道 志 倶 楽 部 の ペ ー ジ

新世紀2001年活動記録


A.新世紀複合イベント「沼津分科会」
(2001/2/16-17)

渡辺ナベ彦兄が、慶応義塾ワンダーフォーゲル部「登望会」の同期生で三島出身の佳人という“タッチ”の名前を口にして以来、「沼津分科会」開催は道志倶楽部の長年の課題となっておりました。それが、昨年来、牧野ブキラ兄の学生時代の“同寮”で、沼津市の名刹乗運寺の住職をされている林茂樹さんと道志倶楽部メンバー数名とが、「メル友」になるに及び一気にこの度実現の運びとなったものです。イベントAからFまでを含む新世紀複合イベント「沼津分科会」のハイライトシーンを以下の通りお伝えします。

 幸先悪し…イベントA不成立

イベントAは、216日(金)10:06 スタートで函南ゴルフコースにて強打・巧打を競いあった後、「ドーミービラ伊豆山」で一泊という設計でした。エントリーは、浅香、川口、正木、稲垣の諸兄で、WGL(Working Group Leader)は、浅香タイゾー兄でした。
タイゾーWGLより電話があったのは当日10時になろうとしていた時です。さては、スタート直前に至っても姿を現さぬ道に迷った”ロストボール”発生かと思いきや、電話は自宅からで、降雪によりゴルフ場がクローズになりイベントAが不成立になったとのことです。数日前からの腰痛をおしてでも、WGLの立場上健気に参加しようとしていたタイゾーWGLから総合幹事宛の組織運営ルールに則った健気なご報告でした。
これに伴って、非テニス組の浅香タイゾー兄と稲垣兄は、引き続いて参加する予定にしていたイベントBへのエントリーを取り消しました。ところで、残された者のイベントB以降はどうなる?…降雪の波及効果を心配しているところに、すかさず沼津の林さんから「明日明後日は好天間違いなしです」のメールが入りました。さすがはハヤシ、人の心を察するのも速く、力強い励ましを頂きました。準備段階から通じて、強いWe意識に基づいた様々なご配慮を頂いていたのですが、初っ端のイベント不成立により発した心中の暗雲も見事に晴らして下さいました。

心を洗い眼福・鼻福・耳福・舌福の一時…乗運寺&牧水記念館ツアー 

林さんが晴らして下さったのは心中の暗雲だけではありませんでした。イベントB当日(217日)は雲一つ無い快晴です。河本さんが一番乗りで、集合時刻10:00a.m.には乗運寺境内に全員集合して、青空を背に一際美しい梅の花の姿を愛でて眼福、仄かな香りを惜しんで鼻福の一時を過ごしました。
やはり、梅の花の姿と香りは桜と違って、一輪一輪、端然とした佇まいの中でないと堪能できないもののようです。この名刹の佇まいについては川口兄の表現を借りましょう。「手入れが行き届いていて端正なだけでなく、沼津の町に”生きている”」のです。佇んでいるだけで心洗われる思いです。梅の花も我が場所を得たという表情で気品を漂わせておりました。

千本山乗運寺は、開基1537年の古刹でもあります。近傍の千本松原はその開祖が念仏を唱えながら植えたものだそうです。一同は、本堂内に招じ入れられ、阿弥陀如来に一礼した後、本堂前正面に陣取って庭園の鑑賞です。やたらとデジタル系の質問をするナベ彦兄。「境内の広さは?」に次いで「境内の植木の数は?」さすがに林住職返答に窮して一瞬「んっ」。しかしすぐに切返して「千本です」のご名答。一本取られました。

故郷・宮崎県東郷町に似て気候温暖・風光明媚な沼津を愛し住みついた若山牧水は、林さんの祖父君と懇意であったこともあり、その墓も乗運寺の一角にあります。そんなこんなの牧水伝や作品のお話で今度は耳福アワー。説明役の林さんが、酒豪でひたむきで稚気愛すべきところのあったという牧水のイメージと重なってきてしまいますから不思議です。
早春の日差しにモスグリーンの苔に宿る這い松の影にも温かさが感じられます。近くのルンビニ幼稚園の園長を務められる傍らで、長年教育委員または委員長として静岡県の教育行政に携わってこられた林さんは、昨秋藍綬褒章を受章されました。そんな名教育者には、傍にいるだけで、包容力の大きさと温かさが感じられます。心身の暖かさに誘われて、紳士でなる正木兄さえ本堂縁側に長々と体を横たえ、すっかりリラックス・モードです。
次いで一同、鐘楼に登り、時の鐘ならぬ時ならぬ鐘を打ち鳴らします。キヨシの名に恥じず心清い上月兄は清らかに、そうでないメンバーもそれなりに、嫋嫋とした余韻を残しての鐘の音は響き耳福アワー・パート2。中に一人、余韻を残る鐘の中に頭を入れていた野中ノンチャン兄の奇怪な行動が目に付きました。頭髪遺伝子のスィッチオンを促す儀式だったのでしょうか。

次いで訪れた牧水記念館は林さんが奔走して建設されたもので千本松原の並びにあります。(社)沼津牧水会理事長でもある林さんの説明にあった通りの牧水の生き様を目の当たりにして、一同一層牧水に対する親近感を募らせます。牧水夫人の喜志子さんの出身が自分と同じ信州と知った小林コーチョク兄などは、牧水の域に迫るべく自らの酒道への精進を誓うかの如き面持ちでした。

かく言う某も、牧水が逝去の前日まで飲酒していたと聞かされ、「それなら俺は当日まで飲んでやる」と、変なところで発奮するのですから、「六馬鹿会」メンバーは救われません。牧水の歌の心だけでなく、味のある書の方も見習わなくては。本当に「いい字」です。連歌や俳句をワープロ文字だけで済ませている牧野ブキラ兄はこれに対して「いい字going」だ、なんて。

牧水記念館と道を隔てて沼津倶楽部があります。数寄屋造りの和室で、幹事にあるまじき真中の席に場違い感を覚えながら、床の間を背に窓外の庭を眺めますと、そこには“もうすぐ春”の気配がありました。ビールに次いで供されたのは清酒「牧水」。麗らかな日差しの穏やかな真昼時に心地良い酔い。沼津の「ヌ」が「ノ」でなくて本当に良かった。舌福の時パート1。

「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」。いいぞこりゃ、「牧水」は歌も酒もうまいや。やがて、料理が運び込まれます。「人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ」。酒の他にも“たのしみ”があるから「沼津食わず」とはいかないのです。ボタン海老に、カンパチとサヨリのお造りで、駿河の海の幸を堪能して舌福の時パート2。
あまりに平和、あまりに穏やか。このままでは「かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ」の世界に行き着いてしまうこと必定。もうイベントCは止めちゃおうか。だがさすがは“ひたすら「道」を「志」す”面々、敢然と平和を捨て穏やかを捨て、実は名残惜しさを内面に隠して、決戦の場・テニスコートへと足を向けたのであります。

昼下がりの決闘…イベントC・テニスPart1

イベントCは、林さんが予約しておいてくださった厚生年金休暇センターに場所を移して、テニスコート上のビシバシ・アワーです。イベントBにて仏と歌人の心に触れて急性平和主義者となった面々の間には“厭戦感”が漂い、一時はイベントC回避の声も流れましたが、これを抜いたら仏作って魂入れずの謗りを免れなくなってしまいます。何より、汗を流さにゃビールも今いちです。イベントDの宴会の前に汗を流さにゃ。

さて、コートサイドには珍しい墨染めの衣の林さんが見守る中練習開始。河本、正木、ブキラ諸兄は、学生時代の公式庭球部室“同寮”メンバーの腕前の程は先刻ご承知の林住職ですが、その他道志倶楽部メンバーのプレイ振りをご覧になるのは初めてです。へタッピ加減は「聞きしに勝る」ものだったでしょうか、それとも「想像していたほどにはヘタッピではない」だったでしょうか。

やがて、ノンチャン兄テニスWGLよりのお声がかりでゲーム開始。元祖四馬鹿対決で、ナベ彦兄と組んでコーチョク・ブキラ・ペアを逆転で破ったのが利いて、某が全勝という意外な結果に終わりました。但し、ノンチャン、正木兄の両師範代が星のつぶしあいをしている間のドサクサ紛れの”怪挙”でしたので、誰にも健闘を称えられることの無い、人偏抜きの”憂勝”に終わりました。
ゲーム観戦の途中で帰宅されるに及んで、やおら草履を脱ぎ捨てコート上に進み足袋でストロークを試みられようとした林住職のチャレンジ精神は見事でした。ゲームを観戦されているうちに昔取った杵柄の血が騒ぎ始めたのでしょう。珍しや墨染め衣足袋姿。コート上ではお目にかかったことの無い光景でした。ギネス物かも。次回は”旅姿”を改められて是非メンバーにお加わり下さい。

牧水の向こうを張って…消えた3升・イベントD懇親会

イベントC会場から、林さんをピックアップするために一同5台で乗運寺に行き、そこから揃ってイベントE会場の民宿「富士八」に向かうことにしました。ところが、乗運寺近傍で右折しようとしているのに、後続の河本さんは直進車線に入ってしまいました。そして、同乗の上月兄とともに必死でサインを送るのになお気付いて貰えず、そのまま直進。あちゃー、行っちゃった。

河本さんが自らの過ちを悟って御仏の元に戻るまで(?)、一同は辛抱強く待ち続けておりましたが、尋常の待ち時間ではありません。道を間違えても、すぐに気付いて戻れる位置関係だからです。待てど暮らせど状態が長引くにつれて「河本さん富士八直行仮説」が有力になってきました。「富士八」は海沿いで分かりやすい場所にあるし、ということで、一同見切り発車することと相成りました。

しかし、一本道とはいえ、夜道は暗く曲がりくねっています。昼間一度通行したことのある私でさえ、昼と夜の違いに戸惑い心細くなってきました。河本さんは大丈夫だろうか。不安は募り「富士八」に心は急ぎます。そして不安は的中。たどり着いた「富士八」に河本さんの姿を見ることはできませんでした。かくなる上は可哀相な「失踪者第1号」からの電話連絡を待つばかりです。
乗運寺から河本さんの声が届いたのは、先着メンバーの半数程度が入れ替わりの入浴を済ませた頃だったでしょうか。我々が見切り発車してしまった後に乗運寺に戻られ、じっと駐車場で「救援」を待たれていたそうです。遭難登山者の鉄則「動かず救援を待つ」を実践されていたわけですが、これが日頃の他のメンバーの「河本さん動く人仮説」と食い違ったところに悲劇が生まれたようです。

何はともあれ、河本さんの到着を待ってイベントDの懇親会は開宴です。「富士八」WGLはブキラ兄で、座席中央部にでんと座って、乾杯の音頭もごく簡素に「ほんじゃま」の一言だけ。誠にブキラ流の幕開けです。事前にWGL殿より「酒乱」のイェローカードを受けている私めは、通常は幹事席となる末席に”蟄居”しておりましたが、有り難いことにそこには大鯛の塩焼が配されておりました。

大鯛の塩焼に一番箸を付けられたのは嬉しいことでした。林さんが予め注文してつけておいて下さったタチウオの刺身の口当たりも秀逸でした。林さん差し入れの幻の名酎「百年の孤独」も我が人生の延長線上の 40年先はかくやと思わせる玄妙な味わいがありました。奇酒「にごり酒」の香りもよく。しかし、記憶はここまででした。相次ぐ団欒にも溺れ、何時の間にか床についていたのです。僕酔に次ぐ爆睡で夜は更けて。

翌朝確認できたのは、日本酒の一升瓶3本が空になっていたことでした。恐らく一日一升は飲んでいたという牧水のお話を昼間に聞いていたので、向こうを張ろうとして誰かさんが頑張って飲み干したのでしょうね。えっ、「お前じゃないか」ですって。そんな、一切記憶にございません。ともかく、「それほどにうまきかと人の問いたらばなにと答へむこの酒のあぢ」万歳なのであります。

失踪コンビの疾走…イベントE・テニスPart2 

民宿「富士八」からイベントE会場への道程は面妖なものに思われました。そこで、当日(2/18)東京に帰らねばならない上月兄の見送りも兼ねて、三島駅を第1集結点とすることにしました。今日も快晴。出発際に民宿「富士八」の名前の由来が分るような景色を目のあたりにしました。駿河湾を隔てて見える富士山の裾広がりの八の字が何とも美しいのです。我ら三八同期も裾野を飾らにゃ。無理かなあ。

上月兄を見送ってから向かったイベントE会場の三島市民テニスコート周辺は、折からのフリーマーケット開催で大賑わいでした。そのため駐車場確保にも手間取ったのでテニスの時間は予定の9時から11時までの2時間もありません。しかし、コーチョク、ナベ彦、河本の諸兄は悠々の参入で、ノンチャン兄テニス奉行発案の源平合戦はなかなか始まりません。 「富士八」トイレで済ませて来いってのに。

さて、組合せは、ブキラ兄率いる正木、河本、小林のAチームvsナベ彦兄率いる野中、川口、佐々木のBチーム。それぞれ、ペアリングを変えての3回の合戦で勝負を決しようという寸法です。これは、第1ゲームの野中・佐々木組が正木・河本組に0−6でダンゴ負けしたのが象徴するように、Bチームのコテンパン負けという結果に終りました。MVPは全勝の正木師範代。優秀選手は河本プロでした。

河本さんは、前述の通り「失踪者第1号」でしたが、可笑しなことに引き続いてのイベントF会場では正木兄が「失踪者第2号」となったのです。失踪は疾走に通じるのでしょうか、ともかく正木・河本ペアはコートの上を走りまわっておりました。そう言えば、河本さんは、ゲーム開始前と同様に、終了後の駐車場での待ち合わせの場でも「動く人仮説」の正しさを検証してみせ、暫時“失踪”されておりました。

“失踪”していたのは河本さんばかりではありません。次のイベントF会場の集合時刻12:00を気にしているのに、ナベ彦兄が一向にシャワールームから上がってこないのです。あんなに「ゲストに失礼のないように」と繰り返し、「佳人対応マニュアル」まで作って清く正しい挙措動作をとるよう説いていたナベ彦兄自身が遅れたために、一同が遅刻参上という“失礼な”振舞をする結果となってしまいました。

終りよければ・・・イベントFでフィナーレを飾る

イベントFは題して「佳人を囲む会」。佳人とは地元・三島ご出身の横田禮子さん。旧姓の武智に発する「タッチ」が慶応ワンゲル部「登望会」での愛称です。このタッチは名門沼津東高出身で、林さんの後輩、しかも林さんの妹さんと同期という間柄ですので、ここは当然林さんにもご出馬頂いて、門前列をなす大繁盛の鰻料理店「桜家」に合計10名集結ということになりました。

さて、憧れのタッチとの初対面。第一印象は「若ーい」でした。容姿だけでなくお声も若くてそれこそ鈴の音のようです。これがナベ彦兄の同期生?昔の慶応には20学年くらいの飛び級があったに違いありません。それでもって、遅刻のお詫び。ナベ彦兄をさりげなく指差ししつつ「一人だけ“お化粧が長い”者がおりましたので」と申しましたら、「あら、相変わらずなんですねえタカヒコは」と鈴の声です。

いきなりの「タカヒコ」呼ばわりにはいささか驚きましたが、タッチによると「登望会」での慣しに過ぎず奥様も公認ですから「特別の間柄にある訳ではないのです」。これを聞いてナベ彦兄「えっ、そうだったのか」と残念顔。一方コーチョク兄は「ああ、良かった」。いずれにしても、ナベ彦兄の“お化粧が長い”のは学生時代以来のことだったようですね。もしかして、ナベ彦兄は三島女郎衆の血を引いているのでは。

しかし、タカヒコWGLの取り仕切りは軽妙洒脱で流石で、雰囲気を和気藹々としたものにしてくれました。まず冒頭は小生から道志倶楽部と出席メンバーの”他己紹介”です。WGL殿のご指示のような「簡潔明瞭且印象的な紹介」に自信の無い某は、この際に故事来歴を辿って纏めた「道志倶楽部のご紹介」を紹介用に用いました。これには道志倶楽部メンバーにも「今まで知らなかった」点が含まれていたようです。 タッチのプロフィールも、自己紹介と林さんとタカヒコによる”他己紹介”で次第に明らかになってきました。地元・三島市の名医として名高い武智医院の美人姉妹としてつとに有名であったのはむべなるかなですが、スキー術をオーストリアで学び蔵王でインストラクターをされていたという活発な面も兼ね備えているのです。お話を伺うほどに「まぎれもない佳人」であることを確信しました。しかし、いいなあ、沼津も三島も。きのう歌人で今日佳人ですもの。

次いで、非佳人達の自己紹介。タカヒコWGLの計らいで、憧れのタッチの正面に座を与えられたコーチョク兄は緊張して硬直状態。「静岡弁(駿州弁?)は我が故郷の信州弁と似ていて親近感を感じるであります。蔵王でなくて信州でインストラクターをなさって頂けていたなら更に光栄でございました」。ナベ彦兄が「それだけ?」と続きを促しましても「ここに座っているだけで無上の喜びであります」。 富士の湧水で育った鰻の白焼とお重を「佳人対応マニュアル」に添って精一杯「上品に」食べ終えた頃合を見計らって、タッチよりタカヒコを通じて控え目に、”想定問答集”にあった「折角なので拙宅にお越し下さい」がきました。誰も「待ってましたとおくびに出す」者なく先ずは事前演習大成功。「ならばお言葉に甘えて…」と武智邸を訪問する運びとなりました。シナリオ・ライター・ナベ彦兄も仲々のものです。

 これもタカヒコWGLの計らいで、タッチが我がシビック助手席に同乗してくださることに。駐車上からバックで車を出そうとして後を振り返って気がつきました。後部座席に散乱した汗だらけのテニスウェア。「あっ、まじい」と思った瞬間コツンと衝撃。シビックの後部バンパーが後に駐車していた車の前部バンパーに”タッチ”してしまったのでした。ここはイェローカード2枚で累計3枚。本来なら退場ものです。

佳人の隣であがりまくっている私めのドジはなおも続きます。駐車料金支払の場。「桜家」で貰った駐車券を機械が受け付けてくれなくてゴソゴソ。するとタッチ控え目に「そこはお札の…」。「ああ、そうでしたね」と訳知り顔を作って駐車券挿入口に入れ直しましたが、未だ駐車場のバーが上がりません。すると再びかそけき鈴の音「もう1枚入れるのでは…」。「ああ、そうそう2枚貰っていたんでした」。 しかし、まだバーが上がらず駐車場から出ることができません。「変ですねえ」。いえ、決して変ではなかった。バーを上げるのには更に100円硬貨投入が必要だったのです。さすがに、まどろっこしく思われたのかご自分の財布から硬貨を取り出そうとされるタッチを危うく制してようやく路上に出ることができました。しかし、いいなあ佳人は。優しく控え目に非を諭してくださいます。家人には考えられないことです。

「桜家」から武智邸は程近いのですがタッチは熱心に質問を浴びせてきます。「コーチョクさんは古村さんとお呼びすれば良いのでしょうか、それとも小林さん?」「本人も小林で通してますし、コーチョクと呼ばれた方が嬉しいと思いますよ」。たまたまカーラジオがマラソン実況をしていました。「今日は東京国際だったんだ」と呟きますと「昨日も畑山が残念でした」。まさか佳人の口からボクシングの話が出ようとは。 武智邸では、文字通りアットホームな雰囲気の団欒が続きました。最近ゴルフを始めてメキメキ腕を上げたというタッチは、ゴルフ好きであった生前のお父上とラウンドをともにすることのできなかった自分を親不孝者と評されておりました。かくも、真の佳人とは心根優しく床しきものか。でも、「道志倶楽部ゴルフ分科会なら喜んで参加します」と、しっかりゲンチを取りましたよ。イベントA流れの皆の衆。

供されたお茶がまた美味しかった。さすが静岡茶所です。しかし、お茶のセカンド・サービスが出された頃には、うっかり寛ぎ過ぎておりました。気がくと、お茶碗をグイ飲み盃状に持っておりました。「佳人対応マニュアル」の禁じ手”ガブ飲み”状態だった訳です。「あっ、いけね」と慌てて左手を添えて上目遣いでナベ彦兄を見やったのですが、まずいことに顔が合ってしまいました。イェローカード累計4枚目。 しかし、小生と同じくらいにナベ彦WGLが不安視していたコーチョク兄は立派でした。その他、非佳人連と同様にイェローカード無しの清く正しい挙措動作に終始しているように見えました。ナベ彦WGL殿の評価は如何でしたでしょうか。いずれにせよ、新世紀複合イベント「沼津分科会」は素晴らしいフィナーレでした。プロデューサー・ナベ彦兄とマドンナ・タッチのコンビに深く感謝しております。

(2001/2/17―18)


 B.エイプリル・フール大会(紛失記録捜索中)(2001/4/1

 C.時の記念日大会
(2001/6/10)

道志倶楽部時の記念日大会開催のお知らせ

ご無沙汰してます。お元気ですか。私儀ながら3月末の東芝定年退職にあたりましては数々の激励のお言葉をお寄せいただき有難うございました。お蔭様で、福島県人となって(4/21)から早くも1ヶ月近く経ち、すっかり清貧の失業者生活が板についてまいりました。安近短の地元テニスクラブにも入会できましたので、「平日の鬼」と化して週5回ペースで精勤して「平周五郎」の異名でも奉られるのではないかと思っております。

ところで、母の日にはカーネーションが贈られる日本ですが、まだまだ日本は"Car Nation"になっていないことを実感させられております。自動車関係の経費が高くて、ここ福島県いわき市と藤沢市辻堂の自宅の往復にも15千円かかり、月収25万円也の失業者所帯には大きな負担になってしまうのです。そのため、“帰省日”を月1回のハローワーク出頭日とその周辺日に限定することにしました。今回は初の認定出頭(5/14)を理由に帰省して、その周辺日に設定した慌しいスケジュールを消化して昨日いわき市に戻ってきたところです。

こんなビンボー幹事の状況をご理解下さって、秋丸兄が私の次回ハローワーク出頭日に合わせてコートを確保してくださいました。時あたかも「時の記念日」です。ハローワーク云々の幹事の身よがりな算段はそっちのけにされて、諸兄ご自身が充実した時を過ごされますよう、下記の通り「時の記念日大会」の開催をご案内致します。

折り良くモンゴルから一時帰国される吉武兄から貴重な在日日程の一日を割いて参加される旨意思表示を頂きました。コート上もさることながら、恒例の“反省会”も一段と盛り上がるものと楽しみにしております。各位のお早目のエントリーを勿来の関より北(来たれ)の地にてお待ち致しております。

1.日 時: 6月10日(日) 8:00−12:00
2.場 所: 横浜市港北区  「東芝エレベータ(株)研修センター内コート」
3.会 費: 反省会費(出来高払い)+ニューボール代等

草  々

          2001/5/16  いわき市より  佐々木 洋 拝


道志倶楽部時の記念日大会の件

先に 5/31をエントリー期限として「道志倶楽部時の記念日大会」のご案内を致しましたが、6/2 5:40 a.m.現在のご連絡状況は次の通りになっております(敬称略)。未連絡の向きには、前後のいきさつやら日頃の参加状況やらから勝手に判断して、申し訳に(?)を付しております。なお、こちら勿来の関を隔てた北の地におりますので、情報障害が生じて「未連絡」になっているケースも考えられます。間違いや行き違い等の“いわき因縁”があったらご指摘ください。

 <エントリー>
   吉武、浅香、上月、野中(?)、川口、渡辺(?)、秋丸(?)、小林
   牧野、吉田、河本、斎藤、佐々木

 <欠   場>
   舟橋(?)、藤澤、折田、桜木(?)、矢野、正木、幡谷(?)、山本(???)
    林(一日も早いご出馬を)、小見山、進藤

こちら翻訳の仕事が途切れて久しく“小鳥のように自由な”日々が続いております。調子に乗って平日の鬼と化して週5回のペースでテニスクラブに通い、自分で勝手に「平周五郎」なる異名をつけて悦に入っていたのですが、天罰なのでしょうか、四日前からちょっとした腰痛に襲われ情けない状態になっております。しかし、なんとか腰を引きずってでも土俵をつとめ(?)「反省」も致しますのでお手柔らかに。

不幸にして誰かさんの行いが悪いせいで雨天になった場合でも「反省会」だけは開催することにしませんか。野中師範代殿、お手数ですが、上記の<エントリー>メンバー宛に「反省会」会場の名前と電話番号、地図、開始時刻等をお知らせください。また、「反省会だけじゃ」とお思いのエントリー・メンバも当然居られるでしょうから、その場合にはその旨遠慮なくお申し越し下さい。先ずは何より、斎戒沐浴に努めて(?)当日の晴天を呼び寄せることにしましょう。

なお、今回の目玉プレーヤである吉武兄から「10:30AM頃参上」という旨のメッセージが寄せられましたのでお伝えします。モンゴルからの一時帰国でお忙しい日程なのでしょう。コート来襲時刻が遅くなるのは残念ですが、幕内後半戦の土俵を飾ってくれることでしょうし、事後の「反省会」の主役を演じてくれるのを期待しています。欠場の向きも程なくモンゴルに戻られる吉武兄へのメッセージをお寄せください。

草  々

2001/6/2 痛む腰を撫でつつ 平周五郎こと 佐々木 洋 拝


今回の大会を「時の記念日大会」と銘打ったのは何も開催当日(6/10)がその日に当たるからだけではありません。「たまには時間厳守で全員定刻に集合して清々と開始したいものだ」という幹事の密かな願望を込めていたのです。ところが、定刻8時に会場の東芝エレベータ(株)研修センター内コートに姿を現したのは、山法師こと斎藤兄と自称平周五郎こと某のたった二人。いつもながらの堂々たる三々五々の時差参戦となりました。恐るべし道志倶楽部内フレックス・タイム制の確立。

この中で最大のモンゴル時差をもつ吉武兄からだけは、国際信義を重んじられたのでしょうか、予め10:30参戦の通知を受けておりました。それでもって、本日の主役の参加を待つことなく三々五々前座戦開始の運びとなりました。先ずはテニス頻度の低い川口・浅香コンビが、これと逆の牧野・小林古狸コンビに挑みます。決定率の高い浅香兄の蝿叩き調ボレーがコートに高くはずみ、川口兄の鋭いサービスが古狸コンビを圧します。バックスピンのかかったファースト・サービスまで交えて。あの手のサービスには初めてお目にかかりました。ゴルフで言えば、ドライバーによるアプローチショットといったとことでしょうか。

緒戦を何とかものにした古狸コンビのうちでは、牧野兄が例の変てこなバックハンド・ロブを武器に白星を重ねたのに対して、しょっぱな牧野兄から「事前練習不足」とブキラレた小林兄は意気が揚がらず息が上がるばかり。もっとも主役の吉武兄の緒戦に白星を献上したのは流石に趣旨を弁えたところであり、国際関係部出身の面目躍如たるところでありました。さてその吉武兄、この人の登場によって一気にコートが賑やかになりました。モンゴル仕込みの強打を決めては「ジンギスカン・ショット!」と叫ぶ姿は、大草原に雄叫びを放つモンゴリアンになりきっておりました。事後の「反省会」でも勿論主役。なかでもモンゴルの勝利の踊り“シャワー”とモンゴル相撲の横綱の土俵入り“デベー”の披露は圧巻でした。挙句の果てに「2002/6 道志倶楽部モンゴル場所開催」まで決まってしまいました。

いつもながら会場奉行を務めてくれる秋丸兄は居住地が降雨のため出足が遅れましたが随所に光るプレーを見せてくれました。テニス頻度は低い筈なのに見る者を唸らせる切れ味の良さを発揮できるのは余程運動神経が良いせいなのでしょう。サービスに往年の切れ味を取り戻し、ノータッチエースを連発した斎藤兄と組んだ西東京コンビは、渡辺・河本の神奈川コンビに名をなさしめてしまいましたが、秋丸兄の活躍は折からの梅雨空の下の一服の清涼剤でした。次回は8月5日(日)開催を目指して会場奉行を務めてくれます。地元民ながら悠々遅参の渡辺兄は“海の男”に身を持ち崩してしまった(?)のが祟ったのか往年の“馬鹿脚”の披露にまでは及びませんでした。しかしこれもモンゴル騎馬民族に敬意を表して自らの馬脚ぶりは隠していたのでしょうか。

吉田兄の“天女の舞”サービス/ショットの久方ぶりの復帰は朗報でした。“電池コンビ”での緒戦こそゼロ敗に終わり川口兄とはダンゴ兄弟になってしまいましたが、吉武兄と組んだ“吉吉おみくじコンビ”では川口・佐々木組とのダンゴ対決を制し吉武兄の白星街道驀進をサポートしました。一方、常勝モンゴルに一太刀浴びせたのは、やはり野中師範代その人でした。浅香兄と組んで、時間切れコールド・ゲームながら吉武・秋丸組を撃退。辛うじて在日道志倶楽部の重さを示してくれました。そんなこんなの中で、本日のMVPは河本兄。佐々木と組んだ緒戦で1−4の劣勢をはねかえして逆転勝利に結び付けてから波に乗り、久方ぶり吉武兄ともども「二宮在郷軍人会ここにあり」の快哉を叫ぶ結果となりました。以下に野中師範代提供の対戦成績表を無修正のままご披露します。調子に乗ってこのままホームページに掲載して衆目に晒すことがありえますので、要修正ないし要匿名のご要望がおありでしたらお早めにお申し越し下さい。

川口 浅香 3ー6牧野 小林   河本 佐々木6ー5斎藤 野中

吉田 川口 0ー6浅香 河本   牧野 野中 6ー4小林 斎藤

吉田 佐々木6ー2秋丸 渡辺   河本 川口 6ー3浅香 斎藤

吉武 牧野 6ー4小林 野中   秋丸 斎藤 2ー6渡辺 河本

吉田 吉武 6ー1川口 佐々木  浅香 吉武 6ー1斎藤 渡辺

牧野 吉田 3ー6秋丸 佐々木  吉武 秋丸 3ー4野中 浅香     

(2001/6/10)


Re: 道志倶楽部時の記念日大会合戦記

何時もながらの捏造にしては,眼が四つあったかのような描写がありますね。
遠くからお疲れ様でした. お蔭様で ”友あり遠方より来る,・・・・・”でした.

所でその次の昼食会には失礼致しました.上手く三者会談が実現したでしょうか?  私は11時半ごろなら昼食後1時までには川崎に行けると思いセットしていた積もりが,ブキラ先生の横槍についうっかり乗ってしまい,当初のねらいを忘れてしまっていました。

それではまた8月5日のお手あわせを期待しております. それまでにも此方におみえになる時は連絡して下さい.また昼食会なども・・・・・・.

2001/6/15 浅香泰三

Re: Re: 道志倶楽部時の記念日大会合戦記

”友あり遠方より来る・・・・・”のお気持はとても有難く身に沁みます。
昼食会はコーチョク兄が単独で”友あり・・・・・”をしてくださいました。ブキラ先生は横槍を入れただけで結局姿を見せずで、見事な有言不実行ぶりでした。瀋陽や鹿児島に比べれば、いわき市など“遠方”に当たらないのかもしれません。また、3月末の私の退職時頃からの対応ぶりから判断しますと、どうもブキラ先生は「送別会」の意義を認められていないのではないかとも思われます。ご当人の退職の際には「送別会」を私がアレンジして実行したのですが、あれも有難迷惑でご当人は内心渋々参加していたのかもしれません。また現に、瀋陽行きの際にはブキラ壮行をアバウト38のメインディッシュにしていたのですが無断欠席されたこともあります。
次回“遠方”いわき市からの上京の際には送別会嗜好メンバーの都合だけ考慮して昼食会を開くことにしましょう。矢野兄関連でIT研修プロジェクトに関与することになりましたので上京の機会が増えそうです。三者会談を楽しみにしています。

草  々

D.ホット大会
(2001/8/5)

道志倶楽部ホット大会開催のお知らせ

お元気ですか。今年ももう半分が過ぎてしまいました。特に私の場合は田舎に移り住んできてからの時の経つのが速いように思えます。のんびり過ごしているうちに時計はせっせこ針を動かせ続けていたんですねえ。

ところで、マイホームページhttp://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/の検閲はしてくださいましたか。なにしろ小人なにしろ閑居ですからなにしろ不善をなして当然の状態にあります。古文書ならぬ古フロッピーから探し出していつ諸兄の“旧悪”をインターネット上に曝け出すことになることか。常にイエローカードを準備されながら「不善」のほどをご注視おき下さい。

さてここでホット大会のご案内です。今回も秋丸兄がビンボー幹事を慮って下さり私の8月のハローワーク出頭日に合わせてコートを確保してくださいました。幹事の勝手な算段はご容赦いただくこととして、暑中のテニス大会は諸兄の「道志度」が試されるいわば“踏み絵”大会です。内心にテニスの“道を志す”馬鹿馬鹿しくもホットな思いをもって、ホットなコート上でホットなラリーをほどほどに(?)お楽しみください。戦い終わっての恒例の「反省会」でのホットな情報交換も楽しみです。私も高校同期生三人との還暦記念米加西部ドライブ旅行(7/10-31)の直後ですから、きっとホットなお話ができることと思います。諸兄のお早目のエントリーを“東北の湘南”いわきの地にてお待ち致しております。

1.日 時: 8月5日(日)   8:00−12:00
2.場 所: 横浜市港北区   「東芝エレベータ(株)研修センター内コート」
3.会 費: 反省会費(出来高払い)+ニューボール代等
4.エントリー: 8月1日(水)幹事・佐々木宛
       *ご夫人・ご友人・ご子弟等々のご同伴を歓迎します。

       *メールのCCを野中師範代兼現場奉行殿宛お送りください。
*ノンちゃん、いつもながら無断で恐縮ですが、宜しくお願いします。 還暦旅行にもPCを携えてゆきメール・アクセスするつもりですが、なにぶん野中PC学校未履修につき・・・。
5.当日連絡先:野中現場監督宅 Tel.045-911-7416

*ノンちゃん、これもいつもながら無断で恐縮ですが。  

草  々

     2001/7/1  梅雨の合間の快晴で今日も出陣の

平周五郎こと 佐々木 洋 拝


平周五郎、8月5日(日)出陣の朝の心境は暗く重いものでした。直前の還暦記念米加西部ドライブ旅行(7/10-8/1)達成による虚脱感。まだ覚めやらぬ時差ボケ。おまけに常連のKMWトリオの不参加を初めとするエントリーの少なさ。これでも、いわき市の病院の集中治療室にいる義母の看病を怠ってまで会場に足を運ばねばならないのか。「二度とはすまじ」と辛い幹事役の立場を嘆いたものでした。こんなことは初めてのことです。

ところが、「時の記念日大会でさえ定刻に来る者はいないんだから多少遅刻したって大丈夫だ」と、たかをくくって8時15分に現場に赴きますと、なんと既に3人の姿がコート上にあるじゃありませんか。野中師範代と見知らぬ二人。さては少エントリーのため師範代が地元市ヶ尾クラブの若い人を誘って下さったのかな。訝って「あの二人お知り合い?」と問いますと師範代、「二人とも貴兄もお知り合いですよ」。

「えっ?」 コート上でホットなラリーを交わしていたのは、しげしげ見るとなんと河本兄と正木兄でした。完全に他人と見間違ってしまった程の若返りぶりにびっくりしました。精進すれば、こんなに若々しくなれる。いみじくもホット大会の冒頭にお二人が立証して見せてくださったようでした。とにかく、遅刻をお詫びしながらコートに立ってこれで四人集合。少なくともダブルスは楽しめる。しかも、時差ボケの小生以外は皆師範代クラス。

やがて始まったゲームは期待にたがわず緊張感に満ちたものでした。おまけに真夏なのに曇天で涼しいコート上。ホットなゲームに集中することができます。今鳴いたカラスはどこへやら、「辛い幹事役」への嘆きなどどこ吹く風。「やはり道志倶楽部はいいなあ」と豹変してしまうのですからひょっとすると私は君子なのでしょうか。そうこうするうちに、“地主”秋丸兄と浅香兄が重役出勤してきました。これで休み休みゲームができる。

自分がプレーしていない時もコート上のプレイを楽しめる。負け惜しみでなくて、6名というのがちょうど良い人数じゃないのかと思いましたね。今度からエントリーは先着6名で締切りにしちゃおうかなあ。師範代クラスのプレーぶりは相変わらずで流石でしたが、秋丸・浅香の“非師範代”コンビが随所に光って、涼しい空気と裏腹に手に汗握る熱戦です。冗談抜きで、こんな熱戦を無料で見ていて良いのかと思ったほどです。ほんと。

幹事役は辛いのですから、その成績が悪い時は(かなりの頻度ですが)成績公表をサボっても許されるのです。ともかく憂愁の小生以外は、そこそこの優秀な成績を残してゲーム終了。そこへ、予告通り反省会のみ参加の上月兄登場です。いいですねえ、ホットな気持でプレイ抜きのテニス大会参加。これで秋丸、浅香、川本、上月、野中、正木、佐々木の「道志度」の高さが証明され、おのずと同志七士が決定しました。

次回は、10月7日(日)挙行と決定しました(確かそうでしたよね同志六士各位?)。今回不参加の非を悔い改めた向きも、先着6名枠に入れさえしたら参加が認められて更生の道が開かれないこともありません。また、先着6名枠も辛い幹事役の一存で拡大することもやぶさかではありません。秋丸兄がコートを予約下さり次第、正式にご案内いたしますので、予め日程をご確保の上、神妙に沙汰をお待ちください。

なお、恒例の道志村秋合宿も同じく反省会の席にて11月3日(土)ー4日(日)に決まりました(再び、確かそうでしたよね同志六士各位?)。しかも今回は、幹事の個人的交遊先の三井MIT会OB会と帯同開催とする旨、同志六士各位よりご承認いただきました。同志七士は「道志度」が高く幹事役は辛いのですから独断専行は当然認められてしかるべきです。当件も追って沙汰がありますので固唾を飲んでお待ちください。

                                      草 々

     2001/8/20   喪に服しつつある平周五郎こと 佐々木 洋 拝

PS 4月から同居していた老義母・千代ミサヲは、子供・孫入り混じっての懸命の看護にもかかわらず 8/14 7:38p.m. 他界し、一昨日と昨日(8/18-19)で滞りなく葬儀を終えたところです。享年84歳で老衰性の脳梗塞に発する臓器不全が原因でしたが親族一同に見守られながら安らかな眠りにつきましたので、不祝儀の段は一切ご放念下さるようお願い致します。

 (2001/8/5)


E.ゼンショウセン大会
(2001/10/7)

道志倶楽部ゼンショウセン大会開催のお知らせ

お元気ですか。米国の同時多発テロ報道には驚きましたね。ニューヨーク界隈ご在住の知人をお持ちの各位には、殊更ご心労のことと思います。犠牲になられた方々を悼んでか、ここ福島県いわき市も、台風一過にも拘らず、どんよりとした曇り空の日々が続いております。

しかし、やがて10月。天高いスポーツの秋がやがて訪れるはずです。今回も秋丸兄が確保してくださいましたので、下記の通り道志倶楽部ゼンショウセン大会開催を企画しました。ゼンショウセンとは、引き続いての11/3−4予定の道志村恒例合宿の前哨戦の意味でもありますが、各位に「全勝せん」という意気込みをもって臨んで欲しいという気持を併せて表しております。いつものようなコート上のテロリスト振りを存分に発揮して全勝目指してください。

今回の道志村恒例合宿は、三井MIT会OB会テニス分科会メンバーと合同の形で開催したいと思っております。従って、ゼンショウセン大会にも参加を呼びかけるつもりです。メンバーのプロフィールは、マイホームページhttp://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/ の「三井MIT会OB会」“テニス分科会の記録”でご紹介するつもりです。テニス仲間の輪を広げる好機でもありますので奮ってご参加ください。平周五郎、“東北の湘南”いわきの地にて諸兄の早目のエントリーをお待ち申しております。

                          記

1.日 時: 10月7日(日)   8:00−12:00
2.場 所: 横浜市港北区       「東芝エレベータ(株)研修センター内コート」
3.会 費: 反省会費(出来高払い)+ニューボール代等
4.エントリー: 9月28日(金)幹事・佐々木宛
   *ご夫人・ご友人・ご子弟等々のご同伴を歓迎します。
5.当日連絡先:野中師範代兼現場監督宅 Tel.045-911-7416

   *ノンちゃん、これもいつもながら無断で恐縮ですが。

草  々

     2001/9/14 懲りもせず今日も出陣予定の

平周五郎こと 佐々木 洋 拝

道志倶楽部ゼンショウセン大会会場地図お送りします

三井MIT会OB会テニス分科会各位


近藤さん、釜澤さん、遠藤さんのK2E(決意?)トリオのご参加を心より歓迎いたします。地図を添付しましたのでご参照ください。今回参加されない方も次回は是非。また、道志合宿(11/3-4)の際にも別途ご案内しますので、是非ご参加ください。

道志倶楽部参加メンバーは以下の通りです。うまさ加減、へたさ加減はマイホームページの「道志倶楽部」をご参照いただくとお分かりいただけます。

野中、渡辺、牧野、正木、河本、浅香、小林、佐々木

コートは2面あります。渾然一体となってプレイをお楽しみいただき、気に入っていただければどうぞ道志倶楽部にもご入会ください。 当日を楽しみにしております。

草  々

2001/10/2 佐々木 洋 拝


定刻(8:00a.m.)少し前に現地に着きますと、既に二人がコート上におり快音を響かせておりました。一人は早出常連の正木師範代、もう一人はと見れば、なんとしたことか小林コーチョク兄ではありませんか。今回欠場の川口兄に代えて正木兄にアッシー役をお願いしたために7:15a.m. に現地着してしまったのだとか。お陰で同兄恒例の到着直後のカイベン(会弁?)確認の儀もとっくに済ませたとのことでした。先ずは「佐々木より早くコートに来るなんて初めてだ!」のご挨拶でした。コーチョク兄もやればできる。

今回は、ご案内の通り、11/3-4 道志合宿の「前哨線」であるとともに「全勝せん」という気合をぶつけ合うのが目的でした。この「全勝」を果たしたのは、以下の戦績表(敬称略)の通りで、アッシー正木兄だけでした。その代わり、「全」員が「勝」星に恵まれた訳ですから、大会の趣旨は(相当に)曲がりなりにも達成され、道志合宿へ向けて備えが固まったものと一人納得しております。

   正木・近藤6―5小林・野中  佐々木・渡辺6―5浅香・河本

   小林・正木6―0野中・近藤  渡辺・野中 6―3近藤・佐々木

   浅香・小林0−6正木・河本  浅香・正木 6−2釜澤・渡辺

   野中・近藤4−6小林・河本  佐々木・正木6―4河本・浅香

   渡辺・近藤1―6小林・釜澤  釜澤・正木 6−0近藤・浅香(?)

上記の戦績表には「近藤芳夫」(日本製鋼所)「釜澤克彦」(三井物産)のニューネームがあります。三井MIT会OB会からのご参加で、当初は釜澤選手を率いての近藤監督参戦という形だったのですが、いつまでも現れない選手を待ちかねて監督自ら久々コートに立たれることになりました。そこで、開始時刻を勘違いしてご趣味のバードウォッチングを済ませてから来場された釜澤さんが総監督然としてしばし観戦する形に。監督交代劇の続く昨今ですが監督・選手交代とは珍しい光景でした。それでも近藤さん、正木兄と組んだ緒戦で0−4の劣勢を覆すという長嶋サンもかくやのメイクミラクル振りでした。一方の釜澤さんも正木師範代(伊藤忠卒)と組んだ商社コンビで近藤さんとの監督・選手対決を制するという奮闘振りでした。日にちを勘違いして翌日(10/8)コートへ来られたという遠藤克彦さん(三井建設)ともども、引き続き道志合宿へのご来駕をお待ちしております。

持ち前のストレート攻撃をその日のために封印されていた釜澤さんに引き換え、コート上のテロリスト振りを遺憾なく発揮していたのが浅香タイゾー兄でした。「パートナーのファーストサーブが決まると楽ですな、アハハ」とのたまわってはペタン、「やっぱりネット際は仕事がしやすいわい」とほざいてはペタン、強烈な蝿叩きボレーがコートに突き刺さります。特に、ひときわサービスのスピードと鋭さをました河本兄と組んだ時の“水揚げ”が一番多かったようです。なにしろ河本さんときたら、歳相応の事前動作を見せておきながらいきなり歳不相応なサービスを繰り出すのですから、これも防御困難なテロリスト。しかしタイゾー兄の戦績は、「ゼンショウセン」を前立腺と間違えながら、ニューシューズ、ニューウェアのまぶしい姿で登場した渡辺ナベ彦兄に惜しくも及びませんでした。あっ、「まぶしい」は禁句でしたね。野中師範代も「ボールに毛が無くてツルツルしてる」を繰り返して顰蹙を買っていましたが。いずれにしても道志合宿では、シューズ、ウェアがどれほど汚れているかにご注目。事前練習の程度のバロメーターですので。

「反省会」は野中師範代予約によりいつもの中華料理「蘭蘭」。折角、釜澤さんが洒脱な横文字ジョーを披露されているのに、コーチョク兄はよほど初の早出がこたえたのでしょうか疲労と眠気を抑えきれず、その目の前で大あくびパカーンパカーンの大連発。もっと早起きをしていて、しかもこれから再びコーチョク兄を乗せてアッシーをやらなければならない正木師範代の方は端然として会話に加わっているのですから、やはり奇行士と貴公子とではえらい違いです。ところで、突如大会出欠連絡の「ノーアンサー」に対して唐突なリマインダー・メールを発したり、「蘭蘭」のメニューのコピー送付を野中師範代に要請して予め発注メニューや「反省会」予算まで提案したりまでしておきながら、自らは突然ブッキラボーに出場を取り消した牧野ブキラ兄も奇行士としか言いようがありません。

幸い(?)、メニュー提案のメールを事前に見た者が無く、珍しく発注者を代えて正木師範代が自由に選択しましたので、いつもと違う料理の取り合わせを楽しむことができました。また、野中常任勘定奉行の名差配によって「出来高払い」の傾斜会費分担で一件落着したのですが、釜澤さんは初参加の感想を「皆さんのボールのパワーの強さの根源が分かった」と述べられ、道志倶楽部の面々の健啖振りに驚かれておりました。もしかして、ブキラ兄も我々の飲み過ぎ食い過ぎの弊をただそうとしてメニュー提案してくれたのかもしれません。だとすると奇行士どころか義行士と呼ばなければ罰が当たってしまいそうです。そう言えば以前に、沼津分科会の民宿投泊の際にも酒量制限の提案がありました。とするとこれは、道志合宿での酒量制限提言の前哨戦だったのかもしれません。

さて、その道志合宿もまじかに迫ってきました。以上のゼンショウセン大会戦記と併せて改めて下記の通りご案内します。

1.日  時 : 11月3日(土) 〜 4日(日)

         *午前11時頃集合   *体力・気力の残存度次第で解散

2.場  所 : 道志村 民宿「北の勢堂」

     402-0217 山梨県南都留郡道志村東神地 Tel. 0554-52-2102

3.エントリー: 10月25日(木)まで幹事・佐々木宛にメールにて

11月3日は例年好天に決まっています。快い汗が流せることは間違いありませんし、アフターテニスのビールが美味いに相違ありません。囲炉裏を囲んでの猪鍋、青竹の燗酒、山女の串焼き、そして、もしかして酒量制限の提言までキミを待っている。お早目のエントリーをお待ちしております。

 草  々 

(2001・10・7)


道志合宿の件

10/7の前哨戦大会ではお世話になりました。 次回の同コートでの大会は10/7午後プレーしていたグループと一緒にできればよいのですが・・・・
「蘭蘭」の女主人も我々が食事に行くとうきうきしているようですね。
ところで11/3-4の道志合宿当然のことながら参加させて頂きます。
今回は真っ白なテニスウエアとNew Shoesではありませんが小生のトレードマークの馬鹿足の健在ぶりは披露する積りです。
ノンちゃんが欠席なのでマイカーで11/3 11時前に現地入りします。

   以上

  渡邉孝彦

Re: 道志合宿

ナべ彦兄

同好の輪を広げようとの兄案に全く異存はありませんが、件のグループはどんなグループでしたっけ? あしらが帰ってから、何かいいことがあったのか前後談でもお聞かせ願えれば。
蘭蘭のことは、あしらが行かない時のことは知る由も無いので、市ヶ尾の地主さん以外分かりまシェン。合宿に、野中師範代は欠席ですか。いるべき人がいないような気になりますね。昨日は、久し振りにコートに出て錆びついたサービスをブラッシュアップして良いところを見てもらおうと思っていたに。今回は、左手の“柿盗りサービス”です。乞ご期待。

 2001/10/22 小林公直

Re: 道志合宿

コーチョク兄 

件のグループの素性はわかりませんが一見したところ美人が二人程いたと思います。貴兄らを先に送り出し小生が1人で抜け駆けをするそんな勇気と根性は持ち合わせておりませんのでご安心下さい。
「蘭蘭」の女主人が野中師範代に気があるという貴兄の観察は鋭いですね。次回の同所でのアフターテニスの懇親会ではメニューの注文の仕方、酒量の少ない参加者のための昼食会費傾斜負担方式の採用の是非等はその道の専門家に任せるとして小生は野中師範代と女主人の楽屋裏での会話を盗聴し、師範代の一挙手一投足に注目する所存です。

 以上

  2001/10/22渡邉孝彦

Re: 道志合宿

道志合宿はエントリー期日(10/25)まで1日余残しておりますが、現在のところ「同好の輪を広げる」どころか、ノンちゃん、河本さんの常連が欠けてしまいますので、淋しい陣容になってしまいそうな感じです。前回(10/7)の三井MIT会関係からもノーエントリーになりそうです。

「件のグループ」と仰せられても狙いは「美人が二人」、と勘繰っておりますが、我らが道志倶楽部はナベ彦兄令夫人の誘致に失敗したのをはじめとして美人の参加促進を苦手中の苦手としております。これは幹事のその道に於ける力量の無さと心得ておりますので、なにとぞ力量豊かな皆々様にお力添えくださるようお願い致します。

また、「酒量の少ない参加者のための会費傾斜負担方式の採用」は、「その道の専門家」不参加につき、道志合宿ではブキラ大兄に勘定奉行役をお願いするしかないと思います。しかし、ナベ彦、コーチョク、タイゾーの諸兄とも、勘定奉行殿の沙汰如何を気にとめることなく、例によって例の如き勢いで臨まれますよう、否、望まなくても結果的にそうなることと信じております。当日はまた、ワカサギのテンプラを酒の肴に供しようかと思っておりますが、獲らぬワカサギのなんとやら・・・。

「蘭蘭の女主人・野中師範代に気があり」仮説には、「言われてみると」という気がしました。しかし、文脈を辿るとナベ彦兄の「蘭蘭の女主人も我々が食事に行くとうきうきしているようですね」にあり、「野中師範代」と特定するのは、“苦みばしった”ではなくて“僻みばしった”見方が混じりこんでいるような気がします。両兄を含めた「我々」が「会話を盗聴」しあったりしたら年甲斐も無くて愉快ですね(この言葉遣い、また注意されそうですが)。

いつの間にか2時近くになっていて、明日が今日になっています。いわきは雨が少ないはずなのに、やたらと水が瓦屋根に落ちる音が聞こえています。道志合宿当日は晴れると良いですね。聞いただけで様子がわかりそうな、「左手の“柿盗りサービス”」やら健在な「馬鹿足」やらを拝見できるのを楽しみにしております。

ところで、私の次回状上京予定は10・26にしようと思っております。お手すきの向きには、還暦男の一人しんねりむっつり昼食を憐れと思し召し頂いて、昼食会にお付き合いくださるようお願い致します。

                                           草  々

                    2001・10・23

      そんな訳で一向に木版画制作に手がつかない平周五郎こと 佐々木 洋


F.道志は里見の八犬伝 
2001/11/3-4 道志村合宿記 ―

集いし道志倶楽部同志は、川口・上月・小林・斎藤・牧野・正木・渡辺・佐々木の8犬。折り悪しき雨にたたられて民宿内「蟄居」を迫られた一幕もありましたが、紅葉真っ只中の里を見、昼に夜に8犬がお互いの新たな面を見つけ合う里見発見伝でもありました。

例外的な出足良さ

いつものように山中湖の“ワカサギ漁”を終えて11時半少し前に民宿「北の勢堂」に着いてみますと、コートに数人の人影が見えます。「今日は別のグループも来ているんだな」と思って訊いてみたところ「みんな佐々木さんのお仲間ですよ」とのこと。ありゃ、例年なら一人か二人しか来ていないのに、幹事の私を除いて全員既にお揃いとは!慌てて、釣支度からテニスウェアに着替えてコートに向かいました。聞けば、一番乗りは斎藤兄で9時半到着だったそうです。あまりに早かったために、公徳心を発揮して皆のためにコートにネット張りしているところを後着のメンバーに「コート整備のおじさん」と見誤られたそうな。それにしても今年は例外的な出足の良さです。お陰で例年好天日として知られる今日11月3日までが例外的になって雨降りになってしまいそうな嫌な予感がします。

一番乗りの一番星

みんな既に練習で一汗かいているところに、ここは平周五郎、稽古もなしに即時の試合開始を挑みます。山中湖でも富士山は雲の中。例外的11月3日の予感いやまし勝負を急ぐ。さて第1ラウンド、それぞれの緒戦の結果は以下の通りとなりました。

斎藤・佐々木6−2上月・小林 正木・川口6−3渡辺・牧野

斎藤兄は1年ぶりの白星とやら。さすがは一番乗り、気合も違って一番星です。曇り空を気にして、引き続いて決勝戦と三位決定戦をするように本日の差配役の正木師範代に進言したところ、横の方から小林コーチョク兄が進み出て「昼飯食ってからにしようや」と殆ど宣言に近い提言です。こうなると、泣く子とコーチョクには敵わないで一同打ち揃って昼食に向かいます。

無類のフットワーク

昼食では、もう一人殆ど宣言に近い提言をする者がいて、やはり泣く子とナベ彦にも敵わなくて、白昼からのビールということになり、川口兄がジャンケンでビール奉行に。勢いに乗って川口兄、引き続いて、ご飯奉行、味噌汁奉行を自ら買って出て、こまめにフットワーク良く公徳心の高さを発揮します。「コート上でもあれだけフットワークが良いといいだけどなあ」と、コート上でもコート外でもそれほどフットワークが良くない誰かさんが言ってましたっけ。…と、そんなこんなでランチタイム終了。外はいつの間にか小雨が降り始めていました。ほら、だから言わんこっちゃない。そこで、皆を急かして小雨そぼ降るコートに戻りました。決勝戦、三位決定戦とも好勝負で、それぞれ4−3,4−4の息詰まる接戦です。しかし、雨脚が強くなり、足元も滑って危険な状態になりましたので、やむなく中断して撤退することに。そして、これより「蟄居」生活の始まりです。

ワインで無聊を

まだ夕食には3時間余り、お風呂もまだ涌いていない。どうやってこの退屈を凌ごうかと思案しているときに渡辺ナベ彦兄、持参のワインを取り出して「こんな時のために」とこれまた公徳心。更に、「ワインにはこれが」とチーズのご喜捨。みんなが感謝の歓声を挙げる中で「ワインだけじゃと思っていたらやっぱりチーズも持ってきたか」と牧野ブキラ兄の感謝レスコメント。おまけに「赤ワインなんて400円も出せば上等のものが買えるよ」ときた。正木師範代あたりが、「良いワインには、このようにappellation controleeとラベルに書かれているんですよ」とフォローしていましたが、ナベ彦兄の公徳心が萎えてしまって来年はワインレスになっちゃうんじゃないかとちと心配です。それにしても、みんなのワインにうるさいこと。南アフリカ在勤歴のある川口兄は、南ア産の他は、ナパバレーかオーストラリア・ワインしか飲まないという。フランス語表示のラベルでは内容が分らず何を飲まされているか分らないからだそうです。これも、いい加減じゃなくて、一家言というべきでしょう。川口兄、フットワークだけでなくてマウスワークも快調です。

文化の日に相応しからぬ文化人論

ワインから一転して尾篭な話で恐縮ですが、ウンチクと言えばコーチョク兄から「文化度が高いほど1日あたりの排便回数が多い」という文化人仮説の披露がありました。どうもあれは、どんなテニス大会の時でも会場に着き次第欠かさずBig Ben 排泄に行く自分自身の擁護論クサくて、文化人仮説ではなくて実はフン化人仮説じゃないかと思っているのですが、「我が意を得たり」とばかり「俺も1日に2度」「僕は3回だ」という同調者が続出したのは愉快でした。文化人バスに乗り遅れまいとするかの如く。しかし考えてみれば、分割払いの商習慣が発達しだしたのも先進国からですものね。コーチョク兄仮説は当たっているかも。そこへゆくと、コクサイ経験の乏しい私などはワイン党でなくて焼酎派、分割でなくて一括ですもの、文化度の低いこと。しかし待てよ、我が家の愛犬ポポも分割排泄して都度私がシャベルで拾わされているぞ。純和製の小柴でコクサイ性がないくせに、愛犬ポポの文化度が高いとはこはいかに。だけどやっぱりアレはクサイな、シャベルで拾うやつ。文化とは臭いものなりと見つけたり。八犬伝に一犬加わって文化の発見、究研。

郷愁と安らぎと

しかし、いいなあ、道志村は。ここには、昔ながらの日本の里の秋が残っているように思えて、来るたびに郷愁のようなものが感じられ安らぎを感じます。また、我等が定宿「北の勢堂」が良い。山口大八さんがこの民宿を始めたのが昭和25年だそうですから、もう四半世紀余の星霜を経ている訳です。開業に当たって全国の民宿を自ら泊まり歩いて色々研究した結果に基づいて打ち出された「他の民宿より一品多く、しかも何らかの手を加えて副菜を供する」という方針は、大八さんが後ろに退かれて息子の法邦さんとその夫人のかおるさんが実際の切り盛りをしている現在も受け継がれています。ですから食卓に乗せられる副菜の数は日本一と信じられるに充分なほど豊かであり、どこかのお店で仕入れられて来た物がそのまま食卓に乗せられることもありません。建ってから160年程経つという藁葺屋根の旧館の柱は黒光りしており、囲炉裏の自在鍵も真っ黒になっていて時代を感じさせてくれます。そして夜になると、この囲炉裏端がテニス仲間の文化論ラリーのコートになります。やはり、テニスは文化なのだ。文化の日のテニス合宿万歳!

舞台準備も整って

小さいころから知っている大八さんのお孫さんの洋介君も今はすっかり大きく逞しくなって、つい最近も国体の高校生105キロ級重量挙げで銀メダルを獲ったばかりだそうです。その洋介君が囲炉裏に炭火をおこして、その周りにイワナの串刺しを8本並べてくれ、いよいよ夜の部のスタートです。以前はヤマメの串刺しが定番だったのですが、養殖技術が進歩したためなのでしょうかイワナが渓流の女王にとって代わっています。でもこれで良かった。「山女の串刺し」では字面がおぞましすぎて漢字表記が憚られていたところです。囲炉裏端で銘々が座を占めて、それぞれ目の前にあるマイ・イワナの焼き上がりを楽しみにしているところに、やおら猪鍋が運び込まれて自在鍵に吊り下げられます。そして、猪鍋に加えて珍品の鹿の刺身、これに蝶々の天麩羅でもあればイノ・シカ・チョウの揃い踏みだ。蝶々の天麩羅?代わりにバターを使った揚げ物でも良しとするか。なんせバターフライだものね。こんな駄洒落を言っている暇もなく、青竹燗の登場で猪口も青竹製。晩秋になおこれほどの瑞々しい緑を保つ青竹はまさに、還暦過ぎてなおこれほどの若さをみなぎらせている道志倶楽部の象徴のようです(かな?)。

いざ夜のプレーボール

いざ酒席の始球式。青竹燗酒の“テイスティング”に当たったコーチョク兄から、持ち前の自称高文化が疑われそうな「ちょうど良いぬるさ加減」というご託宣。すかさず上月兄から「そういうのを人肌燗って言うんじゃないの」と文化的教育指導が飛びます。上月兄も私と同じで国際経験は少ないはずなのに、マレイシア在勤も含めて国際経験豊かなコーチョク兄はこの有りようですから、やはりコクサイ派は臭い。私も負けずに「この“小臭い”の“小”は接頭辞で“臭い”を修飾するが“小股が切れ上がった”の“小”の場合は“股”を飛び越して“切れ上がる”を修飾するのだ」と、新米日本語教師として知ったかぶりの披露につとめたのですが、多分誰も聞いていなかったことでしょう。何せ、道志倶楽部メンバーときたら、「ワシやワシや」の話者ぞろい。NATOの揶揄No Action Talk Only の後半部がぴったりの連中ばかりなんですから。

ワカサギはワカサギ、醤油は醤油

そんな訳で、囲炉裏端の会話のラリーは、ボールがあっちに飛んだりこっちに飛んだり。ベトナム帰りのブキラ兄はベトナム談義もそこそこに、定番の鹿児島話。これに九州在勤歴のある斎藤兄談と正木師範代の湯布院旅行談が絡んで九州あれこれに話が広がります。そしていつしか食い物の話になって、上月兄の料理教室入門談披露があって「男の厨房」出身の正木師範代と料理の面でも堅い師弟の契りが結ばれることになりました。しかしここでも冴えたのが川口兄のマウスワーク。素材の美味さを殺す醤油の無用論とその実践を唱え無醤油党旗揚げの機運を盛り上げました。そこへ、私が皆のために唯一公徳心を発揮できる“山中湖ワカサギ漁”の釣果が天麩羅となって大皿に盛られて登場。何回りか“回食”されて、「釣れたて揚げたて」の素材の美味さを皆に実感させ、醤油無用論の正しさを側面から支援する結果となりました。しかし、翌朝の朝食で無醤油主義を実践したのは無醤油党党首の川口御大の他は私一人だけでした。みんなもう素直じゃないんだから。ワカサギはワカサギどまりで、素材重視の無醤油党入党にまで結びついていなかったんだね。しかし、醤油無しの生卵なんて以前は考えられなかったのですが、試してみるとなかなかのものでした。信ずるものしか救われない。

 雨降って地固まらず

さて今日の天気は?見上げる寝ぼけ眼に飛び込んできたのは一点の曇りも無いコバルトブルーでした。コートの状態確認に急ぐサンダルの足元は濡れていましたが、雨が一切の汚れや穢れを洗い流してくれたのでしょう、あたりは澄明な雰囲気に包まれています。道志の山並みの先には、すっかりと雪に覆われた富士山の頂きさえくっきり見えます。空があくまで青く雪あくまでも白しで、まさに真白き富士の嶺です。ところで昨夕は、コーチョク自称文化人が「雨降って地固まる」を拡大解釈して「雨より多く降って地より固まる」なる仮説を提唱しておりましたが、コート上に残る水を見てコーチョク仮説はやはり過説であったということが判明しました。汚れや穢れを洗い流してくれたのは有り難いのですが、いかんせん降雨量が多過ぎたようです。そこで、時6時、快晴、コート上の残水量から判断して「8時には水が引ける」という代替仮説を立てて、これを次々と起きだしてきた面々に告げました。

秋の山里を満喫

朝食後、川口兄とともに再びコートに行って見ますと、見事「8時水引け」仮説が的中しコート上はまさに「雨降って地固まる」状態でびしっと締まっていました。しかし、コートの周辺がいけません。サンダルの足元は緩く、地面からは湯気が立っている有様です。そこで今度は「9時15分プレイ開始可能」仮説を立てて皆に次げ、かくて9時半全員コート集結という運びになりました。だが今回は仮説が少しばかりずれていました。まだ手元ならぬ足元不如意なのです。それではそのまま皆で里見アワー。コバルトブルーの空を背に道志の山々の稜線もくっきりと見えます。山肌は錦織りなす紅葉模様。コート際にも立ち木があって、明るい朝の陽光を浴びて輝く鮮やかな黄色の木の葉がピッチカートを奏で、梢から幹にかけて紅、橙、黄色、そして黄緑へと見事なグラデュエーションを見せる立ち木がこれに並んでコンチェルト。しかも皆、雨の名残で瑞々しく、日陰の部分もマゼンタ色が滲んで妖艶なお色気まで漂っています。こんな時「あの木何の木?」と気になる木を問いますと、栴檀をこよなく愛する万年植物青年(植物人間にあらず、念のため)牧野ブキラ兄の専断の世界になります。折から空に飛翔する二羽の鳥。「あれは長元坊(鷹の一種)」と新米バード・ウォッチャーの私が知っタカぶりを口走りますと、間髪を入れずバシッと(これぞ間バシ)「あれが長元坊である訳がない」とブキラ節。栴檀居士の専断ぶりは鳥の世界にまで及びますから参ります。センダンは二言より間バシ。

最後はやはり公徳心

そんなこんなで、ようやく“本業”のテニスに戻れたのは、もう日も高い10時のことでした。再び無差別ジャンケンでペアリングを決めて第2ラウンド。ここは、以下の通り、正木師範代貫禄の完全制覇の結果となりました。いつもは師範代の足を引っぱる某も、素浪人・平周五郎となってからの修練が実ってか、ボロを出さずにすみました。

正木・佐々木6−0斎藤・川口 小林・牧野 6−3渡辺・上月

斎藤・川口 6−4渡辺・上月 正木・佐々木6−0小林・牧野

引き続いて、正木師範代の差配により第2ラウンドの上位・下位ペアを分割統合して第3ラウンド。結果は以下の通りで、一番乗り一番星の斎藤兄が優秀の美を飾りました。コート整備に奮迅努力した公徳心とパートナーのコーチョク心の賜物でしょう。重馬場のため持ち前の“馬鹿脚”ぶりを発揮できずにいた渡辺ナベ彦兄も最終戦で白星を挙げ、ワイン持参の公徳心が何とか報いられ何よりでした。

正木・上月 6−3渡辺・佐々木 小林・斎藤6−3牧野・川口

渡辺・佐々木6−3牧野・川口  小林・斎藤6−3正木・上月

我が師の恩

上月兄も師匠の正木師範代と組んで白星をゲットしました。「無理に攻めて得点を得ようとするより、先ずはつないで相手のミスを待つほうが良い」、また、「自分は打球しない場合でも動いて相手に心理的圧力をかけなければならない」という師の教えを忠実に守ったお陰でしょう。特に、正木師範代の説かれた第2点はダブルスの心得として重要なことだと思います。パートナーはパートナー、自分は自分と割り切って、パートナーが打球する時は突っ立ったままというのでは、ダブルスではなくて同じコートにシングルス・プレーヤーが二人いるのと同じですからね。現に私も、上月兄のポーチしようとする動きに幻惑されて正木師範代のサービスのリターンを再三ミスしてしまいました。師の教えを従順に受け入れ、すぐに実行することのできる上月兄の道志倶楽部内ランキングは、同じことを教えられながら、相変わらず無理な攻撃による失点やコート上突っ立ちを繰り返している某を含む某々を早晩上回ることでしょう。

師匠からのお月謝

公徳心の極みは正木師範代から参加者全員と民宿への、「こぶだしみそ」と「胡麻ドレッシング」のお土産でした。普通は、習い事のお月謝などは、師匠にお払いするものであって師匠が払うものではありません。有り難く頂戴するとともに、このお土産に託された正木師匠の含意を推し量ってみました。「胡麻ドレッシング」は、まさに素材重視の醤油無用論のアンチテーゼであると考えられます。還暦テニス族としては、もはや打球パワーや体力といった素材への一辺倒は止めにして「こぶだしみそ」の持つ玄妙さを目指すべきであるということなのでしょう。来年の道志合宿では、果たして何人が玄妙なテニスを披露できることか。目下のところ上月兄以外は期待薄ですが、「こぶだしみそ」と「胡麻ドレッシング」のあり難さが身に沁みこむ頃には、みんな悔い改める…かどうか。いつものように、食い改めるだけのことになってしまいそうな気もします。ともあれ、最後に勘定奉行を務めてくれた牧野ブキラ兄も含めて、公徳心を発揮してくださった道志同志に感謝の意を表します。大いに“We意識”に満ちた道志合宿でした。“We意識”、これぞダブルスの極意でもあり…ですよね師匠?

                                   (2001・11・3−4)

Re: 道志合宿記

佐々木 様

同志の会は誠に残念な事をしました。いつになく大風邪を引いて,喉が痛くて参っており,失礼をば致しました。 これに懲りず,これからも色々な行事をお願いします。取りあえず昼食会は,出来るだけ早くからの情報が有りがたく,出来るだけご都合にあわせる積もりです。
久し振りに文化の雨が降ったようですが,それなりに楽しい合宿だった様ですね。
では又・・・・・。

2001/1/12 浅香 泰三(Taizo Asaka)

Re: 道志合宿記

「鬼の霍乱」などと珍しがられますので、見かけによらず(?)カクランが多いタイゾーさんは鬼ではないということなのでしょう。

留守電に残されたのがあのひどい声でしたし、先日(11/8)上京してコーチョク兄とともに「譴責昼食会議」を開こうとした際にもお休みでしたのでよほどの重症かと心配しておりました。先ずはご快癒のご様子でこちらも一安心しています。

次の上京は11/15を予定しておりますが午前中にもミーティングが入りそうですので昼食会参加の可否は見通しが立っておりません。いよいよ11/27からIT研修が始まりますので、辻堂からの通勤が4週間有余続きます。昼食会といわず、何かとお付き合いくださるようよろしくお願い致します。                                  草  々

2001/1/12 佐々木 洋 拝


G.忘年大会 
(2001/12/24)

忘年テニス大会の戦績は下記の通りでした。

前回道志で数字の上では大明神が一番との正木師範の報告がありましたが、たしかに かってのダブルフォールとはすっかり姿を消し、フォロースルーがよいのか球にスピードがあるのが目に付きました。

 野中・正木  6−3 佐々木・牧野   浅野・河本  6−5 川口・吉武
 牧野・正木  6−1 齊藤・野中    浅野・牧野  6−2 川口・齊藤
 河本・佐々木 6−5 正木・吉武    齊藤・野中  6−4 牧野・吉武
 河本・正木  6−2 浅野・川口

 では

2001/12/26牧野 正弘 Masahiro Makino


Re:忘年テニス大会 戦績

戦績表をお送り頂いた上に過分なお褒めの言葉を頂き有難うございました。但し、今回は企画の段階からAKWの重鎮トリオが不参加でしたので番外編ということにしましょう。私も短期帰国で大多忙な吉武兄と会えただけで大満足で、今更道志倶楽部幹事として報告する気持はありません。

昨日(12/26)約1ヶ月間に及ぶ“湘南”辻堂の滞在を終えて“東北の湘南”いわき市に戻って参りました。辻堂を6時に出て約4時間半の「北帰行」でしたが、さすがに上に“東北の”が付くだけあってやたらと寒く、これでは越冬が大変で先が思いやられます。しかし、平周五郎、寒さごときに負けるわけには行かず、早々にコートに立ちましたが、ゲーム中でも背中が寒いのに参りました。これからは、「吉武兄のいるモンゴルはもっともっと寒いんだ」と呪文を唱えながら、コートに立たねばと思っています。

従事していた4週間にわたる国際IT研修は無事終了し、今後は中国人技術者8名に対する日本語教育(Teaching)に携わります。週日は毎日となりますのが夜のおつとめとなりますので、勤めもテニスも平周五郎ということになりそうです。日本語教師のペイは不安定ですので、この間に翻訳(Translation)も手がけてTT(Tennis & Travel)の原資を稼いで、何とか道志倶楽部の皆様とのお付き合いを保ってゆきたいと願っております。翻訳のお話でもありましたら、委細構わず、是非この零細個人経営「TT研究所」にご紹介ください。

本年中は色々お世話になり有難うございました。来年は、是非道志倶楽部の「モンゴル分科会」と併せて「いわき分科会」を開きましょう。いわきも春を迎えれば“東北の湘南”の真髄を発揮して道志倶楽部諸兄を温かくお迎えする筈です。また、3月には家屋の保守補強工事も完成して“バーチャル民宿ササキ”で新鮮な魚介類を賞味して頂くこともできます。来年も都落ちの素浪人・平周五郎をお見限りなく。末筆ながら、皆様にとっても良い年となりますようお祈りいたします。

草  々

     2001・12・27  年末出陣に備える

平周五郎こと 佐々木 洋 拝