コミュニケーションメディア論

第3課 デジタル化・
     コンピューター化・
     マルチメディア化

1.デジタル化

1−1 アナログとデジタル

「デジタル」は英語では”digital”と表記されますが、”digit”というのは「指」という意味があります。ですから、「デジタル」の本来の意味は、身体メディアである「指」を折って数えて表現メディアである「数字」で表現する数値表現方式のことであると考えていいでしょう。

一方、デジタルの反対語である「アナログ」は英語では”analog” と表記されますが、これは「類似」とか「相似」という意味を持つ言葉です。ですから、「アナログ」の本来の意味は、万物の現象を別の形になぞらえる相似表現であると考えられます。時の流れを文字盤上の針の動きになぞらえる時計、温度の変化を液柱の溶液の動きに相似させる温度計、長さを直線状の物体に刻んだ目盛りで相似表現する物差し、重さを天秤の上下関係になぞらえて計測する秤(はかり)などなど、伝統的な計器類はすべてアナログ表現メディアであったと言えるでしょう。「時計/目盛り/秤を読む」という言葉に表象されているように、コンテンツ(形状データ)を「目」メディアで「読み取り」、これが「脳」メディアに伝達され、そこで数値情報として認識されます。


1−2 デジタル時計

「デジタル」という言葉が一般的に使われ始めたのは「デジタル時計」からのことでした。1970年代後半、「高級品」というイメージが定着していた腕時計に価格革命が起き、セイコーとシチズンの寡占状態にあった日本の時計業界はデジタル時計をもって新規参入したカシオによって様変わりの状態になりました。

デジタル時計は、従来の歯車や宝石による軸受け及びムーブメント一切を排除し、内部の水晶発振子によって正確な信号を作り、この信号をカウントして時を刻んで液晶ディスプレイにデジタル表示します。精密機械の代表的な存在であった時計から機械的に可動する部分が全くなくなり、従来の、時針、分針、秒針のついたアナログ時計と比べると、精度が向上すると同時に価格が低下したのですから顧客満足度が大幅に向上し、これが時計業界の革命につながったのです。

但し、装身具としての高級感と、文字盤上の針の指した位置から時刻をアバウトに読みとれる便利さからアナログ時計も見直され、依然としてデジタル時計と並存しているのはご存知の通りです。なお、1969年にセイコーが世界で初めて開発した「クォーツ腕時計」は、内部構造はデジタル式でしたが、文字盤が従来の円板タイプであり、時針、分針、秒針で時を刻んで表示をしていたので「デジタル時計」とは呼ばれていません。時計の世界では、数値表示になっているかどうかがデジタルか否かの判断基準になっているわけですが、実は肝心なのはクォーツすなわち石英quartzが使われているところにあるのです。

石英(水晶)の薄い小さい板(水晶発振子)には、電圧をかけるとある特定の非常に安定した周期で振動するという特性があるからです。時計の場合はこの振動数を電気回路で測って時間を決めているのですが、水晶発振子の用途は広がり、コンピューターでもシステムに組み込まれたモジュール間の同期を取るためのクロック信号を発生させるための便利な素子として利用されるようになっています。

更に、家庭用のテレビやラジオ、ステレオ、携帯電話、パソコンから人工衛星にまで、それぞれの動作をコントロールするためこの“デジタル素子”が心臓部に用いられている点に注目する必要があります。水晶なしではハイテク社会は成り立たないと言っても過言ではないのです。

1−3.デジタル化

「デジタルdigital」の”digit”には、「指」の他に「桁」という意味があります。このことからも、「指」を1本1本折って数えていって両手分の10本になると「桁」が変わる、いわゆる10進法が物の数え方の中心になってきたのが当然であったように思えます。しかし、10進法では0から9までの10種類の数字がありますから、現象を「数値化」して表現するにしても、10種類の相異なる信号を作り出してそれぞれを10種類の数字に対応させなければならず容易なことではありません。そこで、最低2種類の相異なる信号を組み合わせて用いれば、最も正確かつ効率的に現象を「数値化」できるはずだということで重用されてきたのが2進法だったのです。

「長」と「短」の二つの符号の組み合わせでアルファベットと数字を表すモールス信号も2進法の一種ですが、この「長」と「短」の差は「手指」メディアによる電信キーの操作により作り出されるものであり、信号変換の過程での正確性にまだ問題を残すものでした。これを更に、単純なスイッチの「ON」、「OFF」による「電流を流す」と「電流を流さない」の差を、それぞれ「1」と「0」に対応させたのがコンピューターのロジックだったのです。従って、コンピューターはスイッチのかたまりでできているといっても過言ではなく、電気を通したり止めたりして、2進法でデータを加工・処理・記憶しているのです。

しかし、デジタル方式も全て万能というわけではありません。まず、アナログ方式では「連続量をそのまま表示する」ことができますが、デジタル方式には「連続量をある単位で区切って(標本化)強制的に量を当てる(量子化)」するプロセスが必要です。従って、例えば小数点以下1桁のレベルで標本化する場合、1.65 ? 1.85の範囲に連続的に存在している変数は「1.7」または「1.8」という離散した数値として量子化されてしまい、原データの微妙な変化は捨象されてしまいます。これは、通常のモノサシ(アナログ)を肉眼で読み取る場合を考えてみると、実際には同じような“データ処理”をしているわけですから理解しやすいのではないかと思います。しかも、いったんコンピューター処理のためにアナログからデジタルへのいわゆるAD変換Analog to Digital Transferをすると、デジタルデータを再びDA変換Digital to Analog Transferしても連続量からなるアナログ原データを再現することができません。

しかし、デジタル化には、このような「陰」を遥かに上回る「光」がありました。すべてのアナログ信号のデジタル化が可能になることにより、以下のような利点がもたらされたのです。

   雑音・中継への対処が容易になり、通信の品質が向上した

もともと“1”か“0”かのどちらかで表していることから、信号が劣化しても復元が容易なことから通信品質の向上に繋がった。
写真、フィルム、録音テープは、いずれも代表的なアナログ情報伝達メディアでしたが、コピーを重ねる毎に画質や音質が劣化していました。デジタルカメラ、デジタルムービー、CDなどではコピーしても劣化しないのと対照的です。

 各種メディアの統合的交換・伝送が容易になった

一本の通信回線に複数の信号を多重化して伝送することは、アナログの時代にも信号波を周波数が異なる搬送波に載せる(周波数分割)ことによって既に実施されてはいたが、時間を分割(時分割)する技術によってより容易に多重化することが可能になった。

 通信処理機能の付与・デ―タ処理機能との結合が容易化した

音声や画像のようにもともとアナログで表現される情報と、コンピューターのようにデジタルで表現される情報の双方が、デジタル化によって音声も画像もデータも、総てが一本の通信回線で送信する事が可能になった。

デジタル化技術が後述するコンピューター化とマルチメディア化の基盤となり、かつては「箱」(コンピューター)をつなぐ「紐」の役割しか果たしていなかった電気通信が、伝送・交換過程における効率的な情報の処理・蓄積機能を得ることによって、同報通信サ―ビス、プロトコル変換・メディア変換等の通信処理を伴う高度で多彩な通信サ―ビスを提供できるようになったのです。
<こぼれ話>
されどアナログはアナクロに非ず

「デジタル時代」、「デジタル社会」といった言葉が喧伝され、デジタルが万能であるかのごとき感じにさえさせられてしまいますが、決してアナログ(analog)がアナクロ(anachronism:時代錯誤)ではないということを心すべきだと思います。

例えば、身近な音楽鑑賞用のCDの話をしましょう。人間の可聴周波数は普通50Hz?20KHzと言われていて、これ以外の周波数の音は、いわゆるアナログ/デジタル変換の理論によってデジタル信号に変換してCDに収録しても雑音を引き起こす可能性があるものと見なされてカットされています。このカットされた普通は耳に聞こえない音がアナログレコードには入っていますので、今でもアナログでないと聞きたくないという人もたくさんいるようです。一時は、電器店店頭から消えうせてしまったかのように見えたレコードプレーヤー付きのミニコンポの類が見直されてきているのもその現われの一つではないでしょうか。実際の音楽演奏の際にも、可聴周波数以外の周波数の音が作り出され、あるいはこれが人によっては雑音に聞こえるのかもしれません。しかし、一部の音楽好きの人々の耳には、それも含めてアナログ信号のまま収録されたレコードの方が、むしろ「現場感覚」や「ぬくもり」を伝える好もしいメディアなのでしょう。

音というものはデジタル(離散的)なものではなくアナログ(連続的)なものです、楽器だけではなく自然の中にもこのようなアナログ信号の方が寧ろ多く含まれています。鳥の鳴き声や虫の声もそうでしょう。もともと、感性を司る右脳が感覚的、動物的、イメージ的でアナログ的な対象に強く機能するのに対して、知性を司る左脳は論理的、理性的、概念的でデジタル的な対象に対してより強く機能すると言われています。日本人が愛でる虫の声が欧米人には雑音としか聞こえないのは、日本人が虫の声をアナログ信号として右脳で受け入れて一種の音楽として楽しむことができるのに対して、欧米人は左脳で意味不明なデジタル信号としてしか受け入れられないからなのだという人もいます。

また、データや情報の処理や伝達はITシステムや機器によってデジタル式に行なわれたとしても、人の身体メディア(目や耳など)とITシステムや機器とのインターフェースの部分では、相当の部分がアナログ信号に依存しているということを忘れてはなりません。例えば、デジタルカメラは文字通り画像をデジタル式に処理していますが、目にするのは画面上またはプリントアウトされた紙面上のアナログ・イメージに他なりません。翻って考えてみれば、文字自体も音(表意文字の場合)や意味(表意文字の場合)を字形になぞらえたアナログ表現の様式の一つであると言えそうです。

前例踏襲が意思決定の基本的なパターンであった時代には、もっぱら左脳による知的な判断が重視されていました。しかし、独自の問題解決のための仮説の形成が求められつつある現在は「感性」と「知性」の適切な融合が重要であり、右脳による意思決定のサポートが不可欠になってきています。コミュニケーション・メディアが大容量化・高速化しつつあるのも、煎じ詰めれば画像や映像といったアナログ情報を意思決定のために有効に使おうとする欲求に根ざしているといってもよさそうに思えます。アナログはアナクロどころではなく、一方では時代の寵児であると言うことさえできそうです。

2.コンピューター化

2−1.コンピューター・ネットワーキングへの動き

デジタル技術によって、連続したアナログの電気信号をON/OFFのパルスからなるデジタル信号に変換して送受信できるようになってから、電気通信網と本来的に2進法ロジック回路で構成されたコンピュ―ターとの親和性が大幅に増したのは確かですが、コンピューター・システムの形態自体が以下の通りネットワーク化の方向を歩んでいたという点も見逃せません。
1970年代  集中処理(組織の情報処理)
ホスト(主人) VS  端末  "Dumb"  Terminal
1980年代   分散処理(組織の情報処理の効率化)
東芝 DP(Distributed Processor)シリーズで先駆け
マルチベンダ環境対応
1990年代   分散処理(個人の情報処理を重視)
PC/WS(ワークステーション)使用者が主役
クライアント(顧客) VS サーバー(召使い)

メインフレーム(汎用コンピューター)の時代のネットワークでは、ホスト・コンピューターが文字通りHost(主人)であり、これにつながるダム・ターミナルはDumb(インテリジェンスがない)端末でありホストに従属して入出力機能のみを果たす存在でしたので、中央一極集中型のシステム形態で全社機能を一手に担うものでした。

1980年代になると、部門別または業務別の情報処理のニーズが高まり、これに呼応して、分散処理を行なうオフィス・コンピューターが登場し、メインフレームと分散処理コンピューターとの間のコンピューター・ネットワークが主流になりました。互換性の無い複数ベンダーのコンピューターをネットワーク化する、いわゆるマルチベンダ環境となったわけですが、メインフレーム・ビジネスからいち早く撤退していた東芝は、自らのメインフレームを擁していなかったが故に各社製メインフレームと接続するためのプロトコルに対応し易いという利点に恵まれ、オフィス・コンピューターではDP(Distributed Processor)シリーズで先駆的な市場地位を築くことができました。

分散処理化への動きは1990年代になって一層顕著になり、PC/WS使用者(個人)がコンピューター・システムの主役になりました。端末がダム(Dumb)からクライアント(顧客)に昇格し、逆に中央のコンピューターはHost(主人)からクライアント(顧客)に対してサービスを提供するサーバーに立場を変えたのです。この間にコンピューター間を相互接続するLANシステムも進化して、クライアント・サーバー・システムなども含めてコンピューター・ネットワークは一層拡大し高度化してきました。

このようにコンピューター・システム形態の歴史は、コンピューターのコミュニケーション(通信)機能の拡大の歴史でもあったのですが、これが更にインターネット時代の到来によってパソコン(PC)がPersonal ComputerからPersonal Communicatorに変わるにおよびコンピューター自体がコミュニケーション(通信)メディアの重要な一環になったのです。

2−2.オープン・システム化

コンピューターのネットワーク化の動きと並行して、コンピューターのオープン化の動きが進展しました。各ベンダー製品間の互換性が無いために、プロセッサー(MPU)、基本ソフト(OS)、アプリケーション・ソフトから、インストレーション、サービスに至るまでの供給を単一のベンダーに依存せざるをえなかった「固有システムの時代」が終焉したのです。特に、以下の報道のように「ウィンテル連合」の勢力が優勢になりました。

汎用機が全盛期であった時代はIBMが業界の「顔」であったが、1980年代以降のパソコンの急速な普及で同社は盟主の座を追われる。主役に躍り出たのは頭脳部品である超小型演算処理装置(MPU)を押さえたインテルと基本ソフト(OS)で圧倒的なシェアを獲得したマイクロソフト。いわゆる「ウィンテル連合」だ。
 (2003/01/01日本経済新聞)

固有システムの時代には、ベンダー各社システムのうちのアプリケーション・ソフトの一部として位置づけられていたミドルウェアが独立の地位を与えられたのもオープン・システム時代の特徴と言えます。ミドルウェアは、基本ソフト(OS)とユーザー・アプリケーションの間に位置するソフトウェアの総称ですが、これが独立の地位を与えられることにより、コンピューター・システムの構築・変更・増設が容易になりました。様々なベンダーから様々な用途のミドルウェアが供給されていますが、「講義の要求仕様」に例示されている「グループウェア」は、下掲の新聞報道でも説明されているように、情報の共有化やワークフロー支援のコミュニケーション・ツールとして機能するミドルウェアなのです(詳細は別稿「インタ−ネット・ビジネス論」第10課参照)。

グループウェアとは

PC同士をネットワークで結び、グループ(部署)内で電子メールやスケジュール管理、掲示板などの機能を共有するシステム。米ロータスの「ノーツ・ドミノ」が全世界約7,800万社で採用されており最大手。マイクロソフトも「エクスチェンジサーバー」と呼ばれる基盤ソフトに、住所録やメモなど個人用の情報管理ソフト「アウトルック」を組み合わせグループウェア機能を提供している。

2001/8/18日本経済新聞)


2−3.コンピューターによる通信制御

前述のグループウェアは、コンピューター・ネットワークにコンピューターのソフトウェアを組み込むことによって、コミュニケーション機能を強化する形の「コンピューター化」の一例でしたが、電気通信網の信号送出・受信、蓄積、交換などの過程ではコンピューターの技術が用いられる形の「ネットワークのコンピューター化」が進展し、コミュニケーション・メディアの機能を大きく多様化し大幅に性能を高めています。

データを「パケット」と呼ぶ単位に分割して転送するパケット通信方式におけるデータの蓄積・交換に用いられているコンピューター技術がその代表的な例です。それぞれのパケットは、ヘッダーにアドレス情報が付けられていますから、パケットごとに異なる通信経路を通っていっても、送信先に間違いなく届いてデータ全体が再構成されますし、複数の利用者のデータを同一の通信回線で混在させて転送することができます。

また、パケット交換では、ネットワークのノードでユーザー・データをいったん蓄積してから宛先に向けて送出する蓄積交換サービスができ、リンクの効率が向上します。パケット通信の制御を可能にしたコンピューター技術により、通信回線の使用効率が大幅に改善し、伝送コストは劇的に低下しました。なお、パケットの蓄積交換技術はそのままインターネットに活用されています。

[回線交換ネットワーク]

回線交換ネットワークでは、通話中には電話機間は物理的に接続され、2人だけが利用できる「回線」が確立される。回線はその間のケーブルを占有するため、常に一定の帯域幅が保証されるが、距離と時間に応じたコストが発生する。

[パケット交換ネットワーク]
パケット交換ネットワークでは、データはパケットに分割され、ルータからルータに転送されながら、最終的な目的地にたどり着く。ルータ間のリンクはすべての通信で共有されるため、コスト的に有利であるが、パケットの届く順序やタイミングなどは保証されない。

従来は、スパゲティー状に入り組んだケーブルを繋ぎこんで電話交換に用いられていた局用交換機やPBX(構内交換機)もすっかり様変わりして「ソフトウェアの塊」と言われるほどになりました。錯綜した配線は基盤に納められ、外観形状も「コンピューター化」してきましたが、コンピューターのハードウェア・ソフトウェア技術が取り入れられることによって、交換機の機能が多彩化するとともに通信効率が大幅に向上しました。

極め付きは、コンピューター技術の利用により、伝送路自体がデジタル化したことです。デジタル変調方式digital modulation communicationでは、AM、FM、PMなどのアナログ変調方式を用いてデジタル信号を変調し伝送していたのですが、基底帯域通信方式(baseband communication)では、デジタル情報を単にパルス信号に変換して伝送します。パルス信号が伝送路上での伝送路符号となったことによって電気通信の世界が劇的な変革を遂げ、ここに真の情報(コンピューター)と通信(電気通信ネットワーク)の融合が実現したのです。

3.マルチメディア化

3−1.PCM(Pulse Code Modulation:パルス符号変調)技術

通信回線網のデジタル化により、本来的にデジタルであるコンピューターの出力データのコンピューター間のデータ通信は高速化し、文字・数値データの大量伝送が経済的に行なわれるようになりました。しかし、従来電気通信の主役であったアナログ信号の音声も、PCM(Pulse Code Modulation:パルス符号変調)技術によりデジタル化されるようになったため、文字・数値メディアと音声メディアのマルチメディア通信が可能になりました。PCMとは、音声信号符号化方式の一つで、音声のアナログ信号を一定の時間ごとに区切り、それぞれの信号の大きさをデジタル・データに変換する方式です。

具体的にみると、現在の電話システムにおいて音声をデジタル化する方式では、1秒間に8,000回、つまり、8,000分の1秒の間隔で数値を読み取り(標本化)、標本の値を四捨五入し(量子化)その結果を8ビット(0〜255)のデジタル信号に置き換えるという手順で、音の変化を数値に変換しています。デジタル通信では、8,000分の1秒ごとに得られる数値を次々と相手側に送り、そのどんどんやってくる数値を元に受信側でもう一度音の波にもどしているのです。一人分の音声信号は1秒間に8ビットを8,000回ですから64kビットの信号が必要になるわけです。

下の図は、デジタル電話におけるデジタル化と多重化の事例を示したものです。PCM技術によって「2進化」(デジタル化)した後、更にADPCM技術(Adapted Differential Pulse Code Modulation:適応型差分PCM)及びビット幅圧縮技術によって信号を圧縮し、Aさんから、Bさん、Cさん、Dさん、・・・・Wさんまでの計23人分の音声信号を、1本の通信回線の時分割されたそれぞれのタイムスロットに納めて(多重化)送信する仕組みが理解できると思います。

<こぼれ話>
装置の稼働率の大幅向上

電話回線は、それこそ全国津々浦々にまで張り巡らされているわけですが、日本中に張り巡らされている電話線を実際に音声通話のアナログ信号が流れている時間をまとめて足しても1日のうちわずか5分程度に過ぎないという話を聞いたことがあります。個々のオフィスや家庭から電話をかける回数や時間は限られたものですし、その通話中でさえ、基本的には話し手と聞き手が交互に交代しているわけですから、話している間は聞く側の回線、聞いている間は話す側の回線に、それぞれ信号が流れていないことになります。また、会話に用いられる音声は分節化されていて、ここの音が発音されるのは瞬間に限られますから、音節と音節の間も信号が流れていないわけで、例えば、
10分間の通話をしたとしても有声信号が流れている時間はほんの数秒間なのだそうです。ですから、道路に例えて言えば、車が走行する区間が限られている上に、車間距離が極めて長くて、しかも他の車線から割り込んでくることもないので、とてつもなく道路使用効率が悪いということになります。電話通信事業も、いわば装置産業のようなものですが、1日24時間のうちの5
分間を除く時間帯はまるまる遊んでいるという装置の稼働率が恐ろしく低い状態にあったわけです。デジタル化による多重化は、道路の例に戻るならば、車間距離間隔に他の車線からの割り込みを大幅かつ組織的に促進して道路使用効率を高めようとするのと同じです。隙間だらけで遊んでいた巨大な電話回線装置は、デジタル化技術と多重化技術によって飛躍的に稼働率が高まり、新時代のコミュニケーション・メディアとして活性化したわけです。

3−2.アトム(物質)からビット(情報)へ

更に、文字メディア(文字、数字など)、音声メディア(音声、音響)、画像メディア(図表、絵画、写真など)や動画メディア(ビデオ)もデジタル化されてきて、MITメディア研究所ネグロポンテ教授の唱えていた「あらゆるデータはデジタル化することによってアトム(物質)からビット(情報)になるため容易に混合する」事態が現出しました。コンピューターが音声、画像、動画を統合的に扱えるようになったことは、歴史的に見ても画期的な進展であり、これまで数値と文字列のみのコンピューター処理が映像や音声をも扱えるようになり、人の感性に合った「対話」ができるようになってコンピューターが人に極めて近い存在となり、その利用が一般家庭にまで広がってきたのです。

ネグロポンテ教授は更に、「デジタル化することによって生ずる二つの現象、すなわち、@ビットの混合、Aビットについての存在を知らせるビット(ヘッダー)の存在、等々によって、メディアに大きな潜在力が生み出される」と唱えておりましたが、これがインターネットに典型的に見られる双方向性、対等性、日常性に具現されたものと考えることができます。電気通信のマルチメディア化は、出版や映画などのオールド・メディアのあり方にも変革を及ぼし、更にはテレビなどの放送と通信の融合まで惹起したのですから、デジタル化、コンピューター化とならぶコミュニケーション革命の主導技術であったといえます。

3−3.伝送路におけるマルチメディア統合

あらゆる種類のデータがデジタル信号化され、電話・ファクシミリ・コンピューター等各種の違ったメディアをすべて一本の光ファイバーケーブルによる大容量の高速デジタル回線に統合して伝送・交換できるようになりましたので、通信回路利用者の自由度が増し、かつ情報通信ネットワークシステムの構築・変更・増設へも柔軟に対応できるようになりました。音声・データ・イメージなどの各種情報のコード変換、プロトコル変換など通信処理機能も付加されましたので、マルチメディアの統合化といったネットワ―クの高付加価値化が実現され、経済性・革新性・柔軟性・運用性などの様々な条件を考慮して目的・規模に応じた最適なネットワ―クを利用できるようになったのです。

日本が世界に先駆けて構築したISDN(Integrated Services Digital Network : 統合サービスデジタル網)は、文字通り、データ端末・電話機・ファクシミリ・テレックス・パソコンといった多彩な伝達メディアを接続することによって、データ・音声・画像と多岐にわたるマルチ表現メディアを統合した通信サービスを提供するものでした。

ISDNよりコスト・パフォーマンスが優れたADSL(Asymmetric Digital Subscriber Line:既存のアナログ電話加入者回線を使って高速データ伝送をする技術)の急速な普及により、デジタル伝送路の拡大は一頓挫していますが、ADSL利用者の多くが将来は光回線への切り替えを希望していることもあり、光通信によるFTTH(Fiber to the Home)のコスト・パフォーマンス改善によって、デジタル伝送路によるマルチメディア・コミュニケーションが本格的に普及・定着する日も近いものと思われます。

<こぼれ話>
冗長性の功罪


「冗長構成(Redundant Configuration)」とは、障害対策や信頼性向上のために、通常用いているシステム以外に予備の装置などを加えたシステム構成のことを言います。これは、日常のシステム運営の面では確かに「冗長」ではありますが、コミュニケーション・メディアの可用性(Availability)を確保するためには有意義な「冗長性」であるということができます。

しかし、一方において、デジタルメディアによるコミュニケーション革命によって、コンテンツの伝送の高速化と大量化が飛躍的に進化したのに伴って、これに甘えて冗長なコンテンツをダラダラと通信するというような堕落傾向が生じつつある点については自戒が必要だと思います。

芥川龍之介の随筆で「今日は忙しいので短い手紙が書けず申し訳ない」といった趣旨の一節を読んだことがあります。確かに、要点を簡潔に伝えるためには、それなりに考えてコンテンツを“圧縮”して送る作業が必要ですので、止めどもないダラダラ発信は受信者にこの“圧縮”作業を一方的に押し付けることになってしまいます。

日本人は、「武士は多言を恥ず」や「寸鉄人を刺す」といった言葉で表されるように、「良く物を考えてから物を言う」風土で育まれてきましたし、世界で最も短い詩といわれる五七五形式の俳句を生み出した民族でもあるのですが、その表現の簡潔さが失われ冗長化の傾向が見られ始めてきたことは憂慮すべきことであるように思えます。俳句や五七五七七形式の短歌が、簡潔なデジタルフォーマットのうちに伝える豊かなアナログ表現、更に寸言をもって暗黙知を伝える奥ゆかしさは、引き継がれていく価値のある日本人の特性だと思っています。

OA機器の活用による「ペーパーレス化」への動きと前後して、様々な企業で文書の数量を減らす「レスペーパー化」に対する努力が払われたのも、冗長性を排除しようとする動きを背景とするものでした。東芝でも「One Best 運動」が展開され、各種の会議での提案もA4またはA3用紙1枚に収めることが励行されました。複雑な提案内容を用紙1枚に纏めて、しかもその提案書に説得力を持たせるのには、さすがに多大な努力と工夫が必要でした。しかし、このような運動の結果、情報発信者が「何を言いたいのか」論点が明確に分かるようになってきました。人と人との間においては、冗長性を排除することがコミュニケーション機能向上のために如何に重要かを如実に示す事例であったと思っています。


(Ver.1 2003/10/ 5)
(Ver.2 2004/ 9/12)
(Ver.3 2005/ 1/ 1
)
(Ver.4 2006/10/ 8)

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