About38三春分科会 & 2007/4例会メモ

1.日 時:2007年4月14日(土)-16日(日)
PartT前夜祭 414日(土) 夕刻先遣隊2名いわき入り
PartU-1.三春分科会a
PartU-2.三春分科会b
415日(日) 正午前2班に分かれて三春討ち入り
416日(月) 早朝の三春町内探索  
PartV.2007/4例会 415日(日) 午後6時半308宴席に全員集結
PartW.会津分々科会 416日(月) 午前8時半三春発午後3時郡山にて解散
2. 場 所
PartT前夜祭 XMS(バーチャル民宿ササキ)をベースに「夜ノ森」探訪
PartU.三春分科会 「三春滝桜」と三春町内観桜ウォーク
PartV.2007/4例会 三春町・馬場の湯温泉「若松屋旅館」にて飲み食い語る
PartW.会津分々科会 会津若松「鶴ヶ城」から磐梯熱海温泉まで
3.参加者(敬称略・五十音順):
秋丸康彦(U―W)、岡田亘弘(U―V)、岡田夫人(U―V)、開發敏光(U―W)
松本寿弘(U―V)、山口善弘(T―W)、吉峰敏行(U―V)、渡邉孝彦(T―W)
佐々木洋(T―W : 議事録捏造)

4.桜咲くらん錯乱状態(5W2Hが決まるまで)

About382007/1例会の際に「次回は三春分科会」(What)と口を滑らせたのが運のつき(Why)。「暖冬の今年は桜のいつ咲くらん」で、幹事はすっかり錯乱状態に陥ってしまいました。三春の滝桜は例年4月20日前後に満開になるのですが、今年は暖冬異変で満開期が早まるのは確実…。しかし、どのくらい早まるのか皆目見当がつきません。寒暖の日々が繰り返されるのを一喜一憂しながら、確たる開花予測が得られないまま、悶々の日々が過ぎていきました。
一方、電話やインターネットでチェックしておりますと、三春周辺の宿泊施設の予約が徐々に満杯になってきましたので、いつまでも「桜咲くらん錯乱状態」でいることができなくなってしまいました。そこで、以下のような腰固めをして、4月15−16日をWhenとして設定して見切り発車をすることに。
(1) 三春の滝桜は、仮に満開のピーク時を外したとしても(葉桜の「緑の桜」になっていたとしても)十分見ごたえがある。
(2) 三春町内には随所に枝垂れ桜があって、それぞれ満開のピーク期がずれているので「犬も歩けば満開桜に当たる」が期待できる。
(3) 三春町内の滝桜以外の三春町をベースにすれば、当日の開花情報を参照して、鶴ヶ城(会津若松市)や夏井千本桜(小野町)などなどから、満開ピーク期にある桜を選んで足を運ぶことが容易にできる。
「福島・温泉・山菜料理」でインターネット検索して、ブランド温泉地を除外して選択したのが三春町・馬場の湯温泉「若松屋旅館」でした。これにてWhere:三春町・馬場の湯温泉の中核部分が決定しました。
桜咲くらん錯乱状態で、おずおずと「About38 三春分科会&2007/4例会」案内したところ以下9名(敬称略・先着順)のエントリーを得ることができました。これでWhoもひとまず確定しました。
吉峰・山口・秋丸・開発・岡田・岡田夫人・松本・渡邉・佐々木
問題はHowでした。三春町内こそ観桜ウォークができますが、道路や駐車場が混まないタイミングを狙っての「三春滝桜」、更に「鶴ヶ城」などにまで脚を伸ばすことを考えると機動力が必要になるのですが、マイカーを用いて三春入りするメンバーが他におりません。幹事のマイカー(ホンダAirwave)に同乗できるのは5人までですので、残る4人には同情(?)の余地がなく、レンタカーの手配を考慮せざるを得なくなってしまいました。
4/4 三春町を訪れて「若松屋旅館」と折衝、夕食は山菜料理を中心としてもらうことにして、「税・飲み物別の9,000円(一人当たり・一泊二日)」でHow muchを決定するとともに、「三春滝桜」と三春町内観桜ウォークに関する詳細なHow情報を入手してきました。更に、三春町観光協会と三春町商工会青年部でパンフレット類を入手してから、「若松屋旅館」お勧めの「お食事処・ほうろく亭」で、奥州三春の味「油揚ほうろく焼」と桜そうめんとのセットを試食。帰宅後、レンタカーについてのHow muchHow情報を電話で入手してから、「4月15日の行動スケジュール案」を企画して参加予定メンバー各位に連絡しました。
原計画は、列車利用して三春入りするAグループ(岡田・岡田夫人・吉峰・松本の諸兄姉)とマイカーを利用して三春に入るBグループ(山口・渡邉・秋丸・開発の諸兄と佐々木)の「分派行動」部分を極力少なくしようとしたものでした。しかし、Aグループには、福島県下での花見はそこそこにして、4月16日は新潟行きの「分派行動」をとる計画があったことが判明。結局、レンタカーは不要で、「V.2007/4例会」以外は全て「分派行動」をとることにしました。
この間、インターネットの桜情報をチェックしていたのですが、直前になって、地元紙「福島民報」に連日「桜だより」が掲載されているということを聞き知り、以下のような表を作ってフォローを続けていました。そして、413日には、三春町出身の同年齢テニス仲間の鈴木紀子・通称ノリちゃんから、三春町内の「法華寺」の桜満開の情報を得て一安心。その上、414日の暖かさで、開花が滞っていて気をやきもきさせていた“我らが”「滝桜」も“咲き始め”から一気に“7分咲き”へ。これでようやく「桜咲くらん錯乱状態」が治まり、アバウト8士を三春に迎え入れる心の準備が整いました。
410 411 412 413 414
霞ヶ城公園 二本松市 咲き始め 3分咲き 5分咲き 7分咲き 満開
開成山公園 郡山市 3分咲き 7分咲き 7分咲き 満開 満開
五百淵公園 郡山市 3分咲き 5分咲き 7分咲き 満開 満開
翠ヶ丘公園 須賀川市 5分咲き 7分咲き 満開 満開 満開
釈迦堂川 須賀川市 5分咲き 7分咲き 満開 満開 満開
滝桜 三春町 蕾膨らむ 咲き始め 咲き始め 咲き始め 7分咲き
鶴ヶ城 会津若松市 蕾膨らむ 咲き始め 咲き始め 5分咲き 5分咲き

5.前夜祭(2007/4/14)

目に桜 細魚 目光り 初鰹

常磐自動車道を高速バスで来て、そこから幹事のマイカーに同乗して三春に入るBグループ諸兄に前日414日(土)のXMS(バーチャル民宿ササキ)泊を勧めたところ、山口・渡邉の両兄が快く話しに乗ってきてくれました。そこで、前夜祭のオープニングとして、「浜通りの桜」を観賞してもらおうと、東京駅14:30発いわき行き高速バスの17:16いわき好間到着を待ち受けます。寝過ごさないように携帯に電話して、「今、どこ?」と尋ねたところ、山口兄から「バスの中」という答えが返ってきました。文法的には全く正しいのですが、これでは「今、何しているの?」という問いに対して「電話しているの」と答えるのと同じです。いずれにしても、何も心配する必要もなかったようで、高速バスは1分の遅れもなく、いわき好間に着きました。

諏訪神社(いわき市)

山口・渡邉の両兄をピックアップして最初に向かったのは、いわき市内小川地区にある諏訪神社でした。ちょうど1週間前(47日)に訪れた時には、樹高12m直径1.1mで、樹齢650年というエドヒガンの枝垂桜が満開だったからです(右写真)。
1週間後まで持ちますかねえ?」と神社の関係者にお聞きしたところ「夜桜なら大丈夫でしょう」と妙な答をするので、「夜目遠目笠の内と言いますからねえ」と応じて、ガハハと笑い合いました。
しかし、やはり老優には1週間の続演は無理だったのでしょうか、見事なまでに花うち散らして、「花の命は短いものよ」を実感させるばかりでした。日没前に見たということもありますが、あれでは夜桜でも美しくは見えなかったことでしょう。桜の場合には、“花”がなければ「夜目遠目笠の内」でも“華”になりません。
1週間後まで持ちますかねえ?」と神社の関係者にお聞きしたところ「夜桜なら大丈夫でしょう」と妙な答をするので、「夜目遠目笠の内と言いますからねえ」と応じて、ガハハと笑い合いました。
しかし、やはり老優には1週間の続演は無理だったのでしょうか、見事なまでに花うち散らして、「花の命は短いものよ」を実感させるばかりでした。日没前に見たということもありますが、あれでは夜桜でも美しくは見えなかったことでしょう。桜の場合には、“花”がなければ「夜目遠目笠の内」でも“華”になりません。

諏訪神社の夜桜

夜の森(南相馬市富岡町)
山口・渡邉両兄のお口直しならぬお目直しをするために、今度は四ツ倉ICから入って常磐自動車道を北上し、富岡「夜の森」を目指します。ここの、約2キロにわたって沿道を覆っている桜並木は“桜のトンネル”を形成しています。最初は、その名のとおり、“夜”に訪れて、ライトアップされた桜の幻想的なシーンに感動しました。しかし、それは「夜目遠目笠の内」ではないことがわかり、2度目には美しい「昼の夜の森」を堪能しました(右の写真)。そして、その時の様子を、夜の化粧姿を見ても昼の素顔を見ても美しい吉永小百合に擬えて「桜並木のトンネルは吉永小百合」とマイホームページで表現しています。
  http://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/SakuraFukushima-a.htm

日曜の夜のこととて駐車場に入ることができず、山口・
渡邉
両兄のみが車から抜け出て、幻想的な桜のトンネルに眼福の一時を過ごしました。まずは「目に桜」を実現できて何よりでした。

「目に桜」の次は「山不如帰」といきたいところですが、「花より団子、鳥より魚」で、新鮮な魚介類と福島県の地酒「会津娘」の待つ前夜祭酒席に心が動かされます。そこで、強風にハンドルを取られそうになる中を、愛車Airwaveに“一鞭くれて”VMSに到着。民宿のオヤジの真似事をして、仕入れておいたアイナメを刺身におろし、これを細魚(さより)、初鰹に添えた刺身皿を食卓に載せます。更に、煮アンコウと目光りの唐揚げの海の幸と、ネミツバのお浸し、ウドの酢味噌和えとキンピラなどの山の幸が並び、発泡酒から、地酒「会津娘」の燗酒、切れの良い焼酎「くろうま」のオンザロックに進むのに伴って会話も盛り上がり、前夜祭はいつ果てるやも知れない勢いでしたが、明日からのイベントに備えて銘々静かに床に就きました。

6−1.三春分科会(2007/4/15)

春や春 春の三春に目を見張る


勿来の関はサクラチル

秋丸・開発両兄のピックアップ・ポイントを「いわき勿来IC」にしたのは、両兄にも「浜通りの桜」を観賞して欲しかったからです。しかし、「福島民報」の「桜だより」によると、「勿来の関」の桜は410日から「散り始め」になっており、413日からは「勿来の関」の欄さえ削除されてしまったようです。やはり、「桜舞う」なら華やかな花吹雪が楽しめそうですが、「桜散る」では大学不合格を知らせるおぞましい電文「サクラチル」を思い出させるだけでまるで興趣がわきません。そこで、「勿来の関」行きは止めにして、7:30東京発の高速バスで9:53「いわき勿来IC」に到着する予定の両兄を、山口・渡邉両兄とともにピックアップしてから、そのまま「中通り」に向い、三春でゆっくり三春町内観桜ウォークをしようというのが前夜祭での三者協議の結論でした。

文文法vs談話文法

高速バスの到来を待ち受けながら、昨日、山口兄にしたのと同じように、携帯でウェイクアップ・コールを送って、「今、どこ?」と尋ねますと、秋丸兄から「全て予定通り」という声が返ってきました。この一言で、“予定通り”「開発兄とともに」、“予定通り”の「バスに乗車」し、バスも“予定通り”「運行されていて」おり、“予定通り”の時刻に「いわき勿来ICに着くだろう」ということが全て分かりました。何を相手が心配しているかを察して、このように応対するのでなければ、談話文法的に正しいものとは言えません。昨日、同じ問いに対して、超文文法的な「バスの中」という答えを返してしまった山口兄は、「秋丸兄は、女優・寺島しのぶファンの“快楽派”だと思っていたが、“知的快楽派”に改称しなければいけないな」とつぶやいておりました。

阿武隈山系を越えて中通りへ

さて、秋丸・開発両兄の“予定通り”の到着をもってBグループ5人組が勢ぞろい。「尻がでかいから」ということで、助手席に座らされた自称「浪漫派」の開発兄と後部座席の漫才トリオ。狭いながらも楽しいわが車は、常磐自動車道「いわきJCT」から磐越自動車道に入って、一路「船引・三春IC」を目指します。越える阿武隈山系は高度も高く春未だ。山々の木々も未だ芽吹いておりません。「しかし、こんな山の中なのにどうして“船引”なんだろう?」と後部座席の秋丸兄の口から、いかにも“知的”な質問が飛び出しました。“痴的”な私めもかつて同じような疑問を持ったことがあり、その時の“調査結果”を、マイホームページ「さくら狩人…福島ふとどき風土記」(http://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/SakuraFukushima-a.htm)に、「その昔、坂上田村麻呂が大滝根川を遡って“船”を“引”いてここまで来たのだそうです」と記しています。

同期の桜・三春桜花謳歌隊いざ出動

「船引・三春IC」を降りると、程ないところに我らが「若松屋旅館」があります。庭先には小ぶりながら樹形の良い枝垂桜が満開で私たちの到来を迎えてくれました。若松屋旅館のチェックインは12時からですので、駐車場に車を置いて、身支度を整えてから、早速11:15a.m.三春町内観桜ウォークを開始しました。それぞれ、「日光が直接頭の地肌に当たらないように」(渡邉兄談)帽子を着用したのですが、自称「浪漫派」の開発兄だけは無謀にも無帽です。予め入手し送付しておいた「奥州三春・桜スタンプラリー」と、「三春まちめぐり」のマップを手に、先ずは若松屋旅館の最寄の花見所「法華寺」(スタンプポイントF)に向います。スタンプ押印ポイントは7箇所あって、そのうちの3箇所で押印すれば応募できるのですが、我ら同期の桜・三春桜花謳歌隊一同は3箇所でこと足れりとするほど柔ではありません。山口兄などは、「三春町をツブして(踏破して)やる!」と、「官能派」らしからぬ鼻息の荒さです。


法華寺
(松本兄撮影) (開発兄撮影)

しなだれかかる枝垂桜の妖艶さ

法華寺の桜を見上げながら山口兄がいかにも「官能派」らしく、「枝垂桜ってのは妖艶で実にいいもんだねえ」と感懐も漏らします。更に「あっ、そうか、“しだれかかる”という言葉も枝垂桜から来たんだな、きっと」と“言語学的考察”を加えて。一瞬それを聞いて秋丸兄、一瞬「ん?!」という表情をしていましたが、「それって、“しナだれかかる”じゃないのかい」と、山口兄がナ抜き言葉になっていることを指摘しました。最近は、俳句でも心境著しいと聞く「知的快楽派」殿は字足らずにもウルサクなってきたようです。しかし、法華寺の桜の妖艶さは筆舌に尽くせるものではなく、どんな表現をしたとしても字足らずどころか舌足らずになってしまうに違いありません。

色気なかりせば心豊かならず

枝垂桜の桜の妖艶さに誘われる形で、“言語学的考察”は更に「色気」という言葉に対して向けられるところになりました。「色気」は「エロティシズム」に当たり「ポルノ」とは違う。では「ポルノ」に当たる日本語は何かと言えば「助平」に他なるまい…というところで「官能派」と「快楽派」の合意成立。そんなところで、開発兄が“開発”したての、「“色気”を一文字で表せば“艶”になる。“艶”の字を分解すると“色”と“豊”になる。“色によって心豊かになる”…これが“色気”の真髄なのだ」という「浪漫派議論」を披露。お決まりの「やっぱり、開発兄は技術者にしておくには惜しい人材であった」という評価につながりました。そして、そうこうしているうちに、我々の足は八幡神社(スタンプポイントA)の境内の中に入っていました。


八幡神社

ここの桜はソメイヨシノ系なのでしょうか、いささか「色気」に欠けます。しかも、今年は鳥に花芽を食い荒らされてしまったお陰で花の数が少ないのだと宮司さんも嘆いておられました。しかし、たまたま例大祭の最中だとのことで、我々はお神酒を振舞われるという僥倖に恵まれました。この香りの良い酒は、聞くところによると地酒「三春駒」を使われているそうです。「花よりお神酒」の一時を過ごしてから、神社の境内から下って道路に出たところで、我々は再び僥倖に恵まれました。お祭の行列に出くわしたのです。祭と言えば神輿か山車が定番ですが、ここは白い布の中に7-8人が入る「長獅子」と呼ばれる獅子舞が主役です。しかも、この獅子、尻尾が着いているのですから只者ではありません。シシマイに尾がついてオシマイ。我々の三春町内観桜ウォーク午前の部も、切りのよいところでお仕舞いにすることにしました。


どうして三春で鰻なの?

古い家並みの通りから広い通りに出ると、それが国道288号線で「おまつり道路」とも呼ばれる三春町の目抜き通りになっています。急に景色が変わって、新しくて瀟洒な建物の通りが目の前に現れたので一同ビックリ。その中でも、ひときわ目を引くのが三春交流館「まほら」で、これが三春町随一のランドマークとなっているようです。そして我らが目指すお食事処「ほうろく亭」は「まほら」の向いの割烹ホテル「八文字屋」の内にあるのですが、ちょうどお昼時で40分待ちという繁盛振りでした。そこで、この待ち時間を利用して「磐州通り」方面を散策しようと、道路を渡った時に岡田先輩らしき人を見かけました。案の定、Aグループご一行様で、昼食を済ませて店を出てきたところでした。
皆さん、たっぷりと花見酒をきこしめしたらしく、吉峰兄などは顔全体が桜色に染まっておりました。しかし、店の名前を見ると「鰻の和久屋」とあります。「どうして三春で鰻なんだろう?」という疑問はBグループに残るところとなりましたが、完全な行き違いになってしまうところであった両グループを引き合わせてくださったのも三春鰻さまのご利益なのだろうということで、鰻屋の店先でパチリ。これが今回唯一の全員集合写真となりました。メデタシメデタシ。
(岡田先輩のカメラによる撮影)


王子神社&紫雲寺

「磐州通り」は石畳のお洒落な小道で、この通り沿いに王子神社(スタンプポイントE)と紫雲寺はあります。王子神社の裏の丘を登る散策路は紫雲寺につながっているのですが、一同昼食前のこととてガス欠気味で腰が引けがちになります。そんな時に士気を鼓舞したのが「元ワンゲル」派の渡邉兄でした。そして、「高いところに上れば三春町全体が見渡せる」と、理論的には全く反論の余地のないことをのたまわって登坂の先陣に就きます。中には「やれやれ、“馬鹿と煙は高いところに昇りたがる”んだから」などと呟いているメンバーもいましたが。しかし、犬も歩けばなんとやら。そこで、出くわしたのが樹齢200年とされるケヤキの巨木でした(写真右上)。これを目の前にして、博覧強記ならぬ「錯乱弱記」私が口にするのは精々「ケヤキってニレ科だったんだ」程度でしたが、これをもってエロティシズム論議を展開してしまう御仁がいるのですから大したものです。秋丸快楽派殿が「このケヤキの姿は官能的だなあ」と発すると、山口官能派殿が「この辺がお尻で、ここが脚」なんて受け答えしてしまうのですから。そうこうするうちに、我々は紫雲寺境内に来ており、ここではエロティシズムとは無縁で清楚な姿のソメイヨシノが私たちを出迎えてくれました(写真右下)。


三春町の看板娘「愛姫」

ところで、三春町内を歩いていると「愛姫(めごひめ)」と書かれた看板をよく見かけます。調べてみますと、「永禄12年頃(1569年)田村郡三春町に城を持つ戦国大名田村清顕の娘として生まれた」とありました。その頃の田村氏は、蘆名(会津)・白川(白河)・岩城(平)など、周囲を敵に囲まれていたので、清顕は伊達氏と結ぶことによって家を守ろうと考え、娘の愛姫を米沢城の伊達輝宗の嫡男政宗に嫁がせたのだそうです。伊達氏の力を得て、田村氏は領地を維持することができたのですし、一度は豊臣秀吉によって改易になった三春田村氏なのに、愛姫のはたらきかけによって、孫にあたる宗良が田村氏を名乗り、岩沼三万石の大名に取り立てられたというのですから、愛姫を三春町の看板娘にしたがるのももっともな話だと思います。

ヤマメ釣りはヤマメに聞け

さて、お食事処「ほうろく亭」に戻ってみると頃合が良く、私たちは大広間の和室に通されました。実は、昼食摂取についてBグループ内でも議論があったのですが、「折角、佐々木が試食までしているんだから」という開発兄の強力な一言により、衆議一決してここに決まったのでした。しかし、「ほうろく亭」を選んで正解だったと思いますよ。「ヤマメ釣りはヤマメに聞け」と言われますが、私だって、若松屋旅館を下見に訪れた時に、応接に当たってくれたフロントの渡辺嬢に、「ご自分でしたら、どの店にお客様を案内しますか」と尋ねて、この「ほうろく亭」を聞き出したのですから。そして、試食した「油揚ほうろく焼」についても、「奥州三春の里は、永正の昔から寺院料理である豆腐料理が発達し、油揚げとなり。庶民の中で重要な食生活の地位を占めていた」という現地情報を得ており、油揚ほうろく焼と桜そうめんとのセット (1,050円也)を実食した結果、まさに「奥州三春の味」を称するに相応しいものと現地認定していたからです。
さて、私たちが注文したのは「三春御膳」(1,600円也)でした(右の写真)。油揚ほうろく焼と桜そうめんのセットに、湯葉、鰊、それに、青菜の炊き込みご飯と山菜入り味噌汁を加え、更に、花見団子を添えたものです。この「桜そうめん」は、「幻の三春そうめん」を紅花で着色し、桜の小枝から抽出したエキスを加えたもので季節限定版だとのことでした。
然「花見酒」も忘れてはいません。「ビールは苦いから嫌」という柄にもなく“乙女チックな”開発兄は、焼酎のオンザロックでしたが、他の4人は「ビール、ビール」の大合唱。これが、冷やされた桜模様の陶器製ジョッキで供されるのですから喉まで桜。何より、甲斐甲斐しく酒食のサービスに当たる若い女子従業員さん達の顔が、揃って、ほんのりとした桜色をしていて、純朴にして爽やかに応接してくれたのが素敵でした。

「ほうろく亭」の会計をするのに当たって、Bグループの共通経費を処理する勘定奉行を決めようと提案したところ、秋丸兄から「幹事は入らなくていいから」と声がかかり、四人でのジャンケンが始まりました。そして、「名誉な仕事なんだから当然勝った人が勘定奉行ね」と言った秋丸兄が言い出しっぺの形で“名誉職”に就任することになりました。更に、秋丸兄は、自ら翌日の勘定奉行役まで買って出てくれましたので、Bグループ一同大船に乗ったような気持ちで桜狩ツアーを楽しむことができました。秋丸兄には、「快楽派」に「知的」だけでなく「公徳心」のラベルを加える必要がありそうです。


三春滝桜

名優・滝桜の艶姿に陶然として

「おいおい、明日の朝は雨なんだって」と、「ほうろく亭」を出て暫くして、秋丸兄から声がかかりました。街角天気予報が目に入ったのだそうです。早速、私たちは、予定を切り替えて、明日の朝に予定していた「三春滝桜」に脚を伸ばすことにしました。

循環バスを待つ間、近くで三春町が開いている市をのぞいてみました。すると、「桜染め」をしているジーパン姿の若い女性から「一緒にやりませんか」と声をかけられました。思わず鼻の下が伸びてしまったのですが、あれは客ではなくてサクラだったのかもしれません。因みに、「桜染め」は桜の小枝を小さく切って、長い時間かけて煮て色素を抽出した液を使うのだそうです。

開発兄は、この間に、「桜染め」などの「浪漫」派アイテムには目もくれず、採れたてのヤマウドをしこたま買い込んでいました。「これでウド(運動)不足解消だ」なんて駄洒落を言っていましたが、ウドが大木ではありませんが大量なので、カバンに収容できず、白いビニール袋に下げて歩かなければならなくなりました。結局、この白いビニール袋が目印になったお陰で、三春町内と滝桜観桜ウォークの際に開発兄が迷子にならずにすんだのですが、結構重くて、ウド(運動)不足解消どころか大変だったようですよ。ヤマウド好きのご夫人へのお土産らしいのですが、加齢して華麗なる奥方孝行をしようとすると体力がいるものですね。

そうこうするうちに、循環バスが「中央大町」に到着。私たちは車上の人となります。車内から見た「常楽院の桜」は見事に枝垂れて咲いていましたが、「八十内かもん桜」は未だ蕾状態でした。人間と同様に、桜にも早稲と晩生があるようですね。

ところで、日曜日なのに、渋滞もなく、バスが順調に進行するので不思議な気持ちがしていました。「三春滝桜」には既に何回も足を運んでいるのですが、都度、ものすごい道路の渋滞振りを目の当たりにしていたからです。その謎は、バスが終点に着いた時にたちどころに解けました。循環バスは、さくら湖(写真下段中央)側に設えられていて、循環バスの運行を円滑にするために、然るべくマイカーに対する交通規制が行われていたのです。その証拠に、私たちが着いたのは午後3時頃でしたが、そんな時刻になってもなお、マイカー用の道路は渋滞しており、駐車場に入るのに1時間半待ちという状態になっていました。

循環バス用の駐車場からは丘を登りきったところから降りていき、滝桜は頭の方から徐々に見えてくる形になります。マイカー駐車場から行けば、眼前に一気に滝桜が現れますので、いささか趣きは劣りますが、日本三大桜の一つ「三春滝桜」を始めて目の前にした一同は、前から後ろから、右から左から、この名優の艶姿に陶然としながらシャッターを切り続けていました。
(岡田先輩撮影) (開発兄撮影) (松本兄撮影)
(秋丸兄撮影) (松本兄撮影) (佐々木撮影)


三春町内観桜ウォークパート2へ

三春滝桜から再び循環バスに乗った私たちは、今度は「三春町役場前」で降りて、三春町内観桜ウォークを再開しました。そして、第一番目のターゲットは「城山公園」でした。ここは、スタンプ・ポイントにもなっていませんし、桜が三分咲きだということは伝え聞いていたのですが、「元ワンゲル」派の渡邉タカ彦兄の唱える「高いところに上れば三春町全体が見渡せる」説はもだしがたく、“馬鹿と煙は高いところに昇りたがる”のパート2となった次第です。結局は、途中で引き返すことになったのですが、静かで上品な公園の佇まいの片鱗に接することができましたし、三春の城が「舞鶴城」と呼ばれていたということが分かりました。


お城坂枝垂桜

そして、「お城坂枝垂桜」(スタンプポイントD)は、城山公園への登り口から程近いところにあります。私たちが着いたのはもう4時半くらいで、スタンプ押印場所も閉じられてしまっているような状態でしたが、Aグループが訪れた時には、ここの民家の庭に招じ入れられて、お茶と梅干をご馳走になったそうです。「三春滝桜」でも、私たちを訪れた時には雨が降り始めましたが、Aグループは青空に迎えられたようです。どうも、天はAグループに味方していたようです。やはり「三春の鰻」のご霊験があらたかだったのでしょうか。
(佐々木撮影) (松本兄撮影) (佐々木撮影)


田村大元神社・天沢寺・真照寺

次に向った「田村大元神社」(スタンプポイントC)は、麻雀の大三元に似た名前からして役が高そうですが、実際、三春藩御領内の総社だったようです。我らが渡邉ナベ彦神官殿が、立て札の説明書きを見みながら、「ふ−む、これはなかなか格の高い神社だ」と唸っていましたから、これほど確かなことはありません(写真左)。

しかし、建造物の見事さでは、次に訪れた「天沢寺」も負けてはいませんでした。ここは、スタンプ・ポイントにもなっていませんが、桜も巨大な本堂の屋根に彩を添えていました(写真中央)。

「それにしても、人口僅か2万人弱(平成19年4月1日現在18,887人)の三春町で、こんなに密集していて、寺や神社のフトコロ具合は大丈夫なんだろうか」などと一同がゲスの勘繰りをしている時に、山口兄の携帯電話にAグループの松本兄から問い合わせの電話がかかってきました。一同は、とっくに若松屋旅館に着いて一風呂も浴びており、宴会開始時刻を何時からにするのか決めかねていたのだそうです。そう言えば、当たりが薄暗くなっており、♪山のお寺の鐘が鳴る♪の雰囲気が漂っています。腕時計を見るとアバウト5時。そこで、残りの行程と入浴時間を超アバウトに見積もって「6時半宴会開始」を宣言しました。

次いで、“高所誘導係”の渡邉タカ彦兄が、今度は一転して“高尚誘導”の提案をしました。「三春まちめぐり」のマップで「真照寺」の「水芭蕉が群生」を目にして、「元ワンゲル」派としては心躍らせていたのでしょう。また、秋丸兄らとともに、俳諧の道を徘徊している身としては「見ず芭蕉」の結果になっては、尊崇する松尾芭蕉に申し開きが立たないと思ったのかもしれません。実際、苔むした真照寺の境内の裏庭には、“群生”と言うのは“真照棒大”ですが、水芭蕉の清楚な姿を見ることができました(写真右)。まさに一服の清涼剤。艶やかな桜の“好色”な世界に耽っていた私たちは、束の間ながら、ワビとサビの“高尚”な境地に浸ることができました。
田村大元神社の桜 天沢寺の桜 真照寺の水芭蕉


桜谷・福聚寺

「奥州三春・桜スタンプラリー」のマップによって若松屋旅館の最寄ポイントと見定めていた「福聚寺」(スタンプポイントB)が、我々の本日の最終ゴールでした。そして、地元の人に教えられた通りに、「桜谷枝垂桜」(右写真)を横目に、「三春町歴史民族資料館」の裏道を登っていきました。
還暦という大きな坂を乗り越えてきた我々にとって、王子神社の裏山や城山公園への上り坂、田村大元神社の石段などは朝飯前だったのですが、このダラダラ坂は夕飯前の私たちには聊かキツイものでした。どこまでも続いていそうな道で、しかも、寺らしいものがなかなか見えてこないのです。しかも、当たりはすっかりと暮れなずんでいて、「6時半宴会開始」までのタイムリミットが刻々と迫ってきています。
曲がり道の坂を登りきった地点で、右下遠方に墓地とお寺らしきものが見えました。そして、目の下に、そちらに続いていそうな細い石段も。歩いてきた道はなおも続いているのですが、迂回しているので、このまま歩いていったらお寺らしきものより先方に出てしまいそうです。この時に秋丸兄がきっぱりと「あれが、福聚寺に違いない。この石段の道でバイパスすることができる」と一言。一同、この判断を受け容れて石段の道を下って墓地の中をいくと、途中に桜の遠景写真を取ろうとしているカメラマンがいて、尋ねてみると秋丸兄が言った通り、そこが福聚寺の墓地なのでした。
福聚寺は、「中陰の花」なる作品で2001年に芥川賞を受賞したという玄侑宗久なる人物が副住職をされているという臨済宗のお寺です。修行僧が多いのでしょうか、大きな僧坊らしき建物が並んでいて、桜がこれに彩を添えています(左写真)。枝垂桜も見事で、私たちの三春町内観桜ウォークの掉尾を飾ってくれました(右写真)。
(佐々木撮影) (松本兄撮影)
しかし、私達にとっては、「人には春風駘蕩 自らには秋霜烈日(佐藤一斎)」と書かれたお札書きが、福聚寺からの最高のプレゼントではなかったのではないかと思います。ついつい陥ってしまいがちな「自分に甘く他人に厳しく」の弊を戒めていけば、いつまでも心を、枝垂桜の如く艶やかに、ソメイヨシノの如く爽やかに保っていくことができるでしょう。山口兄が、枝垂桜とソメイヨシノの両方が入る風景(左写真)を撮り終わる頃には、すっかりあたりが暮れなずんでいて、枝垂桜も“夕桜”となって、一層妖艶さをましていました(右写真)。
(山口兄撮影) (佐々木撮影)

7.2007/4例会(2007/4/15)

T.女将に聞く「三春事情」

A、B両グループ計9名が一堂に会して、いざ例会の始まり始まり。開宴に先立って若松屋旅館の女将が地酒「三春駒」を携えて挨拶にこられました。ひとしきり三春Q&A談義を交わした結果、以下のような「三春事情」を得ることができました。


三春と駒の関係

三春滝桜は「日本三大桜」の一つだが、馬形木彫工芸品「三春駒」も、青森の八幡馬、仙台の木ノ下駒と並んで「日本三大駒」の一つとされ、地酒「三春駒」はこれにちなんで命名されている
三春はかつて馬の産地であった。「馬場の湯温泉」の名の通り、ここにはかつて馬場があった(なお、この周辺の地名を「尼ヶ谷」と称するのは、昔、この当たりに駆け込み寺があって尼さんが出没しており、地形が谷状をなしているからだとのこと)。また、Bグループが真照寺付近で見つけた「競り市の跡」も、馬を売買する競り市があった所だったということが分かった。
桜と馬肉(さくら)は絶妙な取り合わせのように見えるが、三春町には、伝統的に馬を愛する風土があり、これを食するという習慣がない。


“幻の”三春素麺

今から300年前の江戸時代、江戸から北へ60里、奥州三春藩に東北で唯一、しかも国内で最も上級の素麺産地があった。江戸時代の百科事典「和漢三歳図会」にも「奥州三春より出づるものが細白にて美なり」と紹介されており、三春藩時代に幕府献上品となっていた。


三春人形

江戸期文化文政時代を頂点として、東北地方には優れた庶民人形が輩出していた。その多くは土人形であったが、三春は和紙を用いた張子の三春人形を産み出した。紙の特性を自在に生かした技法と優美な描彩によって多様な人形が作り出されている。
三春駅近傍(郡山市高柴地区)に「デコ屋敷」がある。ここでは紙張り子の人形を盛んに作られていた。鹿児島では「大根」が「でこ」だが(秋丸兄説)この「デコ」は、人形の別名の「木偶(でく)」がなまったものと言われている。

U.談話収録

(1)敏行法師挨拶&法話(吉峰兄)

・  3月末をもって7年間余勤務を続けてきた社会福祉法人薫風会を退職した。退職後の生活の目指すところは、元気で生きている間は自分の存在が誰かの幸せにつながることであり、そのことを自分の目で見ることができればこの上なく幸せだと思う。そうすれば、彼岸で母に再会した時に少しは褒めてくれるのではないかと思っている。
・  また、これまでもAbout38で説いてきたPPK(ピン・ピン・コロリ)は、今後とも我が生活信条の一つとしていこうと思っている。先ほど入浴した大浴場「桜の湯」の入り口に小さな「コロリ観音」があって、「観音由来」の中に「人生往生の時はコロリと苦しまずに他界ができる」とあった。宴会室をこの308号室にとってくれるところなども併せて、若松屋旅館は我らがAbout38御用達なのではないかというような気がする
今日、我々を三春と引き合わせてくださったのは、佐々木の奥様のお母さんではないかと思う。お義母さんがおられなかったら、佐々木も福島県いわき市に移ってこなかったし、三春分科会など企画することなども金輪際ありえなかったからだ。つくづく縁は異なものであり、有り難いものだと思う。これからも、「明日ありと思う心のあだ桜」を警句として、縁を紡ぎながら充実した日々を過ごしていきたいものだと思う。柳生家の家訓には、人も家も組織も縁を大切にしないものは滅びるとある。小才は縁に出会ひて縁に気づかず、中才は縁に気づいて縁を活かせず、大才は袖振り合うた縁をも活かす

(2) 根が張って枝葉も繁る(渡邉兄)
・ 

前夜祭では、富岡町の夜の森の夜桜観桜に連れて行ってもらった。佐々木に路上駐車してもらっている間に、山口兄と桜のトンネルを観賞する形を取った。ちょうど「桜祭」が行われていて、公園ではヨサコイ踊りが始まるところであった。幻想的な夜桜に見ほれている小生と裏腹に、山口兄は踊りの方に気を向けていた。「花より団子」の他に「花より踊り」族もいるのだと分かった。

VMS(バーチャル民宿ササキ)では、佐々木夫人を交えて、大変アカデミックな議論を行った。桜が枝の先々まで花を咲かせるのは、根が地下で水分を吸い上げて枝の末端にまで送り届けているからに違いない。地上の樹形と同じ規模の地下組織が地下に根を張っているわけだ。また、仮に、根に色水を吸わせたとしたら、色素が枝から花に伝わっていくのかどうか興味のあるところだ。 
首の長いキリンも、頭部の毛細血管まで血液が行き届いているのは、心臓が強力なポンプ機能を果たしているからだが、改めて考えてみればこれも奇跡的なことだ。桜も高部の枝にまで水分を行きわたらせているのは、根がポンプ機能を果たしているからに違いない。「根が張って枝葉も繁る。目には見えない陰の徳」(佐々木のホームページ「さくら狩人」より)を心に銘じたい。

(3) 「功徳」尽くしの日々(秋丸兄)
テニスを週1回のペースでやっている他、山登りによく出かけている。渡邉兄が「元ワンゲル」派なら小生は「現ワンゲル」派とも言える。本日の観桜ラリーで遜色のない健脚振りを披露できたのもこのためだ。
テニスの会にしても、山登りのグループにしても女性メンバーが多い。「おばさんとはいえ女」で、「姥桜とはいえ桜」という(?)が如く、女性のオーラが漂い雰囲気が華やかになる。特に、山登りの方には未亡人が多いので、こちらも精一杯男としてのオーラを振り絞って応えている。これも「功徳」で、これが「口説く」になると「くどく」なるので注意している。
家庭内でも山の神殿に対して精一杯「功徳」を施している。毎週水曜日を「家事解放の日」として、自分が家事一切を担当しているのだ。ところが、先日「お食事券」なるものを山の神殿から渡された。食事をする権利ではなくて、食事を作る義務を課すための券なのだ。つまり、「功徳」のはずが、いつの間にか、“敵”にとっての既得権益になっていたわけだ。既得権益に根を発するという点では「お食事券」も「汚職事件」も同じようなものだと思った。

(4) 滝桜に感ずる哀と歓(山口兄)
歌舞伎の世界では、舞台を支える黒子に対しては見て見ぬ振りをするのが好ましい鑑賞法とされる。滝桜を支えている数多くの支柱も黒子のようなものだから、見て見ぬ振りをすれば良いのだが、滝桜の場合にはどうにも支柱から目が離せずにいた。 
滝桜は、遠くから見ると支柱や痛んだ幹の姿も見えず、美そのものである。そんじょそこらの若木より遥かに美しく見え思わず歓声を上げてしまった。これは歌舞伎座の3階席から見た場合の若手俳優に勝る老優の美に似ている。今回1年に1回の顔見世の時にあいまみえることができたのだが、樹齢1,000歳のこの老優は衰えることのない「色気」を振りそそいで見せてくれた。
「色気」を失ってしまったら、老優にしても老木にしても、「そろそろお引取りを」とPPK(ピン・ピン・コロリ)を勧めたくなるものだが、近くで見た滝桜からは、老いに抗って懸命に頑張って「色気」を発散するために「かくまでして」という思いが感じられて感傷的になってしまった。ことによると、これは95歳の老母を家において自分だけ桜に現を抜かしている私の姿を滝桜がみて「観桜(官能)に溺れるな、舞台裏の哀感も悟れ」と釘を刺さしてくれていたのかもしれない。

(5)桜世界における2007年問題(開発兄)

樹齢1,000歳と言われる滝桜を筆頭に、枝垂桜が長寿命なのに対して、ソメイヨシノの寿命は一般的に60年程度だとされている。接木によって植樹されているので、その継ぎ目に“永年勤続疲労”の経年変化が現れてしまうからだ。実際に、本日の観桜ウォークでも、継ぎ目の部分から朽ち始めようとしているソメイヨシノが何本も目撃された。

今、団塊の世代が60歳に達して一斉に退職していってしまい、これに伴って、団塊の世代によって蓄積されたノウハウや情報が企業から消失してしまうという、いわゆる「2007年問題」に日本の企業は遭遇している。

桜の世界にも、ソメイヨシノ植樹ブームの頃に植えられた“団塊の世代”があるはずであり、それが一斉に寿命の樹齢60年に達することが予測される。そのうちに、「かつての花見の名所」が日本の随所に出現するに違いない。

(6) 滝桜こそ「桜の中の桜」(岡田先輩)

滝桜の実物を始めて目の当たりにして大きな感銘を受けた。樹齢1,000歳の老木なのに強い「色気」を発しているのが感じられた。もともと、桜には妖しげで人の気を狂わせる(錯乱・サクラん)させるようなところがある。我々をその色香で惑わせる滝桜こそ「桜の中の桜」と言えるのではないかと思う。
万葉集以来「花」として詠われていたのは寧ろ梅で、「花」の地位を取って代わった桜の妖しさが詠われ始めたのは新古今集の頃からのことである。一方、ソメイヨシノは、江戸時代に、造園師や植木職人達が集落を作っていた江戸駒込の「染井」村で“人工的に”育成され、“「吉野」桜”と銘打って売り出されたものだ。従って、ソメイヨシノは新古今集の頃には当然存在していなかったわけであり、妖しい「色気」を発して人の気を狂わせ続けてきたのは日本の“自然”が育んだ枝垂桜などの古来種なのだということになる。あだやおろそかに、滝桜様に対してPPK(ピン・ピン・コロリ)論議などを発してはならない。
今回も、家内ともどもAbout38同期のサクラの仲間入りをさせていただいた。身体的には皆さんより枝垂桜がかっているが、精神的には皆さんと同じようにソメイヨシノの若さを保っていると思う。今後とも、同期のサクラの動機を錯乱させる心配がない場合には仲間入りさせていただきたい。

(7) 駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人(岡田夫人)

観桜を楽しんでいる過程で、桜染めなどとともに土産物店で売られている「藁草履(わらぞうり)」に目が留まったので、長男の嫁と一足ずつ分け合って美容と健康のために用いようと二足買い求めてきた。三春町歴史民族資料館では、「草鞋(わらじ)」の作り方の実演説明が行われていた。これを見て改めて、三春町は雪深いところなのだという思いを新たにした。厳しい冬という“黒子”があればこそ、梅と桃と桜の花が同じ時期に咲く「三春」があるのだと思う。
「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」では、駕籠を担ぐ人を“黒子”とすれば、草鞋(わらじ)を作る人は“黒孫”に当たるのかもしれない。いずれにしても、駕籠に乗る人だけを見て、草鞋(わらじ)に目を遣らなければ、真の「もののあわれ」、「わび」、「さび」が分からないのではないかと思う。
三春滝桜の場合は、確かに支柱が“黒子”なのかもしれないが、更に、三春滝桜の艶やかさを地下で支えている“黒孫”に思いを馳せなければならないと思う。1,000年間の間に滝桜はどれほど立派な根を張り巡らせているのだろうかと、先ほどの桜の根談義を聞きながら考えていた。

(8) 現場・感覚派の行動力に羨望の念を感じつつ(松本兄)

今回の企画に当たって事前連絡のために携帯電話した際(4/4)に、佐々木は福島市「花見山」の現場にいた。今日、山口兄に携帯電話した際にもBグループ一同は現場で観桜をしている最中であった。Bグループが体力に物言わせて現場行動力を発揮していたのに対して、我々Aグループは知的情報によって行動力の不足を補っていたような気がする。

物議をかもした「三春の鰻」も、現場情報によるのではなく、予め三春町観光協会から取り寄せておいた「グルメマップ」(知的情報)から「鰻の和久屋」を見つけて小生がAグループ各位に提案したものだ。しかし「と梅(干し)」では食べあわせが悪いが、「鰻と桜」には何の問題もない。

三春町歴史民族資料館に立ち寄ったのも、そこで得られる知的情報によって、三春町についての認識や理解を深めたかったからだ。現場・感覚派のBグループの行動力に羨望の念を感じながら、精一杯、三春町に対する観念・想念を高めてきた。

(9)「花見」のコンセプトを変えた(佐々木)

今回は、遠路「奥州三春」までご来駕頂き有り難く思っている。今回の企画には、About38の主軸となってきた吉峰兄の新生活のスタートを、一同で日本一の桜・滝桜とともに祝おうという趣旨が込められていたのだが、一同の想念が実って開花時期にジャスト・イン・タイムすることができた。
Bグループは、バスによる滝桜観桜の他に、自らの脚を使って、三春町内の桜の見所を精一杯歩き回ってきた。アップダウンが多い地形なので、この間、かなりきつい思いもした。「歯を食いしばって」や「息をゼイゼイさせながら」といった表現は、古来の「花見」の語義素には含まれていないものである。その意味で、我々の行動は「花見」のコンセプトを変えるものであった。
渡邉ナベ彦兄が「“朝桜”も捨てたものではない」と主張したので、三春町内北西部の観桜を、明朝「朝飯前」の課題として積み残すことにした。また、明日は「鶴ヶ城・満開」を予測して、Bグループは「会津分々科会」を行うことにした。舞鶴城址の三春「若松屋」から会津若松・鶴ヶ城への若松間ツルツル・ラインになる。これで、名門・佐伯“鶴”城高校出身の有田兄が参加していたら、三鶴でツルツルミツルになったものを。


6−2.三春分科会(2007/4/16)

春や春 春の三春に目を見張る(続編)


春暁一刻値千金

なんと言っても「春は曙」。「早起きは三文の徳」とも言われます。朝寝、朝酒、朝湯の小原庄助さんを決め込んでいないで「朝桜」観賞に出かけよう。そこで、Bグループから朝に弱い「浪漫派」開発兄が抜け、代わりにAグループの岡田先輩が加わった「早朝派」一味5名、早朝6時に若松屋旅館を出発して三春町内に繰り出しました。そして、「春宵」だけでなく、7時からの朝食までの「春暁」の一刻を値千金のものにしてしまいました。

法蔵寺

最初に向かった「法蔵寺」の境内は小奇麗に手入れされていて、寝ぼけ眼の私たちを爽やかな気分にさせてくれました(下写真左&中央)。水琴窟も設えられていて(下写真右)、この世のものとも思えぬ妙なる音色で私たちの心を癒してくれました。「奪い合えば足りない 分け合えば余る」と大書された門前の張り紙も、現世の随所で受け容れるべき爽やかにして重い警句だと思いました。
(佐々木撮影) 法蔵寺前で早朝修行
(岡田先輩撮影)
(佐々木撮影)


高乾院

次に向かった「高乾院」は「スタンプポイント@」になっており、これをもって、私たちが当初最低必達目標としていた“「奥州三春・桜スタンプラリー」全7箇所制覇”がされたことになります。ここには、江戸時代に幕末まで三春藩主として君臨した秋田氏の歴代藩主とその家族の墓があるそうです。実際に、釣鐘の形をした窓が設えられているのですが、これは渡邉ナベ彦兄によると「火燈窓」といって、格式の高いお寺だけにあるものだそうです。言ってみれば“セレブ寺院”なのですが、私たちの“全7箇所制覇”の荒い鼻息などは知らぬげに、静かな佇まいを見せていました。


龍穏院

終わりよければ全て良し。私たちの三春町内観桜ウォークは、真打「龍穏院」の登場によって大満足の大団円となりました。何という荘重な屋根構えなのでしょう。ここにも釣鐘の形をした「火燈窓」(*)が随所にあって、寺としての格式の高さを偲ばせています。実際に、この本堂は、三春城の出城のような使い方がされたのだそうです。
(*) 念のため、インターネットで漢字の表記法を調べたら、「“花頭窓”とも呼ばれ“禅宗寺特有の形”」とあったよ、ナベちゃん。
三春町内観桜ウォークをしていて私たちが感じたのは、「三春町の豊かさ」でした。「桜の三春町」としての観光収益も春限定のものでしょうし、これといった地場産業もなさそうです。しかし、三春の町には歴史が育んだ風土が根付いていて、これが町人の「心の豊かさ」を支えているのでしょう。「龍穏院」の境内に立って、「三春町の豊かさ」の謎が解けたような気がしました。

8.会津分々科会(2007/4/16)


福島は おらが桜に 城と蕎麦


福島県全圏制覇へ

“桜情報ウォッチャー”としては、「三春滝桜」の他に、「霞ヶ城公園」(二本松市)、「開成山公園」、「五百淵公園」(いずれも郡山市)、「翠ヶ丘公園」、「釈迦堂川」(いずれも須賀川市)や「鶴ヶ城」(会津若松市)の開花情報をチェックしてきました。「三春滝桜」が時期尚早の場合、これに代わる花見ポイントがなければ、はるばる東京界隈の「遠方より来る友」を失望させるだけですし、「三春滝桜」が間に合った場合でも二日目の“メイン・ディッシュ”を準備しておかなければならなかったからです。

そして、初日に「三春滝桜」の観桜が終わった今、二日目の“メイン・ディッシュ”の選択を迫られることとなりました。「鶴ヶ城」以外は、いずれも満開で受け容れ準備完了状態です。しかし、“三春の桜”を堪能した今となっては、いずれも「帯に短し襷に長し」になってしまいます。ここは、開花の進捗状況に一抹の不安を抱きつつも「鶴ヶ城」を選ぶしかありません。それに、自称“さくら狩人”の胸中には、「鶴ヶ城の開花一挙に進む」という思いが募って、確信に近いものが芽吹いてもおりました。そこで、迷うことなく「会津」地区の会津若松市へ向けて進路をとることに決めました。いずれにしても、「浜通り」地区いわき市から福島県入りしたBグループは、「中通り」地区の三春町から「会津」地区入りして、これにて「福島県全圏制覇」という偉業(?)を達成することになります。

このまま、About38イベントから離脱して新潟に向かうAグループとは、朝食をともにした後、現地解散。「About38 会津分々科会」一向と化したBグループメンバーは、おのおの旅装を整えて、駐車場の愛車Airwaveに集結。Aグループメンバー各位が「若松屋」の客室の窓から手を振って見送る中、会津「若松」へ向けて出立する仕儀となりました。
(松本兄撮影)


「五里霧中」の中「語彙夢中」

「船引・三春IC」から再び磐越自動車道に乗って車は西へ。「中通り」地区の中枢である郡山を過ぎれば、やがて右手に磐梯山、更に行けば左に猪苗代湖が、いずれも「会津」地区の代表として遠来の客をお出迎え…と、頭の中の設計図にはあったのですが、“宝の山”磐梯山の頂は雲の中で山容が見えず、これでは全くの“宝の持ち腐れ”です。そして、琵琶湖、霞ヶ浦、サロマ湖に次いで日本で四番目に大きい猪苗代湖も霧の中。しかし、こんな「五里霧中」の中を疾走するAirwaveの中では、桜をめぐる語彙の論議が盛り上がって「語彙夢中」です。

こんな中で、「“姥桜”とは何か?」という論議が「“熟女”と“老女”の違いは何か?」の論議に微妙に結びついてきました。「小町桜も老いぬれば身は百歳の姥桜」の句から判断しますと、“姥桜”は「とんでもない“老女”」ということになりますが、一方の“姥桜”を「娘盛りが過ぎてもなお美しさが残っている年増。女盛りの年増」とする解釈によれば、逆に「振るいつきたくなるような“熟女”」ということになります。結局は、この「振るいつきたくなる」かどうかが“熟女”と“老女”の違いであるということで、「快楽派」秋丸兄と「官能派」山口兄の間で合意が成立したようです。「 “心豊かにさせる色”、つまり、“艶”即ち“色気”の有無が“熟女”と“老女”の差である」とする「浪漫派」開発兄論とはビミョーに食い違っているように思えたのですが。

鶴ヶ城
会津若松ICで磐越自動車道を降りて、会津若松市内を進むと、街角のソメイヨシノが花盛りで、ついに、桜並木の遠方に目指す鶴ヶ城の姿が見えてきました。語彙談義に夢中になっていた面々の口から一斉に「オー(Oh)!」という声が挙がりました。中には「Ah!」「Ih!」「Uh!」「Eh!」の声も混じるア行五段活用です。そこで、路側にAirwaveを止め、全員押っ取りカメラで飛び出して、「桜と城のデュオ」の予告編にシャッターを押しました。


悦楽の果ては嗚咽なんだとか

お堀の橋を渡って、城郭内に入り駐車場に向かおうとすると、更に桜は身に迫り私たちを包み込んできました。Airwaveは、天井部をスライドさせると透明ガラスになるスカイルーフ式になっていますから、頭上からもソメイヨシノの華に圧倒されてもう大変。ア行五段活用の声は、「ワー(Waa)!」、「ウォー(Woo)!」のワ行に変わって、車内はさながら阿鼻叫喚。ところが、これは山口兄によると「嗚咽」だったのだそうです。「官能派」理論によると、悦楽の果ては嗚咽なのだとか。そんなわけで、「花咲か爺さんクインテット」 “枝垂れ”かかる(写真下右)ソメイヨシのもとで、嗚咽の記念撮影(写真下左・開発兄カメラによる撮影)と相成りました。


土井晩翠が作詞した「荒城の月」も、この鶴ヶ城がモチーフになっているそうです。満開の桜のもと城址を散策していますと、華やかさの中にも、どこからともなく♪♪♪春高楼の花の宴♪♪♪の物悲しい旋律が漂い聞こえてきそうな感じがします。「桜と城のデュオ」を堪能しつくして、私たちの福島県全域さくら紀行はフィナーレとなりました。


猪苗代湖畔

蕎麦の里にて「花見酒」

しかし、桜と城だけで事成れりとしたのでは、画竜点睛を欠くというものです。まず、本日の花見イベントに欠けていた「花見酒」を何とかしなくてはなりません。そこで、カーナビに「いしむしろ猪苗代湖店」を入力して鶴ヶ城内駐車場を発つことにしました。「いしむしろ」は、磐梯熱海に本店がある蕎麦屋で、私自身、仙台勤務だった頃(昭和47-49年)から何回も何回も訪れていて“試食済み”の店です。何より、面食いのメンバーに麺食いをさせずに帰らせるわけにはいきません。もとより、花見ドライブとなると、ドライバーはソーバー (sober:素面)でなければなりませんから、側杖(そばづえ)を食わされたようなもので、酔う友を傍(そば)で見ているしかありません。しかし、酔い友は好い友で、そんなことは笑って良いとも。酔う友の姿の見て心を酔わせていれば良いのです…と、自分を諭して。

カーナビの指示に従って、会津若松ICで磐越自動車道に乗って猪苗代・磐梯高原ICで降りると、「いしむしろ猪苗代湖店」は程遠からぬところにありました。本店と同じような店構えですが、中は明るく、何よりも若い女性店員さんが麺食い兼面食いのメンバーに大好評でした。早速、地酒「栄泉」と焼酎、それに天ぷらの盛り合わせを2皿注文しました。5人で2皿では“割り切れない”ようですが、今朝の観桜ウォーク(法蔵寺)で「奪い合えば足りない、分け合えば余る」を学んだばかりの私たちには全く問題ありません。私もお茶けでAbout38恒例の明るくて他愛の無い「カンパーイ」の儀式に加わりました。

さて、肝心の蕎麦ですが、「いしむしろ」の売り物はなんと言っても「割りこ蕎麦」です。浅い円柱状のお椀が5段重ねになっていて、最上段のお椀に入った各種山菜類の具を使い分けて、4段重ねのお椀に分けられた蕎麦を、それぞれお気に入りの食べ方で賞味できる寸法になっているのです。そこで、かねて知ったるこの「割りこ蕎麦」を注文しようとしたところ、開発兄の口から「私ゃ高遠そば」という意外な一言が出てきました。そこで、「メニューに載っているとはいえ、何ゆえ会津で信州なんじゃ!」と“証人喚問”したところ、開発兄から「信州出自なので幼少の頃から“高遠そば”に馴染みがある。しかも、これに用いられる辛み大根は会津産のものが多いと聞いていたから」との“弁明”がありました。「高遠」と言えば、同じく信州出自の小林コーチョク兄が「高遠の桜を見ずして桜を見たという勿れ」と広言して憚らないところです。「浪漫派」の開発兄、「高遠蕎麦を食わずして蕎麦を食ったという勿れ」とでも言いたかったのでしょうか。いずれにしても、いずれ「About38高遠浪漫分科会」なんかあっても良いかもしれませんね。

しかし、後日高遠そば」についてインターネットを検索してみますと、以下のような記述がありましたよ、開発さん。開発さんだけが「会津」で“本場の”高遠そば」を食べたということになるんじゃないでしょか。

いまでこそ醤油はとても安価ですが、高遠でそば切りが食べ始められた江戸時代初期には、醤油や鰹節はとても高価な調味料で地方に住む庶民には手の届かないものでししたから、身近にある味噌、ネギ、辛み大根を使ったつゆを作ったのでしょう。
しかし、地元で元々「高遠そば」と呼ばれていたわけではなく、会津でそう呼ばれたものが逆輸入されてきたものです。高遠の山間部に伝わる「からつゆ」と呼ばれるみそ味のツユがあっただけなのです。


磐梯熱海
磐梯の熱海萩の湯千萩楽

さて、「福島はおらが桜に城と蕎麦」…おっと、何か忘れていやしませんか。そうです、そうです、「温泉」です。ですから、かねて、「磐梯熱海温泉」も本日のコースに折り込み済みなのでした。そこで、「いしむしろ猪苗代湖店」を立ち去り際に、麺食い兼面食い連お気に入りの女子従業員さんたちの中でも取り立てて気立てが好くて優しそうなソメイヨシノ嬢から、ご自分たちのお気に入りの日帰り温泉場「ユラックス熱海」を聞き出しました。磐梯熱海温泉は、月岡温泉、いわき湯本温泉とともに「磐越三美人湯」に数えられているそうですから、ソメイヨシノ嬢の美貌も、ことによると「ユラックス熱海」で磨かれたものなのかもしれません。

磐梯熱海温泉はもう、中通り地区の郡山市内にあるのですが、さほどの距離でもありませんので、今度は国道49号線で目的地を目指します。Airwave車内は、“お神酒”が入ったこともあって、ひときわ賑やか。今度はみんなが初耳だったという「磐梯“熱海”」の地名が槍玉に挙げられました。「“熱海”は伊豆にあるのが本物。磐梯“熱海”はまがい物に違いない」などなどと。確かに、“熱海”という地名は、奥州征伐の後にこの地の領主になった源頼朝の家臣伊東祐長の出身地である“伊豆の熱海”温泉に由来はしているのですが、“磐梯熱海”温泉だって発見されたのは今からおよそ800年前の鎌倉時代と言われているんですよ。そんじょそこらの「なんとか銀座」とは違います。“まがい物”呼ばわりは酷というもんじゃござんせんか。

「ユラックス熱海」の駐車場で、数人の“元姥桜”さん達(先の「快楽派・官能派合意」によると“老女”)に出会いました。「ユラックス熱海」の常連さんらしいのですが、しきりに私たちに「なして、こんな磐梯熱海の外れの方に来よる。あんた方は温泉街のど真ん中の方に行きゃれ」と勧めます。しかしなあ、折角若くて清楚なソメイヨシノ嬢に紹介されたのだから、若くも清楚でもない“元姥桜”さんにそんなこと言われたって…と、内心思いながら“元姥桜”の言には耳も貸さずに受付に歩を進めます。すると、“元姥桜”さんたちも、受付から更に内部へ向けて私たちから離れようとしません。そこで、秋丸兄が「もしかして、ここは混浴?」と尋ねると、「うんにゃ」と即座の答。秋丸兄、これに対して「ああ、良かった」と、思わず声を発してしまいました。「“熟女”と“老女”の違い」には「混浴したくなるかどうか」の判断基準が加わるのかもしれませんね。

“元姥桜”さんとの混浴の“難を逃れた”私たちが向かった男子浴場には、泡風呂、打たせ湯、寝湯など、様々な風呂があった他に、「萩の湯」と名づけられた露天風呂がありました。しかし、周囲に萩らしい植物の姿は見当たりません。どうして、ツル(鶴ヶ城)のあとがハギ(萩)なんだ!これでは「アバウト憲章」違反となるのではないか!…多少、湯当たりもあって興奮した私たちは、「萩」の件を詰問すべく、鼻息荒く受付に向かいました。しかし、そこにおられたのは紛れもない “熟女” の枝垂桜さん。以下のような「萩姫伝説」を優しく語ってくれましたので、私たちは振り上げた拳のやりどころに困ってしまいました。

室町時代初期の南北朝時代、京に住む公卿の娘で萩姫という美しい姫が不治の病にかかり苦しんでいた。不動明王の「都を去る東北方、数えて五百本目の川岸に霊泉あり。それに浸かれば全快する」というお告げに従って、幾多の困難辛苦の末、ついに五百本目の川(これが現在の磐梯熱海温泉地内を流れる「五百川」)にたどりついた。そして、ここに湧き出るお湯で難病も全快し、この湯に深く感謝をして京へ戻った。

“元姥桜”さんの言には一切耳を貸さないくせに、若くて清楚なソメイヨシノさんや熟女で妖艶な枝垂桜さんの言に対しては、すぐに鼻の下を長くして受け容れてしまう私たち。これでは、サクラ錯乱差別だとかセクハラ容疑のサクラハ(桜派)だとかと言われてしまいそうですが、それもこれも私たちから「色気」が抜け切れていないからでしょう。心身とも枯れきった秋にもなっていないので、色気なかりせば心豊かならず」という「三春合議」を確認しながら、今回のイベントは「萩の湯にて千萩楽」ということと相成りました。


9.三春分科会メール・ラリー

三春分科会終了後、About38各位とのメール交信が行われました。特に、三春分科会に参加されなかったメンバー各位から積極的にメールをお送りいただいたのは、”All for One, One for All”About38精神溢れるものとして嬉しく拝読しました。上記1−8の「捏造録」と重複するところがありますが、以下にメール交信の全容をご紹介します。「捏造録」の欠陥を補って余りある力作レポートなども含まれていますので是非お目通しください。

(1)    三春分科会のご盛会祝い(2007/4/16 小林公直兄)

いわきの花咲かせ先生
三春分科会は、ご盛会の裡に打ち上げをされたこととお喜び申し上げます。

偶々、下記の記事の写真に先生のご一行様が写っているのではないかと、目の留まった次第です。日程設定が 抜群のタイミングでしたね、お疲れ様でした。
2007/4/16 毎日新聞

「滝桜:樹齢千年の艶やかさ 福島・三春町」

福島県三春町で三春滝桜が見ごろを迎え、大勢の花見客でにぎわっている。

滝桜は山梨県北杜市の「山高神代桜」、岐阜県本巣市の「根尾谷淡墨桜」とともに日本三大桜の一つに数えられ、根回り11メートル、高さ12メートル、樹齢1000年を超える紅しだれ桜の老木。1922年に国の天然記念物に指定された。
今月11日に開花し、15日現在で8分咲き。同町役場によると、今年は暖冬だったものの、3月に低温の日が続き、例年より4日ほど早い開花となった。見ごろは今月20日ごろまで。30万人以上の観光客を見込む。

                 【手塚耕一郎】


(2)    お礼(2007/4/17 秋丸康彦)

桜三昧の2日間、計画からガイドまでいろいろとお世話になり、ありがとうございました。お陰様で待望の三春の滝桜を見ることが出来、冥土の土産がまた一つ増えました。これからすばらしい桜の風景、道すがらの光景を思い出して俳句をつくろうと思います。ありがとうございました。

皆さんいろいろとお世話になり、ありがとうございました。開発プロには及びませんが、写真の一部を送ります。


(3)   Re: 三春分科会のご盛会祝い(2007/4/17 開発敏光兄)

各位

枝垂れ桜の艶やかさを堪能してきました。
我々が話題にした桜の艶やかさを感じた方(小林さん情報の手塚氏)が他にもいたんですね。
幸運にも時間を掛けて眺めた桜(滝桜、法華寺の桜)の写真を2枚送ります。
(参加者の皆さん、お世話になりました。多謝)


(4)    三春(2007/4/17 稲垣宏一兄)

諸兄

三春分科会ご参加の皆さんには素晴らしい眼福だったようですね。開発さんの写真でその様子が目に浮かびます。小生は我が家の桜(およそ樹齢60年)を楽しみました。


(5)    三春分科会&2007/4例会(有り難うございました)(2007/4/17-18 渡邉孝彦兄)

4/15-16の一泊二日の三春分科会ではAbout38の諸兄並びに岡田先輩ご夫妻に大変お世話になりました。

5-6年振りのAbout38の会への参加でしたが、会の大らかな雰囲気の中で許されるままにマイペースで存分に楽しませて頂きました。有り難うございました。

三春分科会の企画・準備の一部始終だけでなくお花見天気の準備及び花咲かせ爺の役割まで全うして頂いた佐々木幹事長及び東北の桜名所踏破に積極的なメンバー各位のお蔭で二日間で三春町中の桜名所14箇所及び会津若松の町桜と城桜を合わせ実に16箇所の桜名所を踏破する事ができました。

体力には自信がありましたが、流石に初日の朝桜から夕桜までの、また坂道の上り下りの多い全日の観桜歩行で軽度の腰痛が再発し、また帰路の東北新幹線の車中では花見疲れと飲み疲れでぐっすり寝込んでしまいました。

また、4/14(土)は佐々木ご夫妻に大変お世話になりました。

先ず高速バスいわき好間駅でお出迎え頂き、諏訪神社の観桜ガイドそして遠く南相馬市までドライブし夜の森の豪華絢爛の夜桜へ案内して頂き両観桜で眼福を得、VMS佐々木御殿での大宴会で豪華な海と山の幸と旨い酒をご馳走になり、空福を癒して余りある舌福を得、満福しきりました。更に、快適な宿泊と翌朝の酔い覚めの美味い朝食、そして終始一貫した佐々木御殿でのひろご夫妻のにこやかで心温まるおもてなしで家庭の幸福、熟年夫婦の幸福とはこう言うものだと教わり、まさに至福の一時でした。

御殿の玄関の佐々木兄の版画ギャラリーも「花を愛でるいわきの版画家」のサブタイトルが相応しい清清しく印象的なものであり、三春分科会の一日目の朝にまで及びましたが、人格者の山口兄と一緒であったこともあり、誠に感福の前夜祭でした。

ご夫妻に心から御礼申し上げます。


(6)    Re: 三春分科会のご盛会祝い(2007/4/18 山口善弘兄)

佐々木幹事様、三春分科会ご参加者の皆様及びその他アバウト38メンバーの皆様へ

佐々木幹事をはじめ分科会出席メンバーの皆様のお陰で無事楽しく有意義に三春観桜(鶴ヶ城観桜も追加さる)幕を閉じました。私事ながら、内心95歳の母をおいての2泊3日のツアーで心配でしたが、何事も起こらず一安心しました。こういう場合、携帯電話がありますのでもし何かの場合はすぐ連絡が取れますので、精神的に安定を保つことが出来てありがたいことです。携帯電話の弊害も多々耳にしますが、私としては素直に文明の利器に感謝しております。

さて、分科会(観桜)の感想ですが、4点列記します。

1、福島(その中でも三春)の桜見ずして桜語るな

日本にはどこへ行っても桜がありますが、その中でも福島県が一番、又その中でも三春町には桜の種類と言い、観桜場所数といい群を抜いているのではないかとの実感を得ました。

福島県に関しては佐々木幹事のホームページがあります。           http://www4.ocn.ne.jp/~daimajin/SakuraFukushima-a.htm
このページの内容たるや大変充実した桜探訪記であり、皆様に再読を薦めます。(佐々木幹事発信3月12日のメールにて紹介済みのものですが,全43頁の圧巻で単なる桜探訪に留まらず福島の現代版風土記ともいえます。)

三春町に関しましては三春町のホームページがあります。           http://www.town.miharu.fukushima.jp/
2、ソメイヨシノか枝垂桜か

桜のイメージとしてはソメイヨシノが代表とされぱっと咲いてぱっと散る、さわやか、潔いのイメージが強いのですが、今回、滝桜を初め、三春町の要所要所に咲いている枝垂桜を見るにつけ、全く違う感触を得ました。

枝垂桜の老木(樹齢600年するものあり)がピンクの花を咲かせ、ふんわりと曲線を描き垂れ下がる様はえもいわれぬ妖艶さを感じさせます。歌舞伎役者、それも老優が女形で舞踊(娘道成寺などの演目で)を演じた時の色気を思い起こしました。
3、観桜は色々な角度、距離から

絵画でも彫刻でもそうですが、近くで見るときと遠くで見る時の印象は違います。今回は色々な角度、距離から見ることによりいろいろ楽しめました。私など「桜は下を向けて咲くから下から見るのが一番。そしてその下で宴を催すのが一番」と固定観念を持っていましたが、今回はそれなりに鑑賞空間が得られ、良い体験が出来ました。今までは受動的に花見していたが今回は能動的に観桜したことによります。狭い都会生活者にはとても味わえない貴重な体験でした。

4、桜との取合せの妙

最後に桜との取合わせと言うことも学びました。神社仏閣の建物との取り合わせ、会津でのお城(鶴ヶ城)やお堀との取り合わせが又格別。桜が建物を引き立てるのか、建物が桜を引き立てるのか。逆に滝桜のようにまわりに何も無い空間を保ち孤高を保たせるというのも効果的な面もあります。それを今度は遠くの高いところから湖と一緒に眺めるのも一興となります。

写真のほうも色々取ったのですが、簡易カメラであまりめぼしいのがありませんので省略します。但し上記3、の説明にある「ソメイヨシノと枝垂桜の両方が写っている」のがありますので参考のため添付しました。

上記以外にも報告することは多々ありますが、取り急ぎ観桜に絞って報告まで。


(7)    Re: 三春分科会のご盛会祝い(2007/4/18 松本寿弘兄)

佐々木さん、皆さん

少し多めで恐縮ですが写真を合計9枚お送りします。ご笑覧ください。
@A 「菜の花と瀧桜」 上から見るのも見事なものです。
B 「さくら湖をのぞむ」 梅もひっそりだが、しっかり咲いていました。
 C 「遠目の福聚寺桜」 資料館の裏手の秘密の場所(墓場)から。
D 「お城坂の枝垂桜」 民家の庭ですが、お茶と梅干をご馳走になりました。
E 「法華寺桜」 濃い紅色の枝垂桜。きれいなお寺にふさわしい。
F A38の堂々の看板」 若松屋で迎えてくれました。
GH 「福島桜征服隊と若松屋桜」 二日目早朝出発する猛者たち。
                     まだ若い若松屋の桜が、満開で見送っている。

「菜の花と瀧桜」「遠目の福聚寺桜」「法華寺桜」それに「福島桜征服隊の猛者と若松屋桜」をお送りします。何れも瀧桜の血を引いているに違いありません。

佐々木さんの名采配により、日本三大桜のひとつ「瀧桜」に最高の時期に、最高の姿を見せてもらい、最高に幸せな気分でした。重ねて御礼申しあげます。

岐阜と山梨の名木もいつの日か拝みたい気がします。

皆さん、有難うございました。


(8)    Re: 三春分科会のご盛会祝い(2007/4/19 有田國雄)

三春分科会が盛会裏に執り行われたことお慶び申し上げます。小生は、残念ながら参加叶わず、写真を楽しんで居ります。童心か老心?かは別に、行く春を惜しみながらの集いを羨ましい気持ちで拝読、有り難うございました。
後は、詳細且つビビッドな議事録を楽しみにして、次のチャンスを待つのみ。

(9)    三春分科会&2007/4例会(有り難うございました)(2007/4/19 岡田亘弘・せつ子ご夫妻)

三春分科会ご参加の皆さま

イレギュラーな二人参加、皆様には何かとご厄介お掛けしましたが、ご厚意に甘えさせていただき、三春の櫻をたっぷり堪能、また、有意義且つ愉快な事々を体験、真に有難いことであったと感謝しております。

人に聞いたり写真で見たりでお馴染みの滝桜でしたが、聞きしに勝るスケールと気品に、そして清涼な彩りを帯びた妖艶な姿形に感銘しました。その他、数々の銘櫻にも度々心を奪われた次第です。

夢中でパチパチやった写真ですが、ドレもコレもぴったり来ません。直に実物を観て感じ取ったイメージの影響で、(腕の拙さを差し引いても、これだけ撃てば)たまには撮れる「これぞ!」というまぐれ当たりにも出くわさない始末です。従って皆さんが撮ってなさそうな写真だけを2、3見繕いで添付致します。蛇足ですが、何方も撮ったであろう『滝桜』は青空が、それに『法華寺の枝垂桜』は辛うじて映ったやや濃い目のピンクが、もしかしてユニークかなと思って添付した次第です。

私達、新潟行きにも、櫻、水芭蕉、菜のはななどの花情報をはじめ、多彩な郷土の産物、銘酒珍味に関する体験談、北陸豪農の史跡研究など、ご報告すべきものがありますが、それらは吉峰、松本両兄にお譲りして、私からは一つだけ。

スケッチに好いと勧められ訪ねた「水の公園福島潟」で、広大な菜の花畑と潟の水の大きな広がりに感心しながら暫し画紙を汚しておりましたが、冷たい小雨に耐え兼ねて、其処にある茅葺き民家の囲炉裏端に座り込んでお茶を飲ませて貰っておりました。ここは誰でも気軽に上がりこんで、誰とでも語らいてェことを喋って楽しむところらしく、皆さんお茶をすすりながら歓談しています。因みにこの民家、『潟来亭』と言います。そこで私たちも仲間入りしてだべっているうちに、話が三春の櫻を見物してきた件に及びました。管理人の佐藤さんも入れ替わり立ち代りやって来る見物客、いずれも気心の宜しい方達ばかりだったので、こちらも櫻の写真満載のパンフレットを見せながら、滝桜が実に見事でしたをはじめ、我が三春におけるすべての体験を懸命にご披露しました。三春町観光PR特任大使になったような具合でした。お陰でスケッチのほうはそっちのけになり、小さいの(F2)を2枚描いただけでしたが、それ以上の成果をあげたような上機嫌でした。

今日は水彩画の会の会合に出かけて来ました。ここでの面々は、さすがに、三春滝桜をアタックした人が多く、誰もがすかさず(開花具合の)タイミングはどうでした?と聞いてきます。こちらはやや得意になって「八、九分ないし満開、しかも上天気」と応えますと、一応「それはよかったですね」と羨ましさと嫉みとが相半ばしたような様子で喜んでくれます。大体、タイミングが合わずに臍の緒をかむ思いをした御仁が多いようです。それにしても我々は何と幸運だったことか?これは偏に、佐々木さんが我々の満足度を極大にするために、広域な情報収集と精緻な分析をしてくれた成果であり、そして、何よりも強力な念力で幸運を呼び込んでくれたお陰であることを益々深く強く確信するに到りました。万全のご配慮と多大なお骨折りに心から感謝申し上げます。有難うございました。

また、今回、随所でご好意を示してくださったABOUT38の諸兄に衷心より厚くお礼申し上げます。

(10) 若松屋旅館4/15夕食の献立(2007/4/22 山口善弘兄)

佐々木様

若松屋旅館の献立は山口1人では思い出せないので帰りの新幹線で他の3人の力を借りて思い出そうとしたのですが、実は帰りの新幹線で秋丸様とはぐれてしまい、開発様、渡邉様、山口の乗った車両は込んでおり、ばらばらに座ってそのまま眠ってしまいましたので対話が持てませんでした。そこで、本メールにて作成したいと思います。

秋丸様、開発様、渡邉様

山口がまず下記記入しましたので、補足願います。
『若松屋旅館、夜の献立』
1. 突き出しのお皿に確か4品載っていましたが、あんこの付いた白い団子しか思い出せません。
2. 小鉢に酢の物がありました。
3. 茶碗蒸しがでました。
4. 鮎の焼き物がでました。
5. 肉(何の肉か)を小さな鍋に火をつけてもらい食べました。
6. 天ぷらがでました。(中身が海老の外忘れました。たらの芽もあったか)
7. 野菜の煮物もありました。(皿に蓋がついていました)
8. 油揚げほうろく焼きもでました。(但し一切れ)
9. その他数種類の山菜料理が、お皿を別にして出されましたが忘れました。
10. 漬物もあったと思います。
11. 最後に細長い皿に、いかを小刻みにした生ものともう一品山菜の漬物のようなものがのっていました。(皿の台がありました)
とにかく品数が多かったです。せっかくの山菜料理であるにもかかわらず、山菜を盛った皿の中味を忘れてしまい申し訳ありません。写真を撮っておかなかったのが悔やまれます。


(11)三春分科会のご盛会祝い(2007/4/23 高田俊雄兄)

こんにちわ。すばらしい桜の写真をありがとうございました。
絶好の時でしたね。みなさんさぞ満足された事でしょう。
小生の滝桜観光のときも同様で、そのときを思い出しました。


(12)お礼とメール開設のご連絡(2007/4/24 吉峰敏行兄)

4/1516 About38会「三春分科会」では、大変お世話になりました。

千年の歴史を誇る「三春の滝桜」を観賞できたことは、終世忘れえぬ思いでとして心に残ることでしょう。貴兄のご尽力に深く感謝致します。

24日PMから新「メールアドレス」を開設することができました。住所不定からようやく解放されます。今後とも宜しくお願い申し上げます。


(13) 城桜(2007/4/24 渡邉孝彦兄)

佐々木様

鶴ケ城の桜の写真有り難う。

三春分科会では3日とも甲乙つけがたい桜の名所を十数か所巡りましたが、なかでも鶴ケ城の桜は質量とも圧巻で一番気に入りました。

それにしても城と桜は組み合わせとして良く合いますね。「城桜」と言う正式の言葉が無いのがおかしいぐらいですね。


(14) About38 :三春分科会観桜記(2007/4/27 渡邉孝彦兄)

三春分科会ご参加の各位

ほぼ十年振りにAbout38例会に参加し、三春分科会の観桜旅行を存分に楽しませて頂きました。

諸兄姉にお世話になりながら、デジカメを携行せず、ご披露できるものが無いので代わりに、遅くなりましたが、三春分科会観桜記を送付します。

About38 三春分科会観桜記
4/15,4/16の両日About38三春分科会に参加して随所で眼福や舌福を得、満福、幸福に浸ってきました。花言葉や桜言葉を多用して観桜記として報告します。尚、文中の花言葉や桜言葉に誤字・当て字或いは意味不明があるかもしれませんが、半意図的でもあるのでお許しください。

414日(土)前夜祭

前夜祭に参加した山口兄と小生の二人はJR高速バス関東でいわき好間駅に着くや待構えていた佐々木兄の愛車に押し込められドライブに拉致された。車中で行き先を教えられ一安心。

佐々木兄は申すまでも無く三春分科会の企画・準備・現地事前交渉・実行責任を一手に引き受けてくれた実行委員長。しかもいわき市在住ながら福島県公認の花守です。そのお偉い実行委員長兼花守が多忙さにかまけず自ら前夜祭のホスト兼ドライバー兼ガイドを買ってくれたもので恐れ多くもあり、有り難いことである。

さて、最初の眼福は今回の旅行の初桜となるいわき市内の諏訪神社の枝垂れ桜である。生憎見頃を過ぎ女性で言えば姥桜。そこで考えた花守は予定外ながら二箇所目の桜名所に案内してくれ、お蔭で大いなる2番目の眼福を得た。50Km離れた南相馬市の夜の森公園に到着したのは紛れもない夜であった。数百メーター伸びる市内の大通りの左右の歩道に沿いほぼ1m間隔で並ぶ染井吉野。ライトアップされ超見事な夜桜。折柄、若人のよさこい踊りが並木道を蛇行し最高の盛り上がりである。

夜桜の美しさの余韻に浸る間もなく、迎えられたのは宿泊先のVMSこと佐々木邸。食膳を賑わしたのは初鰹、あいなめ、さより等の刺身に目ひかりの天麩羅、更にはアンコウ、独活の味噌和え、根三つ葉、あんこうのお吸い物等々枚挙に遑がない。いわきの豊富な海と山の食材を手造りで料理し、楽しく愉快な会話で我々を親切に暖かくもてなしてくれた花守ご夫妻のお蔭で、最初の舌福を得ただけでなくこよなく幸福な一時を過した前夜祭であった。
415日(日)三春分科会初日

さて4/15の朝は好天で絶好の花見日和。朝から参加した開発、秋丸両兄を含めBグループ(マイカー組)は総勢5名。宿泊先の若松屋旅館に車を置き、早速三春町の観桜ラリーに繰り出した。3番目の眼福、法華時の枝垂れ桜は空も晴れ上がり富安風生の名句「まさをなる空より枝垂れさくらかな」通りであった。観桜ラリー2箇所目即ち4番目の眼福は八幡神社のエドヒガン。この日は祭日で長獅子の獅子舞を見物でき、本堂ではお神酒(三春駒)をご馳走になり幸運の連続であった。次の目的地を目指す途中、三春町の中心部の何故か鰻やの店前で、桜色に頬を染めたAグループのご一行様にバッタリ出会った。メンバーは吉峰兄、松本兄それに大先輩の岡田ご夫妻のカルテット。A,B両グループ全員の集合記念写真撮影後互いの健闘を祈念しあう。

石畳道の磐州通りを辿り、隣り合う王子神社と紫雲寺の染井吉野で5番目、6番目の眼福を得る。

昼食はホテル八文字屋のほうろく亭。花見酒+油揚げほうろく焼き+桜ソーメン+アルファで二つ目の舌福を得る。

昼食時までの花曇が怪しげになり、明朝の雨天を懸念した花守の独断で午後の予定を変更して町中からバスでさくら湖へ向かう。滝桜見物で7番目の眼福を得るためである。流石に根尾谷の淡墨桜、山高の神代桜と共に日本三大桜の一といわれるだけあり滝の如き見事な枝垂れ桜。色々な角度で観桜できるのがよく、上から見て糸桜、横から見て枝垂れ桜、下から見上げて滝桜である。隣接する眞黄色の菜の花畑との組み合わせも面白い。三春町中に戻り小雨の中を桜府の桜スタンプラリーを続行。8番目の眼福お城坂の枝垂れ桜を見て、坂から見下ろす三春の町はまさに花の雨。そろそろ重くなり始めた身体をひきずるように再び坂道を上がり9番目の眼福、田村大元神社の枝垂れ桜を見る。車道に下りて暫く歩き、10番目の眼福、天沢寺の枝垂れ桜へラリーする頃は既に花疲れ。Bグループの面々は多くの眼福を得、各様に思いに耽っており、芭蕉の「さまざまの事おもい出す桜かな」の趣である。

日の暮れ時ではあるが、身体に鞭打ちラリーを続け、真照寺に向かう。山門手前に競り市跡がある。江戸時代軍馬の競り売りが行われた。

横道に逸れるが東北の小京都と言われる三春の町は其処かしこに花の名所があり紛れも無く花の都。花=サクラの「サ」はイネの神様の意味。「クラ」は座るところ即ちサクラとはイネの神様が座る花である。にも拘らず三春の町は米作りとは無関係。地形的にも米作りに不向きで江戸時代の主産業は煙草と蚕と馬であった。馬を敬い三春駒という伝統工芸で歴史を残す三春の住人に「処で桜(肉)は何処で食べられるか」の質問が飛び出して顰蹙を買う一齣もあり。

話はラリーに戻り11番目の眼福は桜府にしては珍しき水芭蕉。桜とは異なる控え目な美しさが印象的である。そして12番目の眼福は本日のフィナーレであり、福聚寺の夕桜。予定の桜狩りを終え宿に着いたのは黄昏時。

桜の湯で烏の行水を浴び空腹の顔の揃った宴会場へ。

花守殿の采配、法師殿の開宴の辞で始まった三春ナインの観桜談義、スタンプラリートークも上の空、こちとらは花より団子で次から次へと限りなく出てくる14皿の豪華な山菜料理に舌鼓を打ち続け三つ目の舌福を得、満腹至極であった。
416日(月)三春分科会二日目

寝起きの好い五名が朝食前の半時を利用して13番目から15番目の三つの眼福を得る。法蔵寺、高乾院、龍穏院の朝桜見物で全て枝垂れ桜。水琴窟(法蔵寺)や火燈窓(龍穏院)を見れたのも早起きによる三文の得か?

朝食後Aグループと別れて花守殿の愛車で合津若松へ向かう。

16番目の眼福は鶴ケ城の城桜。城内に所狭しと咲き誇る染井吉野をゆっくり見物する。花の雲の上に聳える天守閣はなかなか絵になる光景である。

猪苗代の蕎麦屋「石筵」の地酒と蕎麦で四つ目の舌福を得た後は郡山の湯ラックス熱海で3日間の花埃の汗を流し、花疲れを癒す。町中の名残の花に後ろ髪を引かれる想いで、東北新幹線で帰途に着く。名花守佐々木兄及び和気藹々の三春エイトのお蔭で、16の眼福と四つの舌福を得た、誠に幸福な桜漬けの3日間でした。
  


(15) Re: About38 三春分科会参加の記録(2007/4/27 開発敏光兄)

渡邉さん

編集が終わった三春枝垂れ桜写真集(次回お会いするときにでも持参します)とを照らし合わせ、名文の貴観桜記を拝見しました。

心豊かで、まだまだ色気もある親父たちの観桜漫遊のすばらしい光景が目に映るようです。
縁(艶)は異なものですね。

ご一緒させていただき有難うございました。


以  上
「東芝38年生の酒記」トップページへ戻る