道 志 倶 楽 部 の ペ ー ジ |
A.道志倶楽部温故知新大会(2003/3/29) |
道志倶楽部温故知新大会のご案内 2003年も早くも1/12が経過してしまいましたが、道志倶楽部関係者・無関係者各位におかれましては、ひたすら我が「道」を「志」し、わがままとも思えるマイウェイの生活をお続けのこととお悦び申し上げます。 さて、プロ野球はキャンプイン、高校野球は春の選抜大会出場校決定と、球春の便りが聞こえて参りましたが、我等が道志倶楽部は幹事の性格さながらのタヨリナシのオトナシ(音無し)で1/12を過ごしてしまいました。 かくてはならじと、「春季大会はプロ野球開幕と同期して行う」という道志倶楽部の故事の顰に倣って下記のような「温故知新大会」の開催を企画いたしました。開催の曜日も原点回帰で「土」に戻しましたのでご注目ください。 プロ野球新人や高校球児の如き初心に戻って球春を寿ぎ合いつつ、旧態依然とした接戦、拙戦、舌戦を交し合いたいと思いますので、先ずは日程ご確保のうえ、お早めにエントリーされますようご案内いたします。 Re: 道志倶楽部温故知新大会のご案内 ナベ彦兄 やや久方ぶり(?)のメール、嬉しく拝受しました。エントリー、もち大歓迎です。なお、「勝正恒」のラチも企てているのですが、誰かさんと同じような無網症で、お嬢さん経由のメール連絡ですのでなかなかラチがあかず、未だエントリーが得られていません。折を見て貴兄からも誘ってください。 コーチョク兄 竹馬じゃなくて駒場の友「勝正恒」に対しても、『寒スズメせめてこちらへ傘ん中』の優しい気持ちを向けてやってください。もっとも、腕前の程は寒スズメなのか無毛鷹(ハゲタカ)なのか、無手「勝」流では「勝」手が違ったりし「勝」ちですが。 草 々 2003/2/7 平周五郎こと 佐々木 洋 拝 |
2003/3/29(土)久方ぶりの大会を「温故知新大会」と銘打って開催しました。「春季大会はプロ野球開幕と同期して行う」という道志倶楽部の故事の顰に倣ったものであり、開催の曜日も原点回帰で「土」に戻しました。会場はいつもの横浜市港北区「東芝エレベータ(株)研修センター内コート」。土曜日につき、折柄の新入生研修等のため人の出入りがあり雰囲気が違うこともありえるので、「挙動不審」の度が過ぎぬよう振る舞うべく申し合わせたうえでの大会挙行でした。顛末は以下の通りでした。 いやーな予感がしたんです。二宮駅まで行って「二宮在郷軍人会」の河本・吉武・浅野の諸兄とともに参戦せんと辻堂駅に駆けつけたところ「下り東海道線数分遅れ」の知らせ。この旨吉武邸に電話連絡し、早速「待てば海路の日和あり」の温故知新で、列車の延着を待っていたのですが、待てど暮らせど来ぬ電車。「遅れ」どころか、普通列車のくせに不通とは、こはいかに。そこでまた「治にいて乱を忘れず」の温故知新で、今度はケータイで、二宮駅で待つ吉武兄に電話し“見切り発車”を要請。自分自身は、上り線で横浜経由にて地下鉄・仲町台駅から参戦することにしました。それにしても、最初からいやーな予感。 はたして、仲町台駅から会場に足を運ぶ途中、辻堂界隈では堪えていた空が“お漏らし”を始めてポツーリポツリ。途中でご夫人が運転の吉田タツロー車に拾ってもらって会場に到着した頃には、いつものように無邪気にコート上に飛び出してはいけない程の状態になってしまいました。いやーな予感は列車の「運転」から「雨天」へ穏便ならざる音便変化。しかし、天候回復に望みを託し温故知新の「雨降って地固まる」をひたすら信じて集い来るテニ馬鹿達。取り敢えずは、ロビーに引きこもって雨宿りを決めこみます。 コートに水溜りができ始め、本日の雨男の取り沙汰が始まった頃、みんなの願いが通じたか雨が止みました。空見たことか(?)、温故知新の「念ずれば通ず」です。ここぞとばかり一同、野中師範代の率先垂範のもと雪掻きならぬ水掻き作業に。しかし、作業が進んだところで、またぞろ「雨天」でスウィーパー「運転」は中断、再びロビーに引きこもることになりました。その後も「雨天」と「運転」のイタチゴッコが続きます。これではとても「運」を「天」にまかせておくことはできません。そこで、温故知新の「雨乞い」の逆をゆく「逆雨乞い」をとばかり、吉田タツロー兄と某の二人、小雨のコート上に飛び出して行って、ゆったりとボレー・ボレーを開始。見事この見を挺してのお祓いが利いて、やがてプレーが可能な状態になりました。 さて、今回は勝正恒兄の初出場です。同兄は、学生時代に佐々木と同ゼミで小林コーチョク兄とは駒場で同クラス。そんなところへ、渡辺ナベ彦兄と「外苑で知り合った内縁」の関係ができ、今回のデビューにつながったのです。神宮外苑テニスクラブ仕込みの上品なテニスでしょうし、名前が「正しく恒に勝つ」ですからタダ者ではありません。しかし、三菱電気卒としてずっと“孤閨”を守ってきた河本憲三兄には心強い道志の同士ができお慶びのことでしょう。そんな勝兄も加えテニスの道志す同士13名(渡辺ナベ彦兄は多用中勝兄の引き合わせのため来場しましたが開戦を待たず退散しました)。戦績は以下の通りでした。 野中・川口4−0河本・秋丸 正木・浅香 4−2吉田・浅野 吉武・上月1−4小林・勝 佐々木・野中3−4川口・秋丸 上月・浅野1−4吉武・勝 小林・野中 4−0秋丸・佐々木 勝・上月 2−4吉武・浅香 吉田・正木 4−0浅香・河本 川口・正木4−1吉田・河本 浅野・野中 3−4小林・佐々木 秋丸・正木1‐4河本・吉田 浅香・上月 2−4川口・勝 野中・勝 1−4小林・佐々木 浅野・正木 4−1河本・秋丸 河本・正木4−0秋丸・吉田 川口・上月 2−4吉田・浅香 恒例の反省なき反省会の会場も原点回帰で元の「蘭蘭」。優勝者スピーチも、恒例の正木師範代かと思いきや、まさかの全勝・小林コーチョク兄でした。「毎日続けている筋肉体操が効果を現した。諸兄も“継続は力なり”の温故知新を」と、滅多に無い機会を利して、ひとしきりコーチョク節が鳴り響いておりましたが、「勝てば官軍」だからというわけではなく、体の切れの良さとそれを利しての強力サービスは一同の認めるところでありました。 さすが正木師範代は銀メダルでしたが、唯一の黒星をつけたのが河本・吉田ペア。師範代のパートナー・秋丸兄ともども「全勝ストッパー」の名をほしいままにしました。「全勝ストッパー」と言えば、実はコーチョク兄の全勝も実は風前の灯だったのです。浅野テニス内匠頭が、野中師範代と組んで小林・佐々木組をリードしていた矢先に、大会途中でいずこかへ遁走を企てていた義兄・モンゴリアン吉武のアッシー役を務めさせられたのが響いて後刻戦闘再開して逆転を喫したのでした。ですから、吉武シンゴ兄がコーチョク兄の隠れた「全勝サポーター」だったわけです。 続いての銅メダルが川口兄。このところのコンスタントな上位入賞は地力アップの証でしょうか。緒戦で野中師範代と組んで河本・秋丸兄を完封したのを皮切りに向かうところ敵なしの快進撃。こちらは上月兄がパートナーとして身を挺して「全勝ストッパー」役を果たしてくれました。ついで4位が途中遁走の吉武シンゴ兄。注目の新参・勝兄は、ハエタタキ浅香兄と並んでの5位入賞でした。天女の舞・吉田タツロー兄と双璧の丁寧なテニスが光り、名前の「勝」のこだわりすぎず時にはこれを譲るという謙虚なお披露目ではありました。 |
B.道志倶楽部テニス・ゴルフ・観光大会(2003/5/18-19) |
Re: 道志倶楽部のゴルフ部会の企画 正木さん いろいろご発案頂き有難うございます。 袋田滝は私も秋に二度訪れたことがありますが、春新緑の頃も素晴しいのではないかと思います。場所の選定とともに、囲炉裏を囲んだ秋の道志猪鍋合宿に対して山菜料理を楽しめる春の合宿を恒例(高齢?)行事にするという案も素晴しいと思います。但し、「観光&ORテニス、懇親会・宿泊そしてゴルフ」のアイデアは、従来の沼津分科会、いわき分科会と同じように「ゴルフor観光、&テニス、懇親会・宿泊」にした方が良さそうに思えます。別に前例にこだわるわけではありませんが道志倶楽部らしく「テニスはWe全員で」楽しみたいからです。 なお、私事ながら、4月から週1回某大学に出講することになっており、それが月曜日になる可能性が強いのです。しかし、多かれ少なかれ皆さん事情があって揃い踏みは難しいでしょうから、キーメンバーであるTMW(タッチ・正木・渡辺)トリオの都合優先で日程を決定されたら如何でしょうか。もちろん、不幸にして参加できない場合でも、必要でしたら、案内状送付やエントリーの取り纏めなどの幹事役は務めさせていただきますし、部分的な参加だけでもさせていただくようにします。TMWトリオの独断専行でお進め下さい。六大学残りのKRH(Kochoku,bukiRa, Hiro)トリオ(?)はできるだけ追随するということにして。 ナベ彦兄 キーメンバーでありながら、かつ、晴れの第1回大会でありながら、何やら泣き言を申されて「間に合うか定かでありません」などと口外されたら、袋田滝だけに袋叩きは必定。真人間に戻り参加目指されたし。 コーチョク兄 週末無網の生活が祟って、かくも重大なメール連絡網から外されてしまったではありませんか。これを称して天網恢恢・・・。恢恢のうえ怪怪なることにはキーメンバーTMWトリオからも外されてしまった(誰がはずした?)但し、快快なることにナベ彦兄が心優しくも「小林公直と横田夫人が揃って参加できるよう日程を決めて頂きたく」と申されておられるではないか。今晩以降、青葉台に足を向けて寝てはなりませぬ。やはり六大学もTMWKが揃った方が透明(東明)で早計(早慶)のそしりを免れられます。TMWKカルテット決定事項は法律(法立)も同然と受け止めますので、週末無網の前非を悔い現非を詫びてキーメンバー入りを懇請し、ドサクサ紛れに紛れ込まれるよう強くお勧めいたします。 ブキラ兄 薩摩守よりの袋叩き論議をお待ちしております。 草 々 2003/2/17 袋田滝のこなたより 平周五郎こと 佐々木 洋 拝 道志倶楽部テニス・ゴルフ・観光大会のご案内 ご無沙汰してます。お元気ですか。 昨年末以来、「秋合宿があるのに春合宿がないのはおかしい」だの「テニスばかりでなくゴルフの道を志す者に対しても機会を設けないのは不行届きである」だのと“抵抗勢力”から圧力がかかり、小泉クンのように「そんなことは大したことではありません」と嘯いてはいられなくなってしまいました。 しかし、ゴルフクラブに封印をしてしまった幹事といたしましては芝刈り込みの春合宿を企画する手立てがなく途方にくれておりました。そんなところに、正義の味方が現れ、このたびTGS春合宿(Tennis and/or Golf and/or Sightseeing)が実現することになりました。事前に実地検分までして企画してくれた正義の味方は正木師範代です。もしかして「正木」は「せいぎ」と読むのかもしれません。TGSいずれの面でも師範代が務まる「正義さん」こそTGS春合宿幹事として適任であります。 しかし、常任幹事のくせにすべてを師範代にお願いしてしまったのでは、幹事怠慢のそしりを免れず、場所が場所だけに袋叩き(袋田滝)されてしまいそうです。そこで、正木師範代による下記の懇切丁寧な企画を受け売りしてご連絡するとともに、エントリー受け付け等の雑事をお引き受けして、お茶を濁させて頂くことにしました。今回の企画が成功すれば、否、成功するに違いありませんから、TGS春合宿は道志秋合宿と並ぶ恒例(高齢?)行事に なるに違いありません。記念すべき第1回に名を連ねそこなわないように、早々にスケジュール表に記入されるようお勧めします。 記
|
実現までの経緯 昨年末以来、「秋合宿があるのに春合宿がないのはおかしい」だの「テニスばかりでなくゴルフの道を志す者に対しても機会を設けないのは不行届きである」だのと“抵抗勢力”からの圧力がかかってきて、小泉クンのように「そんなことは大したことではありません」と嘯いてはいられなくなってしまいました。しかし、ゴルフクラブに封印をしてしまった幹事といたしましては芝刈り込みの春合宿を企画する手立てがなく途方にくれておりました。そんなところに、正義の味方が現れ、TGS春合宿(Tennis and/or Golf and/or Sightseeing)が実現することになりました。事前に実地検分までして企画してくれた正義の味方は正木師範代です。もしかして「正木」は「せいぎ」と読むのかもしれません。TGSいずれの面でも師範代が務まる「正義さん」こそTGS春合宿幹事として適任であります。 イベントの概要 しかし、常任幹事のくせにすべてを師範代にお願いしてしまったのでは、幹事怠慢のそしりを免れず、場所が場所だけに袋叩き(袋田滝)されてしまいそうです。そこで、正木師範代による懇切丁寧な企画を受け売りしてメンバー各位にご連絡するとともに、エントリー受け付け等の雑事をお引き受けして、お茶を濁させて頂きました。受け売り連絡の趣旨は次のようなものでした。 宿泊&懇親会 袋田温泉 「思い出 浪漫館」 イベント参加は、A(フルコース)、B(テニス・宿泊・観光コース)、C(ゴルフ・宿泊・観光コース)、D(観光・宿泊コース)のコース・オプションから、自由に選択してエントリーできる仕組みです。 顛末記 <テニス部会> 二つの「かいな?」 単騎いわきより愛車シビックを駆って一目散、山間の道を縫い茨城県大子を目指します。日本三大瀑布の一角「袋田滝」には目もくれず、山間にある大子広域公園のテニスコートに駆けつけてみれば、なんと道志倶楽部メンバーの姿が見当たりません。はてさて、いわきと京浜の間には時差があったのかいな。「正木」名のコート予約を確認すると、「さあ」というテニスコート受付係員のいかにも心もとない返事。はてさて、私が場所を間違えてしまったんかいな。しかし、この二つの「かいな」は腕交わして考える間もなく氷解しました。前者は私が勝手に集合時刻を1時間間違えていたためであり、後者は係員間の連携ミスによるものであることが分かりました。そこで、気を取り直しコート予約も取り直して、似非小次郎「遅かりし、武蔵!」を待ち受けます。 三々五々似非武蔵軍団集結 総面積50haの広さを誇る大子広域公園には、テニスコートの他に、多目的運動広場、斜面利用型アスレチックの運動施設や林間散策路、多目的体育館があり、更に「フォレスパ大子」では温泉プールで水泳を楽しむこともできます。ですから、似非小次郎が時間つぶしと空腹しのぎのため一歩きして「フォレスパ大子」内のレストラン(食堂?)に行きますと、水着のまま家族連れが出入りしていて、孤独な似非小次郎の寂しさが一層募ります。精一杯、大子っぽいメニューをということで選んだ「モツ煮定食」なんかを一人寂しく食べて、トイレを済ませでてきたところで似非武蔵の二人にばったり遭遇。テニスコート受付で似非小次郎の事前遁走を聞きつけてきた川口・小林の両名で、すんでのところで行き違いになるところでした。そうこうするうちに、時計は12時を回って午後となり陽は燦燦。燦燦午後となって三々五々似非武蔵達が続々集結してきました。 雲助駕籠に乗る おかしかったのは、今回の紅一点麗タッチご一行でした。ご存知「沼津三島分科会」にゲスト参加されて以来、知るメンバーぞ知る麗タッチが自らハンドルを握り、渡辺ナベ彦兄と吉武シンゴ兄を乗せての到着でした。麗タッチからは、後日メールで、「私の運転を恐れもせずに御同乗下さり」とありましたが滅相もありません。雲助が姫様の担ぐ駕籠に乗せて頂くなんて空前絶後前代未聞。本来の雲助コンビ、吉武シンゴ兄と渡辺ナベ彦兄、座りなれない高座で吉本ならぬ吉ナベ興行となり座をつないで「お後がよろしかった」ようで何よりでした。しかし、雲助の駕籠(過誤)は続き、腰痛でテニスの部不参加を決め込んだ小林コーチョク兄まで、麗タッチのお世話になって観光ドライブを楽しむ羽目になったからです。本来なら姫様を侍従が運転してお連れするものを、自重が重いばかりで自重に欠ける侍従には困ったものです。ことによると、コーチョク兄は最初からこの僥倖が狙いで、腰痛はテニス部会回避のためのインボーだったのかもしれません。 似非君子豹変 さて姫様と似非侍従の見守る中、熱戦の開始。いつものような拙戦はあったかもしれませんが、“御前試合”とあって、いつものような舌戦はありません。やればできるんだなあ、口ニスではなくて手ニス足ニス。なんとか、姫が観光ドライブにご出立されるまではなんとか馬脚を現さずに済んだようです。しかし、姫去りし後の賑やかなこと。さすがは道志倶楽部の似非君子一同、見事に豹変して姫の目をくらますことに成功しました。その証拠に、後日頂いた麗タッチ・メールに「皆様の軽快で、華麗なテニスプレイ姿にはホントに感歎いたしました」とありました。それでもって、戦績は以下の通り。 佐々木・正木:川口・上月 6:1 秋丸・佐々木:浅香・渡辺 6:3 川口・正木:上月・吉武 6:4 正木・吉武:秋丸・川口 6:4 佐々木・渡辺:浅香・上月 6:0 上月・佐々木:浅香・上月 6:3 秋丸・正木:川口・渡辺 6:2 秋丸・吉武:上月・渡辺 6:3 浅香・正木:川口・佐々木 6:4 佐々木・正木:秋丸・浅香 6:0 <懇親会&宿泊部会> さて、似非幹事の私めはテニス部会だけで退散です。止せばいいのに引き受けてしまった大学での講座の翌日分の講義の準備があるからです。しかし、ここまで来てみんなの宿泊場所の雰囲気も味わえないというのも癪なので袋田温泉は「思い出 浪漫館」に立ち寄ってみますと、既に姫・侍従コンビが先着しておりロビーで優雅にお茶などしちゃっていました。そこへ当然のごとくお邪魔虫をしていると、もう一匹現れたお邪魔虫が懇親会からエントリーの稲垣兄でした。そうこうするうちに、似非君子連が続々と到着。めいめいに温泉入浴の段取りを始めます。ここまで来てみんなができる温泉体験が味わえないというのも癪なので、正木幹事に懇請して何とか温泉に泉入することができました。袋田来訪無慮3回目にして初めて味わえる幸せ。正木さんに感謝感謝でした。そこで、一騎当千の皆さんにお別れをして、一騎シビックを駆って帰途についたのですが、無銭入浴の盗泉は初体験のこと。 懇親会の模様(正木レポートより) 浅香・秋丸・稲垣・川口・上月・小林・正木・横田(麗タッチ)・吉武・渡辺の10名が1階宴会場にて和食に舌鼓を打ちながら観光やテニスの話題に思い思いの花を咲かせました。引き続き「思い出の安らぎ館」5階の和室にて懇親二次会に各自各様のご披露を楽しみました。テニスの成績も発表されました。 横田様には二次会に際してきめ細かな差し入れのサービスをご提供頂きました。改めて厚くお礼を申し上げます。 なお、宿泊は上月・横田の両氏にはシングルにて、その他の8名は静かな夜の音色に自信のある方とない方が4名ずつに別れて三々五々に眠りにつきました。 * 静かな夜の音色に自身のある方とない方も、大いなる音色を鳴り響かせておられたに違いありません。袋田界隈方面から時ならぬ雷鳴が、いわき方面まで轟いてきましたもの。 <ゴルフ部会> 初公開のゴルフスコア 正木さんからレポートしていただいたデジタルデータを、名誉不名誉にかかわりなく、以下の通り公表しちゃいます。大方のところは、感嘆やら納得やら安心やらしていただけるものと思いますが、私めが中でも最も感動したのが、きちんとメーカーとブービーを務めた両巨頭の立場を弁えた節度あるスコアでした。ワンゲルでも、先頭以上に大切なのがしんがりなんですよねえ、タッチ姉(?)&ナベ彦兄。また、「今年60のお爺さん」続出かと思いきや、某コーチョク巨頭の前半ハーフだけではありませんか。しかも、わざとらしい(?)61。お陰で30台から60台までの4階級制覇の快挙! @ 日時 5月19日(月) A 場所 サニーフィールドゴルフ倶楽部 B 天候 曇り 一時小雨 C 成績 GRS-HCP:ネット 優勝 正木泰裕 45・39:84-10.8:73.2 準優勝 吉武紳吾 49・40:89-15.6:73.4 3位 横田禮子 56・51:107-33.6:73.4 4位 浅香泰三 48・53:101-26.4:74.6 5位 秋丸康彦 53・47:100-24.0:76.0 6位 稲垣宏一 54・55:109-31.2:77.8 7位 川口 正 47・46:93-13.2:79.8 8位 小林公直 61・55:116-36.0:80.0 9位 渡辺孝彦 55・58:113-32.4:80.6 「坊ちゃん」秘話 快挙を達成したのにもかかわらず、事後コーチョク兄からの音沙汰が途絶えているのはナンデダロー・・・♪♪♪と、訝しい思いがしておりましたところ、実は、武士の情けから正木さんが公表を控えていた空前絶後の事態が発生していたことが判明しました。似非感じには武士の情けなどありませんから、事後にやり取りしたメールから抜粋して「坊ちゃん」秘話を以下の通り非秘話にしてしまいます。
<後日のメール・ラリー>
|
C.道志倶楽部ケンケン大会レポート(2003/7/19) |
ケンケンのいわれ 正木師範代アレンジによる5/18-19テニス・ゴルフ・観光大会以来、幹事の怠慢で大会を開催せぬままいるうちに、人知れず艱難辛苦に苛まれていたメンバーがおりました。かたや吉武シンゴ兄は病院史上最長時間を要した親知らずの難手術のための入院とリハビリの生活。こなた渡辺ナベ彦兄はギックリ腰での仰向け寝たきり植物人間生活。そこで、今回の大会は、定常大会兼シンゴ兄快気祝大会兼ナベ彦兄快気祝大会となり、ケンケン大会というヘンテコな名前がついたわけです。梅雨明けと両兄のリハビリ完了日程を独自の勘で予測して設定したのが7月19日吉日。しかし、今年の梅雨明けは遅く、前日の天気予報も芳しくないので、エントリーメンバーの心中もさぞや梅雨空状態ならんと察して、「サンシャインいわきより晴天を持参して参上」の“幹事声明”を発しての参戦でした。 もう一つケンの彩り 「二宮モンゴル騎馬隊」の常連「人間カーナビ」河本兄が都合で出馬取り消しになったのは残念でしたが、吉武シンゴ兄とその義弟である浅野タクミ兄とともに、吉武「勘ナビ」の誘導でも何とか無事定刻前に会場に辿り着くことができました。すると、既に先着している乗用車が1台。吉田タツロー兄とそのアッシー役を務めてこられた吉田賢夫人でした。この「賢」が決して美辞麗句でないことは、我々道志倶楽部の交換メールを常々愛読されているという一言で明らかで、ケンケンにもう一つのケンの彩りが加わりました。折角の「道志倶楽部」ホームページも見てくれていない不ケン(見=賢)識メンバーより遥かに強いWe意識の持ち主である吉田賢夫人には、次回以降一緒にテニスされるようお勧めしておきました。その際には、爪の垢を頂いて煎じて飲んでください。不賢メンバーもきっと賢くなれます。 快気祝コンビ勢揃い “幹事声明”を発しておきながら内心心配していた天気も先ずはOK。待つ間もなく、次いで師範代兼現地奉行の野中ノンちゃん兄が到着。更に、あろうことか、重役出勤の常連・ナベ彦兄が早朝出勤してきました。ここで「腰の方はもう大丈夫?」と声をかけてはじめて「あっ、いけねえ、吉武の方には心配の声をかけなかった」と気がつきました。二宮駅で出迎えてくれたシンゴ兄の表情がいつも通り明るくにこやかで、親知らずの難手術の跡形も感じさせないものだったからです。シンゴ兄の方は「何時になったら佐々木が心配の声をかけてくれるんだろう」とずっと思っていたそうです。思えば、二宮から横浜のコート上に至るまでの間、シンゴ兄を「奥歯に物がはさまった」状態にしてしまっていたことになります。いずれにしても、快気祝コンビが目出度く勢揃いしてケンケン大会はこれで成立です。そうこうするうちに、川口兄をアッシーに牧野ブキラ兄、更に「うちの方(八王子)はまだ降っていたんだけど」といいながら会場予約奉行兼(合宿時の囲炉裏サイドの)焼き芋奉行・秋丸ヤス彦兄が到着して、必ずしもベストとは言えない(蛇足)アーリエスト・ナインが揃いいよいよ戦端が開かれます。 きっちりと快気祝 緒戦の結果は次の通り。快気祝は病気から快癒した者の方が贈るものですから、シンゴ・ナベ彦の両兄とも快気祝としてきっちり(しかも、わざとらしくなく)白星を贈呈し、弁えのあるところを示したのはさすがでした。 吉武・秋丸 3―6 佐々木・吉田 渡辺・川口 1―6 野中・浅野 タツロー兄は「毎日曜日、老人クラブで、日没前の2時間テニスをするようになった」のだそうです。日没を基準時刻とするところはイスラム教のラマダンみたいで愉快ですが、週5回の平周五郎には及ぶべくもないものの定常的な週一郎プレイヤーになったのは大きな環境の変化です。その上、大枚はたいて舞扇ならぬ舞ラケットを新調したのでタツロー兄持ち前の「天女の舞テニス」は冴え渡ります。しかし、道志倶楽部の面々、素直じゃありませんね、人の誉め方が。タツロー兄のナイスショットを見て、こちらが「さすが、週一郎」と誉めているのに、「ナイス、ラケット」更には「さすが老人クラブ」なんて声がかかるんですもの。かくいう私めも、腰痛癒えて更にコート・カバレッジが広くなったナベ彦兄を称して「ナベちゃん、腰痛をしてテニス上手になったねえ」とやってしまいました。さすがに温厚なナベ彦兄も一瞬ムッとした様子をして見せていました。一体全体、誉めているのか貶しているのか。「反省会」のネタが一つできました。 フレッシュ・コンビ登場 第2ラウンドには、前回に引き続き2回目参加の勝兄と、その際の帰途に勝兄のアッシー役を務めた上月兄の登場で、戦績は以下の通りでした。膝痛のため私めは観戦に回りましたが、一頃に比べて凡ミスが減りナイスラリーが相次ぎ、見ていても結構楽しめるゲームになっており、決して欠伸は出てきません。特に、勝兄の参加が一発屋ぞろいの道志倶楽部に「丁寧なテニス」の大切さを改めて教えてくれたようです。 牧野・上月 3―6 渡辺・勝 川口・秋丸 2―6 野中・吉田 この間ゲーム参加を中断して仲町台駅にピックアップに向かったシンゴ・タクミ義兄弟コンビに伴われて現れたのが吉武さやかちゃん(シンゴ兄次女)と伊達貴彦さんのフレッシュ・コンビでした。二人は慶応大学の同好会ミックスダブルスの優勝ペアで、シンゴ兄の在住期間中にも一行で押しかけて似非モンゴリアン親父ペアを一蹴した実績があるそうです。早速、練習を開始したのですが、さすがに球筋が違います。シンゴ兄と比べて「この親にしてこの娘あり」と評する者は一人としておらず、同じ慶応卒の孝彦兄といっしょくたにして「さすが慶応のタカヒコは違う」と評する者もおりませんでした。エキジジョン・マッチの結果は以下の通り。時折、「親に逆らうな」やら「親の言うことを聞け」という説諭らしき声も聞こえましたが、気のせいか威厳ある説諭というより息も絶え絶えの悲鳴に近いもののように聞こえました。 吉武さ・伊達 4―3 吉武・野中 介護による回春効果 はてさて小林コーチョク兄が現れないのはどうしたことか。留任が決まりお役人のための駕籠かき稼業が続くことになったため 、気楽な「放駕籠」生活へ向けての兼コーチョク兄壮行会のケンケンケン大会にならなかったのは先刻承知でしたが「無届欠勤」とはケンもホロロの仕種じゃござんせんか。しかし、今回は常連コーチョク兄に食らわされたケンつくを補って余りある非常連コンビのエントリーがありました。先ずは「反省会を楽しみに後半からシード出場します」との前触れで駆けつけた舟橋兄と、これも久々登場の小見山師範格待遇。きびすを接しての重役出勤の二人、早速練習を開始したのですが、数分もせぬうちに舟橋兄が腰を押さえてリタイア。やむなく舟橋兄欠場のまま第3ラウンドに突入しました。戦績は以下の通りです。 佐々木・浅野 6―4 牧野・吉田 小見山・勝 6―4 伊達・上月 渡辺・秋丸 6―2 川口・吉武さ 川口兄は、さやかちゃんの手厚い「介護」を受けた“喜び組”で順調な出足だったのですが、喜び過ぎのためのミスショット続発が響いて、相手の“喜ばせ組”となる結果となってしまいました。久方ぶりのテニスという伊達さんも、田園(小見山)外苑(勝)の名門クラブ・コンビが相手とあっては、さすがに軽量の上月兄でも介護は重荷だったようです。しかし、フレッシュ・コンビが随所に見せるフレッシュなプレイは大いなる回春効果があるようで、被介護の川口・上月両兄のみならず、非被介護のナベ・ヤスの彦コンビも大いに若返って溌剌としていました。この介護による回春効果に浴することができなかったコーチョク兄には悔悟による改悛効果が及ぶことでしょう。 腰痛去ってまた腰痛 さやかちゃんの介護を受けていた川口兄が、気の利かぬ幹事になりかわって、今度はリタイア中の舟橋兄の介護役に回ります。そして呼び寄せたタクシー。ゲーム中の幹事が遅れ馳せながら駆けつけて見ますと、後部座席に舟橋兄が体を横たえていました。よほどの痛みを一人休憩所で堪えていたのでしょう。にもかかわらず、遊び呆けていて介護に赴かなかった幹事の胸にも悔悟の念が走ります。折角、ナベ彦兄が癒えたのに、腰痛去ってまた腰痛。経験したものでなければわからぬ腰痛の辛さ。舟橋兄のその後を心配しております。一日も早く快癒され、今度は兼舟橋兄快気祝大会が実現できますように。そこで、タクシーに乗った舟橋兄を見送りながら最終ラウンド続行。以下のような結果となりました。 吉武さ・吉田 4―6 野中・佐々木 上月・勝 1―6 吉武・牧野 小見山・牧野 5―5 伊達・浅野 タツロー兄が、エキジジョン・マッチでのフレッシュ・コンビの真似をして、好プレイを決め合うたびに吉武さやかちゃんとハイタッチを繰り返すのが妬ましくてノン・ブレイシュ(野中ノンちゃん・佐々木無礼酒)コンビは歯も牙もむき出しにして抗戦し何とか吉武娘ペアに一矢。吉武父の方は「江戸の敵を長崎で」とばかり、ブキラ兄と組んで上月・勝組を一蹴。見事吉武家としての帳尻を合わせました。帳尻合わせといえば、さすが小見山師範格待遇。介護役に回った川口兄に成り代わってのシャシャリ出ブキラ兄がパートナーでしたが、伊達(マサムネ)浅野(タクミ)の名門コンビと5―5時間切れ引き分けのハッピーエンドを演出してくれました。ミックスダブルス優勝も伊達ではないというところを見せた伊達男のほうのタカヒコさんは、ナベ彦兄との慶応・タカヒコ・コンビまたは対決が実現できなかったのが残念ですが、またの機会に是非。 シャシャリ出とWe意識と ブキラ兄のシャシャリ出はコート上に限ることなく、反省会の場に至って一層光彩を放ってまいりました。誰に請われることもないままに自ら料理奉行を買って出て、先ずは自分のお好み料理を発注した上で、「他に注文があれば私を通してしてください」と一括仕切りの姿勢を示します。もともと道志倶楽部はシャシャリ出が基本で、私めなども誰に推挙された訳でもないのにシャシャリ出幹事を務めてきたのです。ですから、メンバーの全員がシャシャリ出て道志倶楽部のWe意識を更に高めてくれることは大歓迎なのです。ブキラ兄の場合は更に会計係まで務めてくれ、料理奉行兼勘定奉行のケン付きでケンケン大会の有終の美を飾ってくれました。雰囲気が暗いので私めやヤス彦兄は好きになれずにいた「龍鵬」もパーティシペーションができて、明るい反省会場に模様替えしていました。会場が暗いと団欒も盛り上がらないものですが、今回は我も我ものシャシャリ出話題が続出し、We意識を持ってみんなで話題を共有しあう形になりました。ソニーと東芝の両方の株主総会に出席したシンゴ兄によると、ソニーの役員間には強烈なWe意識とサービス精神がみなぎっていて、東芝の役員達の官僚的な応対とは天と地の差があったのだそうですが、今回も道志倶楽部らしく“超ソニー”のWe意識とエンターテインメント精神横溢の「反省会」となりました。用賀大会以来久方ぶり参加の小見山師範格待遇の言によれば、我々の手ニス足ニス口ニスの腕前の方も以前と比べると天と地の差があるそうです。一層ケンケン諤々シャシャリ出合いWe意識を持ち合って、手と足と口とを競い合っていこうではありませんか。 以 上 |
D.いいなあ道志やっぱり道志 (2003/10/18-19道志倶楽部秋期合宿の記) |
トンネルを抜けると 山中湖畔の平野村から緩やかな林間道を走って小高い山伏峠を登って行って、その頂きの部分にあるトンネルを抜けると、そこがもう道志村です。ここから水清き道志川に沿って「道志七里」と言われる街村が続きます。ほとんど舗装もない凸凹道で、路肩が危険でひやひや運転を強いられていた頃とは打って変わって、車の行き来が随分と多くなりました。コンビニなどの商業施設の数も徐々に増えてきて“秘境”の面影はすっかりなくなってしまいました。しかし、トンネルを抜けて道志村に入った途端に感ずる安らぎの気持は今も昔も変わりません。一体何なのだろう、この癒しを感じさせてくれるものは。今年も思わず心でつぶやいてしまいました「おーい、帰ってきたぞう」と。 紅葉はほのかな気配 紅葉にはtoo early 、しかし今となってはtoo late。今更、日程を変更するわけにはいきません。思えば去年のほぼ同日、同じコートに居合わせた相模原グリーンのご一行と「来年も是非ご一緒に」と意気投合して一緒に今回の予約をしたのでした。ところが、相模原グリーンの皆さんは都合悪く今年は実施中止となったのだそうです。グリーン現れず、しかし、木々のグリーンは秋深くしてなお瑞々しく道志の山肌を彩っています。そして、ほのかにただよう紅葉の気配。薄化粧の道志の山道にもなかなか捨てがたいものがあります。やがて、車は人里に入り、右カーブに左カーブ。そうこうするうちに我らが民宿「北の勢堂」に到着。「ただいま、今年も帰ってきましたよ」。「北の勢堂」ばかりでなく道志村の主でもある山口大八老や実際に「北の勢堂」を切り盛りしている法邦・かおる夫妻も「お帰りなさい」と言わんばかりの笑顔で迎えてくれました。ああ、ここに癒しの源があったんだ。いいなあ道志やっぱり道志。 ワールドシリーズ、日本シリーズの向こうを張って 今回(2003/10/18-19)道志七里に集い来し道志七士。足元不如意の小林コーチョク兄をピックアップした斎藤・秋丸の西東京コンビは定刻よりなんと1時間半も早い到着で既にコート上で汗を流しています。野中・渡辺の横浜・市が尾テニスクラブコンビも既に到着していて臨戦態勢。幹事役の小生の到着は辛うじてブービーという状態でした。やがて、二宮在郷軍人会の孤塁を守って一人参加の河本兄も到着。折からのヤンキースvsマーリンズの米大リーグのワールドシリーズ、タイガースvsホークスの日本シリーズと日を一にしての道志シリーズの火蓋が切って落とされました。 河本・佐々木 6−3 小林・渡辺 野中・斎藤 6−4 秋丸・河本 女心と秋の空の例えの通り、第一戦開始後まもなく晴れていた空から雨粒が降り始め、それが第二戦になると降り止んで・・・。秋丸兄のいきなり放ったファースト・サービスがノータッチ・エース。今年の合宿は一味違うぞ。そこで、天気もこのまま快方に向かうだろうという期待を抱きながら一同昼食タイムへ。 爺自地G4ビールのファースト・サービス 昼食の食卓に載せられたのは野中師範代手作りのビールでした。自製の地ビールだから自地ビール。それにババではありませんから爺自地ビールでジジジジのG4ビール。普通のビールと同じように冷蔵庫で冷やしたのでは罰が当たりそうなので、道志の湧き水で清く正しく冷やしてあります。また、いくら一汗かいた後だからといって、普通のビールと同じようにガブ飲みするのも罰が当たります。そこで、一同乾杯の発声の後、ワインのテイスティング調で清く正しくG4ビールを喉に送ります。すると、不思議なことに、ほのかにワインの感覚が漂ってくるではありませんか。渡辺ナベ彦兄のコメントが一同の感想を総括するものであったようです。「うーん、これは絶品。ベルギー産のビールに近い風格とコクがある!」・・・いやー、道志アルコール・シリーズのファースト・サービスも見事なノータッチ・エースでした。 脱走兵と残存兵 しかし、好事魔多し。一同が昼食をとっているうちに秋の空がまたまた気を変えて、いつの間にか雨脚が速くなっておりました。コートに偵察に出てみると、一部に水がたまる状態になっています。本日のゲームは打ち止め、明日に賭けよう。かつては、こんな時でも室内でボレー・ボレーの練習をしたり、最低でも近くにある横浜市の体育施設に行って卓球に打ち興じたりしていたものですが、みんな人間が枯れてきたというか練れてきたというか、あきらめの早いこと。すぐさま、ストーブを囲んでのダベリングand/orゴロリング・アワーとなりました。そして、しばらくすると、「道の駅に行けばコーヒーが飲める」という情報を誰かが仕入れてきて脱走を試みる者がいて、気が付いてみれば残存兵は野中師範代に河本師範代代に小生の3名のみ。 不埒な拉致劇 ところが、いつの間にかまた雨が上がっていて、なおも往生際悪く、河本師範代代とともに再びコート状況を探りに行ったところ、十分プレイ可能な面があるではありませんか。しかし、面子が一人足りない。これは、道の駅から脱走兵を一人拉致してくるしかありません。そこで、今度は野中師範代の車でともに、さほど遠くはない道の駅へ。一番手前の席に座っていたナベ彦兄がコーヒーを飲むのをせき立て無理やりコートへ拉致という不埒を働いてようやく面子不足解消。お陰でなんとか、午後の部でも1ゲーム成立させることができました。 河本・佐々木 6−2 野中・渡辺 道志七里にゃシチリア・ワイン さて、道志シリーズも囲炉裏リーグに突入する前の一時。今度はナベ彦兄がアルコール・シリーズの第2セットで見事なノータッチ・エースを決めました。やおら取り出だしたるは“CORVO”なる赤ワインと一口チーズ。CORVOはマイルドでいて奥深い味わいがあり、これならワイン音痴の小生でもおいしさが分かります。それにチーズが良くあって・・・やっぱり今年の道志は一味も二味も違います。それに、何と言ってもCORVOはシチリア・ワイン。道志シチリのためにあるようなもんじゃありませんか。おいしさに感動のあまり、CORVOを道志倶楽部御用達ワインに指定したいような気持ちになってしまいました。そんなところへまた野中師範代からG4ビールのセカンド・サービス。今度は、普通のビールより遥かに低コストで遥かに高クオリティな地ビール製造法の講釈付きでしたから、来年の道志合宿では皆が自ビールを持ち寄ってきてG4ビール・コンテストが開けるかもしれません。 タカやトラまで肴にして さて、法邦さんが皆と談笑しながら囲炉裏の炭火をおこし、その周りに七人分のヤマメの串刺しも並べてくれて、ストーブ・リーグならぬ囲炉裏リーグの準備が整いました。今回は、秋丸兄の提案により、ジャンケンをして勝った方が謙譲の美徳を発揮するという「負けるが勝ち」方式が何かにつけ採用されました。そこで、囲炉裏の四辺を囲む場所取りも、コート上より真剣なジャンケンポン。心ならずも(?)、最大の謙譲の美徳を発揮して、テレビを背にした一辺に一人座すことになったのがコーチョク兄。ところが、これが牢名主然としていて似合うのです。他の三辺に二人ずつ座すメンバーに対して鷹揚に「今日は思いっきり呑んでくれや」の牢名主音頭でいざ乾杯のファースト・サービス。時あたかも日本シリーズのプレイボールとほぼ同刻。一同、ハレーションに悩まされながら牢名主殿の頭越しに映りの悪いテレビに目を走らせつつの飲食団欒の一時となりました。タカ派とトラ派に別れ、めいめいスコアを予想したのですが、殆どが投手戦を想定してロー・スコアの予測で、ゲームの展開とともに次々と脱落。そんな中で、最終スコア(6−5)に最も近い「ダイエー・ホークス5−4阪神タイガース」の予想をしたナベ彦兄はさすがタカ彦、鵜の目鷹の目の持ち主です。もしかして、鵜の目でなくて魚の目だったりして。 母猪の色っぽさ 九州で張り合っているタカとトラに負けじと、鍋の中のシシもぐつぐつと煮え強烈に存在感を示してきました。今年も鹿刺しが添えられていますので、これでチョーチョーが揃えばイノシカチョウ。ところが、蝶々たることより再びモンゴルの大草原を飛翔する大ヤンマたることを選んだ吉武シンゴ兄は今回不在。大ヤンマが舞い戻ってきてイノシカトンボが勢ぞろいするのはいつの日になることでしょうか。猪と言えば秋丸兄。大阪在勤中芦屋に住んでいて、通勤の途上で何度も猪と出会ったそうです。牙をむいて向かってくるオスはさすがにオドロオドロシイのですが、子どもを産んだばかりの若い母猪は乳房もピンク色をしていてとても色っぽいのだそうです。若い母猪の色香に惑わされて秋丸兄が越えてはならない一線を越えてしまったとしたならどんな子どもができていたでしょうか。猪と豚の合いの子でイノブタがいることは知っていましたがイノヒトとなると、西遊記に出てくる猪八戒みたいなのになるんでしょうか。道路公団民営化に向けて猪突猛進していたアノヒト猪瀬某なんかも猪の血が混じっているんじゃないでしょうか。なお、シモネタ・シリーズ第2弾として同じく秋丸焼き芋兼シモネタ奉行から人と牛の交接の話が出ました。「人と牛が一緒になると事“件”が生まれる」なんて面妖な駄洒落が思い浮かびましたが“クダン”ないので公表は差し控えておきました。 サカナサカナと十三里 猪鍋には、やはり青竹の燗酒が定番です。都度裏山から切り出したばかりの青竹で燗や猪口を作り、それぞれに文字を彫り込んでくれるのは「北の勢堂」ならではの心づくしです。今回はまた嬉しいことに、大八老が僕達のために次のような文言を彫りこんでおいてくださいました。 山の宿囲炉裏囲んで夜もすがら酒酌み交わし友情温たむ 僕達の合宿には、何がなくとも、「山の宿」、「囲炉裏」、「酒」、「友情」がなくてはなりません。やっぱり道志村やっぱり「北の勢堂」。いけいけどんどん、夜もすがら…ってわけで、日本酒ラウンドも1升また1升。そんなところへ、ヤマメの串焼もこんがり焼けて山中湖とれたてのワカサギの挙げたて天麩羅とのサカナ(魚)サカナ(肴)シリーズ。天麩羅を運び込んできてくれた若女将かおるさんは、そのまま一座の輪に加わってくれました。そうこうするうちに炭火周りの灰の仕込んでおいた焼き芋ができあがり。秋丸奉行お見立ての薩摩芋だけに、まさに九里四里うまい十三里。道志七里に十三里、里の秋の夜長はとうとう二十里にまで延びてきました。 ホームレスな人々 さて、囲炉裏ラウンドの締めは何といってもオジヤ・ラウンド。ところが、自らオジヤ奉行を買って出て母屋にご飯を取りに行った斎藤兄がいつまでも帰ってきません。すわっ!またしても拉致事件。後で聞けば、大八老と話し込んでしまって、「北の勢堂」の紆余曲折談などで話が弾んでいたのだそうです。いいなあ、こんな民宿の家族との触れ合いって。これが本来の民宿だったんですね。今や大方の民宿は大型簡易宿泊施設と化しまっていますが。しかし、斎藤兄もその他の面々も読んでくれていないんだなあマイホームページ。「北の勢堂」の紆余曲折談なんか、とっくに掲載してるのに。特にURLをご紹介したわけでもないのに、囲炉裏端のかおるさんは「私、佐々木さんのホームページ見ましたよ」でしたし、秋丸兄のご子息からもマイホームページを見て「何でお父さんが焼き芋奉行なの」という反応があったそうですがご本尊たちは全く無関心なんだから。最近はホームページを持っていないことをホームレスって言うんだけど、知らないのかなあみんな。勿論、「北の勢堂」はホームレスじゃありませんよ。以下のURLで訪問することができますよ。「人気投票」もできますので、清き1票を「北の勢堂」に是非。 朝飯前のタイブレーク決着 明くる(10/19)朝は起床5時半。昨晩は「明日は朝6時からやろうね」なんて話し合いながら床に就いたはずなのに周囲に目覚めの気配が感じられません。一人抜け出て外に出てみると、それこそ抜けるような青空です。これぞ、道志の秋晴れ。清澄な空気もほほに心地よく快い朝の寝覚めです。この感動を分かち合いたくて、取って返して一人一人の目覚ましをしてコートに誘います。ナベ彦兄は、「ストレッチ運動をやってから・・・」、秋丸兄は「先に言っててよ」とともに眠たそうな反応。コーチョク兄に至っては「ウーン、ハー、ムニャムニャ」のわけの分からぬうめき声のみで身も世もないといった感じです。しかし、野中師範代と河本師範代代それに斎藤師範代代代が揃って、いざ戦場へ。昇る朝日に濡れた山肌や木々、地面から靄が立ち込める幻想的な雰囲気の中で、早朝から激闘展開。朝飯前のタイブレーク決着と相成りました。 野中・佐々木 7−6 斎藤・河本 道志合宿マニュフェストの採択 河本師範代代の「儀式」が朝食時の話題になりました。ベースライン・センターに立ってから、ライン沿いにサイドライン側に向けて3歩ほど“麦踏みウォーク”をして、やおらファースト・サービスを放つという例の動作のことです。ご本人によると、サービスのモーションのタイミングに合わせた動きだとのことですが、静的で年齢相応のスローな「儀式」から一転して動的で若々しく速いボールが繰り出されてくるのですからレシーブ側はタイミングを取るのに苦労します。そんな訳で、それぞれのサービス・ウォッチングを兼ねて朝食後の最終ラウンドを行い、以下のような戦績となりました。 秋丸・渡辺 2−6 小林・河本 佐々木・野中 3−6 斎藤・秋丸 小林・渡辺 4−6 佐々木・斎藤 野中・小林 7−5 秋丸・河本 コート上では、何といっても斎藤兄の若々しい挙措動作が目立ちました。パートナーに掛ける声も爽やかで気分良く高感度No.1。去り際にも、球場を去る高校球児宜しくコートに向かって軽く一礼していました。「来年また」と呟きながら。そう、「来年もまた」は道志七士の共通の思いでもありました。「最低4名揃ったら挙行」の道志合宿マニュフェストを採択して散会となりました。来年もまた、いいなあ道志、やっぱり道志。 以 上 |
E.勤労感謝大会(2003/11/23) |
メンバーの大半が勤労を「感謝される」立場から「感謝する」立場に既に身を移している昨今、今もなお「感謝される」側にいる稀少メンバーの小林コーチョク兄は謎の欠場。かく言う90%かた「感謝する」側の私めも、かねて予想していた通りの木版画カレンダー作成のための繁忙のためやむなく欠場。遠く、いわきの空から似非棟方志功をしながら当日の盛会と晴天を祈るのみという仕儀になってしまいました。 そこで、牧野ブキラ幹事代行、懸命の人数集め。なんとか8名、コート2面フル稼働体制が整ったと思いきや上月兄のご父君が急に入院とのことで欠員発生。急遽、ブキラ夫君の窮状を察しての真弓夫人が夫婦愛出演、そして秋丸兄が現地到着後に近くにお住まいという親戚の良永さんに電話して親戚愛出場を得ての9名体制が整ったとのことでした。以上のブキラ幹事代行からの事後報告と併せて野中師範代による戦績記録を以下にご報告します。 正木・牧野 6−2 野中・吉田 川口・渡辺 6−2 秋丸・牧野真弓 吉田・良永 6−3 川口・野中 正木・牧野真弓 6−5 秋丸・牧野 秋丸・野中 6−1 牧野・吉田 正木・渡辺 6−1 川口・良永 正木・吉田 6−1 野中・牧野真弓 良永・渡辺 6−3 川口・牧野 野中・牧野真弓 6−4 牧野・良永 秋丸・正木 6−4 吉田・渡辺 川口・正木 6−3 秋丸・良永 |
F.道志倶楽部年末総決算大会&忘年会(2003/12/23) |
異例のアレンジ クリスマス・イブ・イブの天皇誕生日の正午前、横浜市営地下鉄の「仲町台」駅プラットフォームに降り立ってみますと、もう一人テニス仕度姿で同世代と思しき男性が前を歩いておりました。「もしや、道志の同士?」と思って確認すると、意外なことに、その人は正木師範代でした。「正木師範代=真っ赤なベンツ」という方程式が頭の中にあって、徒歩でテニス会場に臨まれようとは思ってもいなかったからです。そうだ、今日はテニスの後は恒例の反省会に代えて異例の忘年会をする予定になっていたんだ。だから、恒例の早朝8時スタートではなくて正午スタートの異例なアレンジになっていたんじゃないか。異例を忘念した迂闊な高齢者恒例の反省。しかし、迂闊さはこれにとどまりませんでした。みんなが異例を意識して昼食を済ませるか弁当を持参して参集したのに“丸腰”で会場に臨んでしまったのです。そこで、否応なくハングリー精神をもって無慮4時間コートで時を過ごさなければならなくなってしまったのですが、この間同情してくれる道志同士は一人とてなし。私めのぷっくらと膨らんだ“丸腹”を見ては、「それだけ溜め込んであるんだから一食や二食抜いたって・・・」やら「ダイエットができてちょうど良かったじゃないの」やら。 2003年総決算バランスシート もともと私めは、寺子屋日本語教師や大学の非常識講師、年賀状似非浮世絵師で一丁前に“師”の真似をして、師走の忙しぶりっ子をしていましたので、アレンジも牧野ブキラ幹事代行と秋丸会場奉行に全てお任せし、自らは「不参加」を表明していたのです。飛び入り参加みたいなものですから、会場で顔を合わせた面々からは、「オヤッ」から「すわっ、幽霊!」に至るまでの驚きの反応がありました。しかし、さすがは清く正しい齋藤兄。顔を合わせるや「いやー、もう今年は会えないかと思ってたよ。会えて良かった良かった」の歓迎の辞です。「清く正しい心根なくして清く正しいショットなし」の見本みたいなものです。そうこうするうちに、師走のさなか、非師走な(?)正規エントリー10名も三々五々集結して散々誤々に練習開始。飛び入りの私めがしゃしゃり出て、アナログ感覚で設定した年間勝率のデジタル順位によって各人の持ち点を決め、持ち点合計がバランスを保てるようなペアリングとマッチメイキングをしていざ年末総決算。以下のような結果となりました。 正木・上月 4−6 河本・吉田 野中・浅香 2―6 齋藤・秋丸 牧野・川口 4−6 佐々木・浅香 野中・上月 6−2 河本・秋丸 正木・浅香 6−3 吉田・齋藤 川口・佐々木 0−6 牧野・野中 秋丸・佐々木 6−4 河本・上月 齋藤・川口 2−6 正木・吉田 牧野・秋丸 2−6 正木・川口 河本・佐々木 6−4 齋藤・野中 吉田・浅香 6−0 牧野・上月 秋丸・正木 6−2 川口・野中 牧野・吉田 3−3 上月・佐々木 異彩を放つタツとタイ 常勝・正木師範代は風邪を患いながら本日も最高勝率。しかし、2位は吉田・浅香両兄と佐々木が同率タイという混戦になりました。下位の方も混戦で、武運拙く川口兄がメーカーになりましたが、ブービーは上月・牧野・齋藤の三兄が同率タイという見事な上下シンメトリック構造となりました。ひときわ異彩を放っていたのが夕暮週一郎こと吉田タッチャン兄と浅香タイゾー兄。丁寧にラケットの面を作ってそのままラケットに乗せるようにして押し出すタッチャン・ボールは回転がなく川口兄評によるとナックルボール。これが正確かつ深く相手コートを襲うのですから相手にとっては深い感の不快感。その上にやけに礼儀正しいのです。「タッチャン、ナイス・ショット」と声をかければ「有難うございます」の清く正しい応答。対戦した際にミスをしてポイントを献上した上月兄にまで「有難うございました」。これには上月兄「ありゃ、相手に礼を言われちゃったよ」とぼやいておりました。一方のタイゾー兄も伝家の宝刀「蝿叩きボレー」に新バージョンの「ソフト蝿叩き」、「左斜め版」と「右斜め版」を加えてポカリポカリ。「海老フライ」を「海老フリャー」と発する準本拠地にならって、「ドンマイ」を「ドンミャー」、「挽回」を「バンキャー」とするタイゾー式名古屋弁まで開発・多用して大賑わい。一方、銀メダルトリオの一角・平周五郎こと某は完全な日陰者になってしまいました。時期遅れの小春日和の綺麗な晴天でコート2面フル使用だったのですが、なぜか全ゲームがビル陰の暗いコートの方に当たってしまったからです。野中師範代は「佐々木は暗いところが好きなんだ」なんて言ってましたが、そりゃひどい。こちとらモグラじゃないんですから。モグラと言えば、上月兄がタイゾー流蝿叩きの上を行くモグラ叩きをマスターしそうです。秋丸兄の打球はなぜか引き付けられるように何度も何度も相手コートの上月兄の頭上にフラフラっと上がるイージー・ボールになり、すかさず、上月兄がこれをポカリポカリと叩きます。だから、もしかすると、本家モグラは秋丸兄?何かハブvsマングースの天敵対決を見ているような感じでしたが、秋丸兄がモグラだとすると上月兄はモグラの天敵で・・・何になるんだろうか。 忘年会語録 さて、可愛いお孫さん達のためにサンタクロース役を果たさなければならないタッチャン兄と、可愛くない隣人達のために臨時幹事代行役を勤めなければならない齋藤兄を除く9名が忘年会場「竜虎」に場所を移して今度は会話のラリーが始まります。なぜか夜這いというヤバイ話が出て、それが和歌山の話につながって、なんとなく自然の流れで「来年は和歌山で分科会を開こう」ということにあいなりました。川口兄から何回か聞かされていた郷里・和歌山の幻の巨魚「クエ」の話が道志同士の心を捉えて話さなかったのでしょう。そう言えば、いつか川口兄がコートサイドに持参してくれた和歌山産の珍味「ウツボ」の開きが美味だったのも忘れられません。果たして来年「クエ」「ウツボ」に名産「ウメ」を加えた和歌山ツアーが実現することやら。いつか「来年はモンゴルで」なんていう話もあったことですし、何処かで鬼が笑っていそうです。なお、本日不参加の渡辺ナベ彦兄と小林コーチョク兄に対しては席上ブキラ兄より“裁き”が下されました。ナベ彦兄に対しては「渡辺はまた風邪を引いている。色々なことをやりすぎるからだ。ヨットは即刻止めるべきだ」というヨットご法度。そう言えば、河本さんなぞは、きちんと“地に脚下ろして”防波堤のウルメイワシ釣りでサビキを引いているから風邪を引いていないのだ。一方のコーチョク兄に対しては「先刻電話したら庭掃除をさせられていたところだった。小林は家庭内で奥さんの言いなりになっている」というかどで家庭内主権確立勧告。それにしても小林家では、奥方が現大統領時代の圧政フセイン風なのだろうか、それともコーチョク兄の方が元大統領となった穴倉フセイン風なのだろうか。いずれにせよ、イラクに明けイラクに暮れた今年もお仕舞。忘年会の締めとして語られた正木師範代訓話は「心技体のうち最も重要なのは心だ。積極的にポジショニングを前にとって相手にプレッシャーをかけること」という趣旨でした。そうだ、コートでどのような“裁き”があろうと、コート上では“自衛隊”ではダメなんです。来年は「人道復興支援に行くのではない。戦いに行くのです」の逆小泉節を唱えながら道を志すことに致しましょう。 以 上 |
「道志倶楽部」トップページへ戻る |
「東芝38年生の酒記」トップページへ戻る