釣魚隊

 

大根を輪切りにして…

 

ある日の昼休み、食事を終えてデスクに戻ろうとしていると、応接コーナーから「大根を輪切りにして…」というオフィスには不似合いな会話が聞こえた。若い男性の声だからオデンの話ではない。よもやと思って声の主の方を振り向いてみると、身振り手振りから察して、やはりワカサギ釣の話をしているらしい。厳寒のシーズンには手がかじかんで餌の赤虫をちいさな針に刺すのが至難になるので、白い大根の上に載せて大根まで刺す形で餌をつけるのだ。会話の主は清水淳一さんと渡辺浩さんであった。若い二人とも私とデスクは至近距離にあったが、それまで特に親しく話す機会はなかった。だから、突然会話に飛び込んだオジサンには二人とも驚いたことだろう。聞けば、二人は魚釣同好会「釣魚隊」のメンバーだという。「輪切りの大根」が私の「釣魚隊」との出会いであった。

 

コモンセンスなき顧問

 

「釣魚隊」のメンバーの大半は若くて勤勉な働き手だから、僕のように休暇を取って平日釣行に及ぶような不埒な者はいない。だから「釣魚隊」の釣行の日程は律儀に週末が選ばれる。一方、僕の週末はテニスを第一優先順位としているから、「釣魚隊」のメンバーと釣行をともにする機会はなかなか訪れず、専ら面々の釣行談の聞き役に回っていた。しかし、「腰越から出船」の釣行計画を耳にした時だけは重い腰をあげざるを得なかった。腰越は我が家のある辻堂から余りに近く、地元民として遠来の客を歓迎せねばならないような気がしたからだ。しかし実際に釣行をともにしてみると「釣魚隊」メンバーはそれぞれ愉快な連中であった。テニスでも同じだが、若者達の中に混じっても少なくとも僕の方から違和感を感じたことはない。“新人類”などという表現は、若者達との間に自ら一線を画そうとする姿勢から来る結果ではないかとさえ思っている。逆に長幼の順を良く心得ていて、新参の僕を「釣魚隊」の顧問に祭り上げてくれた。コモンセンスの無い顧問の誕生である。

 

気負いのコンバット隊長

 

魚釣の同好会のくせに「隊」を名乗るのも、メンバーの気負いがむき出しに現れているような気がしていて気に入っている。「隊」であるからにはリーダーは「隊長」に決まっている。魚釣にしてはユニークなこの称号も大いによろしい。更に気に入ったのは、この隊長を務める吉武雄介さんの人柄である。釣行同行を重ねて雑談をするうちに吉武さんが“名門”小田原高校出身で僕と同窓だと分ってから、僕の方の親近感は一層高まった。吉武隊長は、コンバット大佐を思わせる行動力があって、恐ろしく面倒見も良い。しかし魚釣の方の“実績”ははっきり言ってイマイチ以前である。恐らく、「釣魚隊」の名前は吉武さんがつけたのだろうが、釣行の際にも気負いがむき出しに現れて、これが水中に伝わって魚どもを怯えさせているのに違いない。だから、釣果に恵まれず、日頃の面倒見の良さと裏腹にメンバーから釣果補給の面倒を見てもらうこともままある多少情けない隊長でもあるのだ。しかし、そんな時には、すかさず奥方から歓喜と感激のメッセージが寄せられる。賢妻によって支えられているところは我が家も同様であって、これはもしかすると“名門”小田原高校出身者の通弊なのかもしれない。

 

可哀相なYSコンビ

 

清水さんは何時の間にか「ロッド班長」に昇格した。しかし、「ロッド班長」なるものの役割を知る者は恐らく誰もいまい。自らは車を運転せず、もっぱら隊長他にアッシー役を務めさせている清水さんだが、釣行に誘われる回数では誰も清水さんに及ばない。だから、「ロッド班長」の称号は、最多釣行に対する論功行賞なのかもしれない。中でも、20世紀末の2000年には、吉武隊長・清水ロッド班長のYSコンビによる釣行が相次いだ。しかし、都度報告のあるYSコンビの釣果は芳しいものどころではなく、涙なしに聞けない程のひどさであった。このままでは世紀末を飾ることも危うい。可哀相で見ていられなくなった顧問としては、年末の沼津のまきこぼし釣への同行を促さざるを得なくなった。果たしてYSコンビは二つ返事で誘いに乗ってきた。そしてYSSトリオの成果は、Y隊長が堂々のワラサをゲット。清水さんと私のSSコンビも凖ワラサ級の釣果を得た。これが顧問役の機能を果たした唯一の例である。しかし大方は、顧問の声は聞き入れられることがなく、結果的に気負いむき出しの釣行が続くことになる。深場釣りに懲りた僕の涙ながらの制止も功を奏さず、釣果の乏しい金目鯛の釣行を繰り返してなおまだ、「金がいいですう」なんて、シドニーオリンピック銀メダリストの田島寧子みたいなことを言っている。

 

釣師釣れ書き

 

僕が所属しているコンピュータ・ネットワーク事業部・略称(CNジ)には清水さんと僕の他に「ネット班長」の矢口克巳さんがいる。矢口さんが何故この称号を取得したかは、釣行記「海に戻りガツオ」を読んで頂ければわかるが、仕事の場を離れた海上でまで“ネットワーク”を売り物にする矢口さんはさすがである。矢口さんと清水さんと僕の、これもYSSトリオは、「(CNジ)分科会」と称して時に釣行をともにした。矢口さんはITの達人だけあって、先駆的なホームページ開設者である。だから、釣行の結果は遅かれ早かれホームページ“YaHo”(YaguchisanちのHomepage)に掲載される。驚いたことには、技術者にしておくには惜しいほど(?)矢口さんの表現力が素晴らしいことである。そしてこれは、矢口さんに限らず「広報班長」を任命されている渡辺さん、釣新聞の常連投稿家となっている清水さん、そして軽妙で迫力のある隊長レポートを書く吉武さんにも共通した傾向である。僕は、釣好きの根っこの部分にある遊び好きの心が「読ませる文章」を書かせるのだと思っている。ゆくゆくは、こうした遊び心のあるメンバーが寄り集まって、情報通信関連の解説書を編集してみたいと思っている。難解な技術論に傾きがちな情報通信論が簡易な「読ませる文章」で明快な読み物になることを期待している。

 

      渡辺広報班長のホームページHIRO's Garage

 

美乃呑み会

 

釣魚隊のアジトは浜松町「美乃」である。ここは私が1974年以来私が通っており、「東京一魚が美味い」と吹聴して釣魚隊にも薦めたのだから、これも顧問の機能を発揮した数少ないケースの一つかもしれない。

釣魚隊は、原則的に隔月に合同釣行を行い、隔月に店の名前「美乃」“ミノ”をモジッた美乃呑み会を開く。それぞれに翌月の合同釣行の計画を打ち合わせるのが目的で、実際それらしい議論はするのだが、「東京一美味い魚」にアルコールが進んで、大抵の場合は翌日以降お互いに“議事”内容を確認することが必要になる。私の還暦前夜の2001/3/14に開かれた美乃呑み会では、皆が私の還暦と月末に迫った定年退職を祝って赤いチャンチャンコならぬベストを贈ってくださった。何の功績も無い顧問なのに私に好意を寄せてくれた若いメンバーの気持が何とも嬉しく、連日の各種の壮行会の中でも最も印象深いものの一つとなった。会社と違って釣魚隊には定年が無いので、このまま顧問役に居座りつづけ、赤いベストを着用して積極的に釣魚隊メンバ−と釣座をともにしてゆきたいと願っている。

 

                                                  (2001/3)

 

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