道 志 倶 楽 部 の ペ ー ジ

2004年活動記録


A.仮説検証大会(2004/3/14)

仰々しく銘打って

前回の兵戈有用大会(1/24)は、幹事でありながらドタキャンという醜態を演じてしまいました。しかし、幹事不在の間に、牧野正弘(ブキラ)兄と吉田達郎(タッチャン)兄の間で、ダブルスのFormation論を巡った道志倶楽部史に残りそうな大論争が勃発した由で、それがその後も道志倶楽部内外に大きな波紋を呼びました。なかには「たかがFormation」にいい歳をして口角泡を飛ばし合わしているのを見てあきれ果てている向きもおられましたが、「されどFormation」の技術・精神論のラリーが飛び交い、道志倶楽部憲章第2章「飽くなき向上心を有していると思いこんでいること」の片鱗が見えたのは嬉しいことでした。ところで、「されど派」にはFormation諸仮説論争によって得るところがあったのかどうか。養老孟司「バカの壁」が示唆する通り、結果的にはマイウェイ墨守に終わり、論争達観ないし等外視の「たかが派」と同じく、以前と全く同じプレイ・スタイルを披露することになるのではないか。全てはコート上にて実地検証してみないことには分かりません。そこで、「仮説検証」と仰々しく銘打って開催したのが今回の大会でした。

ああ、腹違い!

さて当日は3月14日。横浜市営地下鉄「仲町台」駅から続く小道に立ち並ぶ辛夷は満開、花びらの清き白が背景の青い空に映えてまさに陽春至るの風情です。彼岸前ですが、暑からず寒からずで、絶好のテニス日和です。のどかな日差しを浴びつつ会場に足を運びますと、先着の車が1台あって、それは斉藤靖雄兄のものだと分かりました。そして、着替えを終えて出てきてみると、車がもう1台あって、斉藤兄と談笑している人影が一つ。それが、本日、タッチャンに誘われて初参加することになった阿川泰兄でした。私とは、ともに東芝若手社員同士だった頃以来、無慮x十年ぶりの再会です。それにしても、斉藤兄もそうですが、阿川兄の体形の昔と少しも変わっていないこと。白のトレーナーとトレーニング・パンツに身を包んだスリムな姿は颯爽としていて、挙措動作もとても若々しく見えます。おこがましくも「私、テニスをやっています」と口にするなら、このようないでたちをしていなくては。「私、相撲をやってます」と言わなくてはならないほど太っ腹(?)になってしまった我が身との間の恐ろしいまでの違いを痛感しながらの“腹違い”同期生との久々の再会でした。

「継続は力なり」仮説の検証

やがて、タッチャンがいつものように賢夫人に送られて到着するのと踵を接するようにして野中孝弘師範代が登場。早速、思い思いにコートに出て練習開始。阿川兄は外観だけではなくて動作も機敏で、その打球も若々しくシャープかつ強烈です。道志倶楽部に新風を吹き込んでくれそうで、仮説検証にも一役買ってくれそうな予感がします。一方、前回の大会のゲームでブキラ兄とコンビを組んでいた際に、「サービスしようとしたときに“前”に“立”つパートナーの位置が“おかしい”(これが前立腺異常?)と気になってしょうがない」と指摘され、結果的にFormation論争勃発の張本人になったタッチャンの動きはどうか。“天女の舞い”と評されていたプレイ・スタイルから“性転換”してパワーを増した様子が顕著で、特に威力を加えたボレーにボールを強く“前に”押し出そうとする気持が見て取れます。早速、野中師範代と組んだ開幕第一戦で次の通り阿川・斉藤ペアを一蹴。“前へ”の意識改革が実を結んだ勝利と言えるでしょう。

阿川・斉藤 1−6 吉田・野中

がしかし、ここは「日暮週一郎」効果の方を特筆すべきでしょう。これは、週に1回夕刻にテニスをするようになったところからタッチャンが自らにつけたコートネームで、いわき市平在住で週5回の不肖私「平周五郎」の向こうを張ったものですが、回数では周五郎に遥かに劣るものの、遥かにきちんと定期的かつ継続的な鍛錬を積んだ週一郎が力量の向上ぶりをまざまざと見せつけてくれました。Formation仮説検証の前に、「継続は力なり」の仮説の正しさが検証された一幕でした。

ハブ対マングース

第1戦進行中に遅参トリオのうち、川口正兄が車で、スギ花粉症の秋丸康彦兄はマスク姿をして徒歩で、それぞれ会場着。これに重役出勤常習の渡辺孝彦(ナベ彦)兄が加わって、ようやく8名が勢揃いして、コート2面を使って並行してダブルス2ゲームができる体制が整いました。1−2ラウンドの戦績は以下の通りです。

佐々木・野中 6−4 渡辺・阿川   川口・吉田 6−4 秋丸・斉藤

秋丸・川口  0−6 佐々木・渡辺  野中・斉藤 2−6 阿川・吉田

「継続は力なり」仮説自体が継続して力を発揮しており、タッチャン週一郎が3連勝です。しかし、「タッチャンが3連勝っていったってみんな俺から奪った白星ばかりじゃないか」という斉藤仮説が提示されましたので、早速検証してみると両者の間に「斉藤ハブvs吉田マングース」という関係が成立していることが判明しました。この間、不肖佐々木は「2 Up Best」仮説の正しさを検証すべく果敢にネットへむけての前進を試みた結果、辛うじて周五郎の面目を保つことができました。川口兄がタッチャン週一郎と組んで1勝した以外は、マスクをかなぐり捨てて奮闘した秋丸康彦兄と持ち前の馬鹿足エンジン全開いまだしの渡辺兄孝彦兄の「彦彦コンビ」はともに連敗スタートという結果になりました。遅参トリオの遅々たる不振ぶりから推量すると、会場到着にも「The earlier, the better」仮説が成立しそうです(*)。

当件につきましては、ナベ彦勝負検査役より以下のような「物言い」がつきました。検証するまでもなく仮説不成立で、明らかな「行司差し違え」の域も脱した「行司の勇み足」のお粗末でした。イヤハヤ。
「遅刻組みの彦彦コンビは連敗スタートとありますが、小生は4試合やり、1試合目から負け、勝ち、勝ち、負けですから連敗スタートではありません。誠に下らんことで、赤面の至りですが、遅刻組みには連敗の罰があたるという不可解な論理に反論するためにも敢えてコメントさせて頂きました。」                     渡辺孝彦

やはり正しかった相対性理論

さて、3−4ラウンドは、「ハブ(斉藤兄)とマングース(吉田兄)をコンビにしたらどういう結果になるか」という大変興味のある(?)問題の探求をメインテーマとした星のつぶし合いラウンドで、次のような結果となりました。

吉田・斉藤 3−6 秋丸・阿川   野中・渡辺 6−4 川口・佐々木

野中・秋丸 6−4 吉田・渡辺   阿川・川口 6−1 斉藤・佐々木

やはり、ハブは天敵マングースとの共生ですっかり毒気を抜かれてしまった様子で、ついに白星にめぐまれぬままの結果となってしまいました。斉藤兄と言えば、会場一番乗りでしたし、一方で遅参トリオのうちの秋丸兄が連勝フィニッシュしたことを考え合わせますと「The earlier, the better」仮説は必ずしも正しいとは言えないようです。この間に、阿川兄は、セカンド・サービスからでもネット・ダッシュして、パートナーともども前陣に出る「2 Up」を貫いて通算3連勝。しかし、阿川兄の真似をして、ジャンプサービスからのネット・ダッシュによる「2 Up」を続けていた不肖私は後半息切れして連敗フィニッシュ。2アップどころではなくてアップアップの状態でした。スリムなテニス体形の阿川兄はともかく、身重な相撲体形を持ち上げ続けるのは無理があるようです。やはり、「ダブルスのFormationに一律の正解はなく、パートナーを知りそして相手を知った上で可能な限りでのベストの体制を取るべきだ」という趣旨の仮説を提唱して自ら実践し、最高の通算成績を収めた野中師範代が“相対性理論”の正しさを検証してくれたようです。但し、「パートナーを知り相手を知り」に「自らの体重を知り」を付け加える必要があるようです。

「この指とまれ」方式の提唱

なお、「2 Back Second Best」の仮説を検証しようと思ったのですが、二人がともに後陣に下がって守る体制がとられることはまずなく、ほとんど1 Up 1 Back 体制同士のゲームが展開されていました。「あなた前衛、僕後衛」の伝統的な軟式庭球的なFormationですが、これも“相対性理論”によれば、必ずしも「1 Up 1 Back Worst」が当てはまるものでもなく、年齢、打球力、走力に体形、体重に相応の布陣といえるのでしょう。恒例のテニスの後の「反省会」は久方ぶりに中華料理店「蘭蘭」で行いました。阿川、川口、吉田の3兄は後工程の都合で帰ってしまいましたので、5 Up 3 Backの寂しい反省会になってしまいましたが、2 Upばりに本格的な中華料理がサービスされるいつもの「龍鳳」よりも、1 Up 1 Backを思わせる日中折衷方式料理(日本流にモディファイされた春巻や餃子等の中華料理)が供される「蘭蘭」の隠れファンが私のほかにもいることが検証されました。中華料理の好みにも“相対性理論”は当てはまるようです。この「反省会」も出席メンバーの都合により、1時間限定となってしまいましたので、本日不参加の正木師範代より事前に要請されていた「2回目テニス&ゴルフの合宿」の概要企画にまで話が及ばずに終わってしまいました。道志倶楽部のアクティビティとしては、この他にも、「和歌山プロジェクト」、更には「モンゴル遠征」などの構想もあります。行動プランについても一律の正解はなく“相対性理論”が当てはまりますので、それぞれに自薦他薦の幹事が複数代替案を提案してみて「この指とまれ」方式で有志参加者を募っていくことにしようではありませんか。

以  上


B.永遠なれ道志の同士
2004/10/16-17道志倶楽部秋期合宿の記)

日本各地の山村にクマ出没。ですから、道志村にもクマが現れたって不思議ではありません。私たちがいきなり出くわしたのもクマでした。但し、こちらはコート上にできた大きなクマ。裏山の山林に降り注いだ大雨が伏流水となってコート上に染み出し水溜まりを作っていたのでした。道志の山々が深くて緑豊かだからこそ木々が水を蓄え、里の村に清冽な水をもたらしているのだということが目の当たりに分かるような光景でした。

しかし、ここは道志村の水の清さや豊かさを賛嘆している場合ではありません。4面あるコートのうち2面はクマのため使用不可。残りの2面だけが、民宿「北の勢堂」で精一杯コート整備してくれていたのでなんとか使えそうな様子です。しかし、山際のコートエンドには細い溝ができていて、小さなせせらぎ状に清き水が流れてさえいるのです。ここにボールが入ってくることは必定。都度濡れて球交換では、たまったものじゃありません。

そこで、私たち道志同士9名のファースト・サービスは“防水”対策作業ということになりました。めいめいの発案で、コートサイドの長いベンチの鉄板を外して、力を合せて運んで溝の部分の覆いにしたり、物置小屋から余っているネットを運んできて、そのまた覆いにしたり。それぞれが、ばらばらな動きをしているように見えながら、同じ目的のために力を合せる道志倶楽部ならではの“We意識”発露のスタートとなりました。

さて、今度はネットを張る段となって大きな問題が発生しました。地中にあったはずの中央部の止め金具がなくなってしまっているのです。軟式テニスではないんですから、ここをベルトで締めなければ様になりません。さてどうしよう・・・。そんな窮地を救ったのが、普段は山のように動かない小林コーチョク兄の機転でした。なんとコートサイドに見つけたコンクリートブロックを重石にしようというアイデアでした。

しかも、これも普段は決してしないのですが、縦のものを横にすると高さもピタリ。さすが、コーチョク兄、やればできる。大きなコンクリート塊がコート中央に鎮座している様はいかにも不格好ですが、これでなんとかテニスができる。・・・と一安堵したのですが、これでは満足できない道志同士がおりました。渡辺ナベ彦兄「これでは、コンクリートブロックに蹴躓きそうで危ないなあ」とブツブツ。そして、すぐさま、物置小屋にとってかえして・・・。

静かな山里のコートに「カーンカーン」という音が響いたのは程なくしてのことでした。ナベ彦兄が、疑問符に似た形の大きな金具とトンカチを見つけ出してきて、地中に打ち込んでいるのでした。機能だけでなく美観も整えたナベ彦兄の偉業。これで、折角いち早く機能条件を整えた質実剛健コンクリ派のコーチョク兄のアイデアは無に帰してしまった訳ですが、ここにも「それぞれ違っていて、それぞれが大事なWe」がありました。

防水対策作業の極め付きは正木師範代。審判台を運んでいって、横倒しにしてその上にネットを掛ける。更に、ナベ彦兄が使ったトンカチを立てて、その柄の先にネットを掛ける。これによって、鉄板と地面の上に平面的に置いてあっただけのネットに高さが与えられ簡易防御フェンスの形ができ上がりました。それぞれの自主的な発案に基づいて協働する道志同士の姿。それぞれが「道志倶楽部に欠かせぬ一員」なのだという思いを改めて強くしました。

さて、練習もそこそこにゲーム開始。ペアリングは、これも正木師範代の発案による「ボール転がし」で決めました。めいめいがサイドラインの外に立って、ボールを転がし、向こう側のサイドラインに近く止まった“ニアピン”ならぬニアライン順で出場の順番を決め、ラインオーバーした“OB”組はジャンケンで後位順にするというものです。そして、火蓋を切った昼飯前の真昼の決闘。結果は以下の通りでした。

     斉藤・秋丸  0―6  正木・佐々木    渡辺・野中   6―0  小林・浅香

     舟橋・斉藤  2―6  秋丸・正木      佐々木・渡辺  4―6  野中・小林

記録的な猛暑であったためか紅葉が遅く、道志の山々には微かな薄化粧が見えるのみです。しかし、晴れ過ぎも曇り過ぎもせず、無風で清涼な絶好のテニス日和。ひとしきり心地良い汗をかいた後の心地良い昼食昼飲。ご飯奉行に秋丸兄、味噌汁奉行に浅香タイゾー兄、ビール奉行に正木師範代がそれぞれ名乗りを上げてReady Go。いやはや、One for AllAll for Oneの道志倶楽部ならではの“We意識”横溢そこかしこです。

菓子奉行コーチョク兄が食後に供してくれた、コーチョク兄というよりコーチョク令夫人に似て上品な栗菓子もナイスでした。中津川名産とやらの「栗きんとん」とかいうお菓子ですが、栗を粉にして固めたものですから、これがほんとのカタクリコ。マロンのまろやかな風味が、オジンばかりでちょっぴり寂しい卑し系(いやらし系?)の私たちを癒してくれました。コーチョク兄というよりコーチョク令夫人に対して道志同士一同感謝しきりでした。

さて、コート上に戻って熱戦再開。第2ラウンドの戦果は以下の通りでした。

    舟橋・佐々木  3―6  浅香・秋丸       小林・斉藤  2―6  野中・正木

    渡辺・舟橋    5―6  佐々木・浅香     秋丸・小林  6―2  斉藤・野中

舟橋、斉藤の両兄は、ひどい腰痛を患ったばかりの“病み上がり”同士なので心配していたのですが、コート整備でもコート上でもよく動くこと動くこと。腰痛が再発してしまうのではないかと心配になるほどでした。しかし、この両兄、同病相憐れむのかと思いきや、「舟橋をやっつけて白星を挙げたい」と斉藤兄が嘯けば、ニヤリと笑って受ける舟橋兄。大変なライバル意識です。

そんな、“同病対決”を待つことなく、ともに久方ぶりにコートに立った舟橋、斉藤の両兄に初白星が転がり込んできたのが第3ラウンドで、その戦績は以下の通りでした。

    正木・秋丸    6―1  斉藤・野中       浅香・渡辺  4―6  佐々木・小林

    舟橋・正木    6―0  渡辺・秋丸       野中・浅香  5―6  斉藤・佐々木

そして、続いて突入した第4ラウンドで“因縁の対決”は実現したのですが、以下の通り、「舟橋征伐」を口にしていた斉藤兄が逆に征伐される結果となってしまいました。秋丸兄が無類の勝負強さを発揮して正木師範代に初めて土をつけたのも特筆に価します。

  舟橋・野中 6−3 斉藤・渡辺     秋丸・佐々木 6−3 正木・浅香

  野中・正木 6−0 舟橋・浅香

ここで、戦い終えて日が暮れて、三々五々民宿「北の勢堂」に帰館して囲炉裏端アワーに備えます。先ずは、全員の入浴が終わるのを待って、ナベ彦ワイン奉行持参のChateau Moulin Lafitte で乾杯。「ソムリエの何とかさんが何とかしたワインなのだ」という講釈の部分はワイン音痴の私にはさっぱり分からなかったのですが、渋みのあるさっぱりとした飲み味はワイン音痴にも美味さが分かります。ワイン奉行御用達のチーズもマッチして、囲炉裏部屋の隣の炬燵を囲んで談笑しながら口に含むワインは最高。囲炉裏や炬燵とワインではなんともおかしな取り合わせですが、日本の山里の伝統的な民家の一間にフランスの香りが漂うような気がするのはなんとも不思議な感じです。

ついで、正木師範代が今度は味噌奉行に変身して、正木家御用達の「こぶだし味噌」が道志同士全員と「北の勢堂」に振舞われました。昨年に次いでのものですが、本来は月謝をお支払いしなければならない師範代の方から、ギフトを頂いてしまうなんて恐縮至極です。こんなところにも、道志倶楽部が未曾有(ミソが濁ると当然ミゾウになるのだ)の集団だと言われる(誰にって、オレだよオレオレ)所以があります…なんて言ったら手前味噌になってしまうでしょうか。

囲炉裏の炭火が燃え盛る頃合を見計らって囲炉裏端に座を移します。総員9名ですので、上座の一辺だけ3人が居並ぶ形になります。阿弥陀くじで座席は決めたのですが、上座の真ん中に鎮座することになったのがコーチョク兄。その悠揚迫らぬ挙措動作もあいまって“牢名主”然としています。しかし、この牢名主殿、少々せこくて「オレの岩魚は他の誰のより小さい」と不満気です。そう言われてみると、いつものように、串刺しの岩魚が人数分だけ炭火の周りに立てられているのですが、上座の真ん中のヤツは確かに小ぶりでした。名門諏訪清陵高校出身の牢名主殿、太っ腹で座っていればいいものを。

そこに、いつものように、猪鍋と青竹入りのカッポ酒の準備も整って、いつものようにビールで乾杯して、いつものように囲炉裏リーグの始まり始まり。しかし、いつものものが何かない。何か足りない、何だろう…。野中師範代の「今日は出されないようだから言うけど、野生の動物の肉には虫がいるから生で食べるのは危険だそうだよ」の一言で、それが鹿刺であることが分かりました。鹿といえばシシ。シシ身中の虫とあっては、無視するわけにはいきません。…が、ここで、「鹿」→「虫」→「無視」ときて、これが「しかと」の話につながるのですから、道志倶楽部の団欒は見事に筋が通っています。

「しかと」は、花札の10月の絵柄の鹿(これが「鹿の十」)が横を向いているところから、「そっぽを向く」こと、そして、これが「無視する」ことを意味する俗語になったのだそうです。今回の合宿にも早々に「しかと」を決められてしまったメンバーもいますが、ありがたいことに道志倶楽部の10月には「鹿の十」だけでなく「馬の十」もいるので、9人もの「馬鹿と」メンバーが道志村に集うことになったのです。改めて、小見山兄発案による我らが「道志倶楽部憲章」を見てみてください。

「第1章 テニスをこよなく愛し,そのための言動が他人から見ていかがなものかと思われても気にしないこと」や「第2章 インテリジェンシーが高く一、ニ手先を読む予測能力と飽くなき向上心を有していると思いこんでいること」、「第3章 他人の見た目より著しく若いと自負していること」なんぞは馬鹿馬鹿しいまでの一途さでテニスの“道”を“志”していなければできるものではありません。そして今、馬鹿馬鹿しいまでの童心に戻って「第4章 安価な飲食でも紳士の交わりが出来ること」を実践できている。道志倶楽部精神の原点は小利口な方向に走らない「馬鹿と魂」にあるのかもしれません。

ところで、一度は“しかと”してやろうと思っていた鹿刺が、後になって運び込まれてきたのです。しかも、いつもと違って一人前ずつ全員に。「やー、悪いこと言っちゃったなあ」と野中師範代のたまうものの、綸言は汗の如し。師範代が一旦口に出した言葉は、汗が再び体内に戻らないのと同様に取り消すことができるわけにはいきません。そこで、やむなく、猪鍋の汁に入れて「鹿シャブ」を試みる向きも。しかし、シシカバブーなら聞いたことがありますが、シカシャブーでは様になりません。食膳に供されながら「しかと」されて大方そのまま残されてしまった鹿刺が気の毒な仕儀と相成りました。

さて、話は、“本論”のテニス総評に移ります。正木・野中両師範代が口を揃えて高く評価したのが舟橋兄。「この中では一番まともなフォームをしている」とのご託宣で、一同も納得したのですが、ここで秋丸兄が口にした「しかし、一番フォームがカレイなのは、何と言っても牧野兄だな」の一言には、一同一斉に「えっ!」となりました。「何?フォームがカレているだって?」、はたまた、「カレイって加齢のことだろ?」といった質問が当然ながら続いたのですが、秋丸兄頑として「いや華麗だよ、特にバックハンドのフォームがね」と、あろうことか物真似までして見せて。「えっ、“最もヘンテコ”と評し続けてきたものが、“最も華麗”になっちゃうなんて!!!」と、今度は感嘆符三重奏です。

聞くところによると、我がもとに弟子入りした秋丸兄を、牧野ブキラ宗匠は「秋丸は素直だから俳句の上達が速い」と評しているそうです。ことによると、秋丸兄はそのお返しに「華麗」と称えてエールの交換をし合っているのかもしれません。ちなみに、宗匠から校正指導を受けても素直に言うことを聞かないというコーチョク兄やナベ彦兄は、俳句の上達は遅いのでしょうが、その代わりに“ヘンテコ”を“華麗”と言い換える必要性を感じていないようです。俳句そのものを「しかと」している私などは論外なのでしょうが、秋丸兄の「華麗」の定義と「華麗な俳句」を見聞させて欲しいような気もします。

そんなところへ「華麗」の見本のようないでたちで若女将のカオルさん、ワカサギの天麩羅山盛りの皿を携えて登場、道志同士の団欒の輪に加わります。釣りたて揚げたてのせいでもあるのでしょうが、囲炉裏端で食するワカサギの天麩羅は絶品で、道志同士諸兄にも大好評のようです。私が公徳心を発揮できるのは唯一ワカサギ奉行としてだけですから、早朝山中湖に着いて「華麗」な富士山の姿を見ながらボートで釣ってくるというのが定番になっています。私テキには、「華麗」に澄みきった湖面に銀鱗を光らせながら釣れてくるワカサギの姿は実に「華麗」だと思っているのですが、これってヘンテコ?

折柄、日本シリーズの中日・西武第1戦のTV中継がされていて、審判団の不手際によって大揉めに揉めているところです。そうだ、落合オレ流じゃないけど、「華麗」だって「ヘンテコ」だって、評価基準もそれぞれオレ流のOnly 1であっていいのだ。…なんて思っているうちに、Only 1であったはずの一升瓶がセカンドサービスで2本になり、2升目も大半が青竹の燗の中に注ぎ込まれておりました。そして、岩魚の串焼きも猪鍋もやっつけて、これも定番のオジヤも片付けると、いよいよ秋丸焼芋兼焼栗奉行の出番です。ラップして、灰の中に埋め、ひたすら焼けあがるのを待つ秋の夜長。

秋の夜も長かったのですが、あくる日の朝のまた長かったこと。いつものように4時に目が覚めたのですが、皆まだ白河夜船で安らかな寝息を立てています。古い映画で「悪い奴ほどよく眠る」というのがありましたが、ほんとにみんな悪い、じゃなくて若い奴らです。眠るのにもスタミナが要るといいますから、私以外の道志同士諸兄はstill youngでスタミナたっぷりということなのでしょう。スタミナ切れで寝続けることのできないこちとら、話し相手もなくすることもなく、仕方がないので、退屈しのぎに寝床の中でケータイのメールをピッピとやって秋の朝長を過ごしていました。

ようやく、明るくなったので、起き出して囲炉裏端に座っていると秋丸兄がやってきて、残り芋の発掘作業が始まりました。芋を包んだアルミホイルには未だ温もりが残っていましたが、いかんせん、火に近づけすぎておいたためか、相当の部分が炭化してしまっています。それでも、焼芋奉行殿の労作を無駄にすまいと真っ黒い部分までガリガリ齧っていますと、タイゾー兄がやってきて、「おや、スミズミまで食っとりますなあ」。焼芋奉行殿、これに答えて、「魚肉も骨についたところが旨いのと同じように、芋も炭にくっついたところが旨いんじゃよ」。そこで、すかさず「これがほんとのおスミ付きってやつですなあ」と切り替えしたタイゾー兄も、なかなかスミに置けません。

遅めの朝食を終えて、一同コートに向かうと、空には雲ひとつなく、眩いばかりの朝日が輝いていました。透き通るような青空を背にくっきりとして見える山々の稜線。昨晩の冷え込みのせいか、木々も一段と色づいたようです。今年は雨量が多かったため、すぐ道路わきを流れる道志川の水嵩も多く、いつもなら無色透明で澄んだ水がサファイア・ブルーの色調を帯び、勢いよく白い飛沫をあげて流れています。ちょっぴりひんやりとしていて、何もかもが清澄な山里の秋の朝。「いいなあ道志やっぱり道志」、思わず常套の台詞が口をついて出る至福のひと時でした。

早速開始した第5ラウンドの成績は以下の通りでした。

   浅香・舟橋 3−6 佐々木・小林   野中・秋丸 6−3 渡辺・正木

   斉藤・浅香 5−6 舟橋・佐々木   小林・野中 6−4 秋丸・渡辺

そして、引き続いての最終第6ラウンドの成り行きは次の通り。

   正木・浅香 6−0 佐々木・野中   舟橋・秋丸 6−5 斉藤・渡辺

   秋丸・浅香 1−6 正木・斉藤    野中・舟橋 6−3 渡辺・斉藤

コーチョク兄が、ナベ彦兄と組んでの対舟橋・秋丸戦の途中でアキレス腱の不調を訴えてリタイアし、斉藤兄にバトンタッチした時には“諏訪”一大事かと心配しましたが、野中師範代持参のパスタノーゲンを塗ったのが功を奏して事なきを得、ほっとしました。さすが、馬の脚の治癒にも聞くというパスタノーゲン、平素の鍛錬不足の馬脚を現したコーチョク兄の脚もことなく救ってくれました。

これでテニスはAll is over.“紳士の交わり”でなる道志同士、きちんとコート整備を済ませて帰館。思い思い入浴して昼食の卓に勢ぞろい。大方の運転しない組は運転する組に気を遣いながらビールでウガイを始めました。運転する組も「ちょっと1杯だけ」といきたくなるところですが、ここはOnly 1でもご法度です。気を遣わないタイゾー兄の「やっぱり、湯上りのビールはうまいね」のおおらか過ぎる一言を内心「コンニャロ」と根に持ちつつ箸を進めたのでありました。昼食の後は、自ら勘定奉行を買って出てくれた舟橋兄が会計を締めて大団円。食卓の後片付けも会計も、幹事の私が民宿「北の勢堂」の主人・山口大八老と挨拶と懇談を交わすために席を外している間に自主的に行われていたものです。

帰り支度を整えて、遅れて駐車場に向かいますと、若女将カオルさんを加えて皆で記念写真を撮影しているところでした。以前でしたら、「幹事を“しかと”するとは!コンニャロメ」と怒っていたところですが今は違います。自称常任幹事としての私の出番はなくなったのだ。これで良いのだ。このように、「オンデマンド」、つまり、いつでも集まれただけのメンバーからの要求に応じて(on demand)、めいめいが自主的に振舞っていくのがこれからの道志倶楽部の姿なんだと改めて納得しました。

ご存知かと思いますが、ITネットワークにも「P2P」というスタイルがあります。「ピアツーピア(peer to peer)」のことであり、「クライアント・サーバー・システムと違って、端末同士を1対1で対等な立場として接続する方式」ですから、ネットワークにつながれた全てのコンピューターが対等な関係になります。ですから、それぞれが、各コンピューターに対してサービスを提供するサーバーとしても、サービスを受けるクライアントとしても動作できるというのが特徴です。

それぞれのメンバーが、時として自らが奉行(サーバー)として名乗り出て、時としてクライアントとして奉行のお世話になった今回の道志同士合宿は、まさに「P2P」スタイルであったではありませんか。“ピア(peer)”という言葉は「仲間」の意味ですから、道志同士はピア同士。道志倶楽部はオンデマンド・ピアツーピアの人的ネットワークとしてやっていけばいいわけで、今回の合宿がそのための格好の試金石になったものと思っています。自称常任幹事としての私の役割もAll is over.…でしょう?

「退任は許されない。辞めたくても辞められないのは天皇陛下と同じなんだ」とする斉藤兄からの大変力強い檄文調のものから、舟橋兄からの「何とか続けてくださいよ」という胸に迫る囁き調のものまで、数々の温かい慰留の言葉をいただきましたが、やはり自称常任幹事の立場から身を退いて、腕を撫して待っている次期幹事の牧野ブキラ兄に後事を託すことにします。敬愛する長嶋さんの真似をさせてくださいよ。「佐々木洋は自称常任幹事を辞めますが道志倶楽部は永遠に不滅です」。

道志同士諸兄が、どれほど道志合宿を愛し、どれほどその存続を望んでいるかということもよく分かりました。次期幹事殿の道志合宿に与える優先度の程が定かでありませんので、道志倶楽部として来年以降も継続実施されるかどうか分かりません。しかし、私自身道志村が大好きですので、既に別の仲間達と道志合宿に出かけることを決めています。ですから、道志同士諸兄には、そちらの方に優先参加していただいても結構ですし、場合によっては、私がオンデマンドで道志倶楽部の合宿奉行としてサーバー役を務めさせて頂くのにも吝かではありません。いずれにせよ、来年もまた、道志の地でPeer to Peerの紳士の交わりを是非。コート上と囲炉裏端での再開の日を楽しみにしています。

以 上


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