コミュニケーションメディア論

第1課  はじめに


1.自己紹介及び講義にあたっての基本的視点

嘉悦大学の「インターネット・ビジネス論」の講座をお引き受けしたのは199911月のことでしたが、その際に「後期にはコミュニケーション・メディア論をお願いします」と言われたのには、率直に言って、戸惑いを感じてしまいました。“インターネット・ビジネス”という言葉は既に熟していて、現にマス・メディアなどでも多用されていたのに対して、“コミュニケーション・メディア”という言葉は熟しておらず、というより、初めて耳にした言葉でしたので、「コミュニケーション・メディア論」の講座のイメージを描き難い状況にあったからです。しかし、当時まだ(株)東芝に在籍していた私は、次のような視点から自分自身に「コミュニケーション・メディア論」担当講師としての適性が備わっているものと思い直して、この講義をお引き受けすることにしたのです。

(1)実務経験の視点

1963年に通信機事業部に入社して、2001年にコンピュータ・ネットワーク事業部で定年退職を迎えるまでの38年間にわたる東芝生活を振り返ると、NHK、民放などの放送局用の通信機器関連の業務に始まって、民生用の通信機器(拡声装置、電話機器、インターホン、市民バンドラジオなど)事業、更にはPBXを含めたWAN及びLANなどのコンピューター・ネットワーク・ビジネスに至るまで、“コミュニケーション”関連の事業に従事していた期間が圧倒的に長いのに気が付きます。これほど幅の広い範囲で“コミュニケーション”関連の事業に携われることができたのは東芝広しと言えども私以外に余りいないのではないか。また、“コミュニケーション”にかかわりのない事業に従事している期間も含めて、多彩な担当職務の遂行に当たって一貫して様々な“コミュニケーション・メディア”にユーザーとしてかかわりを持ってきました。従って、こうした実務体験に照らしながら、多岐にわたる“コミュニケーション・メディア現象”を整理してお話しすれば、学生の皆さんにとって分かりやすくて有益な講義になるのではないかと思いました。

(2) 経営・経済の視点

別稿の「嘉悦大学の皆さん、こんにちは」にも記している通り、私自身が(株)東芝の情報通信部門の技術集団の中で勤務している過程で、技術的な専門用語の氾濫に悩まされた経験があります。技術部門経験者による「コミュニケーション・メディア論」となりますと、同様な技術用語を多用して語られることになるのが必定かと考えられます。非技術者(経済学部卒)として、経営・事業企画やマーケティング関連の業務に携わってきた私なら、“コミュニケーション・メディア現象”を技術問題としてではなく社会事象として捉え、経営経済学部に相応しい講義に仕上げ、平易な日本語で情報を提供することができるのではないかと思います。

(3) ITリテラシイの視点

「パソコン(PC)がPersonal ComputerからPersonal Communicatorに変わった時にインターネット時代が始まり、携帯電話機がケータイに変わった時にユビキタス情報社会の端緒が開かれた」という仮説に示されているように、「コミュニケーション・メディア」の技術的な進歩により「コミュニケーション」のあり方、従って、ビジネスのあり方は大きく違ったものとなります。「情報リテラシイ=ITリテラシイ+ビジネス・リテラシイ」という仮説に基づけば、前期の「インターネット・ビジネス論」がビジネス・リテラシイを対象とするものであるのに対して、後期の「コミュニケーション・メディア論」はITリテラシイに焦点を当てるべきものであり、二つの講座は表裏一体をなすものとして構成する必要があるのではないかと考えたのです。

2.講義に当たっての基本的スタンス

2−1.講義の要求仕様

イントラネットやグループウェアなど企業内に於ける情報共有やワークフローを支える”コミュニケーション系(情報系)”システムの構造とシステム運用上必要となる知識を習得した上で、それらを経営支援ツールとして効果的に利用する方法について学ぶ。

2−2.技術的動向とメディア・リテラシー

コミュニケーション系システムを構築し経営支援ツールとして効果的に運用するためには、「メディア」の技術的動向を把握しておく必要があります。ですから、当講座では当然、コミュニケーション・メディアの諸相と技術的趨勢の考察に一つの力点を置くことになります。しかし一方では、情報活用の主体があくまでも人間であり、「読む・書く・聞く・話す」の言語活動上の四技能を司り、表現・思考・判断・記憶の機能を制御する諸身体メディアのリテラシーが最も重要であるという事実に変わりはありません。

むしろ、技術の進展によりコミュニケーション系システムを構築する上でのプラットフォームの選択の自由度がますます高まりつつある現在、システム利用者のメディア・リテラシーが一層重要になってきたと考えられます。将来、事業家、起業家ないしは企業人として、コミュニケーション系システムを構築または運用される場合に選択するメディアや利用方法は当該企業の事業環境次第であり、ここにも一律的な「正解」はありえません。いかなる場合にも、論理的な思考方法によって問題を正しく認識し、問題解決のための仮説が立てられるようなメディア・リテラシーを身につけることの重要性を学んでいただくことに当講座のもう一つの力点を置こうと考えております。

2−3.講義の目標レベル

具体的には「日本経済新聞のコミュニケーション・メディアに関する記事を読みこなすだけの力をつける」ことを学習目標として掲げます。“読みこなす”ということは、記事の内容を単に“理解する/覚える”のではなくて“評価しながら自分の見解(仮説)に取り入れる”ことに重点がありますので、受講の結果が情報の評価能力と仮説の構成能力の向上の形で結実することを願っております。

3.コミュニケーション・メディアとは?

3−1.コミュニケーションとは?

(1) 東芝の「通信」機事業部 

「コミュニケーション」は通常「通信」と訳されていますが、私が1963年に東芝に入社して真っ先に配属されたのがまさに「通信」機事業部でした。当時の通信」機事業部は“母体事業部”の性格が強く、既にラジオ、次いでテレビ受信機事業を独立事業部として輩出させていて、当時はまだ市場導入期にあったコンピューター事業も内包しておりました。ですから、後にNECが打ち出した「C&C(Computer & Communication)」を組織としては実現していたことになります。NHK、民放など向けの放送機器をはじめとする各種の無線通信装置と各種の有線通信機器、さらには民生用の通信機器(拡声装置、電話機器、インターホン、市民バンドラジオなど)まで取り扱っていましたから、後に掲げる「情報通信産業一覧」のうちの「電気通信事業」と「放送事業」を除くほとんどすべての「情報通信」事業を網羅していたわけです。

電気通信vs放送

そして、「電気通信事業」が当時の電電公社がリードする有線通信の世界であり、「放送事業」がNHK、民放などによる無線通信の世界であったのです。当時の東芝には「無線にあらざれば通信技術にあらず」というような風潮があり、実際に放送機事業部門への経営資源投入が優先されておりました。そのため、NHK、民放などとのビジネスは大きく進展していたのですが、電電公社との電気通信設備ビジネスには入り込めずにおりました。

“ローテク”有線技術

従って、電気通信設備ビジネスとしては農村用の有線放送(地域内の電話交換ネットワークでこれを広域拡声放送にも利用するもの)用の装置の製造・販売程度しかなかったのですが、工場で実際に有線放送用の交換機の製造現場を見てみますと、配線用のケ―ブルがスパゲッティ状態になっており、“如何にも技術”と思えたスマートな無線技術に比べると確かに有線技術は“ローテク”なのだという思いが強くしたものです。


辞書によると、「通信」は「様子を知らせること、連絡すること」であり、「放送」は電波を出して「報道・演芸・講演等を送ること」とありますが、いずれにしても当時の「通信」には、コンピューターとの融合は思いもよらぬことでしたし、いわんや現在注目されている「通信と放送の融合」などは想像もつかないことだったのです。
<こぼれ話>
電子レンジも通信機?

東芝の通信機事業部が“母体事業部”と言われたのは、電子レンジをその取り扱い製品として含んでいたことからも分かります。マグネトロンという電子管が発生する電子を利用した調理法は画期的なものではありましたが、電子レンジが決して通信機ではないことは火を見るより明らかです。要は電子応用技術という“ハイテク”シーズが通信機事業部にしかなかったからその取り扱い製品になっただけのことなのです。一方、ニーズの面から見ても、当時の電子レンジは家庭用調理器具とするのにはあまりに大きくて高価でしたので、当時の家庭機器事業部の取り扱い製品とするのにも無理がありました。現に、当時の電子レンジの顧客は業務用調理器具としてのユーザーばかりで、その中に国鉄というのがありました。東京オリンピック開催を機に運転開始する新幹線のビュフェ車輌に搭載しようとするものでした。ですから私は、電子レンジの点検同伴という名目で同じ通信機事業部の電子レンジの担当者について行って、開業1ヶ月前の新幹線の試運転に乗りあわせるという僥倖に恵まれました。東京から実家のある小田原まででしたが、勤務時間中に在来線なら片道2時間近くかかっていた小田原まで勤務時間中に行って昼食をとって戻ってこられる時代になったことに感動し、いち早く「新時代の到来」を身をもって感ずることができました。新幹線の車輌自体にも“ハイテク”が用いられていたのは勿論ですが、これの運転制御に“ハイテク”通信技術が伴わなければ「新時代の到来」は実現できなかったわけです。電子レンジという非通信機のビジネスの場を通して、“ハイテク”エレクトロニクス技術の開く豊かな未来を実感することのできた一幕でした。

(2)電電公社の世界

東芝はじめ総合電機メーカー各社が当時の“ハイテク”放送機無線技術の強化でしのぎを削っている間に“ローテク”の電気通信領域では電電公社を中心とした企業グループが形成され力をつけてきました。これが、電電4社、後にNTTファミリーと呼ばれたNEC、富士通、日立、沖の4社であり、電電公社の電気通信設備ビジネスでは他社が新たに介入できないほどの壁を築くまでに至りました。更に、この4社は電電公社との取引を通してコンピューター技術や半導体技術を獲得して“ハイテク”企業として成長し、特に、NECと富士通は、総合電機メーカー(東芝、日立、三菱等)に匹敵または凌駕する程の企業規模となりました。現在では、NTTファミリーも形を変えていますが、下掲報道の「ドコモファミリー」などになおその片鱗が残っているようです。

ドコモファミリー

日本の通信機器はNTTが公社時代から技術開発を担い、協力メーカーが製品化をしてきた。NECや富士通など「電電ファミリー」と呼ばれた企業だ。主力が移動通信に移った今もドコモとの間には新たなファミリーが形成されている。

海外では通信機器メーカーが技術開発を担い、端末にも自社ブランドを関して販売している。ところが日本の場合は型名に「N」や「F」などのメーカーの頭文字をつけるだけで、ブランドは「ドコモ」に一本化されている。

統一された商品企画は顧客には便利な点も多い。しかし、メーカーは独自の商品企画を打ち出しにくく、ドコモとの間では常に主従関係を迫られる。

2001/8/19 日本経済新聞)
いずれにしても、電話を主体とする“ローテク”の時代からコンピューター通信の“ハイテク”の時代まで一貫して、有線電気通信の世界は電電公社の世界であったといっても過言ではありません。この間に、有線電気通信の中心であった「電話」をめぐる状況も、以下の「電電公社(NTT)の目標」にも示唆されているように、大きく様変わりしています

電電公社(NTT)の目標

1970 「即時通話」 すぐつながらない待時通話だった(東京―大阪間等)。
1975年頃まで 「積滞解消」       申し込んでも3ヶ月間待ちであった。
“何時でも何処でも誰とでも”の目標の半ばを達成
この目標を100%達成したのが携帯電話
   *“100%”…全国市町村役場が100%エリア内


(3)電気通信+情報+放送=コミュニケーション

別稿「図書“東芝 情報通信時代への提言”より」でも述べている通り、昭和60年に日本が通信政策を大きく方向転換させたのを機として、電電公社の電話網を中心として形成されてきた電気通信ネットワ―ク環境は大きな変革を遂げました。604月に施行された通信三法のうちの「日本電信電話会社法」によって、電電公社が民営化されNTT株式会社が発足するとともに、電電公社が独占してきた電気通信事業に民間企業が進出できることになり、第一種電気通信事業分野に、第二電電、日本テレコム、日本高速通信、東京通信ネットワ―ク、日本通信衛星、宇宙通信等、いわゆるNCC(New Common Carrier)の進出が相次ぎました。また、これに相俟って、通信回線利用の自由化が大きく進展し、特に、コンピューターのネットワーク化の大きな契機となりました。もともと「コンピューター=「情報」、「ネットワーク=通信」とする理解が支配的でしたから、コンピューターのネットワーク化は「情報と通信の融合」であり、ネットワークがコンピュ―タ相互を接続するだけでなく、通信の過程にコンピュ―タが積極的に介在してくることによって、従来は単なる情報の通過経路であった電気通信網が多種多彩な機能を担うようになったのです。

一般には「インターネット時代」を実現せしめたのは「情報技術(IT: Information Technology)」であるとされていますが、実態はネットワークの機能を多種多彩化した「通信技術(CT : Communication Technology)」が寧ろ主導的な役割を果たしたものと考えることができます。そして、なお更に、デジタル化で先行した電気通信が主導する形で、電波の送受信過程をデジタル化させた放送との間で「通信と放送の融合」が進展しつつあるのですから、「通信(コミュニケーション)」の世界が展開してきていると言っても過言ではなさそうです。「コミュニケーションとは?」の問いについては、より根源的な議論が必要ですが、前述の「講義の要求仕様」に照らし合わせて、取り敢えず「コミュニケーション・メディア」における「コミュニケーション(通信)」は「情報通信技術(電気通信+情報+放送)によって実現される機能である」と定義しておきたいと思います。

3−2.メディアとは?

(1) 能動的な機能をもつ「媒体」

「メディア」という言葉も様々な意味合いをもって使われており、これを一律に定義することは大変難しいように思われます。もともとは日本語の「媒体」に当たる言葉ですから「間を取り持つもの」という意味ですが、単にAのものをBに伝える、BのものをAに伝えるということ以上に、人間の意識やものの考え方に影響を及ぼすものであり、用いられるメディア次第で、人間の生活様式や社会の形態まで変わる可能性があるほどの能動的な機能を持ったものとして捉える必要があります。もともと「人間」というくらいで、「人」は人と人の「間」の関係に依存する社会的な動物ですから、「間を取り持つ」メディアが変われば社会のあり方が変わってくるからです。

(2)メディアの諸相

新聞、ラジオ、テレビなどを「マス・メディア」と言いますが、この場合の「メディア」には、ニュースを伝える「報道の媒体」という意味合いがありそうです。

「ニューメディア」という言葉のうちの「ニュー」は時代によってどこからが「ニュー」なのか限定範囲が違ってきますが、この場合の「メディア」には「コミュニケーション(通信)の手段」という意味合いがあり、メディアの中でも「伝達メディア」の範疇に入ります。文書で通信を行なう手紙も伝達メディアですが、これも江戸時代の飛脚に比べれば明治時代にできた郵便、郵便に比べれば電報、電報に比べればテレックス、テレックスに比べれば電子メールの方がより新しい通信手段、つまり、「ニューメディア」であるということになります。

通信メディア(ネットワーク)や放送メディア(ネットワーク)が「伝達メディア」と呼ばれるのに対して、文字、音声、グラフィックス、静止画、動画などは、コンテンツ(内容)が伝えられる表現様式別のメディアは「表現メディア」と総称されます。「マルチメディア」という言葉は、まさに、このような各種の表現メディアを複合的に取り扱う方式のことを指し示しています。

電気通信に当たる英語の「テレコミュニケーション(Telecommunication)」の「テレ(Tele)」が「遠隔地の」という意味を持つ接頭語であることからも示唆されるように、「メディア」は伝える者のいる空間と伝えられる者のいる空間との「距離」を超えて「間を取り持つもの」ですが、一方で「時間」を超えて「間を取り持つもの」メディアが存在することにも留意する必要があります。夏目漱石が生きて考えて書いた内容を現代人が読むことができるのは、図書というオールドメディアがあるからこそなのですが、作成した文書を保管しておいて後日の使用に供するためのフロッピーディスクなどの「メディア」も同様に「時間」を超えて「間を取り持つもの」ものであり、「伝達メディア」の中の「記録媒体(蓄積メディア)」に分類されます。

(3)メディアの重層的構造

「人間」の直接対話の場合を考えてみましょう。この場合、本来のコミュニケーションを支えているメディアは音声ということになりますが、その音声を伝えるメディアは音波であり、その音波を意味のある音声にするためには言語というメディアが必要です。更に、音声を発するための口、聞くための耳、理解するための大脳といった身体メディアが機能しなければコミュニケーションは成立しません。

私達が先に仮に定義した「コミュニケーション(通信)」は、「人」の「間」に「電気通信+情報+放送」といった電気・電子メディアが情報の伝達手段(伝達メディア)として介在することによって実現される機能であるということになります。伝達メディアにも、電話やラジオ、テレビといったオールドメディアから、ケータイやインターネットといったニューメディアがあるわけですが、ニューメディアが出現したからといって、オールドメディアや直接対話がなくなってしまうわけではありません。直接対話の場面では「目は口ほどに物を言い」などと昔から言われているように、身体メディアが以心伝心の非言語コミュニケーションの役割を果たすことさえあるのです。表現メディアも伝達メディアも、重層的構造を持ちながら積み重なっていくところに留意する必要があります。


3−3.コミュニケーション・メディアとは?

(1) 「情報通信産業」のプロダクト

社団法人電波産業会では、「情報通信産業」の構成を次のように捉えています。このうち「コンテント制作業」を除く全事業のプロダクトが「コミュニケーション・メディア」の内訳となり、これに記録媒体(蓄積メディア)を加えた「伝達メディア」を「コミュニケーション・メディア論」の主要考察対象にしていきたいと考えています。

情報通信産業
電気通信・放送事業
電気通信事業
第一種電気通信事業
長距離・国際・地域通信事業(NTT等)
無線通信事業
移動体通信事業
衛星通信事業
第二種電気通信事業
放送事業(ケーブルテレビ事業除く、NHK、民間放送等)
ケーブルテレビ事業
ソフト制作業
コンピュータソフト制作業
コンテント制作業
テレビ・ラジオ広告業
放送番組制作業(ケーブルテレビ事業向けを除く)
情報通信・放送機器製造業
有線通信機器製造業
無線通信・放送機器製造業
電子計算機・同付属装置製造業
通信ケーブル製造業(通信ケーブル及び光ファイバ)
(社団法人電波産業会平成12年「電波産業統計調査(速報版)」より)
(2) 「表現メディア」の考

「通信ネットワーク」、「放送ネットワーク」と「蓄積メディア(記録媒体)」からなる「伝達メディア」に該当またはこれを構成する情報通信機器は、情報機能(生成/加工/保管/伝達)軸と表現メディア(データ/テキスト/音声/イメージ)軸によるマトリックスの16象限のいずれかに位置づけられますが、「伝達/音声」の象限に位置していた携帯電話がマルチ機能化するとともにマルチメディア化してケータイに進化した例に顕著なように、情報通信機器の複合化と情報通信機器間の競合化の傾向が一層強くなってきています。「伝達メディア」別の考察を主軸として、これに「表現メディア」に関する考察を加味することによって、コミュニケーション・メディアの技術的な動向の分析と可能な限りの展望を試みていきたいと考えています。

(3)コミュニケーションの構成要素

一般的にコミュニケーションに不可欠な構成要素は、「情報ないしデータ(コンテンツ)」と、その「送信者」と「受信者」、そして「メディア」であると言われます。しかし、最も重要なのは、「受信者の受容」であり、受信者によって理解され「情報」として役立たなければコミュニケーションは成立したことになりません。

情報」とは、不確実な要素を除去ないし軽減する「意思決定のために必要な知識」と解釈されます。情報ないしデータは、視覚(読む/見る)、聴覚(聴く)、触覚(触る)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)の五感で、それぞれ目、耳、肌や手足、舌、鼻といった身体メディアを通じて、受信者の脳にインプットされます。

そして、身体メディアの中枢である脳が、受信したデータを分析・加工・総合して情報を生成させたり、受信した情報の情報価値を評価したりした結果を、脳による記憶(後日の意思決定のための保管)、口(話す)手(書く)顔(表情)手足(ゼスチャー)による提案・勧誘・指示・承認などといった形の身体メディアの行動により意思決定の結果をアウトプットするのです。

ですから、受信者がどのような意思決定を行なおうとしているのか、つまり、どのような問題意識を持っているのかによって受信した情報ないしデータの価値は大きく違ってきます。例えば、高級外車を物色中の夫に対して、住居移転の方を優先視している妻がいきなり新築マンション情報を提供したとしても、それは夫にとって有効な情報にはなりません。このような、送信者にとっては情報であっても受信者にとっては情報ではないというケースにおいては、どんなに最先端のコミュニケーション・メディアを使ったとしても情報の伝達や共有化はできないのです。

また、情報の発信者は、発信者となる前は、その情報を生成または再生するためのデータまたは情報の受信者であったはずです。問題解決のテーマを明確にした上で、目(読む/見る)、耳(聴く)を中心とした身体メディアを駆使してデータまたは情報を収集して、これに脳メディアで分析・加工・総合して論理的で説得力のある仮説に仕上げて、主に口(話す)手(書く)の身体メディアを通じて情報として発信しなければなりません。先の夫婦の例に戻れば、「夫にも住居移転の方を優先視させる」ことを問題解決のテーマとして設定し、身体メディアを駆使して、情報収集・加工処理・伝達をする必要があるということになります。

つまり、コミュニケーションの主役はあくまでも「人」であり、情報の起点と終点は送信者と受信者それぞれの脳、「人」の「間」をつなぐのは、究極的には、口(話す)手(書く)目(読む/見る)、耳(聴く)といった諸々の身体メディアなのです。コミュニケーション・メディアはあくまでも道具に過ぎません。「人」つまり身体メディアの情報リテラシーを向上させながら、最適なコミュニケーション・メディアを選択することが組織としての情報リテラシー向上につながるのだということを忘れてはなりません


(Ver.1 2003/ 9/28)
(Ver.2 2004/ 9/12)
(Ver.3 2005/ 1/ 1
)
(Ver.4 2006/10/ 1)

「コミュニケーション・メディア論」トップページへ戻る
「東芝38年生の酒記」トップページへ戻る