところ、違和感”表明の主はやはり秋丸兄でした。そこで、秋丸兄を待たせては悪いから(実は暑くてたまらないから)というので、所定の6ゲーム先取方式を4ゲームに阿吽の呼吸で切り替えて終了。すぐさま秋丸兄を“We”に加えたゲームを行い以下の結果で、高温多湿な日本の気候に“違和感”を感じたのでしょうか、シンゴ兄モンゴル仕込みのフビライカーン・ショット不発という出だしでした。

     吉武・浅野 3−4 河本・佐々木     秋丸・吉武 1−4 浅野・河本

クチク漢に駆逐され

そうこうしているうちに、野中師範代以下が続々と終結。コート2面を用いての“同時興行”ができるようになりました。結果は以下の通りです。

   佐々木・舟橋 1−4 折田・吉武  秋丸・野中 4−1 浅香・牧野

折田さんと言えば、道志倶楽部の老練かつ常連メンバーだったのですが、シンゴ兄と同様に海外を“ほっつき回って”いる間道志倶楽部はお見限りという状態が続いておりました。今回、その往年の必殺技のロブとチョビを引っさげて道志倶楽部の“We”の輪に戻ってきてくれたのは嬉しいことでした。最初のうちこそ、ロブが不発で「おかしいなあ、みんな佐々木さんに叩かれちゃう。あのお腹の蛇腹が伸びるはずがないんだけどなあ」などと違和感”を訴えていましたが、すぐさま「なにしろ吉武さんと私は“国際派コンビ”なんだから」と“口撃”に転じ、チョビ(折田流ドロップ・ショット)を連発しては佐々木・舟橋コンビを走らせ、パートナーのシンゴ兄のフビライカーン・ショットを誘発しておりました。しかし、“国際派”と言えば舟橋兄もなかなかのもので、コート上でも“国際派コンビ”と渡り合って、「吉武さんから初めて1ゲーム取れた」と喜ぶほどの健闘ぶりだったんですよ。要は、四人のうち違和感”があったのはマルでダメな(「マルでドメスチック」より)私だけであり、その言葉に弱いところを折田さんの“口撃”につかれたのが敗因だったのです。ゲーム終了後、シンゴ兄が「折田さんのお父さんが乗っておられたのは?」と問うのに対して「駆逐艦ですよ、駆逐艦」と答える折田さん。なるほど、駆逐艦の血を引くクチク(口逐)漢による“口撃”でありましたか。違和感なく”駆逐されてしまったのも無理はありません。

勝ち組と負け組とに“違和感なく”

そして遂に、エントリーしていた12名が全員集合。“オールスター・キャスト”による第1ラウンドのダブルス3ゲームが始まりました。結果は以下の通りです。河本さんが3連勝、野中師範代と折田さんも白星を連ねたのに対して、舟橋、浅香、牧野の3兄は連敗で、それぞれ勝ち組と負け組とに違和感なく”落ち着いてしまったような感じです。浅野さんは相手が「吉良」だとばかりに鼻息荒くコートに討ち入りしたのですが「吉備」と分って落胆、逆にキラッと光る吉備巧の頭に討ち取られてしまいました。

河本・吉備 4−2 浅野・上月    折田・野中 4−2 牧野・舟橋

秋丸・佐々木 4−1 吉武・浅香

更に、牧野ブキラ幹事の差配により組み合わせを変えて3ゲームを行い以下のような結果となりました。勝ち組の折田さんと組んで負け組から脱した舟橋兄の健闘が光りますが、これには相手ペア吉備・吉武の吉吉コンビ間に生じていた違和感”によるものかもしれません。二宮から横浜に向かう車中で吉武シンゴ兄は漏らしておりました。「モンゴルに送られるレポートによると道志倶楽部には“吉備”さんとか“勝”さんとか由緒正しい名前の人が入ったんだねえ」と。吉備真備とフビ(不備)ライカーンとでは、その間に違和感”が生まれるのも無理はありません。

吉備・佐々木 4−1 上月・秋丸  野中・河本 4−2 牧野・浅野

   折田・舟橋  4−1 吉備・吉武

「不備来観」“憂勝”

本日はまさに「海の日」。こんな猛暑の日には海の上で過ごすというのが違和感のない”生き方というものです。しかし、違和感のない”凡俗さを嫌いユニークな生き方を求めてきたのが道志倶楽部メンバー各位です。この程度の暑さに違和感”を感じてたまるものかと、“健康”面での違和感”も顧みず意気“軒昂”です。しかし、健康チェックの名目で来日しているフビ(不備)ライカーン殿はさすがに、“健康”面での違和感”に無頓着で意気“軒昂”を続けるわけにはいかず以下の最終ラウンドは来観者の立場となり「不備来観」で有終の美を飾りました。勝ち組対決を制した野中師範代と、二宮から横浜に向かう車中と同様にコート上でも正確なナビぶりを発揮した河本さんがともに全勝で最多勝でしたが、「不備来観」シンゴ兄の“最憂愁”と“憂勝”の栄誉が後刻の反省会で讃えられました。なお、同じく反省会で最長身の上月兄が“最伸長”賞の栄誉に属しました。今のところは、白星の方が上月兄に対して違和感”を感じているようですが、そのうちに負け組み脱出はおろか、勝ち組のWeの一員に加わってきそうな上達振りでした。

   浅香・佐々木 4−3 牧野・上月  秋丸・河本 4−1 舟橋・浅野

    野中・佐々木 4−1 折田・吉備

「中国化」と「日本化」と

さてその反省会は牧野ブキラ兄御用達の「龍鵬」です。ここで秋丸兄からの「紹興酒オンザロック」という提案がありました。いささか、この提案には違和感”を感じたのですが、試してみると、紹興酒と氷が阿吽の呼吸、Weの意識を主張して絶妙な取り合わせなので驚きました。あれこれの反省なき放談が続く中で、コート上で蝿タタキ・ショットが鳴りを潜めていて“違和感”を感じさせていた浅香タイゾー兄から「福原愛ちゃんの中国語の発音は秀逸だ」という発言が出たのも大きな“違和感”ものでした。かつての米国系国際人もすっかり「中国化」してしまっているようです。そのうちに中国風蝿タタキ・ショットを編み出すかもしれません。最後にはまた、ブキラ幹事が「メン食い」の私の意向を阿吽の呼吸で察してくれて、いつものように湯麺(タンメン)を発注してくれました。有り難いことに、タンメンをWe意識でシェアしてくれるメンバーがいるので私一人が“違和感”を感じなくて済みます。タンメンにしてもラーメンにしても「日本化(Japanized)」されているので“違和感”を感ずると我が寺子屋日本語教室の中国人の教え子たちも言っています。日本人が日本料理を海外のレストランで食べるときに感ずる“違和感”と同じなのでしょう。(因みに、ラーメンは「柳麺」と書くのではなくて「拉麺」で、「拉」は「両手で引き伸ばす」の意味で麺の製法を示すのだそうです)。タイゾー兄のように「中国化」しておらず「日本化」された中国料理の方に“違和感”を感じないメンバーガ私の他にもいて、それが“タンメンWeグループ”としてシェアの輪に加わってくれているのでしょう。「龍鵬」も、タイゾー兄が“違和感”を感ずるほどに、中華料理をもっともっと日本人向きに「日本化」してくれればいいのに。

“民営”より“市営”の方が民営的

翌日(7/19)も寺子屋日本語教室の早朝レッスンがありますので、当日中に「東北の湘南」いわきに戻らなければなりません。そこで、“二宮在郷軍人会”からジェンキンス(脱走兵)して単身、横浜市営地下鉄「仲町台」駅から「横浜」駅経由でJR東海道線「東京」駅に向かうことになりました。ところが反省会できこしめした「紹興酒オンザロック」が利いて、仲町台」で乗って座席に座るや否や“違和感”なく熟睡。気がついた時には「横浜」をとっくに過ぎた「阪東橋」でした。慌てて、「横浜」に引き返して改札口を出ようとすると今度は切符が見当たりません。散々身体と持参品の各部分や下車場所周辺を探してみたのですが見つかりませんので、切符の再購入を申し出ようとしたところ、駅員さんが阿吽の呼吸で「今日は結構です。以後気をつけてください」の一言で無罪放免し改札口を通してくれました。細かいことかもしれませんが、何だか駅員さんとの間にWeの意識が感じられてとても嬉しい思いがしました。“民営”JR西日本では、かの事故車両に乗り合わせた(従って、正規の下車改札手続きをしていない)乗客に、事故当日分の運賃を再支払いさせたというではありませんか。“民営”の方が“市営”より遥かにお役人的ですよね。「民間でできるものは“民営”化する」などとバカの一つ覚えを繰り返している“ミスター違和感”の小泉サンも、We意識を持っていなければブキラ幹事のように人を惹きつけることができませんよ。

以  上


D.道志7里に同志7士は集いけり

(2005/10/15-16)道志倶楽部秋季合宿レポート)


“移ろい”の時

山中湖畔、そして、山伏峠を越えて走る道志の里も紅葉には時期尚早。しかし、緑の世界が赤く黄色く染まり始めるこの“移ろい”の季節にもえも言われぬ趣があるものです。深まりいく秋の気配を感じながら、道志村は神地の民宿「北の勢堂」に辿りついたのが定刻11時。斉藤兄を除く6名、ほぼ同時の到着でした。早速ご挨拶にとお伺いしたところ、山口大八老の定席に座っていたのは、ご本人でも若主人の法邦さんでもなくて、お孫さんの大介クンでした。民宿「北の勢堂」の開祖である大八老はこの夏に他界されたのだという。突然聞いたこの“道志の名物オヤジ”の訃報には暫し茫然自失としてしまいました。一方、大介クンは結婚して身を固め、ここから甲府に通勤するようになったのだそうです。今や、法邦さんがオヤジに、大介クンが若主人になったということなのでしょう。我等が定宿「北の勢堂」にも確実に“移ろい”の時が訪れているようです。

「志」天に通ず

「斉藤にしては遅いなあ」などと一同口にしながらコートに向かいますと、そこには既にネットが張ってあり、コートサイドのベンチに斉藤兄の姿がありました。とっくに到着していて、コート整備を済ませ、みんなが来るのを待ちわびていたのだそうです。これで、道志倶楽部の同志7人が道志7里に勢ぞろい。牧野幹事長の句会の予定を勘案して日程を設定したのにも拘らず、句会の予定が変わってこの日に重なってしまったために、俳句優先のメンバーが不参加。そのため、触れ込みにしていた「最低催行人員8名」も欠くことになってしまいましたが、一騎当千の同志7士のテニスの「道」への「志」は高く、早速、コート上に散って、快音・怪音を山里に打ち響かせる運びとなりました。天気予報は、とてもテニスができるようなものではなく絶望的なものでした。現に、我々の人数不足を補うために合同興行を申し入れようと思っていた町田市のクラブも、既に同日のテニス合宿予約を取り消していたほどです。しかし、「志」は天に通ずで、天は志の高い道志倶楽部同志7士を見捨てておりませんでした。

早々に闘志メラメラ

さて、練習もそこそこに、斉藤兄が準備してくれた組合せ表に従って、先ずは「午前中に2ゲーム」を目標にゲーム開始。以下のような結果となりました。

     吉備・斉藤  0―6  正木・浅香     浅香・佐々木   6―4  山本・舟橋

緒戦で正木師範代と組んだ浅香タイゾー兄は得意の“蝿叩きボレー”を連発。「秋でも蝿は仰山おるもんだわい」などと嘯いておりました。一番乗り同志の斉藤兄は、みんなの到着まで待ちくたびれたせいか、道志村合宿初参加の吉備さんと組んで、早々におダンゴ(これがほんとの吉備ダンゴ?)を献上してしまいました。第2戦は久方ぶりにラケットを握ったという山本直樹兄が、舟橋兄と組んで、週に4回もラケットを握っている佐々木ペアに善戦。さすがは、昔取った杵柄で、優雅なフォームで打球が安定しています。シャープさを増した舟橋兄の動きに目を光らせていたのは斉藤兄で、「よしっ、舟橋には負けられないぞ」と、早大卒同士だけに早々に闘志メラメラです。

人間万事塞翁が馬

さて、今日は稲刈りの際に小指に深手を負ったという「北の勢堂」の女将・かおるさんが富士吉田の病院に行っているので、昼食は自前で何とかしなくてはなりません。そこで一同、道志街道をぶらり歩いて、かねて知ったる食堂へ。けれど、そこはなぜか閉店していたので、更に「道志道の駅」まで脚を伸ばさなければならなくなりました。この道の駅は、「北の勢堂」からはいささか遠い道志川の上流沿いにありますので、歩いていくのには一覚悟が必要です。しかし、こんな時に手回しというか脚回しがいいのが斉藤兄です。一旦、「北の勢堂」に引き返して、マイカーで“路頭に迷っている”道志同志をピックアップしてくれました。従って、一同は道の駅近傍の食堂に駆け込んでお決まりのビールで乾杯という仕儀となったわけですが、自発的アッシー君の斉藤兄は、そんなみんなを固唾を呑んで(?)見ているだけ。しかし、人間万事塞翁が馬。ただ一人シラフでなければならなかったという禍を見事に福に転じて、昼食後再開第一線で酩酊気味の正木師範代ペアを打ち破るという大金星を挙げました。結果的には、これが正木師範代唯一の黒星となるものでした。

     吉備・正木  3―6  斉藤・佐々木

“オンブ”ズマンのカフク不転換

しかし、“禍福はあざなえる縄の如し”で、大金星を挙げて福の絶頂にいた斉藤兄も、引き続いての“宿敵”舟橋兄との初対決で苦杯を喫して禍のどん底に陥る羽目となってしまいました。これも、腰痛という禍を根気の要るリハビリと鍛錬によって福に転じた舟橋兄のカフク転換の勢いに圧せられた結果ということなのでしょう。一方、下腹部がせり出したままでカフク転換のできていない佐々木は、正木師範代にオンブの他力本願で白星の福に浴しました。“苦なくしても楽あり”の味を占めてしまったわけですから、“下腹部カイカク”の掛け声倒れが今しばらく続くことになってしまいそうです。一方、午前中には「仰山いた」はずの蝿がお昼でお休みになったせいか、タイゾー兄の“蝿叩きボレー”は不発に終わり、“オンブ”ズマン・佐々木に白星を献上する結果となってしまいました。山本ナオキ兄は、敢え無く連敗。どうも、端正な容貌と挙措動作に似合わず気が短いようです。安定したストロークが2−3回は続くのですが、そのうちに我慢できなくなってポカーンと強打してOBというケースが多かったようですから、ナオキ兄の場合には短期から忍耐へのタンニン転換が必要なのかもしれません。

     吉備・舟橋  6―1  斉藤・山本       正木・佐々木  6―1 浅香・山本

桃太郎さんと吉備ダンゴ

さて、次のラウンドでは、禍福転換の舟橋兄と下腹不転換の佐々木がコンビを組むことになりました。ここでも佐々木は“オンブ”ズマン。上達著しい舟橋兄にオンブされて、またしても“苦なくしても楽あり”の美味しい白星を頂戴してしまいました。それにしても、斉藤兄はどうしてしまったのでしょうか。舟橋兄の前に、蛇ににらまれた蛙、いや、マングースににらまれたハブと同然で、対“宿敵”戦連敗を喫してしまいました。この分だと、“宿敵”どころか“天敵”になってしまうかもしれませんよ。続いてのゲームでは、道志合宿ルーキーの吉備さんが、またしても吉備ダンゴを正木師範代ペアに進呈するという展開になってしまいました。これも、桃太郎みたいに強い正木師範代とパートナーとなった舟橋兄が♪一つ私にくださいな♪と吉備ダンゴをおねだりしたせいかもしれません。

     斉藤・浅香  3―6  佐々木・舟橋     吉備・山本  0―6  正木・舟橋

ここを先途と最後ラウンド

そうこうするうちに、雲行きが怪しくなり、天気が予報どおりの展開になりそうになってきました。全員それぞれ既に4ゲームずつこなしていますし、夕刻も迫ってきていますので、本来なら「これにて本日の打ち止め」と立行司の結びの触れが入れられる頃合です。しかし、明日は雨天でテニスは中止と見切って、ここを先途とばかりに最後ラウンドに突入しました。蝿たちが昼寝から覚めてきたのか、タイゾー兄の“蝿叩きボレー”が復活。吉備さんも、ようやく道志の土になじんできたのか本来のキビキビした動きを見せ、正木師範代・タイゾー兄ペアに迫ったのですが後一歩のところで惜敗してしまいました。やっぱり、吉備ダンゴは正木“桃太郎”にかなわないようです。そこで、江戸の敵を長崎で“桃太郎”の敵を“蝿叩き”でとばかりに、佐々木と組んでタイゾー兄・舟橋兄に挑戦。5−2とゲーム差を広げ、これにて有終の美なれりと思ったのですが、秋の夕日はまさに釣瓶落としでした。夕闇に乗じた夜行性(?)ペアの逆襲を受けて、5−4まで攻め寄られた頃には、鳥目ペアにはボールが見えず危険な状態になったので、サスペンデッド・ゲームという“憂愁の尾”の結末となってしまいました。

    吉備・浅香  5―6  斉藤・正木      吉備・佐々木 5―4(中断)浅香・舟橋

伝統の灯守った「Weの意識」

浅香、小林、牧野、渡辺、吉武の諸兄に佐々木を加えた“六馬鹿”は、馬鹿馬鹿しいまでの一途さでテニスの“道”を“志”す道志倶楽部の象徴的な存在になっておりました。しかし、今回の合宿は、モンゴル在住の吉武シンゴ兄はともかく、俳句の道に身を持ち崩してしまった(?)牧野ブキラ兄と渡辺ナベ彦兄を欠き、残念なことに、仮エントリーしていた小林コーチョク兄まで腰痛が癒えず不参加になってしまったので、参加したのは浅香、佐々木の“二馬鹿”だけ。悪いことに、コーチョク兄の腰痛が伝染して(?)常連の野中師範代も欠場、また、これまた常連の秋丸兄も句会の苦界を彷徨っていて道志合宿はお見限りという仕儀になってしまいました。しかも、ワイン奉行を兼ねているナベ彦兄と常任焼芋奉行がともに不参加なので、精神のみならず物質的にも欠乏感が生ずること必至と思っていました。しかし、義を見てせざる道志同志ではありません。「Weの意識」に支えられた”One for Seven, Seven for One.”の精神を発露しあって、例年通り、ワインも焼き芋も堪能することができました。病院から戻ってきた女将のかおるさんが、不自由な手で釣りたてのワカサギを揚げたての天麩羅にしてくれましたので、物質的に何一つ不自由することなく、吉備さんとナオキ兄の“新鮮組”を加えった囲炉裏端リーグが大いに盛り上がりました。同志七士の「Weの意識」のお陰で、道志倶楽部秋合宿の伝統の灯も囲炉裏の火も消さずにすみました。


古き良き道志村を偲ぶ

明けた日曜日は、予想していた通りの雨。“テニス馬鹿”をしていた頃なら、天を憎んだものですが、今は、オーバーワークを戒めるための慈雨と心得て、恬淡としているのですからみんな枯れてきたものです。そこで、朝食をともにしてから、早々に現地解散して三々五々帰途につくことになりました。私は、家族へのお土産を求めて、「道志道の駅」に立ち寄りました。思えば、道志倶楽部が最初にここで合宿をした頃には、このような商業施設は全くありませんでした。道路も、ほとんど舗装されていないでこぼこ道で、すぐ脇が深い谷となっている道志川側を走るのが怖い状態でした。そんな“秘境”の面影を色濃く残す道志村にわれらが定宿ができたのも一期一会。山口大八老がテニス民宿「北の勢堂」を開き、いつに変わらぬもてなしをして我々を引き付け続けてきてくれたからです。今や、道路も車がひっきりなしに行き交い秘境の面影はありません。「道志道の駅」の傍らを流れる道志川には鉄製の橋が架けられています。当然、この橋も最近になってできたものであり、橋も堰堤もない古き良き道志川のこのあたりまでは山口大八少年の縄張りだったはずです。クレソン・アイスクリームを舐めながら、「道志道の駅」のレストランから窓外を眺めてひとしきり感懐に耽っておりました。「また、きっと来年も来ますよ、大八さん」と呟きながら。

以 上


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